3-15 出発
日本国 政府専用軌道エレベータ基部
外務省・特別外交団出発区画
深夜にもかかわらず、区画内は白い照明に満たされていた。
無駄な装飾は一切ない。
あるのは静かな足音と、端末の操作音だけだ。
「……全員、揃っています」
外務省政務次官が、低く告げる。
その視線の先には、十数名の男女が並んでいた。
彼らこそが――今回の任務に選ばれた特別外交官団。
誰一人として若くはない。
だが、誰一人として老いてもいない。
その中心に、一人の男が立っていた。
外務特別全権大使 鷹宮 恒一
白髪混じりの髪をきちんと整え、その目は揺れていない。
「……首相は、何か?」
隣に立つ女性外交官が小声で問う。
鷹宮は一瞬だけ視線を伏せ、そして頷いた。
「“無事に帰れ”とだけだ」
それだけで、全員が理解した。
これは交渉ではない。
だが戦争でもない。
その境界線に、彼らは立たされている。
扉が開く。
そこに現れたのは、日野大政だった。
SPも、儀礼もない。
ただ一人、コート姿の首相が立っていた。
「……急な任務ですまない」
誰も返事をしない。
代わりに、全員が一斉に一歩前へ出た。
「あの星が我らに銃を突き付けてきた…」
日野はゆっくりとした声で話を切り出す。
「我々はあいつらの銃をそらさなければならない…
場合によっては我々が彼らに最初の一撃を与えなければならない…」
その言葉にその場にいた全員が息をのむ
「君たちの命は必ず守る。
双璧と五大老そして第3水雷戦隊が君たちを護衛してくれる」
鷹宮は一歩前に出た。
その動きに、他の外交官たちも微かに背筋を伸ばす。
「首相」
低く、しかしよく通る声だった。
「我々は交渉の席に着く。しかし、譲歩の席には着かない。
それでよろしいですな」
日野は一瞬だけ、目を細めた。
そして、ゆっくりと頷く。
「……ああ。
君たちは“日本”として話してこい。
相手が国家であろうと、連合であろうと、あるいは――敵であろうとだ」
沈黙が落ちる。
それは恐怖の沈黙ではない。
覚悟が共有されたときに生まれる、重い静寂だった。
区画の奥、巨大なシャフトの向こうで、軌道エレベータが低く唸りを上げ始める。
カーボン製の昇降ケーブルに沿って、専用キャビンがゆっくりと降下準備に入っていた。
「護衛部隊より報告」
オペレーターの声が響く。
「双璧「神速」、「刻衙」発進準備完了。五大老も発信完了。
第3水雷戦隊いつでもいけます」
それは、外交団に向けた報告であると同時に、
“この任務は既に軍事行動の一部である”という無言の宣告だった。
女性外交官が、静かに息を吐く。
「……ここまでとは」
鷹宮は彼女にだけ聞こえる声で答えた。
「ここまで来た、ではない。
最初から、ここに立つ覚悟を求められていた」
キャビンの扉が開く。
白い光が内部から溢れ出し、全員の影を長く床に落とした。
日野は最後に一歩近づき、鷹宮の前で立ち止まる。
「鷹宮さん」
「は」
「向こうは、こちらの理屈を理解しないかもしれない。
だが――こちらが引き金を引く覚悟を持っていることだけは、必ず伝えてくれ」
鷹宮は一礼した。
深く、迷いのない角度で。
「承知しました。
銃を突き付けられたままでは、外交はできませんからな」
「後君たちの護衛は第3水雷戦隊だけではない…
そこら辺はまだ言えないが…君たちは必ず大丈夫だ」
一人、また一人と、特別外交官団が宇宙船へと乗り込んでいく。
その背中を、首相は無言で見送った。
扉が閉まり、ロック音が区画に響く。
船が動き出す。
地上を離れ、雲を貫き、やがて――あの星へ…
この瞬間、日本は銃と理性の両方を携え、宇宙へと向かった。




