2.初めての夜はどこで
馬車を停めて、長いキスをした後、銀の髪を指に絡ませながら額に頬にとキスを落す。それなのに彼女はまた嫌なことを聞いた。
「私が母様と似ているから好きなの?」
「君がネリに似ているなんて1度も思ったことは無い。彼女は慎ましやかで私の膝にのったことは無いし、知的で冷静で……睡蓮の花のように気高い人だ」
「それなら私は何の花?」
「君は花じゃなくて、暴れん坊」
いやだいやだと彼女は膝の上でじたばたと暴れた。
「娘になったと言ったのは撤回だ、まだまだじゃじゃ馬の暴れん坊のお子様だった」
「ちがうもん!」
「いいや違わない。海の水をひっぱり上げて持ち上げて遊ぶなんて、いったいどうやってやっているんだ。君が海を持ち上げるから、海は満ち潮ができて波を立てるようになった。そればかりか海流が生まれてぐるぐる回り出したぞ。そのせいで海がかき混ぜられて、新しい生物が引っ切り無しに生まれてくるようになった。おかげで海にも陸にも新しい生命が溢れかえって、地上の秩序を保つ私の仕事が増えただろう」
彼女がふふんと得意気に笑った。
「それは私のせいだけではないでしょう? ファルカシュが母様を恋しがって時々落ち込んで、太陽の光を弱めて鬱々としたり、そのあと後悔していきなり張り切ってガンガン陽を照らしたり、情緒不安定になるからいけないの! そのせいで穏やかだった春夏秋冬が激しくなって、四季の神は次々新しい神を生みだすの。新しい神に祝福されて生命が次々に誕生して地上はどんどん広がる! 自分の責任なの、私のせいにしないでね」
「そうか……それなら君と私のせいで、海と陸に新しい生物が生まれているのか。困ったね、地上が騒がしくなって私は増々忙しくなるよ」
「ファルカシュは大人だからしょうがないでしょ、お仕事がんばって。それじゃあ私はまだ子供みたいだから遊びに行く」
膝の上でイリエスが立ち上がってこちらに顔を向けると、べっと舌をだした。
天を駆ける馬車でそんなことをするなんて、本当に幼子みたいなじゃじゃ馬だ。腰まである長い銀の髪が風に舞い、怖れを知らぬオレンジの瞳は太陽の光でキラキラ煌く。蕾がほころび始め、まさに花を開かせる刹那の美しい曲線。もう大人の体になっていることに気付いていない初心な少女が腕の中にいる。
この暴れん坊は、私の膝を蹴って飛び上がり、この馬車から降りるつもりだ。
安々と彼女の腕を捕まえて、向かい合わせに両足を開かせ座らせると強く抱きしめた。「離して」と彼女はしばらく身をよじったが、胸と胸をピタリと密着させて離さなかった。すぐに観念して静かになると「この格好は恥ずかしいの……」とささやきが聞こえた。
「特別なキスがしたいとねだったのは君だよ、恋人になってしまったのだから私はもう逃がさないよ。今夜は君の家に泊まる。一晩中一緒にいて絶対に君をこの腕から出さない」
彼女の頭が勢いよく動いて、まじまじと瞳を覗き込んでくる。オレンジの瞳が燃えるように興奮して瞳孔が大きくなり、魅惑的な神気をまた無自覚に振りまいてくる。清純で甘い神気が彼女が処女であることを教えている。抱いたらこの清らかな香りはどう変化するのだろう?
「私達は恋人になったの? それなら結婚するのかな」
「結婚はしない、恋人のままでいる」
「どうして?」
「だって結婚することになれば、君の父親に気付かれるだろう? また奪われて隠されるのは御免だ。あいつに許しなどもらわずに、私は好きな時に、好きなだけイリエスに会う。誰にも邪魔させない」
「母様のことから学んで、こんどは結婚する前に初夜をする軽薄男になることにしたんだ」
「軽薄男じゃない、一途に君だけを愛する恋人になるんだ」
「でも母様が好きなのでしょう?」
「好きだ」
「私は?」
「大好きだ……ああもう、どうして君は私の気分を悪くさせることばかり言うんだ。この口がいけない」
彼女がしばらく口がきけなくなる程に、長くて深いキスを繰り返した。
太陽が沈んでいき、今日の仕事の終わりを告げた。彼女の地上の家に向かいながら、溶けた顔でこのうなく可愛い顔をした恋人に、ロマンティックな空を演出した。
「見てごらん、空を全て夕焼け色に染めた、君への贈り物だよ」
うっとりとした顔で、桃色に染まった美しい空を見上げながらイリエスは幸せそうに微笑んだ。
「こんなすごいことをしたら、今日は特別なことがあると父様と母様にばれてしまうわ。やっぱりあなたは馬鹿者なのね……」
「そうかもしれない、こんな夕焼け空は初めてつくった。あいつに勘付かれる」
彼女の言葉に慌てて天上を空色に戻した。夜のとばりがいつもより早く広がって、すぐに空は濃い青色になりそして暗くなっていった。
「今夜は満月だから、父様は来ない」
不安を隠せずにいるとイリエスが頭を撫でてくれた、微笑んで「大丈夫よ」と言う。
「どうして満月だと来ないんだ」
「だって満月の夜は、父様と母様は一晩中忙しいの」
「あー気分が悪い。どうして君はそういうことをあけすけに言うのかな。私の傷ついた心を全然おもんばかってくれない」
「ふふふ、あなたはなんだか子供みたい」
「私は君より何百年も年上だ、子供なのは君の方。でも……イリエス……」
耳元に口を寄せて低くささやいた。
「今夜私が君を大人にする」
一瞬でイリエスの顔が真っ赤になり、両手で頬を覆うとフルフルと震えた。もじもじと恥ずかしがる可愛い初心な様子を見てとても満足した。
陽の最後の光も消え、暮れた薄暗い青い空気の中、天上には星が瞬き始めた。彼女の地上の家の空に到着し、馬車を地面に降ろそうとすると彼女が止めた。
「ケルがいるからファルカシュは中に入れないよ」
「あの番犬は面倒だな。殺すなら1秒で出来るが……殺したら駄目だよな」
「ダメダメ絶対に殺さないで、私の大切な兄弟なの」
「それだと、あの犬を無傷で大人しくさせるとなると時間がかかるな……ああ嫌だな、君を腕から出したくない。そんなことをしたらあの時の二の舞になりそうだ。シルベリオスが来て君を連れ去ったら、今度こそ私は立ち直れない……そうだ!」
「どうしたのファルカシュ、そんなに強く抱きしめたら苦しいよ」
「決めた。ここで抱く」
「ええ! この天上の馬車の中でするの?」
「そうだ、私は嫌と言うほど学んだからな。抱くと決めた瞬間から絶対に好きな女を腕から離さない。しかし、もう一つ大切なことも学んだ。相手の意思を尊重すること。イリエスはどうしたい? 君の望みの通りにするよ」
可愛い幼さを残した恋人は、長い時間をかけて考えた。そして大人の顔をしてはっきりと気持ちを伝えてくれた。
「ここでするのは嫌。でも家で一晩中あなたの腕の中にいて大人の恋人になるのはいいの。そちらの方が素敵だから。それからね、もう一つ大切なことを伝えるわ。父様も学んだの……だからけして私の意思を無視して閉じ込めることはしないのよ、心配しなくて大丈夫」
「そうか……それならケルの頭を撫でるところから始めなければならないな。夜のうちにできるといいのだが……やってみよう」
イリエスを抱きしめ額にキスをすると、湧き上がるような幸福を全身で感じた。