前半 38
しばらく移動が続いたが、美優と冴木は、今夜泊まる予定のコテージを訪れていた。
「ここは、昔ある組織が利用していたものだ。だが、その組織が潰れて、今は廃墟になっている」
周りは森で、途中には舗装されていない道もあった。ただ、このコテージと、その周辺はキレイに整備されていて、美優はどこか異世界に迷い込んでしまったかのような感覚を持った。
「すごいキレイですけど……?」
「誰も使わないならもったいないし、定期的に利用しているんだ。ここのことは誰にも話していないし、俺にとっては隠れ家みたいなものだ」
「そんな所に、私なんかが来ていいんですか?」
「別に、そんな大層な所じゃないから安心しろ」
冴木はそう言ったが、誰も知らない場所というのは、その人にとって大切な場所のはずだ。しかも、キレイに整備されていることから、冴木がこの場所を大切にしていることはよく伝わった。
そんな場所に自分なんかが来ていいのかと美優は疑問を持ったが、こんな状況で話すことでもないと考え、受け入れることにした。そして、冴木に案内される形で、中に入った。
「普通の一軒家にあるものは大体揃っているから、食料さえあれば、しばらく暮らすことも可能だ。あと、汗をかいただろうし、後で風呂に入るといい。それと、洗濯機も自由に使っていい。乾燥機もついているから、ちょっとしたものなら、すぐ乾くはずだ」
「はい……ありがとうございます」
わざわざ洗濯機の話を出してきたのは、先ほど下着のことで千佳と話したのを察してのことだろう。そんな冴木の気遣いに気付いてしまい、美優は少しだけ恥ずかしくなった。
「あと、来た時にわかっただろうが、複雑な獣道を通る必要があるし、ここは車で来るのが困難な場所だ。それから、この周辺には監視システムもあって、誰かが近付けば、すぐにわかるようになっている。悪魔はシステムそのものを無力化してくるが、ここのシステムは正常に動作しなくなった時点で知らせてくれるから、すぐ対処できるはずだ」
これまで潜伏先を特定されたり、こちらの位置を特定されたり、様々なことがあったため、不安がないといえば嘘になる。ただ、冴木が少しでも美優を安心させようとしていることは十分伝わった。そうした冴木の思いを受け、美優はどこか胸が温かくなるのを感じた。
その時、スマホが鳴り、すぐに冴木は取り出した。
「翔からだ。もしもし? こっちは今夜泊まる所に着いたところだ」
「いくつか報告があって、既にデータベースで共有していることもあるんですが、冴木さんが教えてくれた、TODの元ターゲットは、助けられませんでした。自分が行った時には、既に手遅れで……」
「待って。翔が行ったって、どういうこと?」
美優は、少しだけ強い口調で、割り込むように質問した。
「元ターゲットがどこにいるか調べてもらったら、すぐ近くだったから、俺が行ったんだ」
「一人で行ったの?」
「孝太達にも言われたが、犯人が狙う前に助けられればと思ったんだ。だが、結局助けられなかったし、犯人も逃がした」
「逃がしたって、翔は……」
「美優、少しだけ落ち着くんだ」
静止するように冴木がそう言ったのを受け、美優は言葉を止めた
「翔、詳しい状況を教えろ。翔は犯人と会ったのか?」
「はい、会いました。既に光さんなどに頼んで、犯人の特徴などは伝えましたが、自分と同年代の男で、JJと名乗っていました。それで、殺し合いをすることが目的だと言っていたんです」
それから、何があったのかを翔が順に話し始めたため、美優と冴木は、ある程度のところまで黙って話を聞いた。
「可唯が来てくれて助かりましたが、かなり危険な奴だと思いました。それなのに逃がしてしまって……みんなに追ってもらっていますが、特に知らせがないということは、見失ったと判断して良さそうですね」
「元ターゲットを狙ったのは、死線を潜り抜けた者と殺し合いをしたいからだと言ったな?」
「はい。ただ、冴木さんから聞いたとおり、元ターゲットはオフェンスに襲われてすらいないから、死線を潜り抜けたわけじゃないとは伝えました」
「元ターゲットが誰か知っているのに、TODで何があったのかは知らないってことになる。妙な奴だな」
「確かに、おかしいですね……。そのことも、みんなに共有しておきます」
美優は色々と言いたいことがありつつ、それを我慢しながら、翔と冴木の話を黙って聞いていた。
「あと、また他の元ターゲットを狙う可能性があると思っていて、そちらも調べてもらっています。ただ、情報がほとんどなくて、そもそも他に生き残っている元ターゲットがいるのかどうかも、よくわかっていないんです。冴木さんは何か知りませんか?」
「俺もTODに参加するのは久しぶりだから、ほとんど情報はないが……篠田がこれまでのTODでターゲットに選ばれた人を特定したとか言っていたんだ。それで、一年前のTODから、オフェンスの勝利が続いていたようだが、先月はディフェンスが勝利したなんて話をしていた」
「光さん達も高校生の不審死を調べた結果、先月だけ不審死が発生していないそうで、先月のTODでターゲットに選ばれた人が誰なのか調べると言っていました。冴木さんが聞いた、篠田さんの話が本当だとすると、先月のTODを中心に調べる方針で良さそうですね」
「横から申し訳ないけど、浜中です。警察が持っている情報から、先月のTODについて何かわからないか、私の方でも調べてみるよ」
これまで翔しか話していなかったため、他に浜中もいたことを不意に知り、美優は少しだけ驚いた。
「さっき翔君には伝えたけど、このJJについては、私達警察や光君達に任せてほしい」
「そのつもりですが、今後、JJが美優を狙う可能性もあります」
「そうならないように努力するよ。と言っても、これまで何の成果も出せていないから、翔君は納得しないだろうね。でも、私は私にできることをするよ」
「……上手く表現できませんが、JJはどんな手段を使ってでも止めるべきだと感じました。少し相手をしましたが、決着を今度つけようと言っていたので、また自分を狙ってくることもあるかもしれません。その時に止められれば……」
「どんな手段を使ってでもって、翔はJJって人を殺すつもりなの?」
これまで我慢していたが、さすがに我慢できず、美優はそんな言葉をぶつけた。
「美優、落ち着け! 翔は別に……」
「無茶をしないでって、何回言ったら聞いてくれるの? 何回言っても聞いてくれないの?」
そんな言葉を伝えたところで、結局伝わらないのだろう。そう実感すると、美優は言葉を失ってしまった。
「……心配をかけて、悪かった。上手く言葉にできないが、美優の言葉は聞いている。聞いているが……大切な人を守るために、自分にできることをしたいんだ。美優も、俺の大切な人の一人だ」
自分のことを大切だと言ってくれたことは嬉しかった。ただ、そのために翔がしようとしていることについて、やはり美優は納得できなかった。しかし、電話越しだと伝わらないだろうと思い、これ以上伝えるのは諦めた。
「話を戻すが、俺と美優は今夜泊まる予定の場所にいる。後で場所を教えるから……」
「いえ、待ってください。これから、孝太達や圭吾さんが用意してくれた物を取りに行く予定ですが、その後は和義の所に行こうと思っているんです」
「こっちには来ないってことか?」
「こちらの位置が特定された理由は、まだ調べてもらっているところで、わかっていません。現状、美優と冴木さんを襲撃する者がいないのなら、この状態を維持する方がいいと思うんです」
「確かに、翔の言うとおりだが……」
その時、心配した様子で冴木が目を向けてきて、美優はどう反応すればいいのか迷った。
「美優は、どうしたいんだ?」
そして、そんな質問を投げかけられて、美優はどう答えればいいのかと、さらに迷ってしまった。
ただ、少しだけ心を落ち着かせると、美優は決心した。
「翔がそう言うなら、それでいいよ」
「……それじゃあ、翔と合流するのは明日にしよう。合流場所は明日また伝える。それでいいか?」
「はい、自分はそれでいいです」
本音を言えば、今すぐ翔に会いたいと思っているが、美優は必死にそんな思いを胸に閉じ込めた。
「あと、今は可唯と一緒にいるんですが……可唯、美優達と合流するか?」
「わいは引き続き、単独行動の方がええやろ」
「おまえ、本当にディフェンスか? ターゲットから離れるディフェンスって、冷静に考えてありえないからな」
「今回みたいに、ランや美優ちゃんがピンチの時には駆けつけたるから、安心せいや」
「まあ、可唯は好きにしてくれ。ただ、何か頼みたいことがあった時、すぐ連絡がつくようにはしてほしい」
「ええで。ランからの連絡は、いつでも取るようにするさかい、任せとき」
可唯のことは、そこまで知らないものの、翔とのやり取りを通して、どんな人なのか何となく知りつつある。ただ、そうして知った先にあるのは、「わからない」なのだろうと、美優は感じていた。
「それじゃあ、こちらは切ります。明日、合流する前もそうですが、他にも何かあれば、また連絡します」
「ああ、わかった。美優、何か話しておきたいことはないか?」
不意に冴木からそんな言葉をかけられたが、美優は何も思い浮かばなかった。
「……大丈夫です」
「……そうか。それじゃあ、何度も言うが、無茶をするなよ」
「はい、わかりました。それじゃあ、切りますね」
そうして翔との通話が切れたところで、美優は翔に伝えられなかった思いが溢れそうになり、必死にそれを抑えようと胸に手を当てた。
「美優、大丈夫か?」
「すいません、少しだけ待ってください」
そう言うと、美優は大きく息を吸った。そして、今自分がするべきことを見つけると、それに全力を尽くそうと決心した。
「冴木さん、私に空手とか合気道とか……とにかく戦う手段を教えてください」
美優がそう言うと、冴木は驚いた様子を見せた。
「……教えるとは言ったが、そこまで教えてほしい理由は何だ?」
「私が強くなれば、翔が無茶をしないで済みますよね? 私は……翔が誰かを殺してしまって……それで、何か取り返しのつかないことになってしまうのが怖いんです。だから、翔にそんなことをさせないため、強くなりたいです」
上手く伝えられないかもしれないと思っていたが、美優は素直に思っていることを伝えることができた。そんな美優の言葉を受けて、冴木はため息をついた。
「先に言っておく。俺の戦い方は、相手のしたいことをさせないようにする、言ってしまえば邪道なものだ」
「邪道ですか?」
冴木の話がうまく理解できず、美優は聞き返した。
「美優は剣道をやっているが、正々堂々とか、お互いに実力を発揮したうえで競い合うとか、恐らくそうした教えを受けているだろう。だが、試合などでは、ルールにさえ従えばいいと、汚い手を使う奴もいるんじゃないか?」
「時々いますけど、そういった人には実力で負けません」
「美優の実力なら、そうなのかもしれない。だが、これが実戦となると、生き死にの問題になる。はっきり言うが、美優は女だから、自分より力のある者や、体格の大きい者を相手にする機会も多いだろう。そんな時、相手が力や体格を活用できないようにすれば、その点で美優が不利になることはないだろ? 俺が教えられるのは、そういった戦い方だ」
まだ、冴木の言っていることが上手く理解できず、美優は話に集中した。そんな美優の真剣な態度を受け止めるように、冴木も真剣な態度で話を続けた。
「具体的な話をする。相手の攻撃を受け流したり、相手の身体のバランスを崩すようにすれば、攻撃を真面に受けずに済む。これは、合気道を活用すればできる。そして、攻撃する時は一点集中で、確実にダメージを与えるようにする。急所を狙うだけでなく、利き腕を自由に使えなくするのも効果的だ。これは、空手の応用だ」
冴木の話を聞いて、美優はある感想を持ったが、それを口に出すことだけでなく、表情にも出さないようにしようと努めた。しかし、抑えても表情に出てしまったのか、冴木が軽く笑った。
「汚いと思っただろ?」
「あ、いえ……」
「むしろ、汚いと思え。実戦というのは、そういうものだ。どんな汚い手を使ってでも、生き残ればそれでいい。美優がしたいと言っていることは、そういうことなんだ」
これまで、美優は翔を止めたいと思いながらも、具体的には何もなく、漠然としたものだった。桐生真を相手にした時も、ただ翔を助けようと必死だったため、剣道を通して学んだことを素直にぶつけただけだ。しかし、それでは足りないということを、はっきり自覚した。
「こういったことは、TODなんてものに巻き込まれなければ、知ろうとすら思わなかったはずだ。それを知るということは、TODが終わった後にも、何かしらか影響が残るかもしれない。それでも、美優は戦う手段を教えてほしいか?」
その言葉を、美優はしっかり受け取った。そのうえで、美優は心を決めた。というより、もう心は決まっていた。
「翔にも話したんですけど、TODに巻き込まれたことで知ったこと、全部なかったことになんてしません。TODが終わっても、私は今までどおりにするつもりはないです。だから、戦う手段を教えてください」
美優は自分の気持ちを真っ直ぐ伝えた。それを受け、冴木は様々な感情が混ざったような、複雑な表情を見せた。
「美優がそう言うなら、俺は力になる。付け焼刃にはなるが、俺から教えられることは、なるべく全部教えよう」
「……はい、よろしくお願いします」
後戻りできなくても構わない。それほど強い意志を持ったうえで、美優は頭を下げた。