前半 07
冴木は信弘に状況を説明しながら、潜伏先に向かっていた。
「何よりセーギと連絡がつかないのが心配だ。単に寝ているだけならいいが、システムの反応がないのもおかしい。何かあったと判断するべきだろう」
「そんなところに戻るなんて、危なくないですか?」
「TODに参加した……いや、応募した時点で危ない。そんなことも知らなかったのか?」
「……はあ」
冴木は不安げな表情の信弘を横目で見ると、軽く息をついた。
「信弘、逃げたいなら逃げていい。むしろ、今は逃げる選択をしろ」
「え?」
「俺は一年前、ターゲットだった緋山春来にそんなことを言われた。そして、俺は逃げた」
その時のことは、冴木にとって忘れたい過去だった。そして、忘れてはいけない過去でもあった。
「あの時、逃げたことをずっと後悔している。命を懸けて、最後まで彼を助けるべきだったと今も思っている。だが、俺はたとえ時間が戻ったとしても、同じ選択をする。何度でも逃げる選択をする。矛盾していると思うだろうが、それが俺の答えだ」
「どういうことですか?」
信弘がそう聞き返すのも当たり前だ。そう思いつつ、冴木は車を路肩に止めると、真っ直ぐ信弘に目をやった。
「一年前、俺は彼のそばにい続けたとしても、彼を助けられないだけでなく、俺も死んでいただろう。言ってしまえば、無駄死にするところだったわけだ」
信弘は複雑な表情を見せつつ、真剣に冴木の話を聞いていた。
「はっきり言う。信弘は今、何の役にも立たない。だから、逃げる選択をしろ」
「……僕を連れて来たのは、それを話すためですか?」
「信弘を連れて行くように言ったのは篠田だ。だが、もしかしたら篠田も俺と同じ考えなのかもしれない。あいつのことだから、こうして俺が話すことも想定どおりなんだろう」
記者だからという理由だけでは説明できないほど、篠田は人の考えなどを読む能力に長けている。そうしたことを感じているため、冴木は今の状況すら、篠田の想定どおりなのではないかと思えた。
「実際、こうした話をするいい機会だと思った。何度でも言う。信弘は、逃げる選択をしろ」
強い口調で言ったものの、信弘は決断できない様子で黙っていた。ただ、少しだけ間を空けた後、信弘は口を開いた。
「僕は親の七光りだなんて言われて、これまで何もしてきませんでした。だから、何かしたいんです」
「それはTODに参加しないとできないことか?」
「わかりません。ただ、何か普通とは違うものに触れたいと思ったんです。確かに、TODには興味本位で参加しましたし、ここまで危険だとは知りませんでしたけど、こうした経験がいつか役に立つ時が来ると思うんです」
「……そうか」
冴木はそれだけ言うと、顔を前に向け、また車を走らせた。
その後、冴木と信弘は特に言葉を交わすことなく、目的地に到着した。そして、冴木はすぐ異常に気付いた。
「これは?」
出入り口のシャッターが開きっ放しになっている。その時点で明らかに異常だった。
「何で、シャッターが開いているんですか?」
「わからない。とにかく入ろう」
冴木は中に車を止めると、銃を取り出した。
「もしかしたら、オフェンスがいるかもしれない。何か危険を感じたら、俺を置いていっていいから、すぐに逃げろ」
「はあ……」
恐らく、信弘は今起こっていることが現実のものでないような、そんな感覚を持っているのだろう。だから、今の状況が危険だということもわかっていない様子だ。そう思いつつ、冴木はすぐに銃が撃てるよう、セイフティを解除した。
この銃は、アメリカで古くから使用されている、俗にコルトガバメントと呼ばれるもので、装弾数はマガジンに7発、銃本体の弾倉と呼ばれる部分にも1発装弾しているため、現状8発の銃弾が装填されている。他の銃と比べ、そこまで多い装弾数でないものの、銃社会でない日本において、これが十分過ぎるほど強力な武器であることは間違いない。
ちなみに、基本的に銃が禁止されている日本だが、合法的に銃を所持する手段は存在する。それは、警察や自衛隊など職業により所持が許可されるケースだけでなく、一般の人でも所持許可申請をしたうえで、合法的に猟銃を所持することができる。
しかし、海外の国から密輸入された銃が違法に取り引きされるケースがあり、時には大量の銃が密輸入されることもある。そうして、国内に持ち込まれ、冴木の手にも渡った一つが、このコルトガバメントだ。
当時、多くの銃を押収したとニュースになったが、押収できた銃など極一部で、知識さえあれば誰でも銃が手に入る状態だった。その際、悪魔も冴木と同様に銃を入手したのか、遠目に確認した限りではあるものの、悪魔の持っていた銃もコルトガバメントのようだった。
「俺が先に行く。信弘は、念のため背後で何か異常がないか確認しろ」
もしかしたら、ここに悪魔がいるかもしれない。その場合、同じ銃を持った者同士で、銃撃戦になる可能性があると、冴木は考えていた。
「え、どうすればいいですか?」
しかし、信弘は緊迫感もなく、冴木が何を言っているのか理解していない様子だった。
「何か妙な音や気配を感じたら、すぐ報告しろ」
「あ、はい、わかりました」
頼りない信弘に任せていいかと思いつつ、冴木は銃を構えると、中に入った。そして、都度何か危険がないか確認しながら、廊下の曲がり角から次の曲がり角を目指すように移動した。それだけでなく、もしかしたら、部屋に誰か潜伏している可能性も考え、一つずつ部屋に入っては、安全を確認していった。
ただ、そうして安全を確保しつつ進んでいっても、人の気配がまったく感じられなかったため、ここに悪魔やオフェンスが潜んでいる心配はほとんどないだろうと感じ始めていた。とはいえ、油断は禁物だと、冴木は集中を切らさないようにした。
そうして、制御室に近付いてきたところで、冴木は足を止めると、改めて銃を構えた。廊下の先、曲がり角のところに、セーギが倒れていて、既に無事ではないとすぐに判断できた。
「セーギが殺されている。信弘、まだオフェンスがいるかもしれない。十分警戒しろ」
「え?」
信弘は驚いたような表情を見せた後、セーギの方へ駆け寄ろうとした。そんな信弘を冴木は止めた。
「十分警戒しろと言っただろ! あんな風に遺体を放置するなんておかしい。罠かもしれないと考えろ」
「……わかりました」
セーギの遺体を気にしつつ、冴木は引き続き部屋を一つ一つ開いていき、安全を確認しながら進んでいった。そうして、セーギの遺体を目の前にしたが、冴木は制御室の方に目をやると、そのまま遺体の前を通り過ぎた。
「冴木さん、まだセーギさんは助かるかもしれませんよ?」
「いや、もう亡くなってから大分経過している。それより、制御室に誰かが潜んでいるかもしれない。先にそっちの安全を確保する」
「わからないじゃないですか! すぐに何かすれば、蘇生することも……」
「信弘、現実を見ろ! これが俺達の未来……近い未来の姿かもしれない。俺達は、今そういう状況にいるんだ」
信弘は現実を受け入れられず、混乱している様子だった。しかし、冴木は信弘を落ち着かせるよりも、自分達の安全の確保を優先することにした。
「信弘、後方から誰かが来る気配を感じたら、制御室まで走れ。俺は制御室を確認してくる」
ここから制御室までは、真っ直ぐ廊下を進むだけで、間に部屋などはない。それは、銃を持った者が制御室に潜伏していた場合、物陰に隠れることができないということだ。そう判断すると、冴木は一気に廊下を進み、制御室のドアを開けた。
同時に銃を中に向けたが、幸いなことに、そこには誰もいなかった。それだけ確認すると、冴木は銃を下ろし、ここのシステムが作動していない理由を調べた。そして、自分の想像もしなかった異常が起こっていると気付いた。
「これは……どういうことだ?」
ここのシステムは完全に停止していて、再起動などもできなかった。それは、故障というより、コンセントを抜いたパソコンを相手にしているような感覚で、根本的な部分で何かが壊れてしまったようだと判断した。
そして、自分には何が起こったか理解できないだろうと判断すると、冴木は制御室を出た。というのも、ここまで廊下を進んできた際、廊下の電気はついたままになっていた。つまり、この建物には今も電気が通っているということだ。それにもかかわらず、セキュリティなどのシステムだけが機能していない理由など、理解できるわけがなかった。
「制御室には誰もいなかった。だが、ここが安全とは思えない。すぐにここから出よう」
「セーギさん、本当に助からないんですか!?」
信弘は泣きそうな様子でそう叫んだ。それを受けて、冴木は、セーギの遺体を確認した。
セーギは戦隊もののヒーローに見えるコスプレをしたままで、顔すら確認できない。そのうえで、まず目に入ったのは、額に刺されたナイフで、柄の部分しか確認できないものの、セーギが聖なるナイフと呼んでいた物のようだった。それと、心臓を狙ったと思われる胸部に複数、腹部に一つの銃創があった。
そして、冴木はしゃがむように体勢を低くすると、セーギの首元に手を当てた。
「信弘、手を当ててみろ。これが俺達のすぐ近くに迫っているかもしれない、死というものだ」
そう言うと、信弘は冴木と同じように体勢を低くした。しかし、手が震えていて、セーギの遺体にその手を伸ばすことはなかった。冴木は、そんな信弘の手を握ると、セーギの首元に当てた。
「そんな……」
「一切、脈がないだろ? もう、セーギは助からない。亡くなっているんだ」
信弘は何か言おうとしたが、言葉に詰まり、何も言えないようだった。それを確認すると、冴木は立ち上がり、そのまま信弘の手を引いて、信弘も立たせた。
「ここのことは警察に知らせておく。今後のことは警察に任せよう。今は、ここを離れることが最優先だ。とにかく行こう」
そう言うと、冴木は信弘を引っ張るように廊下を進んでいった。そうして車を止めた場所に着くと、すぐ車に乗り、発進させた。
それから少し走ったところで、冴木は路肩に車を止めた。そして、信弘の方を見ると、信弘は体を震わせていた。
「改めて言う。信弘、逃げたいなら逃げていい。むしろ、今は逃げる選択をしろ」
そう言うと、信弘はゆっくり顔を向けた。その顔は、ただ恐怖だけ感じているような顔だった。
「……ごめんなさい」
「謝るな。いつか、信弘にできることが見つかった時、それをすればいい」
それから、信弘はまだ迷っているような様子がありつつも、強く頷いた。
「はい、僕は逃げます」
「わかった、近くの駅まで送っていく」
「……はい」
信弘の弱々しい返事を受けた時、冴木は一年前のことを思い出した。あの時、逃げることを選択した自分も、同じような感じだったのかもしれない。ただ、あれがあったからこそ、今の自分がいると改めて思うこともできた。
そして、冴木は車を走らせると、これまで起こっていることを頭の中で整理させた。
「翔がいてくれて良かった」
「え?」
「今回、翔が美優を連れ出していなかったら、チェックメイト……チェスで決着がつくことをそう言うんだが、完全に負けていた。いや、それだけじゃないな。開始当初、翔がいなかったら、ケラケラに美優は殺されていただろう」
これまで、翔の勝手な行動に対して、どうにか受け入れようと思っていたものの、納得できない部分があった。しかし、現状は翔の行動が良い方向に進んでいる。その事実を受け入れたうえで、冴木の中で変わったものがあった。
「絶対に美優を守り切ることができる。翔がいれば、そんな風に思えるんだ。だから、安心してくれ」
そう言ったところで、冴木は何か変なことを言ってしまったと自覚した。
「悪い、何を話せばいいかわからなくて、変なことを言ったな。別に聞き流して……」
「冴木さんも、逃げたいなら逃げていいと思いますよ?」
そんな言葉を受けて、冴木は苦笑した。それは、昔の自分――逃げたいと思っている自分のまま、何も変わっていないのかもしれない。少なくとも、信弘は冴木に対して、そんなことを考えているようだと感じたからだ。
その時、駅に到着して、冴木は車を止めた。そして、信弘に目を向けた。
「俺も信弘と同じで……弱い。だが、俺はもう逃げない。そう決めたんだ」
信弘と話すのは、これで最後だろう。そんな考えがあるからか、冴木は自分の本音を伝えた。
「……冴木さんは、強いです。だから、僕も強くなります。僕にできることを、今から探します」
先ほどまで、信弘は今の状況を理解していない様子で、冴木の言葉もただ聞いているだけのようだった。しかし、信弘が自分の言葉を理解してくれたように感じて、冴木は笑顔を向けた。
「ああ、きっと信弘は強くなれる」
「ありがとうございます。それじゃあ……僕は行きますね」
そんな信弘の言葉に、冴木は強く頷いた。
そして、信弘は車を降りると、一切振り返ることなく、駅の方へ向かっていった。