第8話
火山地帯への道中。
さすがにドラゴンが出るような危険地帯だけあって、道は険しく、魔物の気配も濃い。
俺たちはギルドが手配してくれた馬車で移動していた。
馬車から降りて休憩していたとき、リルナが少し照れながら、包みを差し出してきた。
包みは清潔な白い布で丁寧に包まれ、紐でしっかりと結ばれている。
「ハル様、道中お疲れでしょうから……。その、私の手作りで恐縮なのですが、お弁当を作ってまいりました。お口に合いますかどうか……」
彼女の指先が少し震えている。
頬は薄く紅潮し、目は俺の反応を見るのを恐れるように、時折うつむいてしまう。
明らかに緊張している。
包みを開けると、中にはサンドイッチや卵焼き、タコさんウインナーなどが入っていた。
見た目は……まあ、少し形が崩れている部分もあるが、彼女が一生懸命、俺のために作ってくれたことが伝わってくる。
食材の配置には明らかに装飾的な意図があり、緑の野菜でハートの形を作ろうとした痕跡が見える。
「おお、ありがとう! 助かるよ、ちょうど腹減ってたんだ」
俺は素直に礼を言って、お弁当を受け取る。
リルナは「 はいっ!」と、花が咲くように嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見ると、まあ、ドラゴン退治(?)も悪くないか……なんて、一瞬だけ思ってしまうから不思議だ。
俺がリルナお手製のお弁当を食べていると、近くの茂みから、バサッ!と翼の音がして、一匹の凶暴そうな魔物が飛び出してきた。
鷲の上半身にライオンの下半身を持つ、伝説の魔獣グリフォンだ。
翼は強靭な皮膜で覆われ、その爪と嘴は鋼のように鋭い。
全身は淡い金色の獣毛に覆われ、首元には深紅の毛皮が襟のように広がっている。
見るからに強そうで、中ボス級の風格がある。
グリフォンは俺たちを獲物と認識したのか、鋭い爪を立て、威嚇するように甲高い鳴き声を上げようとした。
しかし。
俺がちょうど、タコさんウインナーをもぐもぐと食べている姿を認めた瞬間、グリフォンはなぜか動きを止め、本能的な恐怖を感じたかのようにブルッと身震いした。
その鋭い金色の瞳が見開かれ、全身の毛が逆立つ。
まるで死神を見たかのような恐怖の表情だ。
そして、威嚇の鳴き声を発することもなく、一目散に空へと飛び去っていったのだ。
その姿は雲の向こうへとあっという間に消えていった。
「ハル様のお食事を邪魔するとは、無礼な魔獣でしたね!」
リルナは呑気にそんなことを言っている。
彼女は今の出来事を、まるで当然のことのように受け止めているようだ。
俺は(え? 今の何? 俺が飯食ってるだけで逃げたの?)とポカンとする。
ピノは遠い目をして、「……ふん。グリフォン程度では、もはやこいつの異常性の前には、何の驚きも感じんぞ」と、諦めたように呟いている。
彼の小さな肩はがっくりと落ち、羽根もしおれていた。
◇
数時間の移動の末、俺たちは目的地の火山地帯に到着した。
馬車からを降りると、まるで巨大なサウナに飛び込んだかのような熱気が全身を包み込んだ。
鼻を突く硫黄の匂いが立ち込め、息を吸うたびに喉がヒリヒリとした。
地面のあちこちから白い噴気が上がり、頭上には赤と黒が渦巻く不気味な雲。
遠くには赤黒い溶岩流が蛇のようにうねりながら流れ、岩肌に触れるたびにジュッという音を立てている。
まさに地獄絵図だ。
この一帯は「火竜の谷」と呼ばれる火山帯で、かつては古代魔法文明の聖地だったらしい。
現在は立ち入り禁止区域として指定されているが、それでも時折、強力な素材を求める冒険者や研究者が足を踏み入れるという。
「うへぇ、暑すぎる……。しかも、なんか卵が腐ったみたいな臭いがする……」
俺は顔をしかめ、持っていたハンカチで口元を押さえる。
服が汗でベタつき、肌に張りついて不快だ。
少し離れた場所で、リルナが魔法の防護結界を展開しようとしていた。
彼女は剣を地面に突き立て、小さな魔法陣を描こうとしているが、熱気のせいか手が震えて上手くいかないようだ。
額に浮かんだ汗が頬を伝い落ち、彼女の化粧気のない素顔に光の線を作っている。
「ハル様、大丈夫ですか?」
彼女は自分の不調を押し隠し、心配そうに声をかけてくれる。
「この熱気は半端ありません。もう少し涼しくできると良いのですが……」
彼女は再び魔法陣を描こうとするが、またしても手が滑ってしまう。
「くっ……」と小さな歯噛みが聞こえた。
彼女自身も額に汗を浮かべ、頬を赤く染め、明らかに辛そうな様子だった。
リルナの服装は普段の軽装鎧から、より動きやすい火山探索用の特殊装備に変わっていたが、それでも暑さは厳しいようだ。
「ちょっと休もうか」と俺は提案した。
日本での面接で何度も落ちた経験を思い出す。
いつも自分を責めていたっけ。
リルナの挫折の表情が、どこか昔の自分と重なって見えた。
(俺に何かできることはないのか……)
一方、妖精であるピノだけは、涼しい顔をしている。
彼の緑色の体は、むしろこの環境で生き生きとしているようだった。
翡翠色の羽をパタパタと動かし、熱気の流れを観察している。
「知識妖精の体は元素親和性があるからな」
ピノは得意げに説明した。
「俺は植物系だが、熱にも多少の耐性がある。まあ、過去に火山観察で失敗して羽根を焦がした経験はあるが……」
その言葉を最後まで聞く前に、熱気と硫黄の強い刺激に、俺の鼻がムズムズしてきた。
これは、まずい。
くしゃみが出そうだ。
「へ……へっ……」
その時、ふと思い出した。
さっき街道でくしゃみをしたら、馬車を襲ってきた盗賊たちの武器が勝手に砕けたんだよな。
もしかして今くしゃみをすると……。
(いや、止めないと! 何か大変なことになりそうだ!)
俺は必死にくしゃみを抑えようとした。
鼻を指で強く摘み、顔を上に向け、「くしゃみ出るな、出るな……」と心の中で懇願する。
だが、自然の摂理には逆らえなかった。
「ハックション!!!」
俺は、火山地帯の空気を震わせるほど、盛大なくしゃみをしてしまった。
そのくしゃみは、まるで長い間溜め込んでいたかのような大爆発だった。
――その、瞬間。
俺たちの背後で、静かに、雄大にそびえ立っていた巨大な休火山が、『ゴゴゴゴゴゴ…………!!!』と、すさまじい地響きを立て始めたではないか!
大地そのものが揺れ、足元が不安定になる。
岩肌に亀裂が走り、地面から熱い蒸気が噴き出す!
そして、山頂からは勢いよく、真っ黒な噴煙が天高く噴き上がった!
噴煙は太陽の光を遮り、周囲を一瞬で暗闇に変えた。
熱い灰が雨のように降り注ぎ、俺たちの髪や服に降り積もっていく。
「「「えええええ!?」」」
予期せぬ突然の大噴火に、俺もリルナもピノも、全員が唖然として空を見上げる。
まるで絵に描いたような噴火だ。
噴煙は巨大なキノコ雲となり、辺りは灰と硫黄の匂いで充満した。
「噴火!? バカな……この山は数百年も休眠状態のはずだ!」
ピノが震える声で叫んだ。
その時、俺たちの背後から、轟くような咆哮が響き渡った。
「グオオオオオオオ!!!!」
火山の噴火に驚いたのか、あるいは怒ったのか。
近くにあった巨大な洞窟の巣穴から、山のように巨大なドラゴンが姿を現した!