9.半分はまだ父親
イリエスの家の前で、ケルの4本の足それぞれに、光の槍を刺して地面に固定した。
ひどい唸り声をあげて怒り狂うケルの体を光の鎖でぐるぐる巻きにして動きを封じた。傷つけないという約束は守れなかったが、しかたあるまい。槍を抜いて傷口に薬を塗ってやった。
念願だったイリエスの家の中に初めて入った。予想していたよりも2倍は可愛らしいもので一杯だ。彼女の好きなウサギの小物がたくさんある。
イリエスが胸に抱きついてきて、グスグスと鼻を鳴らした。
よしよしと頭を撫でてから、抱き上げると長椅子に座って、彼女を横抱きにして膝にのせた。すぐに胸に縋りつくように抱き付いてきて「ファルカシュ」と何度も呼びながらわんわん泣いた。
「それで、どんな暗い想像をしていたのかな? 教えて欲しいな」
「あのね、ファルカシュは母様が今も好きで……似ている娘の私を身代わりにしているの……それでね、娘の私に取り入って、母様に近づくの。私はあなたが好きだから言いなりになって、洞窟から母様をさらう手伝いをさせられて」
「どうなるの?」
「ファルカシュと母様は天界で結ばれて、それで私は捨てられて独りぼっちに」
しがみつくイリエスの頭をなでながら、くすくす笑ってしまった。
「なんで笑うの? こんなに悲しいのに」
「ごめんね。でも分かりやすく暗黒に溺れているね。それにしても可愛い想像だ。君ならもっと過激なのを想像しているのかと思った」
「私どうしちゃったのかな。次々悲しいことばかり思いついて泣いてしまうの」
「それはね、呪いのせいだよ。昨日君の父様に『好きな相手に別の想い人がいると思い込んでしまう呪い』をかけられた」
「父様はどうして私に呪いをかけたの? 酷すぎるよ、許せない!!」
彼女と一緒になってシルベリオスを罵りたかったが、私があの馬鹿野郎のために大人になってやった。
「君の父様を責めないでやってくれ。彼は呪う気持ちなんて全くなかった。でも娘が心配なあまり、言葉に思いを無意識に込めてしまったんだ。彼はあまりに長く独りでいすぎたから、彼自身の力がよく分かっていないんだ。今回は感情が高ぶるあまり暴走してしまった。なんというか事故みたいなものだ」
「事故だろうが、無意識だろうが、何てことしてくれたのよ!! 娘を呪うなんて、絶対に許さない!」
「その調子で怒ってくれ。呪いは基本かけた本人しか解けないが、君の父様は全然あてにならない、外を見てごらん、君に大嫌いと言われて廃人になってしまったあいつの力が暴走して世界は闇の中だ。全くどうしようもない」
「怒れば呪いが解けるの?」
「うーん、怒るだけでは解けないね。でも呪いに飲み込まれない方法をつかむには、よい方法だ。暗い想像に落ちるほどに呪いは強くなる、逆に感情が明るい方に向かえば呪いは弱まる。自分で感情を操るんだ。馬の手綱を握るみたいにね。今の君は闇に突っ込んでいく暴れ馬にしがみついている状態だ」
「どうすればいいの?」
「呪いの力を上回る、強い気持ちを持てば呪いは解ける」
オレンジ色の瞳が私を見つめている。
瞳の中の橙色の炎が燃え出して、妖艶に神気を漂わせ始める。ああもう抗えない、彼女の虜になって逆らえなくなる……そう痺れた頭で思ったとき、瞳は急に力を失い、不安に覆われた。
「ファルカシュ……あのね……一緒に寝て欲しいの。そうすれば大丈夫になる」
外は闇夜であるが、今はまだ午前の早い時間だ。眠るには早すぎる。彼女が私にして欲しいことを、はっきり口にだせずに遠回しに言ったのだと分かった。体の中で激情が渦巻く、野獣のように襲い掛かりたい。
「私に抱いて欲しいのかイリエス」
コクリと頷いて初心な少女は真っ赤になった。
「イリエスを今は抱かない」
彼女の瞳が大きくなって、唇を噛んだ。そこに映る悲しみと戸惑い……彼女が傷ついたことが痛い程に伝わってきた。
「どうして? 私のことが好きじゃないの? やっぱり母様が……」
言いかけてイリエスは大きく息を吸った。悲しみに落ちていくのを耐えているのが分った。
「良い子だ、ちゃんとできた。闇に落ちていかずにとどまれたね」
額にキスをしてから、オレンジの瞳を覗き込んだ。
「呪いがかかっている今、君を抱くことはできない」
「そんなの……嫌だ。不安なの抱いてほしいの」
「ああイリエスなんて可愛いんだろう。本当なら昨日の夜、私たちは好きなだけ抱き合っていたのに」
イリエスの頬を涙がつたう。
「母様を選ばないで」
強く抱きしめた。
「今度はどんな想像が浮かんだの?」
「母様が悪の組織に誘拐されて、ファルカシュと私が助けに行くの。それで私も捕まってしまうの」
「うん、それで?」
「悪の親玉が言うの、どちらか1人だけ助けてやる。それでファルカシュは迷わず母様を選んで……そして私は殺されてしまうのよー」
「だんだん想像が過激になってきた。いいね君らしくて!」
私が笑っていると、イリエスもつられて笑顔になり呪いが弱まったようだ。くっついて甘えてくると「今日は一日中一緒にいられるね、嬉しいな」と言って、可愛いキスをしてくれた。それから抱きしめあっては、キスをしたり、頬を擦り付け合ったりして、甘い時間を過ごした。
「ずっと抱っこされていると、なんだか恥ずかしいな」
「いつもしているよね」
「え? してないよ。こんなにベタベタくっついてないよ」
「天を駆ける馬車にいる時は、いつも私の膝に乗って抱っこされているだろう?」
イリエスはしばらく考える顔で目をぱちぱちさせた。
「そう……か。あれ? そうなのかな……あれは何か違う」
「イリエスもそう思う? 実はね、私もあれは恋人の時間とは何か違うと思っていた。恋人というよりはイスにされている」
「あれは癖だね。小さい時からしているから、あすこに座らないとなんだか気持ちが悪いんだよね」
「私をイスだと思っている失礼なイリエスに質問がある」
なあに? と可愛いウサギは私を無邪気な顔で見上げた。
「君にとって私はどんな存在なのかな? 父? 兄? 友達? 飼い犬? それとも恋人? どの感じが1番ぴったり当てはまるのかな?」
「そうね……どれも全部そんな感じ」
「え? 犬も入ってるのか!!」
「うん……ちょっと待ってね、よく考えてみるから。この中で1番ぴったりくるのは……恋人と……半分は父親……だね」
ぎゅっと眉に力が入ってしまった。きっと不機嫌な顔になっただろう。
「そんな気はしていた。父のように思っているんだろうと……だが半分もとは衝撃だ、正直辛い」
「でもキスをしたいし……もっと先のこともしたい……よ」
「そうだね、君は大人になりかけで、私のことをやっと男だと認識してくれた。だから私が恋人しかしないことをすれば……君の心も体もすっかり大人にできると思った。君が自分で大人になるのを待つ気は無かった。抱いて分からせるつもりだった」
彼女の呼吸が少し早くなって、小さな手が服をぎゅっと握ってきた。
「でも……もうそれはできない。呪いがかかってしまったから」
「そんなこと無いよ! 私はきっと呪いを弾き返せる。やってみようよファルカシュ!」
「そんなピクニックに行くみたいに明るくベッドに誘われると複雑な気分だな、君は本当に分かっているのかな、私が君に何をするのか」
指先で頬に触れて、そのままゆっくりと白く柔らかな首筋に指を滑らせた。耳にキスをしながら、指を上下に動かして、吸い付くような極上の肌を楽しんだ。
彼女の体がびくっと揺れる。片腕で抱きかかえて逃げようとする体を捕まえると、そのまま首筋に唇を押し付け浅く吸った。
「ひゃっ、わわわ、分かってるよ」
唇を離して、戸惑い揺れるオレンジの瞳を覗き込む。
「分かっているなら良かった。それから君が分っていないこともこの可愛い体にたくさん教えてあげたいけれど……私達はもう契りを結ぶことはできない、呪いがあるかぎり」
「強い気持ちがあれば呪いを解けるって言った」
「今の状態ならね、呪いは掛かり切っていないから君ならきっと解くことができる。でも私が君を抱くと呪いは真の力を発揮する。『体だけ手に入れても、心はけして君のものにはならない』これが呪いの核なんだ、夜の神の強力な呪いには勝てない、私達が交じり合った時、君の思考は闇に引きずり込まれてけして私の愛を信じられなくなる」
いつもなら光が降り注ぐ昼の中で、今、世の全ては闇の中。
『幸せになれない、幸せになれない、だからその男だけは駄目なんだ』
娘を愛するあまりにかけられた呪い…… 身勝手で、残酷で、私の心臓を刃で刺し貫く。
血を噴き上げて痛みにもがく私から、またあの男が愛する人を奪っていく。