試合開始 07
翔は、この状況で来てくれた可唯に対して、心から感謝の気持ちを持っていた。
「作戦を変更する! 全員、可唯とそいつの相手をしろ!」
可唯が来てくれたおかげで、鉄也は他のクラスの生徒を標的にすることもなくなった。そうなれば、翔は可唯と一緒に、ここで不良達を相手にすればいいだけだ。
一瞬だけ後ろを見ると、教室に残ったのは、美優と孝太と千佳の三人、どうしていいかわからない様子の須野原先生、あと数人の生徒だけだとわかった。
たとえ、翔と可唯だけで不良達を抑えられなかったとしても、孝太やスタンガンを持った千佳が対処してくれるだろう。楽観的かもしれないが、そこまで状況が良くなったことに、翔はひとまず安心した。
そのうえで、翔は不良達を相手にどうすればいいか、頭を働かせた。
「数ならこっちが多い。一気にかかれ」
そんな鉄也の指示で、不良達が迫ってきた。ただ、連携を取っている様子はなく、それぞれバラバラに攻めてきたため、翔は各個撃破を目指して、順に殴り倒していった。
また、可唯はこうした大勢の相手をすることに慣れているのか、翔よりも多くの人を倒していった。
時々、翔と可唯で対処できなかった人が美優達を襲おうとしたが、千佳の持つスタンガンに躊躇している間に背後から倒せば、何の問題もなかった。
「くそ! 和義、先にあいつを倒せ!」
「オッケー」
そこで、鉄也の補佐であり、ダークの副リーダーでもある林和義が翔に向かってきた。翔が和義を相手にするのは初めてで、警戒するように距離を取ると、和義はターンをするようにクルクルと回り始めた。
そのまま、和義はターンを繰り返しながら、回し蹴りやフック、裏拳を繰り出してきた。トリッキーな動きに戸惑いつつ、翔は後ろに下がりながら何とか避けていたものの、美優達が近くなったところで、あえて前に出た。
こうすることで、和義の意表を突けると思ったが、和義はダンスをするようにターンを繰り返しながら距離を取った。翔は逃がさないように追いかけたものの、途中で和義の回し蹴りが脇腹に当たり、そこで足を止めた。
「鉄也、こっちの相手はいけそうだよ」
和義はそう言うと、またターンしながらの攻撃をしてきた。そこで翔は一気に距離を詰めると、和義の回し蹴りを無理やり止めた。遠心力の関係で、回し蹴りの威力は端の方が強くなる一方、足の付け根――太腿付近では、威力がほとんどない。その性質を理解したうえで、翔は和義の回し蹴りを止めた形だ。
しかし、その直後、和義はこれまでと反対方向にターンすると、そのまま裏拳を翔の頬に当てた。そんな意表を突く攻撃に対処できず、翔は倒れつつ和義と距離を取った。
「翔!」
「大丈夫だ。何とかする」
心配した様子で叫ぶ美優の声を聞きつつ、翔は集中するように深呼吸をした。
それから、またターンしながら近付いてくる和義を見て、一定のリズムを保っていると気付いた。先ほど、翔は和義がダンスをしているように感じたが、その感覚は正しかったようだ。そう判断すると、翔は和義の攻撃のリズムを計った。
いつ、どのタイミングで攻撃が来るか、ある程度わかれば、防御も回避もしやすい。途中、反対方向にターンするのも、ある程度一定のリズムを保っているため、翔もリズムを取りながら防御と回避に専念した。
そうして、防御と回避が十分できるようになったところで、翔は反撃に出た。
回し蹴りそのものは、比較的隙のある攻撃だ。そう判断すると、翔は体勢を低くすることで和義の攻撃を避けつつ、和義の軸足に蹴りを入れた。そうして和義が体勢を崩したことを確認しながら、翔は和義の顔面にパンチを与えた。
そうして和義を吹っ飛ばしたものの、無理な体勢での攻撃だったせいか、和義はすぐに立ち上がった。
「へえ、やるじゃん」
その様子から、和義にはほとんどダメージがないようだと感じた。ただ、戦い方としては間違っていないと信じて、翔は改めて構えた。
その時、翔は背後から何か嫌な気配を感じた。それは、顔を後ろに向けた時、視界に入ったものを無意識のうちに認識していたのか、いわゆる第六感だったのか、翔にもわからなかった。ただ、今すぐ後ろを確認しないといけないとだけ思い、翔は振り返った。
そうして、まず視界に入ったのは、翔を心配した様子の美優の姿だ。それから、美優のすぐ横に立ち、美優にナイフを向けた須野原先生の姿が視界に入った。
それは、ありえない光景で、須野原先生がナイフを持っている理由も、それを美優に向けている理由も、翔は理解できなかった。ただ、何も理解できないまま勝手に体は動き、近くの椅子を掴むと、須野原先生に向けて投げた。
その椅子は、狙いどおり須野原先生に当たり、須野原先生はナイフを落とした。同時に、美優や孝太達が須野原先生に視線を送った。その視線は、驚きや不信感といった、様々な感情を含むものだった。
「須野原先生、何をしているんですか?」
「いや、これは……」
須野原先生は、焦っているというより、むしろ絶望したかのような表情だった。それこそ、この世の終わりだとでも思っているかのようで、激しく呼吸をしながら、今にも泣きそうな様子だった。
「ラン! 危ないで!」
そんな可唯の声が聞こえたかと思うと、翔は背後から攻撃を受けた。同時に、翔は一気に集中力を高めると、和義の攻撃を避けながら床に手を付き、そのまま逆立ちをするような体勢になりながら、蹴りを繰り出した。
その攻撃がカウンターのような形で当たり、和義は教室の端まで吹っ飛んだ。それを確認しながら翔は立ち上がり、構えつつも須野原先生にまた視線を送った。
「須野原先生、さっきのは……」
質問しようとしたものの、須野原先生は逃げるように窓から飛び降り、行ってしまった。翔は何が起こっているのか理解できず、頭を整理することに注力した。
「ラン、よそ見はあかんで?」
可唯は相変わらず、大勢の不良を相手にしながら、こうして話もできるほど余裕のようだ。そんな可唯の実力に改めて驚きつつ、翔は可唯にボディガードをお願いして良かったと感じた。
「全員、一旦引け!」
鉄也がそう叫ぶと、不良達は翔や可唯から距離を取った。
「何や? もう降参かいな?」
「可唯、そいつのことをランと呼んだな?」
鉄也の言葉に、可唯は慌てた様子を見せた。
「あかん、口が滑ってもうたわ」
「こんな状況だから、もういい。鉄也の言うとおり、俺は不良グループ『ライト』に入っている、ランだ。みんなには話していなかったが……少なからず、こんな状況を生んだ原因になっているかもしれない。だから、こんなことに巻き込んで、本当に悪かった」
翔は美優達に向けて、この言葉を伝えた。しかし、伝えると同時に美優が首を振った。
「ううん! よくわからないけど、そんなの関係ない! だって、この人達、翔の家が裕福だからって理由で来た人達でしょ?」
「美優の言うとおり、翔は気にしねえでいいって! 俺もよくわかんねえけど」
「うん、私もよくわからないけど、そう思う! 大助も……って、大助いないし!」
美優と孝太と千佳の言葉を受けて、翔は思わず笑ってしまった。
「よくわからないのに、何でそんなことが言えるんだ?」
「そんなの、私達が翔の友達だからだよ」
即答した美優に対して、翔は改めて笑顔を送った。
「そうか、わかった」
「ちなみに、美優は翔と友達以上になりた……」
「千佳!」
こんな状況なだけでなく、自分が不良グループに入っていたことを明かしたのに、いつもと同じ様子の美優達を見て、翔は全力で守りたいと思った。そして、翔の中で一つのアイデアが生まれた。
「鉄也、今ここで俺と『ケンカ』をしろ。俺が勝ったら、今すぐダークの連中を離れさせろ。鉄也が勝ったら、俺が出せる限りの金を全部渡す」
その提案に、鉄也は笑みを浮かべた。
「誰か、グローブを持ってこい」
「はい、ここにあります!」
そして、二人分のグローブを受け取ると、一方を翔に向けて投げた。
「誰も手を出すんじゃねえ。これは俺とランのケンカだ」
「ああ、そうだ。可唯も手を出すな」
「わかってるで。ほな、わいが審判になったるわ。公平に助言もせんから、ええやろ?」
「ああ、わかった」
翔と鉄也は、お互いにグローブを着けると、素振りをするようにパンチを繰り出し、グローブが外れないことを確認した。それから、一定の距離を置く形で、向かい合うように立った。
「ハンデなしでいかせてもらう」
「俺は負けねえ」
それから、翔と鉄也の間に入るように、可唯が立った。
「ほな、始めるで? ケンカ……開始や!」
そうして、翔と鉄也のケンカが始まった。