試合開始 14
走る車の中で、しばらくの間、翔達は何も話さなかった。
美優は不安げな表情で窓の外を見ていて、その原因の一つに自分が含まれているだろうことを翔は感じていた。そして、ミサンガに触れた後、冴木と可唯に目をやった。運転席の後ろにあたる位置に座っているため、冴木の方はあまり見えなかったが、可唯は何やらスマホを操作していて、緊張感の欠片も感じなかった。
翔は目を閉じると、改めて自分のするべきことを冷静に考えた。それは、感情的になることなく、自分にできることは何かを考えることだ。
そして、翔は一つの答えとして、今すぐできることを見つけた。
「TODについて、知っていることを少しでも多く教えてほしい」
「……どういう意味だ?」
翔の言葉に一番早く反応したのは、冴木だった。
「今言ったとおりだ。どういう経緯で参加して、これまで何があったか知りたい」
「それを知ってどうする?」
「俺はTODそのものを潰すことができるなら、そうしたいと思っている。そのためには、少しでも多くTODの情報を集めたい。結果、誰が主催で、どこが運営しているかわかれば、TODそのものを潰すことも現実的になるはずだ」
それは、ずっと翔がしたいと思っていたことだ。しかし、これまで特に何もできないまま時間だけが過ぎてしまった。もっと情報があれば、できることもあったはずなのに、いくら調べてもほとんど何もわからず、翔は途方に暮れていた。そんな状況を少しでも変えたいと強い思いを持っていた。
「そんなこと、できるわけがない」
「何でそんなことが言える? これまで何かやったのか?」
「あの、私もTODについて知りたいです! 何でもいいので、話してくれませんか!?」
翔を止めるように、美優が慌てた様子でそんなことを言った。翔は、また美優に迷惑をかけた……不安にさせたと感じて、反省した。どうしても感情的になってしまう自分を止めたいのに、翔は上手く感情をコントロールできなかった。
「翔君と美優ちゃんの言うとおり、情報共有は大事よ。まず、私が知っている情報を伝えるけど、TODは去年の2月から毎月行われているわ。当初はディフェンスの勝ち……つまり、ターゲットが制限時間内に死ぬことはなかったのよ。TODのルールは、すごい無機質というか簡素というか……実際に見てもらった方がいいかもしれないわね。冴木は運転しているし、可唯君だったかしら? TODのルールを二人に見せてあげて」
「ええで。せやけど、見られたら困るもんを消してからでええよね?」
「見られたら困るって、何があるんだ?」
「美優ちゃんにエッチな画像とか見せてもええの?」
「え?」
美優は可唯の言葉にすぐ反応すると、顔を真っ赤にした。
「初心でええな」
「可唯、ふざけるな」
「そないに怒らんと、ちょい待ってえな。……ええで、これや」
可唯がスマホの画面を向けてきたため、翔と美優はスマホに顔を近づけた。そこには、TODのルールについて書かれていた。これを見るのは翔も初めてだったが、篠田の言うとおり、あまりにも簡素なものに感じた。
「篠田さん、話の続きを聞かせてほしい」
「いいわ。一応、賞金がもらえるなんてことも書かれているけど、こんな簡素なルールを見て、本当に賞金がもらえるか疑問に思わないかしら?」
「俺もこんなのがルールだなんて知らなかった。これを見て、オフェンスはターゲットを殺しているのか?」
「当初は、そうじゃなかったと言ったでしょ? ターゲットを殺せば、当然罪に問われるし、こんなルールを見ただけで、人を殺そうなんて思う人はいなかったのよ。だから、TODが始まった当初はディフェンスとして参加すれば、勝手に賞金がもらえる状態だったの。冴木、そうよね?」
不意に話を振られて、表情は見えないものの、冴木が動揺しているように翔は感じた。
「何で俺に聞く?」
「TODが始まった当初、ディフェンスとして参加していた冴木に聞くのが一番だと思ったんだけど、違うかしら?」
「……わかった、話す。俺はTODが始まった当初からディフェンスとして参加した経験がある。TODのことを知ったのは、本当に偶然だ。あらかじめ言うが、俺は堅気の人間じゃない」
「みんな知っているわよ。でも、まさか銃まで持っているとは思わなかったわ」
「話を遮るな。それで、何か金を稼ぐ方法を探していた時、見つけたのがTODだ。篠田の言うとおり、当初のTODはディフェンスとして参加するだけで、何もしなくても賞金が手に入る、簡単過ぎる金稼ぎの方法だった」
冴木の話し方から、恐らく話したくないことだったのだろうと翔は感じた。それでも、冴木は話を続けてくれた。
「だが、今思うと、何もしないで賞金が手に入るというのも問題だったな」
「冴木の言うとおりね。正直言って、本当に賞金が手に入るかわからないとなれば、行動に出る人はいないわ。でも、本当に賞金が手に入るとなれば、ターゲットの殺害が目的のオフェンスが動き出すのは、当然だったかもしれないわね」
冴木と篠田の言葉に納得いかないことがあり、翔は手を強く握った。
「参加者がいなければ、TODは成立しない。ディフェンスとして参加することも、TODを成立させる要因だ。誰も参加しなければいいだけじゃないのか?」
「翔君の言うとおりよ。でも、ディフェンスとして参加すれば、何もしなくても賞金……具体的には500万円が手に入る。そんな状態が五回も続いたのよ。そうなれば、ディフェンスで参加し続ける人がいるのは、しょうがないわ」
「それに、ディフェンスで参加する者が誰もいなくなれば、誰が一番最初にターゲットを殺すかというルールに変えられる可能性だってある。だから、翔の言うように誰も参加しなければいいなんて話は難しい」
「だが……」
「話の続きを聞いてくれ」
冴木からそんなことを言われ、翔は反論をやめた。
「俺がこう言うのは、一年前……丁度一年前と言った方がいいか。去年の7月にオフェンスとして参加していた、ある人物のことを知っているからだ。そいつは、フルフェイスのヘルメットを被り、ライダースーツを着ていた。大柄な体格で、恐らく男性だと思う。そいつは、ただ人を殺すことが目的だったように感じた」
「……冴木さんから見て、そいつはどんな奴だったか、もっと詳しく教えてほしい」
翔の質問に対して、冴木は困っているのか、少しだけ間が空いた。それから少しして、冴木のため息が聞こえた。
「話すつもりはなかったが、悪魔のような奴だと感じた」
「だから、私達はそいつを『悪魔』と呼ぶことにしたわ」
「篠田、さっきも言ったが、話を遮るな。普通、人を殺すとなれば何か動機……理由があるはずだ。だが、あいつは何の理由もなく、人を殺しているように見えた。もしかしたら、人を殺すこと、それ自体が目的なのかもしれない」
「そんな狂った人からすると、このTODは嬉しいものでしょうね。だって、何の理由もなく、人を殺すと賞金が手に入る。そんなものを用意されて、参加しないわけがないわ。そんな人が参加し始めた時点で、翔君の言う、誰もディフェンスとして参加しないというのは、何の解決にもならなそうね。冴木の言うとおり、誰が一番最初にターゲットを殺すかってルールに変わると思うわ」
否定したかったが、翔も二人の言うとおりだと思い、何も言えなかった。
その時、翔は何か嫌なものを感じて、視線をそちらに送った。そこには、フルフェイスヘルメットを被り、ライダースーツを着て、バイクにまたがる人物がいた。その人物の右手には銃が握られていて、その銃口はこちらに向けられていた。
「伏せろ!」
咄嗟に、翔は美優を抱き寄せるように伏せた後、自分の体を美優の体の上に被せた。その直後、ガラスに数ヶ所ひびが入った。
「あいつがさっき話した奴だ! 篠田、この車は防弾仕様にしているから、一旦離れろ! あいつはこっちでどうにかする!」
「わかったわ。でも、まさか悪魔が参加しているなんて、ついていないわね」
篠田の車は、悪魔と呼ばれた者の攻撃を避けるため、すぐにあった脇道に入っていった。一方、悪魔はバイクを走らせ、こちらを追いかけてきた。
「さっき言ったとおり、この車は防弾仕様だ。向こうの銃弾は気にするな」
「だが、このまま追われ続けたらどうするんだ?」
「それは、これから考える」
「……改めて確信した。冴木さんには任せられない」
翔は後方に目をやり、真っ直ぐ悪魔を見た。そして、強く拳を握った。
「冴木さん、どこかでスピードを落として、俺を車から降ろせ。俺があいつを殺す」
「ふざけるな。何を言っている?」
「俺は復讐したいと言っただろ? だから、それをさせろ」
今、すぐ近くにいる悪魔を殺したい。そのためには何をすればいいか。それだけを翔は考えていた。
「楽しそうやな。わいも降りてランに加勢するで」
「二人ともふざけるな!」
「ふざけているのはどっちだ? こんな近くまで迫られて、どうやって振り切るつもりだ?」
バイクに乗った悪魔は、すぐ後ろに迫っている。こちらが乗っているワゴン車より、バイクの方が小回りが利くため、こんな状況で逃げ切るのは困難に感じた。しかし、冴木はどこか余裕がある様子だった。
「迫られたんじゃない。迫らせたんだ。全員、何かに掴まれ!」
冴木から強くそう言われ、翔は前の座席に手を当てつつ、念のため美優の体を支えるように腕を回した。次の瞬間、冴木は急ブレーキをかけた。それにより、すぐ後ろまで迫っていた悪魔のバイクが車両後部にぶつかった。
それから、冴木はまた車を急発進させた。翔は後方に目をやり、バイクごと倒れた悪魔の姿を確認した。
「ここは突っ切る!」
冴木がそう叫んだため、前に目を戻すと、交差点の信号が赤信号になっているのが目に入った。
「冴木さん!?」
美優が驚いた様子で声を上げるのも無理はないと思いつつ、もしも事故に遭った時、少しでも美優への被害が小さくなればと、翔はまた自分の体を美優の体の上に被せた。
冴木は乱暴にハンドルを切りつつも、赤信号の交差点を無事に通過した。その直後、車は脇道に左折で入った後、ジグザグと曲がり角を曲がっていった。
「悪魔はまだ来ているか?」
そんな質問を受けて、翔は後方に目をやった。そして、悪魔を完全に振り切ったことを確認した。
「……振り切ったようだ」
「それなら良かった」
翔の提案を完全に無視されただけでなく、代わりに冴木の行動が悪魔から逃れるという点で正しかったと示された。しかし、翔はそのことに納得できなかった。
「ここで、あの悪魔を殺せたかもしれない。いや、絶対にそうするべきだった」
「俺は、そう思わない。美優と翔と可唯、全員生きてほしいと思って行動した。その結果、今も美優と翔と可唯は生きている。そのことが、翔は不満なのか?」
冴木の言葉に、翔は何も言い返せなかった。そんな翔に対して、冴木はため息をついた。
「翔の大切な人を殺したのは、あの悪魔なんだな? そうだとしても、あいつを相手にするのは絶対にやめろ。さっき話した通り、あいつを相手にするのは危険過ぎる」
冴木がそう言ったものの、翔は納得することができなかった。そして、お互いに何も言わない、そんな時間が流れた。
「冴木、こっちはいつ合流すればいいかしら?」
そこで、通話を繋いだ状態にしていた篠田から質問が来た。
「このまま別の経路で目的地を目指そう。今、どこへ行けばいいか教える」
「わかったわ」
そんな冴木と篠田のやり取りを聞きつつ、翔は上手く自分の感情をコントロールしようと努めた。しかし、とにかく悪魔を殺したいという願望。そのチャンスを先ほど逃してしまったという後悔。その二つに翔の心は侵食されていた。
その時、美優が翔の手を握った。
「翔、私を助けようとしてくれたんだよね? 体を使って庇ってくれて、すごく嬉しかった!」
美優の言葉で、翔は自分が無意識のうちに最優先でしようとしていたことが何か理解した。それは、美優を守ることだ。そして、それが自分のするべきことだと、今更ながら理解した。
「美優、ありがとう」
「え、何で庇ってもらった私がお礼を言われるの?」
「さあ、何でだろうな?」
翔自身、自分の感情を理解できていない。そのため、冗談を言うように誤魔化した後、自分にできることは何なのか、改めて考えた。