前半 15
ダークに接触するという目的は果たした。しかし、むしろこの先が大変だということは、初めからわかっていたことだ。
そんな中、光はスマホを操作すると、こちらの位置情報をライトのメンバーに発信しようとしたが、機能が制限されていることを知らせるメッセージがスマホに表示されていて、それはできなかった。
「残念だけど、助けは呼べないよ」
連絡すらできない状況になっているのは、恐らく和義などが通信妨害をしているからだろう。そう判断すると、光は軽く笑った。
「それじゃあ、こうしようか」
光はそう言うと、後方を確認した後、勢いよく車椅子を後ろに走らせた。そして、外に出たところで、空に向けて信号弾を数発撃った。
それから、光はゆっくりと中に戻った。
「これで、こっちの位置を知らせることができたよ。もうすぐライトのメンバーがここに来る」
スマホなどが使えなくなることは、あらかじめ予想していた。そのため、光は古典的な手段を用意しようと考え、近くにある高い建物に何人か人を配置したうえで、信号弾を使うことにした。こんな手を使うと予想していなかったようで、鉄也と和義は複雑な表情になっていた。
「そないなことせんでも、わいが全員倒せばええんやろ?」
「可唯君、それは少し待ってもらえるかな?」
また、ここに可唯がいることが、良くも悪くも大きいことだった。良いこととしては、可唯なら大勢を相手にできるため、この人数差でも不利な状況にならないことだ。反対に、悪いこととしては、可唯の暴走により、真面に話し合いをすることすらできない心配があることだった。
「可唯、ここは俺に任せてほしい」
圭吾も可唯を止めるようにそう言うと、真っ直ぐ鉄也の方へ目を向けた。
「孝太、グローブをくれ」
「はい、わかりました」
孝太は慌てた様子でグローブを外すと、それを圭吾に渡した。そして、圭吾はグローブを着けると、拳を鉄也に向けた。
「鉄也、さっき言ったとおり、決着をつけるぞ」
「……ああ、今日こそ決着をつける。和義、グローブを渡せ」
「オッケー」
一方、鉄也も圭吾の意図を理解した様子で、和義からグローブを受け取ると、それを着けた。
「決着は『ケンカ』でつけるぞ。それでいいな?」
「俺の台詞だ。ずっと逃げてた圭吾に、俺の相手ができるのか?」
「逃げてたわけじゃないぞ」
「逃げてただろ。最近は可唯に任せて、圭吾はずっと逃げてた」
「それを言うなら、逃げてるのはどっちだ? 何度も負けてるのに、それを認めないのは鉄也の方だ」
「圭吾が逃げたことを勝ちと認めるわけねえだろ!」
圭吾と鉄也はそんな言い争いをしながら、お互いに素振りをするように拳を振り、一定の距離を取ったところで止まった。
その様子を見て、光は車椅子を動かした。
「二人のケンカなら、僕が審判をやるよ。当然、公平にやるからね」
「だったら俺もやるよ。その方が公平じゃん?」
光と和義はそう言うと、圭吾と鉄也の間に移動した。
「最初に僕達が始めたことだからね。決着をつけるなら、この四人でやろうか」
光の言葉に、圭吾と鉄也は同じタイミングで頷いた。
「鉄也、今まではダークが負けても何もなかったが、今回は違うぞ。このケンカに負けたら、ダークを解散しろ。それで、俺達に協力しろ」
「圭吾が相手ならそれでいい。圭吾も負けたら、ライトを解散して、今後ダークの邪魔をするな」
「わかってる。それじゃあ、始めるぞ?」
「ああ、俺はいつ始めてもいい」
そう言うと、圭吾と鉄也は構えた。それを確認して、光と和義はお互いに顔を見合わせた。
「開始の合図は、光でいいんじゃん?」
「わかったよ。それじゃあ……始め!」
そう合図した後、光と和義は圭吾達の邪魔にならないよう、後ろに下がった。
圭吾と鉄也は、どちらもボクシングの経験があるだけでなく、同じジムに通っていた時期もある。しかし、そのスタイルは大きく違っている。
圭吾は両腕を顔の前に揃えるピーカブースタイルで、防御を固めながら相手との距離を詰めつつ戦うスタイルだ。時には相手の攻撃を受けつつ、インファイトの殴り合いに持ち込もうとする、少々強引なところもある。ただ、そのパンチ力は強烈で、パンチを一発当てただけで逆転するような状況も多くある。
一方、鉄也はデトロイトスタイルと呼ばれる、鞭のように腕を振るフリッカージャブを駆使したスタイルを採用している。また、右腕側を前に出す、サウスポーの構えにしているのも特徴だ。中距離を保ちつつフリッカージャブで相手をけん制して、時にはカウンターを狙うというのが、基本になっている。
こう比べると、圭吾は不器用で、鉄也は器用といった印象を受ける。それは、単純にボクシングを始めた時期が大きく違うことも関係している。ただ、二人がボクシングのスパーリングをした時はほぼ互角で、決着がつくことはなかったそうだ。
そんな二人だからこそ、お互いに一定の距離を取ったままの状態がしばらく続いた。
ただ、そんな状況を打開するように、圭吾は不意に体勢を低くすると、一気に鉄也との距離を詰めた。それに反応するように、鉄也はフリッカージャブを放った。
圭吾はフリッカージャブを両手で受けつつ距離を詰めると、右腕を下げた。そうしてガードが甘くなったところを狙うように鉄也が左フックを放ち、それが圭吾の顔面を捉えた。しかし、それを受けつつも圭吾は右腕を振り、鉄也のボディを狙ったパンチを放った。そのパンチは、咄嗟に反応した鉄也が左腕でガードしたが、同時に鈍い音が大きく響いた。
追い打ちをかけるように圭吾は右ストレートを放ったが、鉄也は体を反らすようにしてかわしながら、追い返すように数発フリッカージャブを放ちつつ、距離を取った。
「鉄也は相変わらず逃げてばかりだな」
圭吾はどうにか鉄也に追いつくため、フットワークの改善を試みているのか、改めてステップを踏むようにして、体を解し始めた。
「圭吾は相変わらず力任せのパンチだ」
一方、鉄也は先ほど圭吾のパンチを受けた所が痛むのか、それを緩和するようにブラブラと左腕を振った。
お互いに悪態をついた後、圭吾と鉄也は改めて構えた。
それから、圭吾は鉄也を追いかけるように、先ほどよりも積極的に足を動かした。それに対して、鉄也も一定の距離を取るように足を動かし、さらにはフリッカージャブによる、けん制も増やした。そうして、しばらくはお互いに決定打を与えられない、膠着状態になった。
「そうやって、また逃げ続けるのか? 正々堂々殴り合うのがボクシングだぞ?」
「圭吾の挑発には乗らねえ。殴り合うだけがボクシングじゃねえ。それに、逃げてるのは、いつだって圭吾の方だ」
お互いを挑発するように言い争いをする、圭吾と鉄也を見て、光は昔のことを思い出していた。
光と圭吾の二人でライトを結成した後、どうやってメンバーを増やしていこうかと話した時、鉄也を入れようと提案したのは圭吾だった。同じボクシングジムに通い、違ったスタイルなものの、スパーリングでいつも互角のまま決着がつかない鉄也のことを一目置いていたようで、圭吾は三人目のメンバーとして強く推奨してきた。
それを受け、光は圭吾から紹介される形で鉄也と会い、そこで強い者を決める方法として「ケンカ」を提案した。そして、光が鉄也を相手に圧勝した結果、鉄也は渋々とライトに入った形だ。
「俺がライトに入る時も圭吾は逃げた。俺がライトに入ったのは、光にケンカで負けたからだ。何で俺の相手は圭吾じゃなかったんだ? 何で、あの時も圭吾は逃げたんだ?」
これまで距離を取っていたにもかかわらず、鉄也は不意に距離を詰めると、フリッカージャブではなく、ストレートに近い形で右腕を振った。それは圭吾の両腕をわずかに弾き、ガードを甘くさせた。次の瞬間、連打するように放ったフリッカージャブが何発も圭吾の顔面を捉えた。
咄嗟に圭吾はガードを上げると、距離を取るように下がった。しかし、鉄也が追いかけるように距離を詰めながら連打を続けたため、二人の距離は広がらなかった。
「圭吾はそうやって、最初から逃げてた!」
「ライトを作りたいと言った、光が希望したことだ! それに、俺はどうしても鉄也を仲間にしたかった! それなら光が相手をした方がいいと判断しただけだ!」
圭吾は鉄也のパンチを受けつつボディブローを当て、そのまま一気に後ろへ下がると、ようやく二人の距離が開いた。
真面にボディブローを受け、鉄也は苦しそうな表情を浮かべた。ただ、圭吾の方もパンチを何発も受け、顔が腫れ始めていた。その様子を見て、光は二人の間に入るように車椅子を動かした。
「二人とも、一旦待って!」
お互いにボクシング経験のある二人のため、決着がつく時は、いわゆるKOといった、その場に倒れるような展開になるかもしれない。そう考えた時、このままでは良くないと判断して、光は圭吾と鉄也を止めた。
「こんなコンクリートで固められたところでやるべきじゃないよ。一旦……」
「たく、うるせえな! だったら、マットを持ってこい!」
この工場で作っていたものなのか、鉄也が指示を出すと、奥から薄いマットが運ばれてきて、それが周辺に敷かれた。その間、圭吾と鉄也はお互いに身体を動かし、熱が冷めないようにしている様子だった。
ただ、それだけで待っていることが嫌だったのか、鉄也の方から話を始めた。
「さっきの話の続きだ。圭吾は言い訳してばかりで、いつも人頼みだ。言いたいこと、したいことは自分でやれ! 圭吾が俺を仲間にしたいと思ったなら、光なんかに任せるな! だから、俺はライトなんかにいることがずっと嫌だった!」
「それは鉄也も同じだ! ライトに不満を持ってるなら、はっきり言えば良かっただろ!」
「圭吾だって、ライトに不満を持ってたじゃねえか! それでダークを作っておいて、今はライトをリーダーとして守るだ? ふざけんじゃねえ!」
「それはもう何度も話したことだぞ! 光が怪我をしたからじゃねえ! 光のしたかったことが俺のしたいことになった! だから、鉄也も協力してくれればいいだろうが!」
「裏切っておいて、そんなこと言うんじゃねえ! それに、ライトは社会に納得できねえ不良達のためなんて言いながら、結局社会に従ってるじゃねえか! だから、俺は納得できねえ社会を壊すためにダークのリーダーを続ける! ライトには絶対に協力しねえ!」
それは、子供の言い争いのようだと光は感じた。ただ、圭吾と鉄也がこうなってしまったことは、自分のせいだろうと思った。
ライトに鉄也を誘う時、圭吾が話していたら、こうはなっていなかっただろう。それなのに、「ケンカ」という手段に任せてしまったこと。圭吾ではなく、光が鉄也の相手をしたこと。それは、自分なら何でもできるという驕りによるもので、圭吾がダークを作った原因にもなっている。結局、自分の始めたことが原因だと、光は強く責任を感じていた。
「圭吾、鉄也、一旦お互いに話し合おう。ちゃんと話せば……」
「うるさい! 光は黙ってろ!」
「うるせえ! 光は黙ってろ!」
圭吾と鉄也は、同時にそう言ってきた。微妙に言葉づかいが違うものの、完全に一致したタイミングで、思わず光は笑みが零れると、また自分は間違いを犯そうとしていたと、改めて反省した。
最初から間違っていた。自分を含めた誰も干渉しない、圭吾と鉄也の二人だけでキチンと向き合わせるべきだった。光はそう思い、これ以上言わないことにした。
そんな時、先ほど光が撃った信号弾を受け取ってくれたようで、召集されたライトのメンバー達がやってきた。
「圭吾さん、光さん、大丈夫ですか!?」
それを確認すると、光は車椅子を走らせ、対峙するようにライトのメンバー達の前で止めた。
「決着は圭吾と鉄也の二人だけでつけてもらう。みんな、何も手を出さずに、見守っていてほしい」
光の言葉に、ライトのメンバー達は納得した様子で、特に反論してくる者もいなかった。その様子を見て、ライトを離れた自分よりも、ライトのメンバー達の方が色々とわかっているのだろうと、光は感じた。
そして、光は車椅子を動かし、圭吾と鉄也の近くに戻った。既にマットを敷き終わり、いつでも再開できる状態になっていることも確認すると、軽く息をついた。
「色々と中断させて悪かったね。それじゃあ、再開しようか」
そうして、誰の干渉もない、圭吾と鉄也二人だけの「ケンカ」を、光は見守ることにした。