ウォーミングアップ 27
その後、不良達に襲われるようなこともなく、美優は翔に送ってもらい、家に到着した。
「翔、送ってくれて、ありがとう」
「いや、俺が巻き込んだようなものだし、むしろ悪かった」
「そんなことない! 翔は何も悪くないよ!」
その瞬間、翔はどこか切ない表情になった。思えば、これまでもそんなことが何度かあった。そして、美優は翔が今にも消えてしまいそうなほど、弱く見えてしまった。
「翔、大丈夫?」
「……悪い、何でもない。じゃあ、俺はもう帰る」
相変わらず、人を避けようとする翔を前に、美優は勇気を振り絞るように、大きく息を吸った。
「あ、遅いけど、少しだけ寄っていかない? ミューにも会わせたいから!」
勇気を出して伝えたものの、翔の表情を見て、美優は断られるだろうと感じた。
「ああ、悪いが……」
「美優、遅かったじゃない」
その時、美優の声が聞こえたのか、祖母が家から出てきた。
「あら、お友達?」
「うん、翔って言って、家まで送ってもらったの。それで、少しだけ寄ってもらおうと思ったんだけど……」
「いや、自分は……」
「いいじゃない。暑いし、何か冷たい物でも出してあげるわ」
祖母の言葉に、翔は複雑な表情を見せた。美優は迷惑じゃないかと心配だったが、また勇気を出して、口を開いた。
「翔、いいでしょ?」
その言葉に、翔は困った様子を見せつつ、少しだけ笑った。
「……わかった。すいません、少しだけお邪魔します」
「ええ、いらっしゃい」
翔が家に入ってくれる。そんな夢のようなことがあるのかと思いつつ、美優も一緒に家に入った。
そのまま、リビングへ行くと、そこには祖父がいた。
「お祖父ちゃん、ただいま。翔って言って、私の友達なの」
「ああ、いらっしゃい」
「初めまして。すいません、こんな時間にお邪魔してしまって……」
急だったこともあり、翔は何だか緊張している様子だった。
「美優を送ってきてくれたそうよ。何か、冷たい物でも飲んでいってもらおうと思って」
「そうなのか。ありがとう」
「いえ、遅い時間でしたので……」
冷静に考えてみれば、夕飯時も過ぎたところで、男子を家に呼ぶなんてことをして、怒られる可能性も十分あった。しかし、祖父母が翔を温かく迎え入れてくれて、美優は嬉しかった。
「どうぞ。麦茶で良かったかな?」
「はい、ありがとうございます」
翔と一緒に、美優も麦茶を飲んだ。今日は夜になってもまだ暑いため、よく冷えた麦茶はいつも以上に美味しく感じた。
「あ、ミューはどこにいるの?」
「美優の部屋で寝ていると思うよ」
「じゃあ、連れて来るね」
「いや、寝かせてやれ」
「翔に見せたいの! 少し待っていてね」
美優はそう言うと、席を立った。それから、早足で自分の部屋に向かった。
祖父母の言うとおり、ミューは美優の部屋で寝ていた。ミューは気持ち良さそうに寝ていて、起こしていいのかと少し考えた。しかし、美優は翔に見せたい気持ちに勝てず、ミューを抱きかかえた。すると、ミューは起きてしまい、迷惑そうに何度も鳴いた。
それから、少しミューを宥めるのに戸惑い、ようやく落ち着いてくれたところで、美優はリビングの方へ向かった。すると、翔と祖父母の話し声が聞こえてきた。
「美優と仲良くしてくれて、ありがとう」
「いえ、まだそこまでは……」
「昔、私達のしたことが間違っていたのか、美優は少し引っ込み思案なところもあって……」
「祖母さん、初対面の彼にそんな話をしても、困るだけだろ」
「そうだけど……美優、あなたに対しては本当の意味で心を開いているようで、だから仲良くしてあげてほしいの」
自分のいないところで、そんな話をしていて、美優はリビングに入りづらくなってしまった。きっと、今頃翔は困っているだろう。そう思うと、動けなくなってしまった。
その時、ミューは美優の腕から飛び出すと、そのままリビングに入った。
「あ、待って!」
ミューを追いかけるように、美優はリビングに入った。そこには、翔の足に体を擦り寄せるミューがいた。
「ミュー、やっぱり翔に懐いているね。というか……私より懐いている気がするんだけど」
「そんなこと言うな。美優がこいつの世話をしてくれて、本当に嬉しい」
翔はそう言うと、ミューの頭を撫でた。それから顔を上げると、目を閉じて、何度か深呼吸をした。
「美優、俺は人付き合いが苦手だ。できれば、人とかかわりたくないとすら思っている。そんな俺と仲良くなろうとしてくれて、本当にありがとう。感謝している」
「え?」
「お祖母さん、お祖父さん、自分と美優の今の関係は、そんな関係です。自分の方が、美優さんに仲良くしてもらっている……助けてもらっているんです。本当に感謝しています」
「翔、何でそんなこと……?」
「さっき、話していたのを聞いていたんだろ? 美優はすぐ顔に出るからわかるんだ」
先ほど、翔と祖父母の話を美優は聞いてしまった。そのことに翔は気付いていたようだ。
「翔君、ありがとう。これからも美優のことをお願いね」
「ただ、高校生だ。節度ある交際をしてほしい」
「ちょっと! お祖父ちゃん、私と翔はまだそんなんじゃないから! あ、まだっていうのは、そういう意味じゃなくて!」
美優は顔が熱くなってしまった。そんな美優に対して、祖父母は温かい表情を向けてくれた。
「でも、あなた達に何かあったら、今度は力になるからね」
「私も力になる。約束する」
その言葉に、美優は言葉以上の意味を感じて、気を抜いたら泣きそうになってしまった。
「……ご馳走様でした。自分はもう帰ります。こんな時間なのに、本当にありがとうございました」
「だったら送っていくよ!」
「俺を送った後、美優はどうするんだ? こんな時間に一人で帰るのは危険だろ?」
「あ、それじゃあ、その後は私を送ってもらって……」
「永久に往復したいのか?」
「あ……じゃあ、家の外までは送らせて」
少しでも長く翔と一緒にいたい。そんな思いから、美優は翔と一緒に家を出た。
「翔、今日は本当にありがとう」
「俺の方こそありがとう。楽しかった」
翔の「楽しかった」という言葉が、美優にとって何よりも嬉しいものだった。
「うん、すごく楽しかった! あ、明日も朝、一緒に登校していいかな?」
「また待ち伏せするつもりだろ? 今日と同じ時間、同じ場所に待ち合わせでいいか?」
「うん、それでいいよ! じゃあ、また明日ね」
「ああ、また明日」
今日は本当に長い時間、翔と過ごすことができた。それを実感しながら、美優は最後まで翔の後ろ姿を見ていた。そして、翔の姿が見えなくなってからも少しだけそのままでいた後、美優は家に戻った。
「美優、少しだけ話してもいいかな?」
「あ、うん」
玄関には、美優を待っていたのか祖母がいて、言われるままリビングに行くと、そこにはまだ祖父もいた。何の話かと心配になりつつ、美優はテーブルに着いた。
「その……単刀直入に聞くね。美優は翔君のことが好きなのね?」
「うん、私は翔のことが大好きだよ」
何を質問されたか理解するよりも早く、美優はそう答えていた。そんな美優に対して、祖父母はお互いに顔を合わせた後、何か決心した様子で美優に顔を向けた。
「美優はもう気付いていると思うから話すね。あなたの両親……美咲達の交際に私達は反対したの」
「お互い高校生なのに美咲が妊娠して……私は出産にも反対した」
「でも、美咲は絶対に産みたいと言ったし、せっかく授かった命だから、あなたを産むことだけは許して、美咲が亡くなった後は、私達だけであなたを育てると誓ったの」
両親や祖父母の事情について、美優は何となく気付いていたし、ほとんど自分の思った通りだった。それでも、こうして直接言われると、戸惑ってしまった。
「でも、そのせいであなたを両親のことで悩ませてしまって……今までごめんなさい」
「私も悪かった」
「ううん、私はお祖母ちゃんとお祖父ちゃんと一緒にいて、すごく幸せだと思うし……でも、悩んではいたよ」
こんな時だからこそと思い、美優は自分の気持ちを正直に伝えた。
「美優から好きな人ができたと言われることがあったら、私達は何があっても全力で応援すると決めていたの」
「ただ、節度ある交際をしろ」
「ちょっと、お祖父ちゃん」
「それでも、お互いを思い合ってのことなら、私は許す。きっと美咲達は……お互いを思い合ってのことだったから……尚更助けてやるべきだった」
不意に祖父が涙を見せ、美優はどうしていいかわからなくなってしまった。
両親の事情。祖父母の事情。それを理解できるほど、自分は大人じゃない。美優はそう思い、今思っていることをただ伝えることにした。
「さっきも言ったけど、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんと一緒で、私は幸せだよ! 今は翔のことを好きになれて幸せだよ! だから……」
「ほら、美優に気を使わせてどうするのよ。ごめんなさい、こんな話をするつもりじゃなかったの。ただ、美優が……美優達が困った時、私達が全力で味方になると約束するからね」
「私も約束する」
そんなことを言われ、嬉しさのあまり、美優の目から涙が零れた。
「……ありがとう」
そして、ただ一言だけ、そう伝えた。




