前半 23
翔は美優の身体を支えつつ、冴木が新たに用意したワゴン車に乗った。
「翔、ごめんね。何だか力が抜けちゃって……」
「いや、無茶をさせた俺のせいだ。本当にすまなかった」
先ほどの美優は、ただ翔を助けたいという思いしかなく、いわゆる興奮状態に近かったのだろう。そのため、死と隣り合わせの戦闘をしているといった自覚すらなかったのかもしれない。しかし、気力も体力も確実に消耗したはずで、興奮が冷めた今、それがこうした形で表れたようだ。
「とにかく移動しよう。オフェンスだけでなく、目撃者が来ても困るからな」
「はい、お願いします」
冴木は車を走らせると、駐車場を出て、そのまま裏道に入った。そして、人通りの少ない場所まで行くと、路肩に車を止めた。
「一旦、ここで話そう。……翔、その腕の傷はどうした?」
「ああ、さっき刀が掠っただけで、大したことないです」
「そんなこと言わないで、ちゃんと手当を受けてよ」
「……わかった。冴木さん、お願いしてもいいですか?」
単なるかすり傷と思い、そのままにするつもりだったが、美優から強く言われたため、翔は冴木から簡単に手当てを受けた。
「大した怪我じゃないから、これでいいだろう」
「ありがとうございます」
「二人とも本当に無事で良かった。今後は無茶をしないでくれ」
「……冴木さんの言うとおり、自分は他の人を信用していませんし、自分だけで美優を守れると思っていました。そのせいで、美優にまで無茶をさせてしまって……本当にすいませんでした」
「わかってくれたなら、それでいい。それに、さっきも言ったが、これまで美優が生きられているのは翔のおかげだ。翔がいなかったら、悪魔に潜伏先が襲撃された時点で、美優を守り切れなかったと思う」
「自分と冴木さん、それに可唯もいれば、悪魔が相手でもどうにかできたんじゃないですか?」
「いや、恐らく無理だ」
冴木が断言に近い口調で返してきたため、翔は戸惑った。
「どうしてですか?」
「……翔は、人を殺せるか?」
「……急に何ですか?」
「悪魔は今の質問に答えることなく、人を殺すような奴だ。人を殺すことに、何の躊躇もないんだろう。実際、セーギは何もできないまま殺されたようだった。もしも、そこに俺達がいたら、恐らく全滅……いや、可唯だけは上手いこと逃げて、生き延びたかもしれないな」
「同感です」
お互いに冗談を言うような調子で、少しだけ空気が和らいだ気がした。ただ、そんな空気をすぐ変えるように、冴木はため息をついた。
「また一年前のことを思い出したが、悪魔を相手にするのは絶対に避けて、逃げるべきだ。改めて、俺はそう思った」
そんな冴木の言葉に、翔は何も言えなかった。
「ただ、もっと対策するべきだったとも思う。逃げるだけで、これまでろくな準備をしなかったこと。参加することが決まってから準備した潜伏先と車が特定されたこと。どちらも俺のミスだ。本当にすまなかった」
「あの……冴木さんも翔も謝らないでください! これまで私は助けてもらってばかりで、感謝しかないです! だから……ありがとうございます」
美優が頭を下げるのを見て、翔と冴木はお互いに顔を見合わせた後、何か察したように頷いた。
「悪い、ネガティブになるのは良くないな。仕切り直しで、改めて今後のことを考えよう。まず、光達に連絡を取って、こちらの状況を伝えよう」
「待ってください。その前に、どうしてこちらの位置が特定されているのか、先にそれを考えるべきだと思います」
「確かにそのとおりだが、俺達だけで考えても、答えは出ないんじゃないか?」
「答えは出なくても、予想はできます。例えば、誰かに連絡をした時点で、位置が特定される可能性を改めて考えるべきだと思います」
少なからず、翔と同じ考えを持っていたようで、冴木はどこか納得した様子で息をついた。
「そうなると、やはりスマホが怪しいな。位置情報を誤認させるようにしたつもりだが、機能していないのかもしれない。一応、俺もそう考えていて、新しくスマホを三つ用意した。今あるスマホは廃棄して、今後はこれで連絡を取ればいいんじゃないか?」
「それでも、このスマホから誰かに連絡を取った時点で、位置が特定されるかもしれません」
「だったら、どうすればいいんだ?」
「それは……」
そこで、翔は美優に目を向けた。美優は突然目を向けられたことに驚いた様子で、どうしていいかわからないのか、両手を小さくバタバタとさせた。
「え、何?」
「美優も落ち着いて聞いてほしい。これから俺は……美優と冴木さんとは、別行動を取ろうと思う」
「そんなの絶対に嫌だ! 私は翔と一緒にいる!」
美優から強い口調でそんなことを言われ、翔は反応に困った。
「何で!? 私といるのが嫌なの!?」
「美優、落ち着いて……」
「私と一緒にいたら、危険だってこともわかっているよ! だから、一緒にいたくないって言うのも……」
「美優、翔の話を聞け!」
不意に冴木が叱るように叫んだことで、美優は驚きつつ、少しだけ冷静になったようだった。
「……ごめん、翔の話を聞かせて」
「いや、俺も言い方が悪かった。これまで、様々な形でこちらの位置が特定されて、その理由がわかったケースもあるが、根本的なところでは何もわかっていない。それがわからない限り、美優は危険なままだ。だから、美優を守るために、俺は別行動を取りたい」
そう言うだけでは伝わらないだろうと、翔は今考えている具体的な案を伝えることにした。
「これまで使っていた車に戻って、それを光さん達のところまで運ぶ。それで車を調べてもらえば、何かわかるはずだ。それと、これまで使っていたスマホも持っていって、全部調べてもらう。そうやって、不安要素を消していきたいんだ」
「それは、翔が囮になることにならないかな?」
「結果的にそうなるかもしれないが、俺一人なら……いや、この言い方も正しくない。さっき美優に助けてもらったし、一緒に行動した方がいいという考えもあるんだ。悪い……上手く言えていないな」
伝えたいことはたくさんあったが、それを上手く言葉にできず、翔は歯痒かった。それでも、どうにか一つ一つ伝えていこうと、また口を開いた。
「これまで、誰かが襲撃してきたとしても、俺が全員倒せばいいと思っていた。だが、さっきはそのせいで美優まで巻き込んでしまった。だから、冴木さんの言うとおり、逃げることを選択するべきだとは思う。ただ……俺はずっとTODに復讐することだけを考えていた。だから、きっと今後も同じことを繰り返して、また美優を危険に晒してしまうと思う」
上手く伝えられているか不安に思いつつ、翔は思っていることを言葉にしていった。
「冴木さんは、俺と違って逃げることを選択できる人だ。それに、今回は必ず最後まで美優を守ってくれるはずだ。そう思えるからこそ、俺は別行動を取ろうと決断できたんだ。そうでなければ、美優から離れるなんて選択をするわけがない」
今回のTODが始まった時から、翔は他のディフェンスを頼りないと感じていた。冴木に対しても、途中で逃げ出すのではないかと、勝手にそう考えていた。
しかし、単独行動を取った自分達のことを本当に心配して、今こうして来てくれたこと。そして、そこまで叱ることなく、ただ自分達の無事を喜んでくれたこと。そうしたことを受けて、翔は冴木を信用しようと強く思っていた。
「もしかしたら、車とスマホから離れるだけで、今後こちらの位置が特定されなくなるかもしれない。だが、もしもまた特定されるようなことがあれば、俺はすぐに合流して、冴木さんと一緒に美優を守る。それまでに、光さん達に車などを調べてもらって、こちらの位置を特定した方法がわかれば、それこそ誰の襲撃も受けることなく、逃げ切ることができるかもしれない」
「翔の言うとおり、こちらの位置が特定された理由は、確実に調べるべきだ。だが、車は駐車場に置いてきたし、スマホもどこかのロッカーに入れるなどして、誰かに拾わせればいいんじゃないか?」
「それだと、オフェンスなどが先に車やスマホを押さえる可能性があります。それに、車の方は警察に確保されてしまうかもしれません。本当は、こうして話している時間も、あまりないんです」
「……確かに、美優の安全を第一に考えれば、俺は翔の提案に賛成だ。だが、美優はそれでいいのか?」
「嫌です。私は翔と一緒にいたいです」
美優がそんなことを即答して、翔はどう返そうかと困ってしまった。
その時、冴木は何か考え事をするかのように目を閉じた。そして、少しした後、目を開くと、軽く息をついた。
「この際だから単刀直入に聞く。翔は美優のことが好きなのか?」
冴木がそんな質問をしてきた瞬間、翔は以前にも似たようなことがあったと感じた。そして、無意識のうちに、左手首に着けたミサンガに触れていた。
「冴木さん、こんな時に何を言っているんですか!?」
「こんな時だからだ。お互い、いつ何があるかわからない。伝えられる時に伝えるべきだ」
冴木の言いたいこともわかったが、それだけが理由ではないように感じた。とはいえ、言っていること自体は正しいため、翔は改めて自分の思いなどに考えを巡らせた。
「……さっき言ったとおり、俺はずっとTODに復讐することだけ考えてきた。だから、美優の思いに今すぐ応えることはできない。ただ……俺にとって美優は大切な人だ。本当に守りたい、助けたいと思っている。だから、俺は一旦離れるという選択をしたい」
「……TODに復讐するためではないってこと?」
美優は真剣な目で、どこか翔の過ちを諭そうとしているような、そんな雰囲気を感じた。そして、翔は少しだけ間を置いた後、頷いた。
「TODを潰したいという思いは変わらない。だが、それはもう復讐のためじゃなくなっているかもしれない」
ふと、翔はミサンガに込めた願いを思い出した。そして、それは美優の質問に対する答えだった。
「俺は、もう大切な人を失いたくないんだ。だから、復讐のためじゃない。美優のためだ」
その言葉に、美優は様々な感情が混ざり合ったような、複雑な表情を見せた。それから少しして、美優は笑顔を見せた。
「わかった。私は翔を信じる」
そう答えるのが正しいのか、どこか迷っている様子も見せつつ、美優は強い口調でそう言い切った。
「それじゃあ、翔にスマホを渡す。あと、さっき言った新しいスマホも持っていけ」
「わかりました。冴木さん、少し面倒ですけど、今後連絡を取る時は、自分にだけ連絡するようにしてください。何か光さんなどに報告することがあった場合も、自分から伝えるようにします」
「ああ、念のため、そうした方がいいだろうな」
「あと、何か用意するものはありますか? 合流した時のため、用意できるものはしておきます」
「一応、着替えなどは俺の方で用意した。あと、言い忘れていたが、監視カメラなどの対策で、帽子とマスクも用意したんだ」
「武器を確保する必要はないですか?」
その質問に、冴木は軽くため息をついた。
「多少は翔のことを信用しているが、銃などを持たせる気はない」
「それはわかっています。身を守るために必要なものはないか聞いているんです」
「それなら……悪魔は銃で攻撃する際、最初に腹部を狙う傾向があるようだ。だから、防弾チョッキのようなものがあれば、多少の時間稼ぎができるかもしれない」
「防弾チョッキなんて、日本で手に入るんですか?」
「所持が禁止されているのは銃などの武器で、防弾チョッキは普通に売っている。サバイバルゲームをする奴なんかが趣味で買うみたいだ。……今言うんじゃなくて、こういったものをあらかじめ用意するべきだったんだろうな」
「今からでも用意できそうなものは、用意します。それでも遅くないはずです」
反省するような冴木の言葉に対し、翔は擁護するような言葉で返した。
「まあ、何か他に必要なものがあれば連絡してください。そろそろ桐生の遺体が発見されて、警察なども動くと思うので、もう行きます」
「送っていくか?」
「いえ、すぐ近くですし、大丈夫です」
「わかった」
それから、翔は美優に目を向けた。まだ納得できない部分があるようで、美優は心配した様子だった。
「翔、気を付けてね」
「ああ、俺は絶対に死なないから安心しろ。美優も、絶対に死ぬなよ?」
「うん、待っているからね」
そして、最後に冴木と顔を合わせ、お互いに頷いた後、翔は車を出た。