前半 36
翔はナビを見られるようにスマホをバイクのハンドル付近に固定した後、ヘルメットを被った。
「翔、ホントに無茶するなよ!」
「命大事にだからね!」
「ああ、何度も言うな。わかっている」
千佳と孝太から心配するような言葉をかけられつつ、翔はバイクに跨った。
「そのバイクはじゃじゃ馬だが、ランなら上手く乗りこなせられるだろう」
「何を根拠に、そんなことを言っているんですか?」
「ランを見ていて、そう感じた。それが根拠だ」
もはや、圭吾の言っていることが何の根拠にもなっていなくて、翔は軽く笑った。
「それじゃあ、行ってきます」
翔はヘルメットのシールド――顔を風などから保護する半透明な部分を下げると、バイクのエンジンをかけた。それから、少しだけ意識を集中させた後、バイクを走らせた。
走らせた瞬間、思った以上に加速したため、圭吾がじゃじゃ馬と言ったことに納得しつつ、翔は崩しそうになった体勢をすぐに戻した。そうして体勢を安定させると、目的地を目指しながら、加速だけでなく、ハンドルやブレーキの利きなど、このバイクの性能を確認した。
まず、ハンドルは軽く、ちょっとした力で鋭く曲がることも容易だった。その分、しっかり固定しないと、真っ直ぐ進むことすら困難で、少しでも油断すれば蛇行を繰り返し、倒れてしまってもおかしくなかった。
また、ブレーキは利きが良く、しっかり握れば、急激に減速した。恐らく、速度を出した状態で急ブレーキをかければ、タイヤがロックされ、ひっくり返るだろう。そんなことが容易に想像でき、翔はブレーキを慎重に握るように意識しながら、どれぐらい利くのかを入念に確認した。
それから、翔はアクセルを吹かした。すると、また一気に加速して、次々と他の車を抜いていった。そして、前をバイクが塞いでいることを確認すると、翔はハンドルを切り、車の間を縫うように抜けていった。
制限速度を守ることが難しいというより、ほぼ不可能だと理解すると、翔はナビをチラチラと確認しつつ、猛スピードで目的地に向かった。
そうして、ものの数分で目的地に着くと、翔はバイクを止めた。
「本当にここなのか?」
翔は思わずそう呟くと、スマホを確認したが、ナビが示すのは、この場所で間違いなかった。ただ、そこは建設現場で、何故そんな所に元ターゲットがいるのだろうかと、疑問しかなかった。
その時、光から連絡が来て、すぐに翔は出た。
「光さん、今ナビの場所に着いたんですが……」
「ラン君、そこは建設途中で中止になった建物で、誰もいないはずなんだよ。そんな所に元ターゲットがいるなんて、明らかにおかしいよ。この事件の被害者は、亡くなる直前、犯人と二人きりになっていたんじゃないかって話だし、深追いしないでほしい」
光の話を理解しつつ、翔はまったく違う考えを持っていた。
「だったら、すぐに助けます」
「待って! すぐに応援が来るはずだから、それまで……」
「命の危険があるのに、誰も助けてくれないというのは、本当に怖いんです。だから、何を言われても助けます。すいません、切りますね」
「ラン君!」
光がまだ話していたが、翔はスマホを切った。それから警棒を取り出すと、勢いよく振って伸ばした。
そして、翔は集中するように深呼吸した後、駆け足で中に入った。
近くまで来たことで、元ターゲットのいる位置が、高さも含めてナビで確認できるようになった。そのため、翔は足を止めて入念に確認した後、階段を上がった。そうして二階に来たところで、廊下に出た。
もしかしたら犯人がいるかもしれないと考えると、翔は周辺を確認しつつ、少しだけ移動するペースを落とした。しかし、広いスペースに出たところで、血だらけになって倒れている人の姿を確認すると、翔は駆け足で向かった。
「おい、大丈……」
途中、大きな柱の横を通り過ぎたところで、その柱の陰にいた人影が視界の端に映った。翔は無意識のうちにそれを感じ取ると同時に、警棒を構えながら振り返った。
次の瞬間、こちらに向けて振られたナイフと警棒がぶつかり、甲高い金属音が響いた。不意打ちを受ける形になってしまったため、弾き飛ばされるようにして、翔は警棒を離してしまった。そんなことなどお構いなく、相手はまたナイフを振ってきた。
翔は少しでも相手と距離を取ろうと、後ろに下がりながらナイフをよけた後、苦し紛れながら蹴りを与え、相手の動きを少しだけ止めた。その間に距離を離すと、血だらけになって倒れている人に近付いた。
「おい、大丈夫か!?」
この人が元ターゲットだということは、確認しなくてもわかった。ただ、いくら声をかけても返事がないだけでなく、息すらしていなかった。
この人を助けられなかった。そのことを翔は受け入れつつ、こちらを攻撃してきた相手の姿を確認した。そこにいたのは、自分と同年代に見える男で、右手にはサバイバルナイフが握られていた。
男は、少しだけこちらのことを警戒して様子をうかがっていたが、笑みを浮かべた後、こちらに向かってきた。
翔は咄嗟に右手を伸ばすと、近くに落ちていたナイフを逆手で持ち、顔の前で構えた。ナイフが落ちていることは、視界に入ったため、気付いていた。ただ、このナイフを見つけることができたのは、これまでの事件現場にナイフが残されていたという情報を、あらかじめ知っていたことも大きかった。
翔は顔の前でナイフをゆらゆらと振りながら、男の攻撃に備えた。そして、男が振ってきたナイフを、的確に押さえつつ、一定の距離を取ることに努めた。
男は翔と違い、順手でナイフを持っている。順手は、普段包丁を持つ時などと同じ、一般的な持ち方で、短いながらもナイフのリーチをいかせるだけでなく、手首を使ってナイフを自由に動かせるといった利点がある。
一方、翔が選択した逆手持ちは、リーチや動かしやすさを犠牲にしつつも、ナイフに力を込められるという利点がある。また、リーチの短さも、自身を守るためであれば、むしろ小回りが利くという利点に繋がる。
男がナイフを振れば、こちらはナイフを固定するようにしてそれを押さえる。突きをしてきた場合は、すぐにナイフを振って、相手のナイフを弾く。ただそれだけを徹底しながら、翔は相手の動きを読みつつ、防御に集中した。
しかし、ナイフを押さえた瞬間、不意に男が蹴りを繰り出してきて、それが翔の脇腹を捉えた。そうして体勢を崩したところで、男は顔めがけてナイフを振ってきた。
咄嗟に翔は身体を反らせるようにしてナイフをよけると、防御や回避でなく、反対にこちらもナイフを振って攻撃に転じた。そんな翔の行動が意外だったようで、男はステップを踏むようにして、一気にこちらから離れた。
そして、翔は体勢を立て直すと、またナイフを構えた。すると、男は突然笑い出した。
「最高に楽しいぜ。俺はこんな殺し合いがしたかったんだよ」
「は?」
男が何を言っているのか理解できず、翔は一瞬だけ固まってしまったが、話ができるなら、それに越したことはないと頭を働かせた。
「おまえは……いったい何者だ? 何故、TODの元ターゲットを狙っている?」
話が通じるかわからないが、少しでも相手のことがわかればと、そんな質問をした。すると、男はわざとらしく首を傾げた。
「TODを知ってるなんて、あんたこそ何者だ?」
「質問したのは、俺が先だ。おまえが先に答えろ」
「そういう態度も嫌いじゃないぜ。じゃあ、俺から答えてやる」
そう言った後、男は何を話そうか考えている様子で、少しだけ間が空いた。
「まずは、お互いに自己紹介といこうぜ。そうだな……俺のことはJJでいいぜ。あんたのことは何て呼べばいいんだ?」
「俺は名乗る気なんてない」
「それはないぜ。俺のことを知りたいなら、名乗るぐらい、いいだろ?」
これで話が進まないのも良くないと考えると、翔はため息をついてから、JJと名乗った男の言うとおりにすることにした。
「だったら、俺のことはランと呼べ」
「いいぜ。あんたはランだな」
翔と名乗るのは抵抗があったため、ライトにいる時に使っている名前を名乗った。それより、翔はJJに聞きたいことを一つも聞けていないため、多少もどかしく思い始めていた。
「それで、おまえは何故、元ターゲットを狙っている?」
「それは、最高に楽しい殺し合いができると思ったからだぜ」
「は?」
「俺は最高に楽しい殺し合いができれば、それでいい。一対一で、お互いに命の危険を感じながら、相手を殺す。それは、最高に楽しいぜ」
「それと、元ターゲットを狙うのは関係ないだろ」
「ターゲットに選ばれたってことは、命の危険があったのに生き延びた。つまり、死線を潜り抜けたってことだろ? そんな奴と殺し合いをしたいと思うのは、当たり前だぜ」
話を聞いて、狂っていると感じたが、翔は言葉を飲み込むと、とにかくJJを止めることだけを考えた。
「だとしたら、元ターゲットを狙うのは見当違いだ。おまえが殺した人は、オフェンスに襲われることなく、何もしないで生き延びた人だ。当然、死線を潜り抜けたなんてこともない」
「何だ。どうりでつまらないと思ったぜ。でも、おかげであんたと会えたから良かったぜ」
JJはそう言うと、不気味な笑みを浮かべた。
「あんたとの殺し合いは最高に楽しいぜ。あんたも死線を潜り抜けたんだろ?」
「……いや、それも見当違いだ。俺はごく平凡な生活を送ってきた」
「そんな嘘なんかいらない。俺はわかるぜ? あんたと俺は同じだ」
一瞬、心を見透かされているような気がして、翔はJJから目をそらした。そして、一息ついてから、また真っ直ぐJJを見た。
「いや、俺とおまえは違う」
「あんたがそう言うなら、それでいいぜ。それより、最高に楽しい殺し合いの続きをしようぜ」
JJはそう言うと、ナイフを構えつつ、向かってきた。翔は改めてナイフを構えると、集中力を高めた。
先ほど、防御や回避に専念した結果、ジリ貧で追い込まれてしまったことを反省し、翔は牽制するようにナイフを振った。そうして、翔が攻撃の頻度を増やしたことに対して、反対にJJの方は防御の頻度が増えた。
しかし、これで状況が良くなったかというと、そうではなく、甘い攻撃をすれば、その隙に攻撃を受けるリスクがあり、先ほど以上に意識を集中させる必要があった。また、単純にやることが増えたことにより、考えないといけないことも増えていた。
翔がナイフを振ると、JJは距離を取りつつ攻撃をよけた後、リーチのある蹴りを繰り出してきた。それを左腕で受けると、JJは一気に距離を詰めて突きをしてきた。
翔は身体を横に向けるようにして攻撃をそらすと、ナイフを持ったJJの右腕を狙って、ナイフを振った。しかし、JJは手首を使ってナイフを回すと、攻撃をよけるだけでなく、反撃してきた。
その瞬間、JJのナイフが右手首を掠め、翔は顔を歪ませたが、ナイフを落とさないよう、右手に力を入れた。そして、体勢を立て直そうと後ろに下がった。
そうして少しだけ距離が空いたところで、またJJは蹴りを繰り出してきた。その蹴りが脇腹に向けられたものだと判断すると、翔はナイフの刃を向ける形で、受けようとした。
これでJJの脚に怪我を負わせることができれば、多少は動きを止められるかもしれない。そんな期待を持っていたが、JJは寸前のところで引くように膝を曲げると、そのままハイキックに切り替えた。その動きに対応できず、翔は顔面に蹴りを受けてしまった。
そうしてふらついてしまったところで、JJが向かってきているのを確認すると、翔はどうにか地面を蹴り、JJに体当たりを与えた。それは意表を突くことに成功し、JJは仰向けに倒れた。
翔は馬乗りになると、JJの右手首付近を左手で押さえ、ナイフが使えないようにしつつ、こちらのナイフをJJの首元に向けた。
「これで終わりだ」
どうにかJJを押さえることができたため、翔は一息ついた。しかし、JJはまた不気味な笑みを浮かべた。
「これは殺し合いだぜ?」
そう言うと、JJは自らの首をこちらのナイフに押し付けるようにして、身体を起こした。
そんなJJの行動に驚き、翔は咄嗟にナイフを引いた。そうしてできた隙を突かれる形で、そのまま突き飛ばされてしまった。
倒れた拍子にナイフを落としてしまい、すぐに拾おうとしたが、既にJJは目の前に迫っていた。そんな絶望的な状況の中、翔はどうにかして攻撃をかわそうと、意識を集中させた。
しかし、次の瞬間、JJは突然横へ吹っ飛んだ。それは、突如やってきた人物の蹴りを横から受けたためだった。
「ラン、楽しそうやな。わいも混ざるで」
そんな言葉を受け、翔は安心と呆れが混ざった、ため息をついた。
「可唯、助かった。よく来てくれたな」
「丁度近くにおったんや。ランにとっては、ラッキーやったね」
それから可唯は、ゆっくりと立ち上がったJJに顔を向けた。
「ほな、そいつは、わいが相手したるさかい。ランは休んでええよ」
可唯はそう言うと、余裕の笑みを浮かべた。