前半 37
突如やってきた可唯に、JJは驚いた様子だったが、少しして敵だと判断したのか、ナイフを構えた。
「最高に楽しい殺し合いをしてたのに、あんた邪魔だぜ」
そんなことを言ったJJに対して、可唯は両手をブラブラとさせた、いわゆるノーガードの構えで近付いていった。それを見て、翔は先ほど落としたナイフを拾った。
「可唯、素手は無謀だ。これを使え」
「そないなもん、わいにとっては逆にハンデやで」
そう言うと、よろけるようにして可唯はJJとの距離を一気に詰めた。
JJはナイフを横に振ったが、それこそ倒れたかのように体勢を低くした可唯の頭上を通り過ぎた。次の瞬間、可唯は立ち上がったかと思うと、そのまま軽くジャンプするようにして、飛び蹴りをJJの顔面に与えた。
JJは一瞬だけふらついたが、すぐに構え直すと、ナイフを突き出した。しかし、可唯は離れるどころか、ナイフの横を通り過ぎるように距離を詰め、肘打ちを食らわせた。それだけでなく、後ろに下がったJJを追いかけるようにして、さらに距離を詰めると、両手を突き出してJJを吹っ飛ばした。
JJは尻餅をついたが、すぐに立ち上がると、今度は低い姿勢の可唯を狙うため、斜めにナイフを振った。それに対して、可唯は身体を反らせると、紙一重のところでよけた。と思った次の瞬間、可唯がハイキックを繰り出し、それがまたJJの顔面を捉えた。
しかし、JJは蹴りを受けつつも、今度は縦にナイフを振った。ただ、その時は既に、可唯がステップを踏みながら後ろへ下がった後だった。
そんな可唯に追いつこうと、JJは詰め寄ったが、不意に可唯が前へ飛び蹴りすると、それが胸に当たり、そこで足を止めた。そして、可唯は蹴った反動を利用しながら勢いよく後ろへ下がると、途中で軽く宙返りのような動きも挟みながら、完全にJJと距離を取った。
「ラン、武器なんて不要やろ?」
「わかったから、油断するな」
そんなやり取りをしつつ、翔は可唯と手合わせした時のことを思い出した。
これまで何度も手合わせしているが、翔が可唯に勝ったことは一度もない。可唯は体幹がいいのか、不安定に見える体勢からでも、鋭い攻撃を繰り出すことができる。また、可唯が比較的小柄なこともあり、対峙していると死角から突然攻撃されるような感覚で、いつも翻弄されてしまう。
JJも可唯の動きに翻弄されているようで、ここまでは可唯が一方的に有利な状況だ。ただ、JJがナイフを持っている以上、ちょっとした油断から致命傷を受けてしまうのではないかと、翔は心配になった。
JJは仕切り直しするように、改めてナイフを構えた後、ゆっくりと可唯に近付いていった。一方の可唯は、またよろけるようにして、一気にJJとの距離を詰めた。
そして、可唯は体勢を低くすると、右手を地面に着き、そのまま逆立ちに近い体勢になった後、両足を振って蹴りを繰り出した。しかし、JJは咄嗟に右腕で攻撃を受けると、ボールを蹴るようにして、可唯を蹴り飛ばした。
可唯は不自然に見えるほど、後ろへ大きく吹っ飛んだ。それは、衝撃を少しでも和らげようと、可唯自身が後ろへ飛んだことが理由のようだったが、体勢を整える前にJJが距離を詰め、追撃を狙った。
それに対して、可唯は地面を転がって距離を取ろうとした。ただ、さすがに速度が出ず、JJとの距離があっという間に縮まった。それだけでなく、可唯が転がっていく先には柱があり、完全に追い込まれているように翔は感じた。
「可唯!」
今更ながら、可唯だけに任せる理由がないと考え、翔は駆け寄ろうとしたが、それなりに距離が離れているため、間に合いそうになかった。
しかし、そんな翔の心配をよそに、可唯は転がった勢いを殺すことなく、一瞬のうちに立ち上がった。それから、ぶつかる直前で柱を右足で蹴ると、その反動を利用して、すれ違いながらJJにラリアットを食らわせた。
ただ、その際にJJが振ったナイフが掠め、可唯の服の胸元部分が裂けた。
「なかなかやるやないか。ランと同じぐらい強いんちゃうか?」
「そんな分析をしている場合じゃないだろ。大丈夫か?」
「別に安もんやから、問題ないで」
「服の話はしていない。ただ、その分なら怪我はないようだな」
可唯が無傷のようで、一先ず安心したが、翔の考えは変わらなかった。
「可唯、ここからは俺も協力する」
「別に、わいはまだ七割程度の力しか出してへんし、一人で大丈夫やで」
「遊びじゃないんだ。そいつは絶対にここで止めないと、まずい気がする」
単に殺人犯だからというだけでなく、翔はJJに対して、上手く表現できない、危険なものを感じていた。そのため、どんな手段を使ってでも、JJを止めたいと強く思った。
「そういうことなら、決着は今度、邪魔が入らない時につけさせてもらうぜ」
「は?」
JJが何を言っているのか、翔は少しの間、理解できなかった。そして、気付けばJJはこちらに背を向け、走り出していた。
「待て!」
まさか逃げると思っていなかったため、翔は走り出すまでに少々の時間が掛かった。ただ、翔の足の速さなら、これでも十分追いつけそうだった。
その時、JJは窓を飛び越えると、建築用に残された足場を走っていき、金属音が響いた。そして、翔も続くように窓を飛び越えようとしたが、こちらに向けて飛んできたナイフを確認すると、どうにか身体の向きを変えることで回避した。
しかし、そうして体勢を崩したことで、翔は窓枠から落ちるようにして倒れた。その際、背中を強く打ってしまい、少しの間、動けなくなってしまった。
それでも、どうにか立ち上がると、翔は改めて窓を越えて、外の足場に立った。しかし、既にJJは足場を下りて、ここから走り去るところだった。
「逃げ足の速い奴やな」
「呑気なことを言っている場合じゃない」
翔は咄嗟にスマホを取り出すと、後ろ姿だけでもJJを写真に収めた。それから、早速写真を光に送ると、そのまま光に連絡した。
「ラン君、大丈夫だった?」
「詳しいことは後で話します! とにかく、今送った写真をみんなに共有して、見掛け次第、そいつを捕まえるように指示を出してください!」
「ちょっと待って。この写真の人が、犯人ってことかな?」
「そうです! 今すぐ捕まえてください!」
「わかったよ。すぐに指示を出すから、少し落ち着いて」
光の言葉を受け、翔は冷静になろうと、数回深呼吸をした。そうして、少しだけでも頭を冷やすと、窓を越えて中に戻った。
それから、血だらけになって倒れている元ターゲットに駆け寄ると、改めて状態を確認した。
冴木さんの話だと、この人はターゲットに選ばれた時、女子高生で、しかも受験を控えた三年生とのことだった。恐らく、現在は女子大生として、今年始まった大学生活を楽しんでいたことだろう。そんな風に考えると、翔はやるせない気持ちになった。
先ほどはJJがいたため、少ししか確認できなかったが、身体中に切り傷があり、それが痛々しかった。JJは単に殺すだけでなく、殺し合いをすることが目的だと言っていた。そのため、反撃してくることを期待して、彼女を少しずつ傷付けていったのかもしれない。不意にそんな想像が浮かんだところで、それを拒否するように翔は首を振った。
JJは、翔に対して自分と同じだと言った。そのため、JJの考えが想像できるということは、その言葉を認めることになりそうで、翔は強く否定しようと、思考を止めた。
それから、翔はまた彼女の傷を確認し、恐らく致命傷になったのは、首の傷だろうと感じた。ただ、その傷もそこまで深くなく、失血死という形だったのだろうと判断した。
「ラン君、みんなに指示を出しておいたよ。鉄也達にも知らせたから、監視カメラを使って、追跡できないか試してもらっているよ」
「ありがとうございます」
「それで、何があったのかな?」
先ほどは焦りもあり、ほとんど状況を説明しなかった。ただ、改めて説明しようと思うと、何から説明すればいいのか、翔は迷ってしまった。
その時、誰かが来た気配がしたため、翔は振り返ると、持っていたナイフを構えた。
「ああ、待って! 私は浜中だよ! 一応、学校で会っているんだけど、覚えていないかい!?」
こちらの警戒を解こうとしているのか、浜中は両手を上げながら、そんなことを叫んだ。翔は浜中の顔をしっかり覚えていたわけじゃないが、どこか頼りない印象すら与える浜中の態度を見て、ナイフを下ろした。そして、スマホをスピーカーに切り替えた。
「光さん、丁度浜中さんが来たので、スピーカーにして一緒に詳細を伝えます」
「うん、わかったよ。浜中さん、光です」
「ああ、うん……これは、何があったんだい?」
浜中がそう言うのも無理ないと思いつつ、翔は何から説明しようかと改めて整理した後、口を開いた。
「自分がここに来た時、既に彼女……恐らく元ターゲットが血だらけで倒れていて……手遅れでした。それで、ここにJJと名乗る男がいて、そいつは殺し合いをすることが目的だと言っていました」
それから、翔はJJについて、伝えられることをすべて伝えようと、何があったか順に説明していった。
「可唯が助けてくれなかったら、自分も危なかったです」
「わいが来んでも、ランはどうにかしたやろ。せやから、礼はいらんで」
可唯の評価に対して、翔は何も言えなかった。ただ、可唯の言っていることがすべて正しいとまでは、さすがに思えなかった。
「そんな奴を相手にして……ラン君が無事で良かったよ。連絡が切れた時は、本当に心配したからね」
「私も、こうして翔君と直接会うことができて安心したよ」
不意に、そんな言葉を光や浜中から言われ、また心配させてしまったといった思いが、翔の中にあった。
「その……すいませんでした」
「ラン君が無事なら、それでいいよ」
「私も、到着が遅れて悪かったね」
そして、光や浜中が一切怒ることなく、ただただ自分の心配をしてくれていることも翔は知った。それは光や浜中だけでなく、美優や孝太に千佳、そして冴木なども同じ気持ちなのだろうと気付くと、自分のしていることに疑問を持ちそうになった。
しかし、翔は左手首に着けたミサンガに目をやると、深呼吸をした。
「JJが元ターゲットを狙った理由は、死線を潜り抜けた人と殺し合いをしたいという目的からでした。それについては、間違っていると伝えましたが、今後も元ターゲットを標的にする可能性があります。ただ、他に……生き残っている元ターゲットがいるかどうか、わからないんです」
「一応、これまであった高校生の不審死などを調べたけど、ほぼ毎月発生していて……可能性があるとしたら、先月のTODでターゲットに選ばれた人は、今も生きているかもしれないね。まだ見つかっていないだけかもしれないけど、先月だけは高校生の不審死が発生していないんだよ」
「被害にあっていないとなると、逆に特定が難しいと思いますが、調べてもらってもいいですか?」
「うん、わかったよ。早速……」
「光、それぐらいなら他の人でも調べられるから、ほんの少しだけでも休んで」
割り込むように瞳の声が聞こえ、翔は一瞬戸惑った。
「いや、僕は別に……」
「さっきも言ったけど、これで光が倒れたら、もっとみんなを困らせるよ? だから、ここは他の人にも頼って」
瞳の話から、これまで光はほとんど休んでいないのだろうと簡単に予想でき、翔は心配になった。
「光さん、瞳さんの言うとおり、少しでも休んでください。それと、これまで色々と無茶なお願いをしてしまい、すいませんでした」
「これが僕のするべきことだから、そんなこと言わないでよ。ただ、ここは言葉に甘えて、少し休ませてもらうよ。既に今聞いたことも、メッセージを送って圭吾と鉄也に共有したから、何かあれば二人に連絡してもらえるかな?」
「はい、わかりました。それじゃあ、こちらは切ります」
光との通話を切ると、翔は浜中に顔を向けた。
「ここは、浜中さんにお願いしていいですか?」
「うん、どう伝えるかはこれから考えるけど、TODとかかわりがあることは言わないようにして、警察の捜査を進めてもらうよ。あと、先月のTODについても、何かわからないか調べてみるね」
「あと、このナイフはJJから渡された物です。これまでの現場にもナイフは残されていたそうなので、何の手掛かりにもならないと思いますが、念のため、調べてもらえますか?」
「現場に残されたナイフの種類、いつも違っているんだけど、今のところ指紋含め、手掛かりは何もないんだよね」
「待ってください。指紋だったら……先ほど、追いかけようとした時にナイフを投げられたんです。地面に落ちたか、足場に乗っているかわかりませんが、あの窓の付近を調べたら、指紋付きのナイフが残されているかもしれません」
「わかった。警察の方で調べておくよ」
そして、翔は浜中にナイフを渡すと、ここに来てすぐに落としてしまった、警棒を拾った。
それから、JJの存在は美優と冴木にも伝えるべきだと判断すると、翔は冴木から渡された方のスマホを手に取った。