ウォーミングアップ 21
放課後になり、約束どおり翔はサッカー部の練習に参加していた。
そして、美優に千佳、大助も約束どおり見学に来ていた。ただ、最初はウォーミングアップも兼ねたジョギングや筋トレが中心で、見ていて退屈なものじゃないかと翔は心配していた。しかし、そんな心配は全部無駄だった。
「翔、めっちゃ足速い!」
「翔の筋トレ、すごくキレイだった!」
「美優、筋トレがキレイって何?」
「私も筋トレしているけど、姿勢が悪いと上手く鍛えられないんだよ?」
「……何か、マニアックな話になりそうだから、もういいや」
美優達は思いのほか楽しんでいる様子で、ちょっとした休憩のたびに声をかけてきたり、声援を送ってきたり、練習の邪魔になると怒られないか、心配になるほどだった。とはいえ、サッカー部の練習に見学者がいるのはいつものことで、さらにいえば、顧問の南波先生が見学者を歓迎しているぐらいだ。
「ようやく翔が練習に参加してくれたと思ったら、自分のカッコイイ姿を見てもらうためか」
「いえ、そういうわけでは……」
「練習に出てくれるなら、理由は何でもいい」
声援は大きなモチベーションを生む。それだけでなく、見られていると意識すれば、怠ける気持ちが生まれないはずだ。南波先生は、そんな考えを指導方針にしているらしい。
ただ、自分が練習に参加した理由が、美優達に見てもらいたいからと思われているのは、少し嫌だった。そのため、翔は本当の理由を説明しようと思ったが、考えてみれば本当に美優達に見てもらうのが理由だと気付いたところで、考えるのをやめた。
「ところで、大助は退屈じゃないのか?」
「いえ、僕も楽しいです」
大助はそう言ったが、それが本音なのかどうか、翔には判断できなかった。
「南波先生、お願いがあるんですけど、翔とワンオンワンがしたいです」
翔に許可を取ることなく、孝太はそんな提案をした。孝太の言ったワンオンワンというのは、一対一でボールの奪い合いをすることだ。試合中でも一対一の状況になることは多くあるが、それを想定した実践的な練習としても知られている。
「それはいいな。俺も見てみたい」
南波先生がそう言うと、他の部員達も盛り上がり、翔は断れなくなってしまった。
「たく、しょうがないな。ルールはどうする?」
「ハーフラインから翔がボールを持って、ゴールを決めれば翔の勝ち。僕が翔からボールを奪えば僕の勝ちって、シンプルなルールでいいんじゃね?」
「ゴールを決めれば、俺の勝ちでいいんだな?」
「ああ、それでいいよ」
「わかった」
翔はボールをもらうと、慣らすように軽くトリックプレーをしながら、ハーフラインまで移動した。それに合わせるように、孝太は翔から数メートルほど離れた場所に立った。
「こっちはいつでもいいよ」
「ああ、それじゃあ、ハンデなしでいかせてもらう」
翔はそれだけ言うと、ボールの下を狙って、勢いよく蹴った。すると、ボールは孝太の遥か頭上を越えていき、そのままゴールに入った。
「俺の勝ちだ」
「いや、さすがにずるいって!」
「ちゃんとルールには従った」
「そりゃねえよ。だったら、キーパーだけ入ってもらうよ。それでいいよな?」
孝太がお願いする形で、ゴールにはキーパーが配置された。これで、翔は先ほどのような方法でゴールを狙えなくなった。それを受けて、ここからが本番だと判断すると、翔は足首を回しながら手をブラブラとさせた。
「今度こそ、いつでもいいよ」
「わかった。それじゃあ、始める」
翔はボールを軽く蹴ると、そのまま孝太の前に来たところで足を止めた。前に立ちはだかる孝太を相手に、どう抜けるか。翔は頭の中でシミュレーションすると、右足で蹴る振り――フェイントをした後、左足で蹴り、ボールを右に出した。しかし、孝太は翔のフェイントに引っかかることなく、しっかりついてきた。
このままゴールを目指しても、孝太にボールを奪われる。そう判断して、翔はボールを一旦後ろへ下げると、改めてどう抜けようか、頭の中でシミュレーションした。
それから、翔が左右に振りながら孝太に近付いていくと、孝太は左右どちらにも動けるよう、少しだけ足を開いた。それを確認したところで、翔はボールを蹴ると、孝太の足と足の間にボールを通す、いわゆる股抜きをした。
しかし、孝太は股抜きされたにもかかわらず、翔の動きに反応すると、ステップするように後ろへ下がり、そのまま翔に背を向けた。結果、翔よりも孝太の方がボールに近い状況で同時に走り出すという、翔にとって不利な状況になってしまった。
翔はどうにか追いつこうと地面を蹴ったが、ボールまでの距離が短かったこともあり、孝太にボールを奪われてしまった。そして、翔は負けを認めると足を止めた。そんな翔に対して、孝太は自慢げな表情を見せた。
「僕の勝ちだね」
「まだ一勝一敗だ」
「さっきのを入れんなよ!」
「すぐ次をやろう」
「翔もマジだね。いいよ」
孝太からボールをパスしてもらうと、翔はそのままハーフラインに戻った。そして、翔は目を閉じると、集中するように何度か深呼吸をした。先ほど、翔は本気を出したにもかかわらず、孝太に負けてしまった。このままでは同じ結果にしかならないため、どうすればいいかと頭を働かせた。しかし、特に作戦も浮かばず、困ってしまった。
「翔、頑張ってね!」
そんな美優の声が聞こえて、翔は目を開けると、そちらに目をやった。
「あ、またやっちゃった……。ごめん、気が散るよね……」
落ち込んだ様子の美優を見て、翔は思わず笑ってしまった。
「そんなことない。ありがとう」
翔は改めて深呼吸をすると、あえて思考を止めて、自分の動きたいように動こうと決めた。
「それじゃあ、始める」
そう言うと、翔はゆっくりと孝太に近付いていった。そして、孝太の視線や、全身から感じられる気配のようなものに意識を集中させた。それは、先ほどの孝太が自分の動きを完全に読んでいたように感じたからだ。
こうして相手の気配すら感じ取ろうといった意識は、相手を知ろうとする意識に似た感覚だった。そして、孝太も自分と同じように、こちらの視線や気配に意識を集中していることに、翔は気付いた。
恐らく、先ほどは翔の視線の動きなどから股抜きをしようとしていることを察知し、孝太は対応したのだろう。そんな孝太を相手に、いかにして抜けるか。その答えは見つからなかったものの、翔は決断すると、視線を右に移動させた後、ヒールリフトという、踵を使って相手の頭上にボールを蹴り上げるトリックプレーを行った。
同時に、孝太は翔から見て右の方へ移動しようと地面を蹴った。それを確認した瞬間、翔は右足で地面を蹴り、左へ移動した。
「マジかよ!?」
孝太は翔の狙いに気付いたようで、そんな声を上げた。翔は、視線を右にやりながら、左にボールを飛ばした。孝太は自分の視線を信用して、右にボールを蹴ったと勘違いしてくれるだろう。そんな考えから、視線すらフェイントに使った作戦が、上手くいった形だ。
しかし、翔がドリブルを始めた時には既に孝太も走り出していて、まさに横一線だった。この状況だと、ドリブルをしないといけない分、すぐ孝太に追いつかれてしまう。それを理解したうえで、翔は普段よりも強くボールを蹴り、あえて自分とボールの距離を空けるようなドリブルをした。
こんなことを試合ですれば、相手のディフェンスにボールを奪われるリスクが大きくなってしまうため、普通はしない。つまり、これは相手が孝太一人だけだからこそ、できることだ。
そうして、ほぼ横並びどころか、少し翔の方が先行する形でゴール前まで来た。その時、翔は背後から嫌な気配を感じて、ボールを宙に浮かせた。その直後、スライディングしてきた孝太の足が絡み、翔は勢いよく転んだ。それは、後方からのスライディングで、判定によって反則になる行為だ。むしろ、今回のケースではボールより先に選手と触れているため、反則行為そのものだ。
ただ、翔はそんなことなど考えずに、ボールの行方だけ追っていた。そして、少しでも衝撃を和らげようと全身で地面を転がった後、その勢いのままボールに追いつき、シュートを放った。そのシュートにキーパーは反応できず、ボールがゴールネットを揺らした。同時に、大きな歓声が上がった。
「二人とも、大丈夫か!?」
しかし、慌てた様子の南波先生が叫び、そんな歓声はすぐに納まった。見れば、翔は膝を擦りむき、孝太は肘を擦りむいていた。
「こっちの心臓に悪いから、もう終わりだ。念のため、すぐ保健室に行け」
南波先生からそう言われれば、これで翔と孝太のワンオンワンは終わりだ。
「まあ、しょうがねえか。一勝一敗で引き分けかよ」
「いや、俺の二勝一敗だろ?」
「だから、最初の一回を入れんなよ! あと……最後のスライディングはごめん。完全に反則だったよ」
「別に構わない。それだけ、お互い本気だったってことだろ?」
「……こっちは楽しかったし、翔も楽しかったみてえで良かったよ」
孝太にそう言われて、翔は自分が笑っていることに気付いた。そして、今この瞬間、心から楽しいと感じていることにも気付いた。しかし、同時にこれでいいのかという疑問が生まれた。
「……何があったか知らねえけど、楽しいと思った時は素直に楽しんでいいんじゃね?」
孝太からそう言われ、翔は今の自分が複雑な表情でも浮かべているのだろうと理解した。しかし、今はまだ孝太の言葉を受け入れることができなかった。
「まあ、そのうちでいいよ。とにかく、保健室にいかねえと」
「……ああ、そうだな」
気を使うように明るく振舞う孝太についていく形で、翔は保健室に向かった。