試合開始 09
孝太達は少しだけ待機していたが、結局今日はこれで学校が終わりとなり、下校することになった。
孝太達のクラスや、近くのクラスの生徒からすれば、あんな騒ぎがあったため、下校になるのは当然のことだ。しかし、別の階のクラスなどは何があったか知らない生徒も多いようで、学校が早く終わることを単純に喜ぶ生徒もいた。
そうして、他の生徒が早々に下校していく中、孝太と美優と千佳は、教室で翔を待っていた。
「翔、いつ戻ってくるかな?」
「結構かかるんじゃね?」
時計を見ると、もうすぐ12時になるところだった。今日は購買もないだろうし、昼食をどうしようかと考えかけたところで、孝太はそんなどうでもいいことを考えても無駄だと首を振った。
「みんな、大助は無事みたいだよ。このまま家に帰るって」
千佳はスマホを使って、大助と連絡を取っていたようで、笑顔でそんなことを言った。
「それなら良かった」
「でも、真っ先に逃げるなんてひどくない?」
「大助は争いごととか嫌いだし、許してやれよ」
「そうだけどさー」
千佳は不満げな様子で、口を尖らせた。
その時、見回りをしていたのか、学年主任の先生がやってくると、孝太達を見つけたところで足を止めた。
「ほら、早く帰りなさい」
「あ、私達、翔を待っているんですけど……」
「ああ、彼の友人かい? まだかかりそうだし、それに家の人を呼ぶって話だから、君達はもう帰りなさい」
「そうなんですか?」
「じゃあ、帰ろっか」
「それなら待っててもしょうがねえもんな」
そういうことならしょうがないと、孝太と千佳は帰ろうとした。しかし、美優だけは動かなかった。
「あの、もう少しだけ待たせてくれませんか?」
「ダメだよ。早く帰りなさい」
「……わかりました」
結局、先生から強く言われ、美優は渋々と帰り支度を始めた。
「美優、どうしたの?」
「ううん、これでまた翔が一人になろうとしたり、それこそ学校に来なくなったりしたら嫌だから、何か一言でも話したくて……」
美優がそんな不安を持つのも当然だった。しかし、孝太は美優に笑顔を向けた。
「翔のことだから、それはあるかもしれねえな。でも、電話したりメッセージ送ったり、みんなで翔を一人にしねえようにしよう」
「そうだよ! それに、もしも学校に来なくなったら、みんなで翔の家まで押しかけるよ!」
千佳も一緒に励ましてくれたおかげで、美優は少しまだ不安げな表情だったものの、笑顔を見せた。
「ありがとう。うん、そうだよね。まだまだできることはたくさんあるよね」
美優は納得した様子で、席を立った。そんな美優を見て、孝太と千佳は軽く顔を見合わせると、お互いに笑った。
「じゃあ、帰るか」
「帰り、どっかで昼でも食べない?」
「千佳はあんなことがあったばかりなのに、呑気でいいな」
「何よそれ? だって、今は警察に任せるしかないし、しょうがないじゃん!」
「いや、そうだけど、これから寄り道ってのは、さすがにねえよ」
「だったらいい! もう少し孝太と一緒にいたいから誘ったのに、そんなこと言うんだもん!」
不意にそんなことを言われ、孝太は千佳に目をやった。すると、千佳は少しだけ顔を赤らめつつ、不満げな表情だった。
「いや、ごめん! そんなつもりで言ったんじゃなくて、そういうことなら、昼食ぐらいは……」
「別にもういいもん! 確かにこんな状況で昼食に誘うなんておかしいもん!」
「そうじゃねえって! よし、せっかくだから昼でも食べに行こう!」
どうにか千佳の機嫌を直すことに孝太は必死で、すぐ近くに美優がいることをすっかり忘れていた。
「孝太と千佳……あ、そういうことなの?」
そんなことを美優が言ったところで、孝太は千佳との関係に変化があったことを、まだ美優に話していないことに気付いた。それは千佳も同じだったようで、二人は慌てて美優に顔を向けた。
「まだそういうんじゃないんだよ!」
「うん、そう! まだそういうんじゃないの!」
「まだ?」
「いや、まだってのは、とにかく違うんだって!」
「そうなの! とにかく違うの!」
上手く説明できない孝太と千佳を見て、美優は笑った。
「私は応援するよ。孝太と千佳には、翔のことでも他のことでもいっぱい助けてもらったし……というか、何で秘密にしようとするの? 私はたくさん相談に乗ってもらったし、相談してくれてもいいと思うんだけど?」
美優の意見は当然のことで、孝太と千佳はお互い顔を見合わせつつ、どう説明すればいいのかと迷ってしまった。そうして困っていると、千佳の方が何か決めた様子で、美優に顔を向けた。
「相談も何も……昨日の夜、みんなと別れた後に私から孝太に告白したの。これまでは孝太の美優を好きだって気持ちを本気で応援してたし、だから黙ってたんだけど、美優は今、翔のことが好きだし、だったら、私も自分に素直になって、孝太が好きだって伝えてもいいかなって思ったし。でも、振られたばっかの人にいきなり告白するとか、何かずるい気もして……」
「千佳、何だか台詞が長いよ!」
途中から、言い訳のようになっていた千佳を、美優は止めた。それから、美優は笑顔を見せた。
「千佳、ごめん。今まで、我慢させていたみたいだね」
「ううん、そんなことないよ! 私の方こそ、何かめんどくさくてごめん!」
それから少しして、美優と千佳はお互いに笑った。もしかしたら、これをきっかけに二人がギクシャクしてしまうかもしれないという不安もあったため、笑顔の二人を見て、孝太は安心した。
「それで、孝太は千佳の告白を受けたの?」
「いや、まだ保留にしてもらってんだよ……」
「そうなの。美優に振られて、すぐに乗り換えるとかおかしいなんて言って、少し待てだってさ」
「千佳もそれで納得してくれたじゃねえか!」
「美優からも言ってくれたら、すぐ付き合ってくれるかなと思って」
「孝太、私がどうとかは気にしてほしくないよ。だってそれ、私のせいで二人はまだ付き合っていないってことでしょ?」
「いや、そういうわけでもねえんだけど……」
孝太は二人に詰め寄られ、今ここで答えを出さないといけない状況になってしまった。ただ、答えは決まっているため、別にここで言うことも可能だ。とはいえ、こういったことは二人きりの時に言うべきとも思い、孝太は困ってしまった。
そのまま膠着状態がしばらく続いたが、それは唐突に終わった。
「こら! まだ残っていたのか!」
「すいません!」
先生が戻ってきたようで、孝太達はバッグを持つと、慌てて教室を出た。
「怒られたじゃねえか!」
「孝太がすぐに答えてくれないからじゃない!」
「僕のせいかよ!?」
千佳とそんなやり取りをしていたら、美優が笑った。
「あと、答えだけど……やっぱり、少し待ってほしい」
「何でよ?」
「言っただろ? もう少し気持ちの整理をつけたいんだ。それで、千佳の気持ちを真剣に考えて、真剣に悩んで、それから答えたい。千佳は一年以上悩んでたんだ。そこまで時間をかけることはねえけど、僕も千佳のこと、ちゃんと考えたいんだ」
「……ありがと」
千佳は顔を真っ赤にして、孝太の考えが少なからず伝わったようだった。
「私、邪魔者みたいだね」
「美優、そんな大助と似たような気づかいしないで!」
「大助もしているんだ? こんな目の前でイチャイチャされたら、気を使っちゃうよね」
「え、そんなに私達、周りに気を使わせてる?」
千佳が不安げな表情を見せ、孝太も同じように周りに気を使わせてしまったかと心配した。しかし、美優の笑顔を見て、そんな考えは消えた。
「そんなことないよ。ただ、もっと二人きりでいていいのにって思っちゃうけどね」
「それは……」
「あ、私、竹刀を取ってくるから、門のところで少し待っていてね。まあ、私を待たずに孝太と千佳の二人で帰ってもいいよ?」
「美優、あまりからかわないでよ」
「いつも千佳がからかってくるでしょ? だから、そのお返しだよ。じゃあ、行ってくるね」
美優はそう言うと、駆け足で剣道場の方へ向かっていった。そして、孝太と千佳は門の近くまで歩いたところで止まると、お互いに顔を見合わせた。
これまでも昼食で購買に行く時など、孝太と千佳の二人きりになることは何度かあった。しかし、今日は何だか照れくさくなり、お互いに黙ってしまった。
孝太は何か話のきっかけがないかと、周りに視線を送った。そして、近くにいた妙な女性に気付いた。
その女性の表情は笑顔だった。普通、笑顔というのは、周りの人の気分を良くする表情だ。しかし、彼女の笑顔に対して、孝太は不気味だと感じた。
また、彼女は酔っ払っているのか、フラフラとした足取りで孝太達の横を通り過ぎると、そのまま行ってしまった。
「何だか、気持ち悪かったね」
「あまり、そういうことを言うな。僕も同感だけど……」
そこで、孝太は不審に思うことがいくつかあった。
「あの人、学校の関係者じゃねえよな? それに警察とかでもねえだろうし、ただの不審者じゃね?」
「確かに、変だね。さっきの不良とも違うし、やっぱり気持ち悪いよ」
「学校がこんな状態だし、酔っ払いみてえのが入ってきたのかもしれねえな。ちょっと追いかけてみるよ」
「それは危ないからやめてよ! 丁度、警察の人もいるんだし、どうにかしてもらおうよ」
「確かに、その方がいいか。美優とすれ違ったら嫌だし、僕が行ってくるよ」
「うん、お願い」
孝太は千佳を残すと、駆け足で学校の方へ戻っていった。