試合開始 02
翔と二人きりで登校する。そんな体験ができると思っていなかったため、それを実際に体験している今、美優はただ幸せを感じていた。
それだけでなく、翔が少しずつでも変わろうとしてくれている。そのことも知ることができて、嬉しかった。
「そういえば、昨日みたいにまた不良に襲われたら、どうするの? あの不良達、翔を狙っているようだったし……」
「一応、知り合いにボディガードのようなものを頼んでおいた。美優達に危害を加えさせることはないから、安心しろ」
「私は翔の心配をしているんだよ? まあ、昨日の翔、すごい強かったし、大丈夫だと思うけど……」
思えば、翔は不良達を相手にしながら圧倒していて、むしろ美優達が足を引っ張る形になってしまった。そのため、翔を心配するのは、不要なように感じてしまった。
「翔って、何か格闘技でも習っていたの?」
「いや、独学……というより、ボディガードをお願いした奴と定期的に手合わせをして、自然に覚えた」
「えっと、どういうこと?」
「悪い、説明が難しいんだ」
翔には美優の知らないことが、まだ多くある。そのことを改めて実感して、美優は複雑な気持ちになった。
「ところで、美優は剣道、どこで覚えたんだ? 誰かが言っていたが、大会でも成績を残しているんだろ?」
「あ、うん、お祖父ちゃんが剣道の道場で稽古をしていて、それがきっかけで始めたの。大会で優勝した経験もあるけど、私はまだまだだよ」
「昨夜、構えているところを見たが、それだけで高い実力を持っていると感じた。今度、機会があったら見学に行きたい」
「本当!? うん、いつでも来て!」
翔が自分のことを知ろうとしてくれている。これ以上の幸せなんてないと美優は感じた。
「私も翔のこと、もっとたくさん知りたい!」
「知りたいって、何を知りたいんだ?」
「全部だよ!」
「いや、全部って……」
理由はわからないものの、人とのかかわりを避けている。何か隠していることがある。時々、消えてしまうのではないかと心配になる。悪い方向へ行ってしまうのではないかと不安にもなる。でも、優しい人。ずっとそばにいたいと思える人。それが、美優にとっての翔だ。
頭で考えてもわからないことは多い。ただ、一つだけはっきりわかっていることがあった。
「翔……大好き」
「急にどうしたんだ?」
「え?」
思わず出てしまった言葉。美優は驚きのあまり、固まってしまった。
「あ、違うの! いや、違わないんだけど、こんな形で言うつもりなんてなくて! あの……」
焦りのあまり、美優は過呼吸に近い状態になってしまった。
「美優、落ち着け。とりあえず、深呼吸をした方がいい」
「あ、うん」
翔の言うとおり、美優は深呼吸をした。すると、自然に落ち着いていった。
「ごめん、もう大丈夫。それとさっきのは……」
美優は、どう言い訳をしようか考えたものの、何も浮かばなかった。そんな美優に対して、翔は軽く息をついた。
「まあ、美優が俺に特別な思いを向けていることは知っている。というか、あれで隠しているつもりだったのか?」
「え、嘘?」
「その……美優が俺にそんな思いを向けてくれていることは……嬉しい。だが、今はその思いに応えられない」
翔の寂しそうな目。それは、時々見せる、消えてしまうのではないかと心配させる目だ。それを見て、美優は思うところがあった。
「翔は、好きな人がいるんだね?」
何故そう感じたのか、美優自身わからないものの、翔は今、自分以外の誰かのことを考えていると感じた。そして、翔の目は、その人のことを好きだと強く訴えているようだった。
「あ、ごめん、言いたくないなら……」
「もう好きな人はいない。もう……いないんだ」
そんな翔の言葉で、美優は気付いた。それは、翔の好きだった人が、もうこの世界にいないということだ。
翔が消えてしまうのではないかと心配になるのも当たり前だ。翔は、好きだった人を追いかけて、消えてしまいたいと思っているのだ。
「もしも翔が消えたら、私は生きていけない! それぐらい翔のことが大好き! 迷惑かもしれないけど、私はそう思っているから!」
そんな美優の言葉を受けて、翔は笑った。
「美優は、何でいつもあいつと同じことを言うんだろうな?」
「え?」
「いや、何でもない。俺は消えないから、安心しろ。昨夜話したこと……悪魔にもならないと決めた。約束する」
翔が何を言っているのか、美優はほとんど理解していない。ただ、翔がそう言ってくれて、ただただ嬉しかった。
「うん! 絶対、約束だからね!」
思わず翔を抱きしめたくなったものの、どうにかその衝動を美優は抑えた。
「あと、さすがに遅刻じゃないか?」
そんな翔の言葉を受けて、美優は時間を確認するためにスマホを見た。
「大変!」
元々、遅刻しそうだったのに、いつの間にか二人で足を止め、すっかり話し込んでしまった。
「走れるか?」
翔はそう言うと、美優に手を差し出した。美優は少しだけ躊躇した後、翔の手を掴んだ。
「うん!」
そして、二人は手を繋ぎながら、走って学校へ向かった。
「翔、私は竹刀を剣道場に置きに行くから、先に行って」
「それぐらい付き合う。一緒に行こう」
「……うん、わかった」
そうして、二人で剣道場へ行くと、美優はいつもの場所に竹刀を置いた。
「学校で使う用と、それ以外で分けた方が楽じゃないか?」
「私は、この竹刀がいいの」
「相棒ってことか?」
「うん、そんなところかな」
その時、もうすぐ朝のホームルームが始まることを伝える、予鈴が聞こえた。
「急ごう」
翔はまた手を差し出してきた。そして、美優はまた翔の手を掴むと、走って教室へ向かった。