前半 06
孝太は千佳の家に行くと、リビングで千佳の着替えが終わるのを待っていた。
千佳の両親は帰ってきているそうだが、夜勤明けですぐに寝てしまったらしく、孝太は挨拶などもできないまま、むしろ起こさないように静かに待っていた。その間、これまであったことを確認して、篠田と可唯が協力してくれることを知ると、嬉しさのあまり、自然と笑みが零れた。
昨日の今日で、詳細が決まっていないことも多かったため、実際のところ孝太は不安しかなかった。ただ、ダークがこちらとの接触を受けてくれたこと、発信器を持つことでこちらの位置を常に知らせられること、大勢を相手にできる可唯の協力を得られたこと、すべて期待どおりどころか期待以上のことで、元々持っていた不安は随分と小さくなっていた。
それでも、想定外のことが起こる可能性など、まだすべての不安が解消されたわけではない。ただ、それはどうにもできないだろうと割り切った。
「孝太、お待たせ」
そうしてリビングにやってきた千佳は、全身迷彩服で、頭に紺色の帽子、腰にはポーチを着けていた。
「いや、その恰好は何だよ?」
「ママとパパ、サバイバルゲームが好きみたいで、前に買ってもらったんだよね! まあ、私は合わなくて、一回しか行かなかったし、これを着たのもその時だけなんだけど、こんなとこで役に立つなんて思わなかったよ!」
「一応、僕達はダークに入るって話なのに、そんな戦闘態勢丸出しでいいのかよ?」
「それだけやる気があるって思ってもらえそうじゃない? ただ、戦闘態勢ってことなら、向こうが襲ってきた時のため、当然持って行くよ!」
千佳はそう言うと、スタンガンを取り出した。
「ああ、わかった! それ、マジで怖いから、今すぐ仕舞ってくれ!」
「うん、ダークの人達も、これを見たら戸惑ってたし、今日も役に立ちそうだね!」
「いや、僕達の目的は、ダークのメンバーが普段どこに集まってるか知ることだからな! さっきから、千佳はダークと戦う気しかねえじゃねえかよ!」
想定外のことが起こるかもしれない。そう覚悟していたものの、それが千佳の行動だとは思わなかった。
「随分と賑やかだな」
「千佳、おはよう。もしかして、彼が孝太君?」
その時、パジャマ姿の男女がリビングにやってきて、孝太は慌てて頭を下げた。
「お邪魔して、すいません。あの……」
「ママ! パパ! そんな恰好で出てこないでよ!」
挨拶しようとしたものの、千佳が真っ赤な顔で二人をリビングの外へ追いやってしまったため、結局孝太は真面な挨拶ができなかった。
「孝太、準備はできたし、もう行くよ!」
「いや、マジでその恰好で行くのかよ?」
「もう、とにかく行くよ!」
千佳は急かすように、孝太の手を引いて玄関の方へ向かった。
「孝太君、ちゃんと挨拶できなかったけど、千佳をよろしくねー!」
「二人とも学校はどうしたと言いたいが、それも青春だから楽しんでこい!」
そんな声が聞こえて振り返ると、千佳の両親は、部屋から顔を出しつつ、そんなことを言ってきた。
「もう、だから出てこないでよー!」
千佳の両親と会うのは初めてだったが、上手く表現できないものの、この二人が千佳の両親なんだなと妙に納得できた。昨夜、両親と一緒に食事する機会が少ないと千佳は言っていたものの、決して仲が悪いわけじゃない、素敵な家族だと孝太は感じた。
「すいません、今度ちゃんと挨拶しますけど、高畑孝太です。いつも千佳さんは周りを楽しませてくれて、僕も……」
「孝太、早く行くよ! ママ、パパ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい!」
「孝太君、今度じっくり話そうね!」
「はい、えっと……」
「もういいから!」
慌てた様子の千佳に手を引かれて、孝太は家を出た。
「もうママもパパも、あんな恰好で出てこないでよ……」
「昨夜、千佳の話を聞いて、どんな両親なのかなって思ってたけど、色々と納得できたよ」
そう言いつつ、孝太は笑った。
「それは、良い方向の納得なのかな?」
「そうだなー。難しいなー」
わざとらしくそう言うと、千佳は不安げな表情を見せた。それを見て、孝太は意地悪だったかもしれないと思いつつ、笑顔を向けた。
「冗談だよ。今回はちゃんと挨拶できなかったし、今度また挨拶したい」
そう伝えると、千佳は満面の笑顔になった。
「良かった! 孝太なら、そう言ってくれると思ったよー!」
そんな言葉を受けつつ、孝太は自分の両親と、千佳の両親がどこか似ているように感じた。ただ、そう感じた理由は、よくわからなかった。実際のところ、違うところを探す方が楽なぐらいだ。でも、千佳が孝太の両親と仲良くなるだろうと思ったのと同じで、孝太も千佳の両親と仲良くなれるだろうと強く思った。
「ただ、普通に遅刻しそうだ。ちょっと急ごう」
「うん、わかった」
孝太と千佳は早足で最寄りの駅まで行くと電車に乗り、いつも高校へ行く時と同じ駅まで移動してから電車を降りた。
そして、待ち合わせた場所へ行くと、そこには圭吾と車椅子に乗った男性がいて、待ち合わせ時間に遅れてしまったかと、孝太は少しだけ焦った。
「すいません、遅れましたか?」
「もう、孝太がのんびりしてるからだよー」
「絶対、僕のせいじゃねえからな!」
そんなやり取りを孝太と千佳がしていると、圭吾達が笑った。
「すいません、緊張感がなくて……」
「いや、むしろ俺としては安心したぞ。時間がないから、簡単に紹介する。といっても、光から紹介してもらった方が良さそうだな」
「そんなバトンパスが来ると思ったよ。直接会うのは初めまして。僕が宮川光だよ」
これまで光と通話していたため、知らない人ではない。ただ、車椅子に乗った光を目の前にして、孝太は想像と大きく違うと感じて、戸惑ってしまった。
「まあ、驚くよね。以前事故にあって、下半身が動かなくなってしまっているから、ダークの相手をするのは難しいけど、孝太君と千佳ちゃんのことは全力でサポートするから、安心してもらえないかな?」
「はい、光さんの計画、完璧だと思いますし、もう安心してますよ」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。まあ、この世に不可能なことなんてないから、必ずできると信じてほしい」
通話をしていて、光のことを天才で何でもできる人と勝手に思っていた。そのため、車椅子生活をしているなんて思いもしなかった。そのうえで、孝太は光という人物から色々と学ぶことがあると感じた。
孝太は自分にできること、できないことを何となく判断して、できると思っていることしかしていない。ただ、光は「不可能なことなんてない」と言い切った。それだけで、自分と光の間には、大きな差があるのだろうと感じた。
そうして考えた時、自然と緋山春来のことが頭に浮かんだ。
孝太は、いつまでも緋山春来に勝てないと思っている。それは、緋山春来が今も生きていたらという考えから生まれた思いだ。
しかし、そこに拘るのは違うのかもしれないと感じた。少なくとも、光は車椅子に頼る生活をしていなければ、もっと様々なことができたんだろうと思う。でも、光自身は今の状況を受け入れて、現在進行形で誰にもできないことをしている。
だったら、そんな光を見習って、緋山春来のいないサッカー界で、一番の司令塔を目指し続けるべきなのかもしれない。そんな風に孝太は感じた。
そんな思いがあり、返事が遅れたものの、孝太は光に笑顔を向けた。
「はい、できると信じます」
「私も、信じてますよ!」
「そういえば、聞いておきたかったんですけど、千佳の恰好、大丈夫ですかね?」
孝太は他の意見も聞きたいと思い、そんな質問をした。すると、圭吾が渋い表情になった。
「気合が入ってて、悪くないとは思うぞ。入り過ぎにも見えるが……」
「まあ、恰好とか別に向こうはあまり気にしないんじゃないかな? だから、多分大丈夫だよ」
圭吾だけでなく、光も微妙な反応だったため、少しだけ不安になりつつ、孝太は受け入れた。
「ごめん、大事な物を渡していなかったよ。これが発信器だよ。ポケットに入れておくだけでいいからね」
渡されたのは、想像以上に薄くて小さな黒い物体だった。
「こんな物が発信器って、何か怖いね。こっそりカバンに入れられたりしたら、絶対気付けないよ」
「これは特注で一般流通はしていない物だけど、何でも小型化を進める傾向があるからね。今回の件とは関係ないけど、こうした物があるってことは知っておいた方がいいよ」
「はい、気を付けます」
千佳も孝太と同じ考えのようで、不安げな表情になっていた。
「バタバタしちゃったけど、改めて整理するね。これから、孝太君と千佳ちゃんにはダークのメンバーと待ち合わせした場所に行ってもらうよ」
「はい、わかっています」
「僕達はここで待機するけど、可唯君と篠田さん、圭吾が用意したライトのメンバー数人は別の場所で待機していて、孝太君達をすぐ追跡できるようにするだけでなく、何かあった時にすぐ助けられるようにしているよ」
ここに圭吾と光しかいないことを少しだけ気にしていたものの、光の話を聞いて、孝太はどういうことか納得した。
「こちらの想定として、待ち合わせ場所に来るのは、ダークのメンバーでも下っ端の人だと思うんだよね。だから、とにかく二人はダークに参加したいって意思を伝えればいいよ」
「不良に憧れてるとかでいいですかね!?」
「いや、ダークとの話は僕がするよ。昨夜、ダークの情報は集められる限り集めたし、僕に任せてくれないかな?」
「うん、そういうことなら、孝太君に任せたいかな。こういった不良グループって、どうしても男ばかりになるものだから、千佳ちゃんはむしろ少し抑えた方が効果的だと思うよ」
「はい、わかりました!」
光が上手いこと千佳を抑えてくれて、孝太は安心した。
「それで、認められれば、ダークが普段集まっている場所に案内されると思うけど、もしかしたら今日すぐじゃなくて、後日ってことになるかもしれない。そうなると歯痒く思うだろうけど、我慢してほしい。あと、繰り返し言うけど、何か想定外が起こった時はすぐにダークとの接触を諦めてほしい」
それは消極的な考えに思えて、孝太は納得できなかった。それは千佳も同じようで、不機嫌な表情になっていた。
「二人とも、そんな顔をするな。これまで、ダークには散々やられてたが、何の対処もできなかった。それが今、少しでも接触するチャンスが生まれた。それだけで大きな成果なんだ」
「圭吾の言うとおりだよ。これまで、僕達がもっと何かしていれば良かったんだろうけど、ダークを相手にすると、どうしても後手に回ってしまうんだよね。それだけ、ダークと接触するのは難しいことだから、とにかく孝太君と千佳ちゃんの安全を一番に考えてもらえないかな?」
光がそう言ったものの、孝太と千佳は答えられなかった。そんな二人に対して、光は笑みを浮かべた。
「まあ、これだけネガティブなことを伝えた方が二人にはいいと思ってね。この世に不可能なことなんてないんだよ。ただ、やり方を間違えれば、可能なことを不可能にしてしまうこともあるからね。何か想定外のことが起こった時は、すぐに身を引いてほしい。そうして一旦仕切り直した方が上手くいくこともあるってことを、二人には知っていてほしいかな」
光の言っていることは否定しようのないもので、何も言い返せなかった。それは千佳も同じのようで、複雑な表情になっていた。
「ラン君と美優ちゃんのため、無理をしてでも力になりたいという気持ちもわかるよ。でも、それが逆効果になることもある。そのことを理解してもらったうえで動いてほしい」
「……わかりました」
光の言葉に、孝太はそれしか言えなかった。
「そろそろ時間だぞ」
「そうだね。それじゃあ、何度も言うけど、孝太君も千佳ちゃんも気を付けてね」
「はい、わかりました」
「私も気を付けます!」
そして、孝太は千佳と顔を見合わせると、お互いに決心を固めたように頷いた後、ダークとの待ち合わせ場所に向かった。