5
そのままいつのまにか僕は眠っていたらしい。
ふと目を覚ますと、美術室には誰もいなくなっていた。
電気のついていない教室に窓の外から仄かな灯りが差し込み、物の輪郭がぼんやりと浮かび上がって見えた。
僕は目を凝らして時計を確認した。
げ!もう7時だ!
僕はカバンを肩にかけると、美術室を出ようとしてドアに手をかけた。
その時、思いがけずドアが外側から開いた。
「わぁっ!」
「きゃっ!」
うす暗い中でよく見ると、水野さんが頭に手をやってしゃがんでいる。
「………なにしてるの?」
「えっ?
小崎くん?」
水野さんは僕を見上げて立ちあがった。
「びっくりした……」
「僕も……」
僕たちは心臓に手を当ててほっと息をついた。
やっと鼓動が落ち着いてきて、僕は水野さんに訊ねる。
「なんでまだ学校にいるの?」
「だって、小崎くんと一緒に帰りたかったから…」
水野さんは下を向いて小さな声で言った。
「こんな時間まで待ってたの?」
「下駄箱にまだ靴があったから、まだ残ってるんだと思って…。
ごめんね。迷惑だった?」
「いや…別にそんなことないけど…」
二人の間に沈黙が流れる。
「あの…さっきは、ごめんね」
「え?」
「小崎くんとはなんでもないとか言っちゃって…」
「あぁ。別にいいよ」
「恥ずかしくて、ついあんなこと言っちゃったの」
「ああ。だよね」
僕はまだ水野さんにイライラしていた。
そんなに僕が恥ずかしいなら、なんで付き合ってるんだよ。
そんな無理してまで付き合わなきゃいいだろ。
付き合ってるのを知られるのが恥ずかしいのか、僕のことが恥ずかしいのか、だんだん頭の中がごちゃごちゃになってわからなくなってきていた。
僕の心の中の黒いモヤモヤがどんどん膨らんでいく。
「本当に、ごめんなさい」
「別に、もういいよ。
ていうか、そんなに恥ずかしいなら付き合うのやめた方がよくない?」
僕はなんだかヤケになって、ついぽろっと酷い言葉を口に出していた。
「!!」
水野さんがそれを聞いて固まっている。
「別に、無理して僕と付き合ってくれなくていいから」
「無理なんかしてないよ。
どうしてそんなこというの?」
「僕と付き合ってるのが恥ずかしいんでしょ?
なら、もういいよ」
「…違う!」
水野さんが、初めて僕の前で大きな声を出した。
僕はちょっと驚いて彼女を見つめる。
「そうじゃない。
小崎くんのことを恥ずかしいなんて思ってないよ!
ただ、さっきみたいにからかわれるのが嫌だから…だから、みんなの前で一緒にいたくなかったの…」
水野さんは真剣な眼差しで続ける。
「でも…、もう、からかわれてもいい。
私、さっき、小崎くんに付き合ってるわけじゃないって言われた時、すっごくショックだった…。
だけど、今まで私が、ずっと同じように小崎くんを傷つけてたんだよね…?
気づかなくて、自分のことばっかりで、本当にごめんね……」
水野さんの潤んだ瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
僕はイライラがすーっと消えていくのを感じた。
ヤケになって彼女を傷つけた自分を反省する。
「僕の方こそ、ヤケになって思ってもないこと言っちゃってごめん…。
ここんとこずっと悩んでて、ちょっと自信をなくしてたんだ。
水野さんが嫌なら、これからも僕たちのこと秘密にしててもいいから…だから、さっき言ったこと取り消させてください!」
僕は水野さんに頭を下げた。
「そんな、小崎くんは悪くないよ。
私が悪かったんだから……」
「でも、僕、水野さんと付き合うのやめたいとか、マジで思ってないから!
だからもう泣かないで…?」
水野さんは鼻をすすりながら小さく頷いた。
僕は、彼女の瞳からこぼれてしまった涙を自分の袖で拭いてやる。
顔を上げた彼女と至近距離で目が合い、僕たちは照れながら笑みを交わした。