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買い出し

   6


 また別の日の夜。


 外出しようとすると、


「ちょっと待って、私も一緒についてく」


 畔田さんはドタドタとやかましく床踏み鳴らしてやってくる。


「ついてくって、外にですか?」


 足音を止め、はあはあ息を切らしながら言った。


「ええ、そうよ」


「しかし、現在自宅待機を命じられてるのではないですか?」


「翔くんは外に出てるじゃない」


「自己責任ですので」


 そもそも私は日本国民であるかすら怪しいのだ。施設育ちだし、戸籍があるのかどうかすら疑わしい。


「なら、私も自己責任よ」


 畔田さんは胸を張って主張する。


「外には警察官がいるかもしれません」


「大丈夫よ。どうせ市民の一人も外出してないんだから、警察だって寝てるでしょ」


「真っ暗な中、幽霊がいるかもしれません」


「……………だ、大丈夫よ」


 さっきより間があった。しかし、言いながら彼女はすでに靴に足を突っ込んでいる。私は浅いため息をついて、


「なら、勝手にしてください。ですが、もし誰かに見つかった場合、私は勝手に空を飛んで逃げるつもりですので。そのときには手を貸せないかもしれません」


「大丈夫よ。いざとなったら自力で逃走するから、これでも健脚なんだから」


「……………」


 家の中ですら息切れしている彼女だ。信憑性はつま先より低い。


「………もし捕まったときには私の存在を告白しないでくださいね」


 距離を取るようにあえて冷たく言い放つ。


「………………………」


 彼女は悲しそうに眉尻を下げてから、


「――もう少し信用してほしんだけどなあ」






 いつも通りの経路を辿って、今日も何事もなくパトロールが終わった。まだ若者で歩くのに慣れていている私は平気だったが、数時間歩き回って、隣の畔田さんは吐きそうな表情をしていた。


「大丈夫ですか………?」


 特別早く歩いたつもりもなかったが、いささか気遣いが足りなかったかもしれない。


「うん、久しぶりに動いたからだと思う。やっぱり一番の脅威は運動不足だよね。ヨガでも始めようかな」


 いいと思いますよ、待機命令がどれだけ長引くかもわかりませんし……と返答する。


「翔くん。こんな時間だけど、今から寄り道していい?」


「寄り道? 距離にもよりますけど」


「そんな遠い所にはいかないからさ。スーパーに行って冷凍食品を買おうと思って」


「冷凍食品ですか………」


「うん、ちょっと足りなくなっててね」


 畔田さんがそう言って、私はようやくその意図に気づいた。


 待機命令が発令されてから、食料を含めた生活必需品はドローンで定期的に供給されている。けれど、

コンテナの中身は世帯人数あたりの内容量のみで、たとえば畔田さんの家には一人分の衣類しか運ばれてこないし、一人分の食料しか運ばれてこない。ただ、私が居候していることで、現状二倍の食糧が必要になっていたのだ。


 頭を掻きむしりたい気分だった。迷惑かけたくないなんて突き放したように言っておいて、とっくのとうに十分以上の迷惑をかけていたのだ。今日ついてくると食い下がったのは私に気を遣ってくれてたからで、その優しささえも自己嫌悪を増大させた。


 無言のまま、歩き出した畔田さんの背中についていった。





「――冷凍餃子とか食べる?」


「は、はあ。畔田さんにお任せします」


 買い出しなんてしたこともなかったので、まともな口出しなんてできるはずもなかった。


「じゃあ、とりあえず買っとこうか。大事な国民のためなのかさ、コンテナには健康に気を遣うような食事しか入ってないんだよ。久しぶりに餃子パーティでも開いて油どっぷり摂取するのもいいかもしれない」


 畔田さんは12個入りのパックを4つほど重ねて、私が押すカートに投入する。


 禁欲という鎖によって彼女は脳内の魔獣を縛っていたようで、たった今それを解き放ったように、くへへへへと危ない笑みを浮かべていた。会心の笑みともいえる。


 野生で暮らしてた頃は自給自足だったし、食べ物の選り好みなんてできなかった。ただあるものを食べる、栄養摂取のためだけに食べる、飢え死にしないために食べる――食べ物に求めるのはただそれだけで、楽しむための食事なんて意識すらしたことがなかった。思えば、研究所時代だってただ用意されてたものを胃に溜めこんでるだけで、自分のほうからリクエストしたこともなかった。


 だから食料選びだけでここまで表情豊かになれる彼女が羨ましいと思った。彼女は心にゆとりがあって、心情が豊かなのだろうとも思った。この歳までずっと殺伐さと共に生きてきた私が、今さら彼女みたいに生きられるはずもない。


「シューマイ好き? コロッケは? 本当はお豆腐とかも持って帰りたかったんだけど、冷凍コーナー以外は電源落とされちゃってるみたいだから」


「はあ………」


 冷凍コーナーを出て、スナックとジュースのコーナーに移動する。


「飲み物も適当に好きなの選んでいいんだからね。家あるのはお茶と水くらいだから、炭酸とか飲む?」


「えっと……じゃあ」


「ほら、黒? 白? 黄土?」


「商品名を色で言い換えないでください。コーラ、カルピス、ジンジャーエールです」


「私も飲むんだし、全部買っちゃおうか」


 あっさり結論して、6リットル分を買い物かごに入れる。寄りかかるようにしてコロコロとカートを押す。


「お菓子はどうする? ポテチかポテコかじゃがビーか?」


「なんでじゃがいも縛りなんです? 確かに、どれも美味しいですけど、もうちょっと選択肢を広げまし

ょうよ」


「そう? じゃあ、たとえば…………?」


「ドンタコスとか……」


 目についた商品名を読み上げて、買い物かごに追加する。


 ふっ、と畔田さんは満足したような笑みをつくる。


「どうしたんですか?」


 思いつかなっただけで畔田さんもドンタコス好きなのだろうか? そう思ったのだが、


「いや、ようやく翔くんが意見出してくれたから」


 はっ、とした。


 さっきの会話を振り返ってみれば、畔田さんは私が意見を出せるように誘導していた。買い物に気が乗らない私に気を回してくれていたのだと今さら気づく。


「いいのよどれだけ好きなもの選んでくれても。軟禁生活でお金の使いどころなんてないし、これくらいじゃまだまだ散財とは呼べないわ」


 まだ気を回してくれているのだとわかった。


 私はここ数日間自分が取ってきた冷たい態度を思い返す。迷惑をかけたくないなんて口にして、むしろ自分のほうが気を遣ってるつもりになっていた。寝床を借りて、食事まで用意してもらって、だけど何の借りも返せないで、私がいることで余計なリスクすら背負わせてしまっている。言い訳でも用意しない限り、自分のことを許せなかったのだと思う。


 けれど、こうも立て続けに親切を見せつけられたら、態度を改めないわけにもいかなかった。思い切って思ったことをそのまま口にする。


「スナックばかりじゃ飽きるでしょうし、チョコ菓子も混ぜましょう」


「いいわね」


 言って、早速目ぼしいものをいくつかカゴに入れる。


「あとはチーズとかも」


「うんうん」


 言ってポンポンと慣れた手つきでいれていく。


「あとは?」


「………そうですね。じゃあ、畔田さんのおすすめでも」


 思いついたものは一通りあげてみたけど、そもそも情報のストック自体が貧相なのだ。お菓子だって出されたものだけ食べる日々を送っていた。


 すると、何故か今日一番の笑顔を見せて、


「そうねぇ、じゃあ渋いかもしれないけど……」


 彼女がチョイスしたのは裂きイカという酒のつまみだった。柔らかくて白い、スルメイカのような見た目。研究所時代に大人の味を味わった経験は数少ない。当然、このつまみも未経験だった。しかし、ここ数年の間に私の味覚も成長してるかもしれないし、案外癖になるかもしれないと期待できる。


 ありがとうございます――と言おうと思ったのだが、


「あと、これと、これと、これも。ああ、あれもいいわねえ」


「……………………」


 畔田さんのおすすめが止まることはなかった。


 喉元まで昇っていたお礼の言葉が腹の底まで戻っていく。


「なんだか…………」


 こういうところが渡嶋さんを彷彿とさせるんだよなあ、と思った。







「今のご時世、何か情報を得たいと思ったらインターネットをいじるしかないのよ」


 黒い炭酸飲料でごくごく喉を鳴らしながら、ドンタコスをボリボリ頬張って畔田さんは言った。


「やっぱりテレビ放送は止まってるんですね?」


「うん。何十回も見返したのが流れてるだけで新鮮な情報なんて提供されないからね。新聞と雑誌はそも

そも発刊されてないし、そうなると、情報の精度は落ちるけど匿名で誰でも投稿できるインターネットに頼るしかない」


「インターネットは止まってないんですね?」


「開発さえ進められなければシステム更新する必要もないからね。それに図書館にも映画館にも行けない現状、暇つぶしの場もネットくらいしかないから。利用者数が急増してるらしいのよ。それに比例して情報量も日々増加している」


「他人と話せない分、どこかで言葉を吐き出したいって気持ちもあるのかもしれません」


「うん。それもあるでしょうね」


 私もボリボリとドンタコスを口に放りこむ。喉は乾くがやっぱり美味い。


「だから翔くんも情報がほしいならパソコン使いなさいね。アカウントだってつくってあげるから」


「ありがとうございます」


 第四の母親を探すにあたって、これまで行動的なアプローチしか取ってこなかったけれど、情報の膨大さを思えばネットにこそ有益な手がかりはあるかもしれないと思った。昼の間は外に出られないのだし、その暇を使ってあちこちサーフィンしてみるのも有効かもしれない。


「あっ」


 畔田さんは突然声を上げると、ドンタコスの破片をパラパラとこぼした。彼女の顔には驚愕の色が広がっている。


「どうしたんです?」


 目を見開いたまま、パソコンの画面をこちらに向けてくる。


 目を向けると、痛切な言葉の群れがスクリーンを埋め尽くしていた。


『――ウイルスが未だに収束しないのは日本の科学者たちが無能だから。余計なワクチンばかりつくりやがって、まともな仕事しろ。暴動で潰してやったけど、やっぱりあの研究所は税金の無駄遣いだった。私たちがこんなに苦しんでるのにまだ残党がのうのうと生きてると思うと、腹の虫が収められない。あんなところに国の金使わなければ、配給の品だってもう少し豪勢だったかもしれないのに………。聞いたところによると、研究所の職員らは謹慎中も労災保険もらって悠々と貯蓄増やしてるらしい。魔女狩りでもなんでもいいから、誰か住所炙りだしてくれないかなあ。――元凶は中国だったとしても、日本の貧しさに拍車かけたのは政府の役人どもと、成果上げられなかった国営施設の科学者どもだと思う。当時のニュースでも散々言われてたもんな……半信半疑でもあったけど、全く責任ないわけでもないんだろうと思う―――――』


「……………………」


 APHウイルスが日本でも猛威を振るい始め、政府はその対処をかつて私の住処だったあの研究所に任

せたらしい。未知の脅威に対抗するためか、資金にも糸目をつけなかったのだろう。だが、研究者らは成果を上げることに失敗してしまった。


 そういうことらしい。


 市民の不満が言葉の洪水となって表れている。どこまでスクロールしても、終わりは見えそうになかった。私は黙って、電源を落とさないまま画面を閉じる。


「こんなの気にするほうが負けですよ。心無い言葉で攻撃してくる人間なんてどこにでもいるんですから」


「ええ、そうなんだけど」


 どこまでが真実かはわからないが、スレッドには中傷もふんだんに紛れていた。少なくとも、畔田さんの生活水準を見てる限りでは余分な補助金をもらってるという事実もない。それにもし多少なりとも研究所に責任があるのだとしても、一介の用務員だった彼女はその所在とは無関係だ。


 私はすでに三年前から部外者だが、外側の視点からでも女が呵責を感じるべきでないことはわかる。


「皆、鬱憤を晴らす場所もないのでくすぶってるだけなんです。サンドバッグをめった打ちにしたり、壁ガンガン蹴飛ばしたりするのと同じようなものです。書き込んでる奴らは当事者の事情なんてそもそも気にしてないんですから」


「…………うん」


 それでもまだ心は晴れないらしい。


「軟禁状態が解かれたら彼らだって気づくはずですよ。自分たちが如何に支離滅裂なことをしてたのかって」


「そうよね」


「頭空っぽにしてヨガでもしましょうよ。運動不足が一番怖いって言ってたじゃないですか」


「うん」


 一時的なものかもしれないが、一応畔田さんは穏やかそうな表情を取り戻してくれた。


 悪意の渦で傷つかないためには、よっぽど強靭なメンタルの持ち主でもない限り、渦自体から離れるしか手がない。あとは時間が勝手に渦を小さくしてくれる、はずだ。


 ただそれでも心配なのが、誹謗中傷が収まる前に実害が発生することだ。パソコンを閉じるくらいの対策はできても、実際的な暴力は向こうから勝手にやってくるのだから話が違う。研究所はそれで廃墟同然になってしまった。


 私にとっても今住み心地のいいこの家が、その二の舞になってしまうのは嫌だ。畔田さんの家は研究所の近所にあるのだし、特定は割と容易いだろう。

 

 もし、いざとなったときには―――――――と私は思った。

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