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扉があった。

時空を簡単に越えられる扉だ。


それを前にしながら、売らなければ、と魔術薬商人は思った。

必要とする相手に売りつけるのだ。


たしかに、いや、たしかに?

言われずともこれは詐欺に近い商品だ。

効能を説明すれば馬鹿にしているのかと怒鳴られる。


万病を治すのだが、効くまでに十年もの時間がかかってしまうのだから。

果たして「十年後に確実に治す薬」を必要とする人が、世の中にどれだけいるだろう?

仮にいたとして、そんな胡散臭いものに金を支払うだろうか。


それまで効果は一切発揮されない。

成分を調べたところで一般的なものしか出てこない。


身体を一つの魔法陣に見立て、内部を調整し完全なるものを錬成させる。

そのようなやり方で治す薬だった。


つまり、本当に万能薬だとわかるのは十年後だ。

本当にふざけていると思う。


壁についた汚れだってきっとそう頷いている。

まあ、汚れを落とす暇も金もないだけだけれど。


「行きますかー」


ぼさぼさの髪に分厚い眼鏡、野暮ったいローブに巨大なリュック。

いつもの格好で、しかし毅然と立ち上がる。


だって、家には食料が何もなく、とてもお腹が空いたのだ。





バーレン大陸における神族と人間の戦いの、決着がつこうとしていた。

角を生やした異形は顔中のシワをさらに歪めて吠える。

それは「神」と呼ばれていた。


「貴様ら人間など滅べ、その愚かさを悔いて死ね!」

「黙れ! お前たち神族の横暴を知らないとは言わせない」

「ハッ、知らんな!」

「なに」


神の中の王は拳を握る。

そこに力が凝縮され、空気までもが歪んだ。


「お前ら人間が、神姫に毒を盛った。決して癒せぬ苦しみを与えた! 神族が横暴? 知ったことか! 神である俺の身内に手を出した、一族郎党もろとも滅ぼされるくらいは覚悟の上だろうが!」

「……その下手人は、すでに罰したはずだ」

「それも、知らん。貴様を殺し、その背後の連中も滅し、すべてを葬り去ろう。思うに、貴様ら人間は神族に対する恐怖が足りなかった。神に手を出せばどうなるか分からぬ愚か者が増えすぎた。死ね、ただただ死ね」

「私には守るべきものがある、ここで引くことなどできない!」


精悍な声に対して、神王は激怒のために、あるいは憐憫のために目を細めた。


「……やれるものなら、やってみるがいい、それがどれほど難しいのかを知らぬ愚か者よ」

「神王よ滅べ、生き残るのは私達人間だ!」

「はは、なんとも滑稽だな!」


光る剣と、凝縮された拳が激突し、互いに弾かれた。


「く――」

「ここまで力を練り上げたか! たしかに、人にしてはやる!」

「残念だが、この聖剣あればこそだ」

「武器も力の内ではあるだろう」

「神王よ」

「ふん、なんだ」

「その神姫の毒を治せはしないのか」

「……どれだけの手立てを講じたと思っている。時にはお前ら人間の手すら借りて、回復に臨んだ。どいつもこいつも馬鹿な言い訳を囀るだけだった。そうして、学んだのだ。この時代の人間は、信頼に値せぬ」

「そうか……」

「さあ、納得したか、納得したのなら――おい、そこにいるのは誰だ?」


超常の戦いに割って入ったものがいた。

巨大な扉を開けてひょっこりと侵入した。


「あ、どもども」


ぼさぼさの髪に野暮ったいローブ、分厚い眼鏡をしていた。


「こちらに、毒で困っている方がいると聞いて来たのですがー」

「危ない、来るな!」

「ふん……」


指一つで行使された風球。神王の使うそれともなれば人体をズタズタに引き裂くほどのものだったが。


「危ないっすよ?」


魔術薬商人の、指すら立てない一瞥だけで無効化させた。


「え」

「ほう……? こちらの方が面白そうだな」

「ええと、だから、売りに来たんですって、これ、いい品なんですがー」

「彼の地より来たれ、炎犬召喚!」

「確かに効能ありなんですよ、すごく効くんですよ」

「永劫の風の音を聞くがいい、風天絶錬!!」

「けどですね、ひとつだけ欠点がありまして、いやあ、言いにくいんですけどね?」

「原子のレベルまで粉々に砕けよ、万物崩潰!!」


召喚された炎犬は、召喚陣から顔を覗かせて、くるりと引き返した。

世界を軋ませるような風刃は進むほどに減速し、そよそよの風として到着した。

すべてを消失させる絶対の光は、ぺちりと叩かれ消えた。消失魔術が消失していた。


「いやあ、ちょっとうるさいですよ? 話くらいは聞いてくださいって」

「ば、馬鹿な……」

「私は神王に手加減されていたのか……いや、しかし、この者は――」

「ええと、この万能薬なんですけど、たしかに効くんですけどもね?」


白い錠剤。

粉薬を固めたものだった。

なんでもない物のように見えたが――


「実は効果が発揮されるまで十年もかかるんですよ、いや、ちょっと、たしかにちょっと時間はかかる! けれど、けれども、だけれども! ほんのちょっとだけ我慢して耐えてくれればね、たしかに効果ありなんですわ!」

「いや……さすがにそれは長すぎだと、私ですら思う」


人間の方が思わず言った。


「やっぱり……そうなります?」

「私であれば、買わない。大病でそれほど長く耐えられる例は稀だ。持病が治るとなれば幸いだが、それなりに値段が張るものだろう?」

「えー、あー、仮にも万能薬なんで、はい、ええとこれだけいただければ……」

「――それだけの金銭を支払うのであれば、その金で持病の治療に乗り出した方が手っ取り早い」


あれば便利なのは確かだが、時間も金もかかりすぎた。

必要とされる場面は限られる。

しかし――


「買おう」


神王が断じた。


「え」

「おお?」

「この程度の値段か、他にはないのか?」

「え、え、他も!? あー、けど、ごめんなさい、売れるとは思って無くて自宅に置いたままですわ」

「そうか、また来ることは?」

「ごめんっす、ちょっと無理かもですね、割とランダムにワープしたんで」

「やはり、そうか……」


事態がわからずに、聖剣を手にしたまま困惑する人間をよそ目に、商人と神王は売買を成立させていた。

重い金貨が手渡され、魔術薬商人は小躍りをする。


「まいどー! また機会があればご贔屓にー!」

「ああ、機会があれば」

「ではではー」


スキップしながら扉から出た。


「まったく……ん? ああ、まだいたのか? もう帰っていいぞ」

「し、神王?」

「すぐにこれを姫に投与しなければならない、お前などにかまっている暇はもうない」

「だ、だが――」

「ああ、それと無為な侵攻も止めさせよう、今となってはまったく無駄だ」

「え、ええ……?」


聖なる剣を構えた人間など無視して、神王までもがスタスタ去った。

半信半疑で騎士もまた帰ることになるが、本当に戦争は終結していた。

それまでの激闘が嘘のように沈静化した。


聖剣を手にした、当代最高の剣士でも神王には敵わない。

その事実だけはきちんと認識した人々は、その差をどうにかしようと足掻くことになる。


割り込んだあの商人を探し出すこともその一つだったが、それは結局、果たせずに終わった。



 + + +



「いやふうぅ!」


喜びの舞いを思わず踊る。

金貨だ金貨、ゴールドだ。


それなりに経済が発達していれば、安定した価値を持つ物品だ。


「まさか売れるとはなー、もったいないことしたなあ」


家にはまだザラザラと数多く残っている。

複数個も買うような相手がいるとは、本当に考えていなかった。


「なんとなーく作れるかなー、必要にしてる人いるっぽいなあ、って感じに作ったけど、まさか本当に欲しがる人がいるとか思ってなかった」


もう少しくらい、自分の直感を信じるべきだったと反省した。


壁の汚れは、また少し大きくなっていた。





地下深くの広大な密室には、吸血鬼がいた。

気怠げに座り、地上の様子をたまに眺める。


その都市群にいる人間たちの様子を。

数えるのも馬鹿らしいほどの人数がいた。


はあ、と彼女はため息をつく。

ほとんど衣服を身に着けてはいないが、彼女に欲情できる人間は稀だろう。

性的対象ではなく、物理的な無理があった。


この広大な密室に人が足を踏み入れた瞬間、その全身から血を抜かれて死亡する。

完全に支配下に置いたこの地下室そのものが、彼女にとっての牙だった。

血を吸うための捕食機構だ。


安全に、確実に、抵抗など許さず血を吸い取る。

その味も、その喉越しですらも感じ取りながら。

だが――


「ああ、暇だ」


その「安全な吸血」ですら、今となっては退屈の源だった。

永劫を生き続けることはできても、飽きという悪魔を殺すことはできなかった。


「人の精神は、やはり駄目だな」


彼女は元は人間だった。

それが長く長く時間を経たことで、吸血鬼という別の種族へと成り果てた。


それは、ある種の安全機構であったのかもしれない。

ただ異常なほどの長寿である、そんな都合の良さは許されなかった


「やはり死んでしまうか。だが、どうやって死ねばいい?」


彼女ほどとなると、太陽の下に出ても死ぬことはできない。

ちょっとまぶしいな、で終わってしまう。


杭を胸に突き刺されても、なんかチクッとするなで済んでしまう。

銀製品はお気に入りのアクセサリーだ。


どの宗派の祈りも、あくびが出るだけだ。

耐久力、あるいは回復力に関して、彼女は吸血鬼の中でもさらに規格外だった。


「あ、どもども」

「溶岩ですら私にとってはぬるま湯だ、温度がまるで足りない……」

「ええとですね、いい商品があるんですよー、ちょっと見てみません? というか、なんかここ暑いっすね?」

「溺れればいいかと思ったが、この身体は勝手にエラ呼吸まで始めた。適応進化することまで考えると、下手な挑戦は控えるべきか……」

「以前ですね、効果が出るまで時間がかかりすぎだろうと言われました。たしかに効果を確認できない商品を売るのはアカンものです。なので、ちょっと考えました! これならお客様もご満足すること間違いなしです! ん? なんか、部屋から管みたいなの伸びてきてません?」

「宇宙とやらに行ったところで、今以上の退屈は目に見えている、さすがに最後の手段にしたいところだ」

「わ、わ、なんか吸われてる!? 血ぃ吸われてるんですけれども!?? これ引きちぎったら駄目ですか? なんかお客さまと接続されてるっぽいんですが」

「ん?」


ようやく顔を上げた吸血鬼の前に、商人がいた。

ぼさぼさの髪に分厚い眼鏡、巨大なリュックを背負っていた。

ぶすぶすと管にさされている。


ずいぶんうるさい奴が、珍しく入り込んだと見ていたが――


「うっひゃっひゃっひゃ、なんかこれくすぐったいんですが!!」


いつまで経っても、血を吸い終わることがなかった。

部屋全体からだけではなく、伸ばした管により直接吸っている。

だというのに、いつまで経っても底が見えない。

常人であれば、もう百人分は吸っている。


「オマエ、人間か?」

「え、人間ですよ」

「この有り様を見ろ」


部屋内部が、くまなく血管で覆われていた。

広大な領域が脈打っていた。


「これらはすべて、オマエの血だ。どれだけの量をその身体に入れている」

「あー、最近寝起きが悪いんで、造血の薬は飲んだかもです、割と効いてたんですねー」

「それ、普通は身体が破裂してるぞ」

「お陰で燃費が悪くてですね、前に稼いだ金が食糧費に吹き飛びまして。いやあ、食いすぎました。しばらくは持つと思ってたんですけどねー」

「……オマエ、何をしに来た」

「無論、商売ですとも!」


嬉しそうに手を鳴らす。

途端、吸っていた管が勝手に外れた。


吸血鬼がなにかをした覚えはなかった。

商人の実力で行ったことだった。


目つきを鋭くした吸血鬼が再び刺してみるが、もはや刺さることもなかった。


「お客様、なにか悩み事はございませんか? すべてとは言いませんが解決してみせましょう!」

「死にたい」


刺すのに夢中になっていたからこそ、本音はするりとこぼれた。


「なるほど、了解いたしました、割と厄介ですね」

「……わかってくれるか」

「物質消失系の魔術ですら弾きそうですね、その身体」

「ああ、無駄だった」


忌々しそうに吸血鬼は舌打ちする。


「本当かどうかはわからんが、この身体は呪われているのだそうだ。神とやらが、死ぬことができない身体に作り替えた。根本のルールが、狂ってしまっている」

「あ、それなら簡単じゃないですか」

「なに?」

「はい、解呪薬です」


それは、ただの丸薬に見えた。

黒い黒い、漆黒の丸薬だ。


「神様だろうと悪魔だろうと、呪われたというのであれば解呪すればいいだけです、ただ、あー」

「なんだ?」

「効くのは、たぶん1年後?」

「ふむ……」

「いえ、こ、これでも随分と短くしたんですよ!? けれども体質を変えて身体そのものを魔法陣として見立てるやり方は、ちょっと、どうしても時間がかかってですね!」

「効けばどうなる?」

「え」

「効果が発揮されれば、いったいどうなるんだ」

「あ、即座に死にますね」

「……」

「お客さんの身体を縛っているのは、その呪いです。それが外れたらぽーんと身体も吹っ飛びます、そりゃもう盛大に」

「復活はしない?」

「脳みそ含めて吹っ飛ぶので安心確実ですね」


吸血鬼はじっと丸薬を見た。

一年、たったの一年。

それまでの長さと比べれば、本当に塵芥のような短さ。


だが――


「あ」


飲んだ。

途端、ぞぐん、と身体の奥底が蠢く感覚があった。

不可逆に、不可知に、だが、確実に一歩ずつ。


死という救いのない手触りを、たしかに感じた。


「なるほど、たしかにこれは効果があるようだ」

「勝手に飲まないでくださいよぉ」

「すまんな、支払いはきちんとしよう」


財というものに興味はなかったが、それでもいくらかコレクションしていたものがあった。

それらの大半を放出する。


「え、え、マジですか!?」

「それだけの価値のある薬だ」

「か、確実に効くとは、まだわかりませんぜ?」

「それでもだ、いや、そもそも、これだけの量の血を吸えただけでも価値がある。オマエの血、やけに美味いぞ」

「はへー、そういうものなんすかねえ」


よく分かっていないという商人と違い、吸血鬼はたしかに理解していた。

今、このときから1年後、たしかに自分は滅びるのだと。


それまでの間、いったいなにをしようか?

もうすでに十分な血の蓄えはある。

人を襲って吸う必要すら、もうないだろう。


未来というものに、吸血鬼ははじめて期待をした。



 + + +



「なんか体の調子がいい、瀉血のおかげかな?」


瀉血とは血を抜く療法のことで、通常は400ミリリットル程度を抜く。

まかり間違っても400リットル抜くことを指し示さない。


「いろいろもらって喜んだけど、美術品が多いなー、売るの大変かも」


それでも商売で得た対価だった。

嬉しくて仕方ない。


「次はどうしようかなあ」


できれば薬の効果時間を十年や一年ではなく、もっと短くしたいものの手段が思いつかない。

呪いなどに特化した形であればまだしも、万能薬となれば尚更だ。


かなりの無茶が必要だろう。


「まあ、悩んだところでしかたねー、行くかー」


瓶に入った、多量の万能薬を手に向かう。

上手くいった売買契約にテンションが上がっていた。


さらに広がった壁の汚れも、それを肯定しているかのようだった。





人類の終わりだと確信した。

もはや希望など持てはしない。


何事にも臨界点、というものがある。

ある程度まで膨れ上がれば、もう元には戻せなくなる一点が。

越えれば引き返せないポイントが。


今はもう、越えてしまっていた。


ゾンビを倒して人間の世界を復権させる目はなくなっていた。

倒すにしては数があまりに多すぎる。

仮に全ゾンビを倒しても、残った人間の数が少なすぎる。


このままもう、人類は滅びるしかない。

男は、それを覚悟していた。


「……ゾンビが順調に増え続ければ、人類滅亡は6ヶ月だそうだ」


鉄製の扉に向けて言う。


「学者が考えた試算だ。当たり前だが、間違っていた。まだ滅んじゃいない」


扉の中には、ゾンビがいた。


「こうして、まだ生きている。年単位での生存だ。サバイバル生活のお陰で、むしろ鍛えられたかな?」


ここしばらくは、前のように暴れる様子すら無くなっていた。


「長かった、本当に、長かったんだ、なあ――」


窓の外は荒廃している。

ところどころにゾンビがうろつく様子が見える。


噛まれれば、彼らの仲間入りをする。


「本当にあの万能薬は、おまえに効いたのか?」




男には妹がいた。

目に入れても痛くないほど好ましい相手だった。


ゾンビ禍が巻き起こってから、まっさきに被害に遭ったのが、その妹だった。

以前とはまるで違う様子で、生ける屍として徘徊し人々を襲った。


彼はどうにか妹を閉じ込め、外から隔離した。

その際に噛まれずに済んだのは、ただの偶然なのか、それとも少しは意識が残っていたのかは、不明だ。


家の中では妹のゾンビが唸り、外では一般ゾンビが日毎に数を増した。

すぐに助けが来るという希望は、定期的に落ちるヘリコプターの数で諦めがついた。


ラジオですらも、今となってはつかない。


銃口を咥えて引き金を引けば楽になるかと思う日々の中、ふと現れた者がいた。


「あ、どもども」

「近づくな」


反射的に銃口を向けた。


「壁まで下がれ、両手を上げろ」

「え、そんなに怪しいですかね、私?」

「ここは誰も入れないようにしていたはずだ、どうやって入った」

「扉を開けてですよ?」


ぼさぼさの髪に、分厚い眼鏡をつけていた。

背には巨大なリュック。


身動きが取りにくい格好だった。

ゾンビの群れから逃げ出すのに不適当な装備だ。


隠密性のない装備で、隠密な必要な状況を突破している――

警戒心を一段階上げた。


「お前は、誰だ」

「魔術薬の商人ですよ」

「……冗談か?」

「いえいえ、必要なものを必要な人にわたす役割ですとも!」

「……」


男は黙って発砲した。

当てるつもりはない、この脅しに対する反応が見たかった。


「よ、っと。いやあ、危ないですよ? 家具とかも傷つくでしょうし?」


結果として常識が壊れた。

その商人の掌の中に、いつの間にか弾丸があった。

手品の類ではない証拠と言うように、キュルキュルと高速での回転をまだ続けていた。


「困りごとはありませんか?」

「妹を救いたい」


返答は、呆然としていたからこそだった。

ほとんど無意識に、反射的に答えていた。


「なるほどなるほど、いやあ、割りと厄介ですね」

「そう、なのか……?」

「なんかヘンな形式の病気ですね、あー、病気かどうかも不明かも、生来のものかな、いやいや変質してる? いろいろ複合してるっぽいですねえ」

「オマエは、俺の妹を救えるのか?」

「ええ、可能ですよ、ただまあ、ちょぉっと時間が必要ですけどね?」


提示された期間が、十年だった。

男は、それにすがるより他になかった。

希望のない場所で、その異常に頼る以外の選択肢などなかった。


だからこそ、対価として保存してあった食料備蓄の大半を明け渡した。

それらは商人にとって、男が予想していた以上の価値があったらしい。


「ポテチ……? ポテチぃ!? え、あの伝説の!? まじで!!!」


一錠どころか瓶ごとその「万能薬」をくれた。

こうした嗜好品は、他世界の転生者が高く買い取ってくれるとのことだった。


「めぐり合わせが悪いのか、あんまり平和なところにワープできないんですよねー、あ、薬の投与もやっときますわ。サービスってやつです」


ぽいと投げただけのように見えて、薬はたしかに妹の喉奥に入った。


「このポテチのファン、意外と多いんですよねー、いやあ、助かりました!」


そうして、去った。

夢か妄想の類かと思えたが、たしかに食料はごっそりと減っていた。


「生きなきゃな……」


十年間――

それが男の希望となった。



そして十年後の今、扉を開けた。

ひどく軋んだ音をさせて、開く。


――もし、治っていなかったとしても……


慎重に進みながら、男は思う。


――それでも、構わない。


きっと、悪くない結末だ。


扉の先、荒廃した室内には一人の少女が寝ていた。

十年前と変わらない姿だった。

朽ち果てた、どうにかそうとわかるベッドの上に寝ていた。


「いい加減、起きろ……ねぼすけ」


かけた声は震えていたのかも知れない。

白色の、ほとんど銀色にも見える髪の毛がさらりと動く、目が空き、こちらを見る。

赤色の瞳はアルビノであることの証だ。


以前は、その口が歪み、吠え、噛みつこうとした。

その生々しい姿は今も覚えている。


きっとそうなると待ち構えていた。

覚悟していた。


あるいは、もっと早くにこうすべきだったのかもしれない。

けれど――


「おにいちゃん……?」


二度と聞けないはずだった、声がした。

人の言葉を喋った。

自然と涙がこぼれ、気づけばきつく抱きしめていた。


戸惑い、混乱する妹の様子など、気にすることなどできなかった。

ただ頭の中で、ああ、ああ――と繰り返した。

それこそ、まるでゾンビのように。


感謝と葛藤と罪悪感が、頭の中で煮えくり返っていた。

怒りにも似た激情だった。


妹は、助かった。

生存を果たした。

人間へと戻れた。


ならば、その内に気づいてしまうのかもしれない。

知ってしまうことになるのかもしれない。


この妹こそが、ゾンビ感染の、その大本である事実を。




 + + +



「いい商売、いい取引だった!」


うきうきに並べた保存食料を前に、商人は両手を握って感謝の踊りをした。


これでしばらくは食べるに困ることはない。

人を助けて腹いっぱいになれる、なんていいことをしたのかと自画自賛した。

全員がきっとハッピーだ。


「次はどんな魔法薬を作ろっかなあ」


効くまでに十年やら一年やらは、やっぱり長すぎた。

病人相手であればこれは持たない。

その辺を、もっと改良しなければ。


「期間短縮は、なんか色々無茶になっちゃうけど、まあ、なんとかなるかー」


はやく作って求める人のところに届けなければ。


なんの変哲もないように見える勝手口の扉――魔法的に作成されたそれは、距離も時間も世界ですらも飛び越えて、「必要」の元へと配達できた。

だから「急いで作成」の必要などなかったが、気分的にそうしたかった。


「よっしゃテンション上がってきた! やっちゃろ!」


いろいろ準備を整える。

魔法的な器具を並べて揃える。


壁の汚れはもはや一面に広がり、その中央はさらに濃く、深い黒色へと染まっていた。


ぐ、とその中央が盛り上がる。

いや、侵入をしようとしていた。


「はへ?」


驚きなど知ったことではないかのように、抜け出た壁汚れは人の頭部となり、商人を睨みつけ、獣のような声で吠え上げた――






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