前半 17
翔は冴木から連絡を受け、今の状況を改めて整理していた。
「まとめると、この車に乗っているだけで、位置を特定される可能性があるということか?」
「セレスティアルカンパニーの林によると、その可能性があるから、車を乗り換えた方がいいとのことだった」
「林……林和仁さんか」
「知り合いか?」
「いや、セレスティアルカンパニーに接触しようと思った時、ダークにいる和義の兄が林和仁さんだと知って、それで少し調べただけだ」
和義のハッキング技術が優れていることは、ライトやダークの間で周知されている。その兄である林和仁が言ったこととなれば、簡単に無視できないものだと翔は感じた。
「俺も何をすればいいかわかっていない。だから、林達と連絡して、指示をもらうべきだと思うが、翔としては抵抗があるか?」
「……通話を繋ぐことで、位置を特定される可能性があると冴木さんは言ったな?」
「ああ、そのとおりだ。だが、何もしなくても特定される危険がある状況だ。だから、ここは信用していいんじゃないか? 今、光が手を離せないから、通話を繋ぐ相手は、瞳と林の二人だけだ。あと、林の近くには浜中という刑事がいる」
「刑事だと?」
これまで、TODに対して警察が真面に対応できていないこと。というより、対応しようとすらしていないことは、警察もグルじゃないかといった疑惑を翔に持たせていた。そのため、自然と不信感を持った言い方になった。
「俺も警察は信用していない。だが、この浜中は信用できると思う。簡単に話を聞いただけだが、孝太達に協力して、圭吾や光と引き合わせたのは、この浜中らしいんだ。浜中がいなかったら、今頃ライトやセレスティアルカンパニーの協力は得られなかっただろう。そうした点でも、信用していいと思うんだ」
「本当にそうなのか? 協力するふりをして、美優に近付こうとしている可能性はないのか?」
「それを言ったら、誰も信用できないじゃないか」
「ああ、俺は最初から誰も信用できないと思っている」
翔の言葉に、冴木は何を言えばいいかわからなくなってしまったようで、少しだけ沈黙が続いた。
「……翔、冴木さんの言うとおり、協力をお願いした方がいいと思うの」
美優は、翔と冴木の会話をこれまで黙って聞いていた。ただ、重い空気に耐えられなかったようで、そんな言葉を挟んだ。
「さっき襲われたことは事実だし、何もしないでいたら、また同じことがあるかもしれないし……」
「そうなったら、また俺が全員倒すから問題ない」
美優を安心させるつもりでそう言ったが、むしろ美優の表情は、より不安げになった。ただ、美優がそんな表情を見せる理由が、翔にはわからなかった。
「美優、どうかしたか?」
「……翔は、私を囮にしたいのかな?」
その言葉は、美優が何故不安げな表情になっているのか、はっきりとした答えを翔に突き付けるものだった。
「いや、そんなつもりは……」
「翔の目的は、TODに復讐することなんだよね? だったら、私を守ることなんか考えないで、私を囮にすればいいんじゃないかな?」
どこか自暴自棄な様子の美優を前に、翔は言葉を失ってしまった。そして、改めて自分の気持ちを整理しようと、深呼吸をした。
「……いや、俺は美優を囮になんかしたくない。美優を守りたいと思っている。それだけは信じてほしい」
それは、間違いなく自分の本音だった。翔は、自信を持って、そう思えた。
「……ありがとう」
美優は急に照れくさくなったのか、顔を赤くしていた。それを見つつ、翔は決めた。
「冴木さん、林さん達に協力をお願いすることにした。通話を繋いでくれないか?」
「わかった。このまま繋げる」
それから少しして、通話に瞳と林が参加した。
「繋いだ。林と言ったな? 翔にどうすればいいか指示を出してほしい」
「ああ、繋がってますか? 初めまして、僕は林和仁です。翔君と美優ちゃんは、今車に乗ってるところだよね?」
「ああ、そうだ。この車の位置が特定されているかもしれないと聞いたが、どういうことだ?」
「あくまで特定されている可能性があるという話で、絶対じゃないことをまず理解してほしい。まず、冴木さんは今回、一般の人が借りることのできない車や場所を特殊なIDを使って借りてるんだ。そのIDの使用履歴を追跡された結果、その車や潜伏先が特定された可能性があるんだよ」
その時点で、翔の中にいくつか疑問が生まれた。
「何で、冴木さんのIDが追跡されたんだ?」
「それは俺の方でも考えたが、俺がTODに参加したことがあると、篠田は特定していた。もしかしたら、過去の参加者をあらかじめ特定していて、今回のように車や潜伏先の確保といった特殊な行動をしないか監視されていたのかもしれない。だとしたら、完全に俺のミスだ。本当に申し訳ない」
「それなら、篠田さんにTODのことをどうやって調べたか、改めて聞きたいところだ。だが、それを確認できるのは、ダークの件が終わった後か」
今、ダークの件にかかわっている人達とは、篠田も含めて連絡できていない。一応、ダークがどこにいるか特定したといった情報は入っているため、孝太と千佳は無事だろうと思っている。ただ、今のところ連絡がないため、やはり心配ではあった。
「だが、IDを追跡されるだけなら、車の位置情報などはさすがにわからないはずだ。それなのに、さっきカーナビを使っただけで、位置を特定された。その理由を知りたい。あと、カーナビを切った今でも位置を特定されている可能性はあるのか?」
「先に後者の質問に答えるよ。といっても、そこはわからないという答えになるよ。ただ、さっきあった不特定多数に情報が発信されているような状況は解消されたみたいだよ」
「他のサイトは大丈夫なのか?」
「こうした犯罪行為を助長するサイトって、闇サイトとか呼ばれてるんだけど、あらかじめマークしてたんだよ。でも、TODのように把握できてなかったものが実際にあったからね。今回、改めて闇サイトの調査を進めたよ。それで新たに見つけたサイトも含め、その車の位置を知らせるものは他になかったよ」
それは安心できる情報と捉えたかったが、単に発見できていないだけかもしれないと考えると、まだ安心はできなかった。そのうえで、翔は先ほどした質問の答えがすぐほしくなった。
「カーナビを使っただけで、位置を特定された理由も聞いていいか?」
「そっちは色々と話したいことがあって、さっき浜中さん……今、刑事の浜中さんと一緒にいて……」
「ああ、私は話さなくてもいいと思ってね。翔君とは学校で少し会っているんだけど、覚えていないよね。改めて、浜中剛だよ。ちなみに、今は休暇中でここにいないことになっているから、翔君が車を運転していることを、私は知らないということにしてくれないかい?」
「ああ、俺もそうしてもらえると助かる」
ダークに高校を襲撃された後、警察から事情を聞かれたが、そこに浜中はいたようだ。しかし、浜中がそこにいた誰なのか、翔には見当もつかなかった。
「この浜中さんと、襲撃された潜伏先の調査をさっきしてきたよ。それでわかったことだけど、システムの一部……特にセキュリティ関連のシステムだけ機能しなくなってたんだよ。それで、フルフェイスヘルメットを被った人物のことは、もう知ってるよね?」
「どこまで知っているかと言われると難しいが……冴木さんから過去の話を聞いたし、今回のTODにも参加していて、実際に昨日襲撃された。その人物の件でいいか?」
「俺達は、そいつのことを悪魔と呼んでいる。一年前のTODにも参加していて、俺は二度と相手にしたくないと思っている。それほど危険な奴だ」
「……そうですか」
冴木の言葉も受けて、林は予想以上に危険な存在だと理解したのか、重苦しい様子で返事をした。
「それなら、僕も悪魔と呼びます。この悪魔は、周辺のシステムに障害を起こす装置を持ってるようで、これまでも何度か通信障害などを起こしてたんです。それで、光さんは周辺のシステム全部を電磁波で誤作動させる、EBと呼ばれる物を使ってるだろうと話してたんですけど、今回調べてみて、少し違う物だと感じました」
「俺もそうした話はそこまで詳しくない。わかりやすく説明してくれ」
自分が言おうとしたことを冴木がそのまま伝えたため、翔は黙って話を聞くことにした。
「わかりやすいかどうかわかりませんけど、周辺にあるシステムのうち、特定の部分を狙って誤作動を起こさせる装置を使ってるんだと思います。具体的な話をすると、冴木さんが用意した潜伏先に対しては、セキュリティ関連のシステムだけ機能を停止させて、普通に電気などをつけるシステムはそのままにしたんだと思います」
「そんなこと、できるのか?」
「僕もそんなことが可能かどうかなんて知りません。そもそも、周辺のシステム全部を誤作動させるという、EBすら半信半疑です。でも、電気などは普通についてるのに、セキュリティ関連のシステムだけが完全に停止してるのを確認して、そうした物があるんじゃないかと思ったんです」
「……確かに、俺も確認に行った時、電気などはついているのに、システムが動いていないのはおかしいと思っていた。そういえば、可唯も似たようなことをしていたんだ」
「可唯が?」
可唯の名前が出てきて、翔は思わず聞き返した。
「可唯は、出入り口のシャッターを自分のスマホから操作できるようにしていたんだ。だが、どうやってそれをやったか、ろくな答えはもらえなかった」
「改めて可唯に聞いたとしても、ろくな回答はもらえないだろうな」
「ああ、俺も同感だ」
まだ会ったばかりのはずだが、冴木も可唯について色々と思うところがあるようで、それは翔の思うところと同じように感じた。そのため、可唯のことを考えるのは一旦やめて、今何が起こっているか。ただそれだけを翔は整理することにした。
「一部のシステムだけ壊す装置があるとして、その話が本当だとしたら、この車の位置情報を誤認させるシステムだけ壊されたということか?」
「翔君は賢いね。カーナビを使った直後、位置が特定されたのは、そのせいだと僕は考えてるよ。でも、それは実際にその車を確認しないとわからないかな」
「翔、そうだとしたら、かなりまずい。盗難防止……いや、盗難された時の対策といった方がいいか。盗難されてもすぐ見つけられるよう、何かしらかの方法で車の位置情報というのは、常に発信されているという話を聞いたことがある。それを悪用されているとしたら、すぐに車を乗り換えるべきだ」
「浜中さん、その辺の話はどうなってるんですか?」
林がそんな質問をすると、浜中は通話越しでもはっきり聞こえるため息をついた。
「私はここにいないし、これから言うことは私が言ったことじゃないからね。車の盗難があった時は、自動車メーカーから盗難車の位置情報が警察に届くよ。ただ、今のところ翔君達が乗っている車の位置情報などは、警察の方にも届いていないみたいだね」
「方法はあるということですね。それじゃあ、やっぱり翔君達は車を乗り換えるべきという結論になるかな」
「今、俺は新しい車を借りにいくところだ。それで借りられたら、翔と美優に合流したいと思っている。それでいいか?」
「……断る理由はない」
ここまで言われて、翔は自分一人で美優を守ることに限界を感じていた。そのため、冴木との合流を受け入れた。
「だが、車を確保するまで多少の時間がかかる。その間、翔と美優がどうすればいいか指示を出してほしいんだ」
「そうですね。翔君達は、今どの辺にいるのかな?」
「具体的な位置は言わない。今は監視カメラなども避けたくて、それこそ裏道といえるような場所に車を止めている。今すぐ車を捨てた方がいいか?」
「いや、それはやめろ! いざという時に逃げられるようにしろ!」
「逃げるなんて選択肢はない。逃げても、また襲撃される危険があるんだ。だったら、結果的に迎撃した方が美優を守れる」
翔がそう言うと、不意に左手を美優に掴まれた。そして、左に目をやると、美優は何か言いたげな表情で翔のことを見ていた。
「車を捨てるのは、僕も反対かな。その車は防弾仕様だし、襲撃された時に車があるとないじゃ大きく違うよ。翔君達は引き続き人気を避けながら、車で待機してもらった方がいいよ。それで、冴木さんが車を確保した後、合流場所を決めるのがいいかな」
林からそう言われ、すぐ車を捨てる選択肢を翔は消した。そして、これからどうするべきか、頭を整理させた。
「冴木さんとどこで合流するかは、冴木さんと決めたい」
「ああ、俺も同感だ」
「それだけでなく、冴木さんと合流するまでは、誰とも通話を繋ぎたくない。こちらの位置が特定される可能性を少しでも減らしたいんだ」
その提案は、冴木を困らせるものだったようで、微かにため息が聞こえた。
「とにかく俺は、美優と翔に合流したい。だから、無理な願いも聞いてやる」
冴木の言うとおり、無理な願いだという自覚はある。そのため、冴木がそんな風に言ってくれて、翔は自然と息をついた。
「わかりました。こちらから連絡はしませんけど、困ったことがあったら、また連絡してください」
「ああ、わかった。合流した後か、俺と翔でどうにもできないことがあった時、また連絡する」
「瞳さん、そういうわけだから、通話を切ってもらっていいですよ」
「うん、わかった。それじゃあ、翔君と冴木さんの通話だけ残したまま、他は切りますね」
瞳は仲介に徹してくれたようで、ほとんど会話に参加しなかった。ただ、そのおかげで様々な話を聞くことができた。そうしたことを翔は感謝しようと思ったが、その前に通話が切れてしまった。そのことを少しだけ気にしつつ、翔は頭を切り替えた。
「今、冴木さんはどこにいる? 冴木さんが車を借りた後、すぐ合流できるように近くまで移動した方がいいだろ?」
「それはやめろ。不特定多数から狙われていることを忘れるな。移動することはリスクしかない」
「……そうだな。それじゃあ、車を借りた後に連絡してほしい。それから待ち合わせ場所を決めたい」
「ああ、俺もそれでいい。翔、俺が合流するまで、美優のことを守ってくれ」
「最初から俺だけで美優を守るつもりだった。誰が来ても俺が倒すから、何の心配もしないでいい」
これから、美優を襲撃する者がまた現れるかもしれない。その時は、自分が全員倒せばいい。そうして、美優を守ればいい。翔はそんな思いを強く持っていた。
「……わかった。一旦通話を切る。車を借りたら、また連絡する」
「わかった」
そうして、冴木との通話も切れた。
ふと、美優に左手を掴まれたままだと気付いて、翔はまた目を向けた。すると、美優は何か願うように顔を伏せていた。
「美優?」
「ごめん、何て言えばいいのかわからないの。言いたいこと、たくさんあるのに……」
美優がそんな風に言う理由はわからなかった。ただ、翔は左手を強く握る、その感触だけを感じていた。