前半 21
これまで、美優は自分のせいで翔が危険な目に遭っている事実を、上手く受け入れられないでいた。
翔はTODに復讐したいと言い、その思いが襲撃してきた者を迎撃するという行動に繋がっていることはわかっている。その結果、美優は何度も助けてもらい、そのことには感謝しかない。
しかし、そうした翔の行動は、上手く表現できない危うさを感じさせるもので、美優はずっと不安な思いでいた。そして、何もできない自分の無力さに、胸を痛めていた。
翔は強いため、これまで様々な人を相手にしながらも、どうにか対処できているように見えた。そんな翔の手助けをしようとしたところで、むしろ足手まといになるだけだと、美優は見ていることしかできなかった。
ただ、刀を持った桐生真を相手に、翔は苦戦している様子だった。そして、もしかしたら翔が殺されてしまうかもしれないと、強い不安を持った。
そんな時、車に積んだままにしていた、竹刀のことを思い出した。次の瞬間、美優は竹刀を手に取ると、車から飛び出していた。そして、何の迷いもなく、桐生に攻撃していた。
「美優、俺が向こうの攻撃を押さえて、どうにか隙を作る。その間に攻撃してくれ」
「待って。その前に、私の考えを聞いて」
美優は剣道を習っている時、刀の知識などを学んだことがある。ただ、それはあくまで予備知識のようなものとして学んだだけで、刀を持った者を相手にする想定など、当然なかった。それでも、この状況で役立つ情報は多くあった。
「翔、刀は刃の部分以外、そんなに強度が高くないって話を聞いたことがあるの。だから、峰とか横からの衝撃で、折れることがあるみたいだよ」
「本当か?」
「実際、刀を使う人は対象に刃を向けるよう意識するみたい。あの人も、翔を攻撃する時、確実に刃を翔に向けていたし、だからそれを警棒で防いでも、多少刃こぼれを起こす程度で済んでいるんじゃないかな」
元々、剣道は刀を使った実戦で勝つための訓練だったという話がある。そうしたことを受け、竹刀を扱う際も刃と峰を意識するべきだといった教えをずっと学んできた。だからこそ、桐生の行動を美優は理解することができた。
「これは防御する時も同じで、刃で押さえるようにして刀が折れるのを防ぐはずだよ。だから、何も考えずに刀を折ろうとしても、多分難しいと思う」
「だったら、どうすればいい?」
「それは……待って、来るよ!」
まだこちらの話は終わっていなかったが、それを隙と判断したのか、桐生が一気に距離を詰めるように迫ってきた。
そして、美優は自然と身体が動くと、翔の横を通り過ぎ、そんな桐生に自ら迫っていった。
桐生は刀を上に構えた後、振り下ろしてきた。先ほどから何度も同じような振り方をしているため、恐らくこれが桐生の得意としているものなんだろうと判断しつつ、美優は竹刀を横に振って、刀を弾いた。
お互いに竹刀であれば、相手の攻撃を受けることができる。しかし、相手が刀となれば、攻撃を受けるわけにはいかなかった。そのため、美優は軌道をそらすことを目的に、横から竹刀を当てることを選択した。
そのまま、美優は竹刀を振り下ろすと、桐生の刀を下に弾いた。それにより桐生が無防備になると、翔は一気に迫り、警棒を振った。しかし、桐生は間一髪のところで後ろへ下がると、翔の攻撃をかわした。
「翔、深追いしちゃダメ!」
翔は桐生を追いかけようとしたが、美優の言葉で足を止めた。その直後、桐生が刀を振り、美優が止めていなければ、攻撃を受けていてもおかしくなかった。
「翔、下がって!」
「悪い、助かった」
「わかっていると思うけど、相手は刀の扱いが上手で、私だけだと勝てそうにないの」
「ああ、わかっている。どうすればいいか指示を出してくれ」
ほんの少し対峙しただけだが、竹刀で刀を相手にするなど、やはり無謀だった。しかし、何もできないわけでなく、どうにか攻撃を防ぐだけならできる自信が美優にはあった。
「二人で同じ位置にいると狙われやすいから、少し離れた方がいいかもしれない」
「ああ、そうだな」
翔は警棒を構えつつ、ゆっくりと左へ移動して、美優から数メートル離れたところで足を止めた。こうすることで、桐生の狙いを少しでも分散させられればいいと、美優は淡い期待を持った。
「それじゃあ、先に私が前に出て、向こうの攻撃を防ぐから、翔は隙を突いて攻撃して」
「いや、ダメだ! 美優は下がっていろ!」
「お願い! 私は翔を信じるから、翔も私を信じて!」
美優は真っ直ぐ翔を見ると、自分の思いを伝えた。そんな美優の思いを受けてくれたようで、翔は息をついた。
「わかった。美優を信じる」
その言葉に胸が熱くなりつつ、美優は目の前の桐生に意識を向けた。
「そなたは強いでござるな。出会う時代が違えば、真剣を交えていたであろう」
翔と話す時間ができたのは、桐生が美優を警戒してくれたためだ。そのことを自覚しつつ、美優は自らが持つ竹刀に目を向けた。
美優の竹刀は胴張り型と呼ばれるもので、手元に重心があるため、軽く振ることができるのが特徴だ。剣道を始めた当初は別の竹刀を使っていたものの、ある程度の経験を積んだところで、祖父が美優に合う竹刀をオーダーメイドで作らせた。それ以降、美優はずっとこの竹刀を使い続けている。
当然、竹刀には寿命があるため、これまで何度も修理や交換をしている。ただ、この竹刀は新しい物に交換しても、振った時の感覚に変化がなく、まるで魂を継いでいるかのようにすら美優は感じていた。それは、作り手の力によるものだけではない、何か不思議な力が働いているのではないかと感じさせるものだった。
「私にとっては、この竹刀が真剣です」
そのためか、自然とそんな言葉が出た。ただ、言ってから急に恥ずかしくなり、美優は顔が熱くなった。
「ごめんなさい。変なことを言ってしまいましたけど……あなたを倒します」
翔が桐生に殺されそうになった。その事実に、美優は自覚していなかったものの、強い怒りを持っていたようだ。そうした怒りが「倒す」という言葉になった。
その時、桐生が刀を横に構えたため、美優はどうにか回避しようと地面に触れる足の感覚に集中した。そして、桐生が踏み込んでくると、美優は一歩だけ前に飛び出し、突きをするように竹刀を桐生に向けた。
同時に桐生が刀を振ってきたが、こちらの攻撃により距離感を誤ったようで、思い切り地面を蹴って距離を取ると、間一髪のところでかわすことができた。その直後、美優はまた一歩踏み込むと、竹刀を振った。
「小手!」
竹刀は確実に桐生の左手首を捉えた。しかし、攻撃が浅かったようで、そのまま刀をこちらに向けてきた。先ほどの攻撃で強く踏み込んでしまったため、次の桐生の攻撃はかわせない。美優がそんな絶望に近い考えを持ったところで、翔が別方向から桐生に迫り、警棒を振った。
桐生は翔に気付くと、咄嗟に刀で警棒を押さえた。その隙に美優は桐生の腹部に向けて竹刀を振った。
「胴!」
それはボディブローのような重い一撃になったようで、桐生は苦しそうに顔を歪めた。
このまま押し切ろうとしたが、桐生が刀を振りつつ、こちらから距離を取ってしまったため、美優と翔は深追いすることなく、足を止めた。
そして、桐生は美優達から一定の距離を取ったところで、刀を鞘に納めた。
「美優、気を付けろ」
「わかっているよ。抜刀術は私が止めるから」
そう言いながら、美優は竹刀に目をやった。これまで真面に刀を受けないようにしていたが、竹刀は所々刃で削られていた。それでも、この竹刀を信じると強く誓うと、竹刀の感触を確かめるように、改めて握り直した。
その時、桐生はじりじりと距離を詰めてきた。それに対して、美優は両腕を曲げて、コンパクトに構えた。
そして、桐生が踏み込んできた瞬間、美優も踏み込むと、真っ直ぐ両腕を伸ばすようにして突きを繰り出した。その攻撃は、桐生の右腕を捉え、結果的に鞘から刀を抜くことすら防いだ。
しかし、桐生が右腕を振って竹刀を弾いたため、美優はバランスを崩してしまった。その間に桐生が刀を鞘から抜き、こちらに向けてきた。
「おら!」
不意にそんな声が聞こえたかと思うと、翔は両手で警棒を持ち、勢いよく振り下ろした。そして、叩き付けるようにして桐生の刀を捉えた瞬間、桐生の刀が折れた。
それを確認しながら、美優は踏み込むと同時に竹刀を振り下ろした。
「面!」
竹刀は確実に桐生の頭部を捉えた。その直後、桐生は白目を向くと、崩れるように倒れた。
「美優、大丈夫か!?」
「うん、大丈夫。翔は大丈夫?」
「ああ、おかげで助かった。ありがとう」
翔から感謝され、美優は嬉しく思いつつ、どこか複雑な気持ちだった。それは、自分を守るために翔だけでなく、様々な人が命の危険に晒されているという事実を実感してしまったからだ。実際、セーギが殺されてしまったことなどを考えると、胸が痛んだ。
「気絶しているうちに拘束して……」
翔がそう言いかけたところで、一台のワゴン車がやってきたため、美優と翔は警戒を強めた。ただ、ワゴン車が停止した後、中から冴木が出てきたのを確認して、美優達は息をついた。
「美優、翔、大丈夫か!? 何があった!? 怪我はないか!?」
冴木が慌てた様子だったため、美優は安心させるために笑顔を見せた。
「大丈夫です。私も翔も……」
「すいません。俺のせいで、美優まで危険な目に遭わせてしまった。俺が勝手なことをしたせいだ」
そんな翔の言葉が意外で、美優は言葉を詰まらせた。
「翔の行動を全部認めるわけじゃないが、これまで美優が生きられているのは翔のおかげだ。だから、本当にありがとう。だが、今後はもっと人を……俺を信じろ」
冴木の言葉に、翔は複雑な表情を見せた後、強く頷いた。
「はい……わかりました」
これまで、翔は冴木などに対して、ぶっきらぼうな言葉遣いだった。それが急に変わったため、美優は少しだけ驚きつつ、何か翔の中で変化があったのだろうと感じた。そして、特に根拠はないものの、良い方向へ変わっているように思えて、自然と嬉しくなった。
その時、金属音が聞こえて美優は振り返った。そこには、折れた刀を持ち、ゆっくりと立ち上がる桐生の姿があった。
「冴木さん、あいつはオフェンスです!」
「ああ、言われなくてもわかっている!」
翔は警棒を構え、一方の冴木は銃を桐生に向けた。ただ、桐生は戦意を失った様子で、こちらに向かってくる気配を一切感じなかった。
「拙者の負けでござる」
桐生はそう言うと、折れて短くなった刀の刃を首に押し付けた。
「美優、見るな!」
咄嗟に翔が抱き締めるようにして、美優の視界を塞いだ。その直後、地面に刀が落ちた音。そして、桐生が倒れる音が聞こえた。実際に見なくても、聞こえた音が何の音で、何が起こったのか、美優には全部わかった。
「たく……狂ってやがる」
そんな冴木の声を聞きつつ、美優は急に身体の力が抜けると、そのまま自らの身体を翔に託した。