兄妹戦争
幼馴染にして腐れ縁とも言える彼が、本当に珍しく風邪を引いた。
という情報を耳にして、コンビニで適当にデザートの類を見繕い面白半分で見舞いに行った。
馬鹿は風邪をひかないという言葉はやはり嘘だったのだな、と本人が聞けば激怒しそうな感想を抱きながらもインターホンを鳴らすと、そいつの妹が出迎えてくれた。
勝手知ったる何とやら、玄関で靴をそろえたあとはビニール袋をぶらぶらと揺らしながらそいつの部屋へ向かう。
果たしてそこは、地獄絵図が展開されていた。
自分より先に見舞いに来ていたであろう友人が二名、珍しく風邪をひいて寝込んでいる部屋の主が一名。
ドアを開けてその光景を見たまま、さてどうしたものかと考える。
正直部屋の中に足を踏み入れたくはなかった。
出来る事なら何もかもを見なかった事にしてドアをそっ閉じしたい。だがしかしそれはできなかった。
ドアを開けた時の音に反応して、友人二名の視線がこちらに向いていたからである。
この状況で何事もなかったかのようにドアを閉じる事は、少しばかり難しい。
友人の一人が青ざめた顔をして、そっと立ち上がった。
そっと、というよりは余計な刺激を与えないように細心の注意を払って、というべきだろうか。
もう一人の友人が、チャンスと見たのかはわからないが青ざめた顔の友人に付き添って立ち上がり、よろよろと部屋を出ようとしている。
そっと部屋の横に移動して、道をあける。ここで塞いでいたら、二次災害の可能性があったからだ。
階段を下りていく彼らの姿を見送って、やはりそっとドアを閉じたい衝動に駆られたが見捨てるわけにもいかないな、としぶしぶ思い直して部屋の中に入る。
「やだ……この部屋臭い」
「おまっ、何気にとどめ刺しにきてんじゃねーよ」
げほげほと咽ながら涙目でこちらを睨むが別に怖くもなんともない。
「いや、これがさ、イカ臭いとか栗の花臭いとかならはいはいお年頃ですもんねーで流してやれるんだけどさ。吐瀉物臭いのは流石にちょっと、あ、吐瀉物って理解できる? もっとわかりやすく言うとゲロ臭いって事なんだけど」
「どんだけ人の知能下に見てんだそれくらいわかうぼええええええ」
セリフの途中で追加リバース。
先程の友人がまだここにいたら、確実に貰いゲロ待ったなしである。
いや既にその兆候があったからこそ彼らもトイレに駆け込んだのだろうけれど。
「とりあえず換気するのに窓開けるのと、ちょっとその辺にうっかり飛び散ったやつ拭き取るのにタオル使うけど文句はないな?」
「いやお前それ洗ったばっかのバスタオルじゃねーか。せめて違うタオル使えよ」
咳込みながら反論してくるが、文句があるなら後始末は自分でやれと言いきったら黙った。
そのついでにお前の隠し持ってるAVタイトル一覧を貴様の家族にリークするぞと呟いたのが効果抜群だったのだろう。全く、いちいち手間のかかる男だ。
久々の風邪に、体が思った以上に疲労していたのだろう。
状況からして、薬を飲もうとした途端に咽てその拍子に吐いてしまった、という感じだった。
布団にも飛び散ってしまったので、妹に声をかけて布団カバーを外し布団にはファブリーズとリセッシュをこれでもかとスプレーしておいた。
流石に布団を丸洗いするにしても今すぐというわけにもいかないだろう。
布団の代わりにタオルケットと毛布を持ってきてぐったりしているそいつにかけておく。
カーペットにもとりあえず気のすむまでファブリーズとリセッシュ二刀流でぶちまけてから、部屋を出た。
ちなみに貰いゲロしそうになっていた友人たちはトイレで吐いた後、帰っていった。流石にそんな状態で長居されてもお互いに困るだけだ。
折角持ってきたコンビニで買ったプリンやらヨーグルトやらゼリーを流石に常温放置してはおけないと思い、冷蔵庫の中に突っ込んでおく。あいつが食べなくても他の家族が食べるだろう。
その際にふと見えたそれに、どうするべきか悩んだが妹が茶を出してきたのでとりあえず椅子に座る。
「……気は済んだ?」
「何の事?」
お茶を一口。特に問題はない。それから確認するように問いかけたが、当然のように聞き返された。
「あいつが風邪ひいたのって、今日じゃないよね。多分昨日の夕方とかそこら辺からだよね」
「昼くらいから体調悪くなったみたいで、それでも学校早退はしなかったけど夕方には完全にダウンしてたよ」
「だから、チャンスだと思った」
「だから、何の話?」
妹の表情に変化はない。本当に何のことを言われているのかわからない、といった感じだった。
兄よりも一枚も二枚も上手だな、と思いながらも、ちらりと視線を冷蔵庫へと向ける。
「君は、やられたらやり返す主義だから」
冷蔵庫を見たまま告げる。それからちらりと妹の方へ視線を向けると僅かだが動揺が見てとれた。
「先週の日曜、君たち学校近くのファミレスに来てたよね。その日はうちも行ってたんだ。席は離れてたからそっちは気付いてないと思うけど。
それから昨日、君はコンビニにやって来た。雑誌立ち読みしてたこっちに気づいていたかはわからないけど、スーパーを選択しなかったのは、ご近所さんでパートやってる知り合いと遭遇する確率が高すぎたから」
「なるほど、誤魔化しようがないって事でしたか……」
「動機と犯行に及んだ、というか及ぶための物を購入する所を目撃して、尚且つこの状況。気付かない方が難しい」
「貴方だって、ドリンクバーで緑茶とコーラとオレンジジュースとリアルゴールドを混ぜた代物出されてさぁ飲めよとか言われたら私と同じ気持ちになりますよ」
「遠目で見てたけど、あれは何か凄い色になってたね。黒なんだけど変に濁った黒というか。でも、一応一口飲んだ後にあいつに残り全部飲ませてたじゃないか」
「何度言ってもやらかす兄にイラっとするんですよ。私は妹であって母親じゃないんで兄の世話とか躾とか正直御免被りたい」
「うん、まぁあいつ、ネットで言われるダンスィ? あんな感じだもんね昔から。傍で見てる分には馬鹿だから面白いんだけど、強制的に関わられる側としてはうんざりするのわかる」
悪い奴ではないんだが……これさえなければ、とかそういう言葉もくっついてくるタイプだ。
これさえなければ、というのはこれがあるから悪いとか嫌なとかダメな奴って意味にもなるんだが。
「だからこそ、弱ってる時に追撃かけようっていうのはどうかとも思うけど。多分あいつ、気づいてないよ。鼻水ぐじゅぐじゅで匂いとかあまりわかってないっぽいし、熱のせいで味覚も若干衰えてる。吐いた原因が薬飲もうとした水だなんて」
「ドリンクバーで混ぜたら色がついてるから見た目ですぐわかったりしますけど、水はどれだけ混ぜても水ですから。匂いで気付かなければいけると思ったんです」
「とりあえず、証拠残しすぎだから早いとこ処分するのをお勧めするよ」
「そうですね……それじゃ折角なんで、少し飲んでいきませんか?」
「……じゃあ、まだ飲んだ事ないからミルクティーにしようかな」
言うが早いか妹は冷蔵庫から一つのペットボトルを取り出す。
見た目は水だがボトルについているラベルからはミルクティーとしっかり表記されている。
コップに注がれて出されたそれは、見た目だけなら完全に水だ。ペットボトルで出されたならともかく、コップに注がれてしまえばただの水だと信じて疑う事はないだろう。
その他に、冷蔵庫の中には同じような味のついた水が数種類入っていた。
彼女は一体何種類、いや、もしかしたら全種類混ぜたのかもしれない。果物だけなら上手くいけば意外といける味になるかもしれないが、そこにこのミルクティー味の水とレモンティー味の水、更にはヨーグルト風味の水と単品で飲めば美味しい物を容赦なく混ぜたのだろう。二種類程度ならどうにかなりそうだが、種類が増えれば増える程味は混沌を極めるのだろう。あいつが飲んだ水の味は、正直想像したくもない。
「あぁ、そうそう。証拠隠滅を勧めてくるくらいですから大丈夫だとは思いますが。
兄に今回の事、ネタばらしは無しですよ?」
「……わかってるよ」
最初こっちが突いた時には動揺してたくせに、今は完全に開き直っているのか彼女はややあくどい笑みすら浮かべていた。
女って怖い、とまでは思わなかったがとりあえず、妹の方を敵に回すのだけはやめておこう。そう固く心に誓った。