試合開始 06
昨夜、美優は結局あまり寝られなかったため、授業中はずっと眠気との戦いになっていた。今は担任の須野原先生による数学の授業が行われているが、美優の目には数字がゆらゆらと揺れているように見えていた。
「水野? 水野!」
「あ、はい!」
大きな声で呼ばれ、美優は慌てて立ち上がった。
「水野が居眠りなんて珍しいね。でも、珍しいからといって許さないよ?」
「ごめんなさい……」
クラスのみんなからも笑われて、美優は恥ずかしくなってしまった。
ふと時計を見ると、もうすぐ11時になるところだった。今はまだ3時限で、10分休憩まで後30分ほどだ。そこで少しだけ寝られたとしても、その後は4時限があり、寝ずにいられるだろうかと美優は不安しかなかった。
その時、どこからか着信音が聞こえてきた。城灰高校では、スマホの持ち込みを許可しているものの、着信音を鳴らすことも含め、授業中の利用は当然禁止している。それを破って、授業中に着信音が鳴ってしまった際は、放課後までスマホを没収される決まりになっている。
これまでも、マナーモードにし忘れたことなどを理由に、こうして授業中に着信音が鳴り、スマホを没収される人がいた。今回もそうかと思っていると、慌てた様子で須野原先生がスマホを取り出した。
「ごめん、俺だったよ」
その言葉に、またクラスのみんなが笑った。
「先生、没収ですよ?」
「ごめんごめん、他の先生には黙っていてくれないかな?」
「えー、どうしようかなー?」
生徒達からそんな言葉を受けつつ、須野原先生はスマホを操作した後、また美優に視線を送ってきた。ただ、その視線はどこか違和感を覚えるものだった。そして、美優は特に理由もわからないまま、そんな須野原先生の視線を怖いと感じた。
「あ、先生、もう座ってもいいですか?」
「……うん、もう居眠りしちゃダメだよ?」
何だか腑に落ちないものを感じつつ、美優は席に座った。その時、ふと視線を送ると、丁度こちらを見ていた翔と目が合った。
昨夜のこともあったからか、翔は心配した様子だった。そのため、伝わるかわからないものの、美優は笑顔を向けると、口の形で「大丈夫」と伝えた。
それから授業が再開して、美優は先ほどのことから少しだけ眠気が覚めていた。しかし、すぐにまた眠気が襲ってきて、数字がゆらゆらと揺れ始めてきた。
その時、椅子が机にぶつかる大きな音が響き、美優は驚きつつもそちらに目をやった。そこには、席を立った翔の姿があった。
「堂崎、急に立ち上がって、どうしたんだよ?」
「すいません、少しいいですか?」
翔はそのまま前の扉まで行くと、勢いよく扉を開けて、廊下に出た。そして、険しい表情を見せた。
「みんな、今すぐ逃げ……るのも難しいか。いや、幸い下は花壇だ。ぶら下がるようにしてから降りれば、足への衝撃も小さくできる。飛び降りられそうな奴は、今すぐ窓から飛び降りて逃げろ」
「翔、何があったんだよ?」
孝太も席を立ち、廊下に出た。そして、驚いた表情を見せた。
「いや、マジかよ?」
「ちょっと、何があったの?」
「昨日の不良達が大勢来てんだよ!」
その言葉を聞き、美優と千佳も廊下に出た。そして、パッと見ただけでは数え切れないほどの不良達が向かってきているのを確認した。
「おい、これはどうなっているんだよ?」
須野原先生は状況が理解できていない様子で、混乱しているようだった。
「すいません、昨夜、不良達に金銭を要求されて逃げたんですけど、まさか学校にまで来るとは思わなかったです。反対からも来ているので、とりあえず、教室の扉を両方とも開かないようにして、足止めします」
翔の言うとおり、廊下の両側から不良達が迫ってきていて、挟み込まれているような状態だった。そのため、教室に戻ると、前と後ろ両方の扉が開かないよう、机や椅子を引っ掛けるように固定した。
その間、特に男子を中心に窓から飛び降りて、教室を出る人がいた。ここは二階で、翔の言うとおり下は花壇になっているため、多少の時間をかけつつも、大半の人が無事に逃げられた。とはいえ、途中で何人か足を痛めた様子の人もいた。ただ、むしろその程度ならと感じたのか、それからも続くように多くの人が飛び降りていった。
「孝太、あいつらが入るには、扉のガラスを破って、そこから入るしかない。椅子でも使って、入れないように攻撃してくれ」
「おう、わかった!」
教室の扉は、半分から上辺りにガラスが付けられていて、そこを割られてしまったら、扉を押さえても不良達が教室に入ってきてしまう。実際、翔の言うとおり、すぐ不良達はガラスを割ってきた。
しかし、そこから教室に入るとなると、無理な姿勢で入る必要があり、隙だらけになる。そのため、翔と孝太が扉の近くで椅子を振るだけで、不良達は教室の中に入って来られないようだった。
「みんな、俺達が足止めしているうちに、窓から飛び降りて逃げてくれ」
「いや、私は翔達と一緒にいるよ。何かできることがあるなら、協力するから言って」
「私も協力するよ! 私には、このスタンガンがあるからね!」
美優は、千佳が手に持っている物が何か理解できなかったものの、バチバチと光を放つそれを見て、危険な物だろうと感じた。
「千佳、何それ?」
「スタンガンって言って、相手に電気ショックを与えるの! まさかこんな早く使う機会があるなんて思わなかったよ!」
何だか楽しんでいる様子の千佳を若干怖く感じつつ、美優の考えは変わらなかった。
「翔、何かできることをさせて!」
「わかった。とにかくこいつらが入って来られないよう……孝太、危ない!」
そう言うと、翔は椅子から手を離し、孝太の腕を引っ張った。その直後、扉が外れて勢いよく倒れた。間一髪のところで孝太は避けられたものの、すぐ後にもう一方の扉も外れてしまい、不良達が簡単に入れる状態になってしまった。
「みんなに危害を加えるな! 金が欲しいなら、いくらでも渡す!」
翔がそう言うと、不良達は動きを止めた。それから少しして、何だか偉そうな雰囲気の男が教室に入ってきた。
「堂崎翔か? 俺は相沢鉄也。昨夜は仲間が世話になった」
「……目的は俺だけのはずだ」
「いや、一度でも俺達の言うことを聞かなかった。そうすると、どうなるか教えてやる。全員、この学校の生徒を痛い目に遭わせろ。そこにいる奴だけでなく、他の教室の生徒も標的にしろ」
「やめろ!」
「恨むなら、俺達に従わなかった自分を恨め」
鉄也と名乗る人物の発言に、美優は我慢できなかった。
「あなた達、何なんですか!?」
「こんなの絶対おかしいじゃねえかよ!」
「そうだよ! 全員スタンガンを食らってもらうよ!」
孝太と千佳も、美優と同じ気持ちのようで、そう言ってくれた。しかし、相手は大勢で、どうにもできないというのが現状だった。
「鉄也さん、大変です!」
その時、不良の一人が慌てた様子でやってくると、そんなことを言った。
「どうした?」
「何故かわからないんですけど……工平可唯がいるんです!」
「何?」
その時、前の扉から入ってきた人物がいて、その人物は周辺にいた不良達を殴ったり蹴ったりして倒した後、こちらに近付いてきた。
「楽しいことしとるやないか。わいも混ざるで?」
「何で、可唯がここにいる?」
「わいは情報通やから、全部わかってんねん。せやから、鉄也の好きにはさせへんで?」
誰かわからないものの、彼が味方だということは、すぐにわかった。そして、翔は少しだけ安心した様子で、息をついた。
「不良達は俺と、この可唯で相手する。だが、何人かそっちに行くかもしれない。その時はどうにか対処してくれ」
「いや、二人で大丈夫かよ?」
「大丈夫やで。わいらに任せてや」
「ああ、大丈夫だ」
自信に満ちた様子の翔達を見て、美優はこんな状況にもかかわらず安心できた。
そして、翔達を信じると、美優達は後ろに下がった。