前半 28
浜中は警察署に行くと、自分のデスクに向かった。
その途中、別の部署の同僚に会うと、浜中は足を止めた。
「浜中、今日は休みじゃなかった?」
「ああ、忘れ物したのを思い出して、丁度近くまで来たし、寄ったんだよ」
「また何か独自に調べてるんじゃないかって噂になってる。上の人に目をつけられないよう、気を付けないとまずいって」
「今更気を付けても、もう遅いよ」
警察としては乗り気でない、TODの捜査を浜中が独自にしていることは、既に多くの人が知っていることだ。それにより、上司などが良い顔をしていないことは、浜中も承知している。
時には捜査から外れるように指示を受けたり、人手が十分足りている捜査に回されたり、そうした嫌がらせも受けている。それでも、浜中は諦めることなく、抵抗を続けているところだ。
「何か困ったことがあったら、できる範囲でだけど、また力になる。何でも言ってほしい」
ただ、そんな浜中を応援してくれる者達もいる。その者達は、表立って味方になってくれるわけではないが、時々浜中に情報を回してくれるなど、陰ながら協力してくれている。そうしたことがあるから、浜中はどうにか続けられている状態だ。
「ありがとう。また何かあったら、情報を回してほしい」
「了解」
そうして同僚と別れると、浜中は改めて自分のデスクに向かった。
浜中が所属しているのは、主に犯罪捜査などを行っている、刑事部だ。ただ、部屋に入ったところで、浜中に挨拶をする者は誰もいなかった。
これも嫌がらせの一つだが、むしろ自由にやりたいことができると、浜中は気にしないでいる。そして、デスクに着くと、パソコンを起動し、今追っている連続殺人事件に関する資料を開いた。
警察内部の情報を外部に流せば、当然大事になる。ただ、聞き込み捜査をする際など、少しずつ情報が漏れることは日常茶飯事だ。そのため、浜中は手帳に概要だけメモしたうえで、それを光達に伝えることにした。
それは、光達への聞き込み捜査ということにして、意図的に情報を外部に流したわけじゃないと言い訳するための方法だ。当然、そんな言い訳を信じる者がいるわけないが、決まりとして何の問題もないと逃げ切る自信はあった。
そして、浜中はメモを取るため、手帳を開いた。多くの者がメモを取るのに、スマホを使用している中、浜中は手帳を使い続けている。これは、実際に自分で書いた方が頭に入るという、日下の教えをきっかけに始めたことだ。
実際、パソコンで資料を見るだけでは、ほとんど頭に入ってこないと、浜中は感じていた。それは、この連続殺人事件についても同じだった。
浜中は、この事件の捜査に参加させてもらえていないため、これまで事件の資料などを簡単に見る程度だった。そのため、手帳にメモを取りながら事件の資料を改めて見ていくと、この事件の異常さがよくわかった。
事の発端は、ある廃墟で十人の遺体が発見されたことだ。この遺体を発見したのは、寝床を探していたホームレスで、あまりの光景に驚きつつ、すぐ警察署へと駆け込んだそうだ。
遺体の発見自体は先月の20日だったが、遺体の状態などから、10日付近には既に亡くなっていただろうとされている。被害者の身元は、ある程度明らかになったものの、サラリーマンに探偵、元看護師に無職など、職業はバラバラだった。それだけでなく、年齢もバラバラで、何の共通点も見つけられなかった。また、何人かは今現在も身元がわかっていない。
この事件自体、異常なもので、刑事部を中心に大規模な捜査が実施された。しかし、特に手掛かりを見つけられないでいるのが現状だ。
そんな中、事件に進展があったのは、別の殺人事件が発生した、今月1日のことだ。被害者は、高校三年生の男子で、ナイフによる刺殺とされた。ただ、争った形跡があったことや、被害者の身体中にナイフによるものと思われる無数の傷がついていたこと。そして、現場に残された二本のナイフなどから、お互いにナイフを持って争っていたのではないかと推測された。
この時点で、これも異常な事件の一つとして扱われていたが、現場に残されていた被害者以外の血痕が、先月起こった大量殺人事件の現場に残された血痕と同一人物のものと確認された。そのため、二つの事件は関連したものとして、捜査が進められるようになった。
その後、3日、7日、9日に、同様の殺人事件が発生し、連続殺人事件として本格的に捜査が始まった。ただ、こちらも被害者の共通点などは現状わかっていない。あえて挙げるとすれば、被害者の年齢が近く、今のところ高校二年生から大学一年生が被害に遭っていることはわかったが、それが何か意味を持つとも思えなかった。
他の共通点を挙げるとすれば、犯行時間が夕方から夜で、被害者が学校から帰宅している時や、一人暮らしをしている家にいる時など、一人になったタイミングを狙っていることだ。人気のない場所に誘い込まれているケースや、一人暮らしをしている家が犯行現場になっているケースがあるが、どちらも犯人と被害者、二人きりの状況になっていたようだ。
警察としては、また同様の殺人事件が起こらないようにしようと、犯人の特定だけでなく、次に誰が狙われるかといった推理もしている。ただ、こうして資料を見る限り、どちらの見当もついていないようだ。
もしも今、TODの件がなかったとしたら、浜中は光達に、この事件について調べてほしいと、心からお願いしていただろう。そう思えるほど、この事件も放っておいてはいけないものだと強く感じた。同時に、日下が話していた、警察の体制に問題があるということを改めて感じた。
現在、情報規制をしているが、その理由は模倣犯が現れるのを恐れてのものとしている。しかし、実際は何の手掛かりも得られていないことを批判されたくないという理由だけで、情報を隠しているのだろう。そのせいで、聞き込みも難航し、犯人を野放しにしてしまっている状態だ。
そんな自分達の体裁しか考えていない組織に、浜中は嫌気が差している。ただ、そのことを知りながら、何もできていない自分も同罪だ。そう考えると、浜中は胸が痛かった。
「浜中、今日は休みのはずだろ? 何でいるんだ?」
そんなことを言われ、振り返ると、そこには月上潮がいた。
月上は、浜中の直属の上司だ。日下と同期で、昔はライバル関係とされていた。とはいえ、実際は月上の方が日下を敵対視していただけの、一方的なものだったと浜中は考えている。というのも、日下の方は特に月上を特別視している様子もなかったからだ。
「少し気になったことがあって、寄っただけです。すぐに帰ります」
「休める時には休め。それがお互いのためだと思わないか?」
「だから、すぐに帰りますよ」
浜中がTODの捜査をしていることだけでなく、日下についていたことなども気に食わないようで、月上は度々こうした嫌味を言ってくる。ただ、浜中は日下に倣う形で、気にしないように努めている。
ある程度、メモも取り終わり、浜中は資料を閉じると、パソコンの電源を切った。そして、そのまま帰ってしまおうと席を立った。
「またTOD絡みで、何か勝手に調べているようだな。そんなに警察の……いや、日下の信用を落としたいのか?」
「どういうことですか?」
無視するつもりだったが、あまりにも許せないことを言われ、浜中は聞き返した。
「わかるだろ? 日下が緋山春来を殺して、金を手に入れた。しかも、その金のおかげで娘は手術を受けることができ、命が助かった。そんなことを日下の家族が知ったら、どう思うか、想像できないのか?」
「緋山春来を殺したのが日下さんかどうかは、わかっていないはずですよ。古い廃墟で発生したガス爆発によって、建物は崩壊。遺体は見つかったものの、死因すらわからなかったはずです。もしかしたら、別の誰かが緋山春来を殺し、それに日下さんは巻き込まれた。その後、犯人は何かを隠蔽するため、そこを爆破させた。そう考えることもできます」
「だったら、何だというんだ? 緋山春来が死んだことで、日下は金を手に入れた。その事実は変わらない。そのことを明らかにして、誰が得をするんだ?」
言い返そうとしたが、上手く否定できず、浜中は言葉に詰まってしまった。
「わからないなら、はっきり言う。おまえのしていることは、誰も得しない。それでも、捜査を続けるのか?」
「私は事実を知りたいだけです。何故、緋山春来と日下さんは亡くなったのか。どんな事実であったとしても、それは明らかにするべきです」
「単なる自己満足だろ。それなら警察を辞めて、探偵にでもなればいい」
「私は刑事として、日下さんに何があったのか、捜査したいんです」
「さっき、連続殺人事件の資料を見ていたな。しかし、おまえを捜査に参加させることはない。一人で勝手に捜査を続けても、限界があることに早く気付け」
月上の言うことは、既に十分過ぎるほど痛感している。ただ、今の浜中は一人でなく、光をはじめとして協力してくれる者達がいる。そのことを思い出すと、浜中は頭を冷やした。
「忠告、ありがたく頂きます。それでは、失礼します」
そうして、その場を離れようとしたが、そこで事件の発生を知らせる通知が届いた。
「月上さん、発砲事件が発生したそうです」
「わかった。手の空いている者で行ってこい」
「わかりました」
発砲事件と聞き、すぐに浜中はTODとの関連を疑った。
「ほら、早く帰れ。用は済んだんだろ?」
「……はい、失礼します」
浜中は軽く頭を下げた後、その場を後にした。そして、そのまま発砲事件があったとされる現場を目指すことにした。
現場に行けば、他の同僚などから月上に報告が行き、また何か言われるかもしれない。そう理解しつつも、このまま帰るわけにはいかなかった。そのため、浜中は車を走らせると、現場に向かった。
現場は何かの会社で、到着した時には、既に多くのパトカーなどが付近に止まっていた。通知があった際、簡単な概要を知らされたが、社内に何者かが侵入し、中にいた二人が撃たれたということしかわかっていなかった。
浜中はどうにかして、何があったか確認できないかと車を降りたが、同僚達もいるため、勝手なことはできなかった。そのため、どうしようかと立ち尽くしてしまった。
その時、浜中はダークのメンバーが何人かいるのを見掛けて、そちらに近付いた。
「ダークの人だね」
「何だ? また刑事かよ?」
その言葉から、既に誰かから聞き込みを受けたようだとわかった。
「光君などから、話を聞いていないかな? TODの件などで協力させてもらっている、刑事の浜中だよ」
「ああ、協力してくれる刑事がいるとか聞いたな」
「何かの事件を利用して、警察にも動いてもらうんだって? 上手くいくのか?」
「それは、光君や君達次第だよ。それより、どうして君達がここにいるんだい?」
発砲事件の現場にダークのメンバーがいる。この時点で、浜中は何か嫌な予感を持っていた。
「ああ、篠田って人と連絡が取れねえから、何かあったのかと思って来たら、これだったんだよ」
「それ、詳しく聞かせてくれないかい?」
それから、ここが篠田の勤めている会社であることや、篠田が翔について調べるために会社に戻ったことなどを聞き、浜中は何が起こったのか、少しずつ予想できてきた。
「浜中さん、帰ったんじゃないんですか? 勝手なことをしないでください」
不意にそんなことを言われて振り返ると、そこには怪訝そうな表情の同僚がいた。
「また月上さんが……」
「被害者の一人は、篠田灯さんですか?」
「え、何でわかったんですか? まだ、そのことは知らせていないのに……」
同僚のわかりやすい反応で、浜中は予想が当たったと確信した。
「知っている人なんだよ。銃で撃たれたとのことだけど、どんな状態なんだい?」
浜中の質問に、同僚は何か答えづらそうな反応を見せた。それを見て、浜中は理解した。
「……亡くなったんだね?」
「……事件の話をするのは、今回だけですよ? 被害者は二人とも亡くなりました。腹部に一発、それから頭部や胸などを中心に数発撃たれ、発見時には既に亡くなっていました」
遺体の状況を聞き、浜中はセーギの時と似ていると感じた。そうなれば、犯人は同一人物と考えるのが自然だ。
「教えてくれて、ありがとう」
「他の人には秘密ですよ? じゃあ、他の人に見られたら嫌なので、行きます」
普段、同僚達は月上の目が怖いからと、浜中に冷たい態度を取っている。しかし、それは本心でないようで、時々こうして情報をくれることもある。このことについて、浜中は多少感謝もしつつ、上司に従うことしかできないという意味にも取れるため、複雑な心境だった。
そして、浜中は軽くため息をつくと、ダークのメンバー達に視線を戻した。
「恥ずかしい所を見られてしまったね。私は警察の中で、あんな扱いなんだよ。何て話を君達にしても、しょうがないね。篠田さんのことは私から光君に知らせておくよ。丁度、連続殺人事件の話もしたかったからね」
浜中はそう言うと、光達の所へ戻ろうと、また車に乗った。