ハーフタイム 62
春翔は、結莉のような堂々とした態度でなく、それこそ友人と話している時と変わらない、いつも通りの春翔だった。
「生徒会長になりたい。私がそう思ったきっかけは、もっとみんなが他の学年の人と仲良くなれる学校にしたいと思ったからです」
それは、これまで春翔が何度も言ってきたことだ。
「異学年交流が始まってから、それは少しずつ実現できていると思います。でも、まだ足りないとも思っています。私は、今ここから見えるみんなと……私は身長が低いので、何人か見えない人もいるんですけど……あ、少し横に行けば見えますね」
そう言いながら、ひょこひょこと左右に移動する春翔の様子を見て、みんなはクスクスと笑った。ただ、それはバカにした感じでなく、これまでの異学年交流などを通して、春翔を知っている人が多いからこその反応なんだろうと感じた。
「仲良くなりたいと言っても、人それぞれで合う合わないもあるので、現実的ではないとわかっています。ただ、私は、ここから見えるみんなの顔と名前を覚えたい。そして、私の顔と名前もみんなに覚えてもらいたい。そんな風に思っています」
その時、ふと春来は気付いたことがあった。それは、春翔が原稿のようなものを一切持っていないことだ。それだけでなく、話を聞いている限り、春翔はほとんどアドリブで話をしているようだった。
「自分のことを覚えている人がいる。これって、とても素敵なことだと思います。これまで、私は友人の転校などによって、様々な別れを経験して……恥ずかしいけど、その度にいつも泣いてしまいます。それは、この先も変わらないと思いますけど、今この瞬間も、その友人達のことを私は覚えていて、友人達もきっと私のことを覚えてくれている。そう思うと、上手く言えないんですけど、何だか心が温かくなるんです」
そう言うと、春翔は自分の胸に手を当てた。
「そして、いつか何かのきっかけで会えた時、色々な話ができるよう、たくさんのことに挑戦しようと思えるんです。みんなは、どう思うかわからないけど……私が君のことを覚えます。そして、いつかどこかで会った時、色々な話をしてほしい。そんな存在に、私はなれればと思います」
春翔は一人一人の顔を見るように、辺りを見回した。
「前に、全校朝礼で異学年交流の話をした時にも伝えましたけど、人それぞれで様々な意見があります。異学年交流は、様々な人の協力のおかげで実現しましたけど、今でも反対している人はいると思います。そして、私はそうした反対している人達の意見もたくさん聞きたいです。そう思って、最近は、これまで異学年交流に参加しなかった人達と話をする機会をもらいました」
それは、奈々などの協力で、最近の春翔が行っていたことだ。
「上級生が怖いとか、他の学年の人と何を話せばいいかわからないとか、そもそも人付き合いが苦手とか、そうした思いがあって異学年交流に参加できない中、周りで異学年交流の話をしている人がいて、自分も参加しないといけないのかといった焦りや不安を持ったそうです。そんな話をしてくれて、本当にありがとう。きっと、そんな風に思っている人は、もっといるはずです。だから、そんな人達に、今この場で伝えたいことがあります」
春翔は、真剣な表情で続けた。
「そんな焦りや不安を持つ必要なんてない……とは、言いません。だって、それは、みんなと仲良くなりたいという気持ちが、君の中にあるってことだから、それを大切にしてほしい」
そんな春翔の言葉を聞きながら、春来はこれまでのことを何となく振り返っていた。
春来は、幼い頃から人付き合いが苦手で、自分から友人を作ることがほとんどなかった。一方、春翔はいつもみんなに囲まれていて、そんな春翔と距離を取ろうと思ったこともある。でも、そんな時、春翔が怒りをぶつけてくれたおかげで、春来もみんなと仲良くなりたいと思うようになった。
それは、春来自身の本心でなく、春翔のためといった形で、本当に仲良くなりたいと思っているのかと疑問をぶつけられたこともある。ただ、今振り返ってみて、ほんの少しかもしれないものの、みんなと仲良くなりたいという気持ちは、確かに自分の中にもあると思えた。
「でも、そうした気持ちがあっても、上手くいかないこともあると思う。私も……今、生徒会では、生徒会長や、結莉ちゃんを孤立させようといった動きがあって、それが私はすごく嫌です。でも、どうすることもできなくて、ずっと困っています」
それから、春翔は少しだけ間を空けた。
「周りから見て、私は生徒会長にいじめられているなんて思われているみたいですけど、そんなことないです。異学年交流について、どういった問題があるか、色々と話してくれて、そのおかげで、異学年交流を実現できただけでなく、今も続けることができています。私にとっての生徒会長は、厳しいですけど、優しい人です」
春来ですら、生徒会長のことを否定していたため、春翔の言葉は色々と考えさせられるものだった。
「でも、自ら嫌われ者……悪者になろうとしていたことについては、許せないです。自分のために、犠牲になる人がいる。そんなの、誰も喜ばないです。だから……生徒会長だけでなく、結莉ちゃんも、もうそんなこと絶対にしないでほしいです」
それは、結莉の最終演説を受けての言葉なんだろうと感じた。
結莉は、自分や生徒会長が批判されることを予測したうえで、あのような演説をして、それ自体は素晴らしいものだった。ただ、嫌われ者になることをやめると言いながら、他の候補者を蹴落とすという、気付いた人からすれば反感を買うような方法を選択したのは事実だ。
そのことを春翔も感じたのか、諭すような言葉を結莉達に伝えたようだ。
「私は、さっき結莉ちゃんが話した様々な事情とか、全然知らなくて……」
その時、不意に春翔がこちらに目を向けてきて、自然と春来は目が合った。すると、春翔は何か決心した様子で、笑顔を見せた。
「さっきも話しましたけど、もっとみんなが他の学年の人と仲良くなれる学校にしたい。そう思って、私は生徒会長に立候補しました。でも、生徒会長になっていない今でも、その夢は少しずつ叶っています」
春翔は、何の迷いもないといった様子で、話を続けた。
「生徒会長になったら、もっとできることがある。そう信じて、私は生徒会長になりたいと思っていました。でも、もしかしたら、生徒会長になることで、できなくなってしまうことがあるかもしれない。そうしたことを知って、私は決めました」
そして、春翔はこれまで以上の笑顔をみんなに向けた。
「これからも、みんなと一緒に、みんなと同じ立場で、この学校を良くしていきたいと思います。だから、私は生徒会長になりません。立候補を取り消します」
春翔がそう伝えた瞬間、辺りは騒然となった。ただ、春翔はその様子を見つつも、話を続けた。
「私を応援してくれた人達には、その……申し訳ございませんでした」
そう言うと、春翔は深く頭を下げた。
それからしばらくして、頭を上げると、春翔は笑顔を見せた。
「そして、私を応援してくれて、ありがとうございました!」
そうして、春翔はもう一度頭を下げた。その後、頭を上げると、満足げな表情で朝礼台を降りていった。
辺りは先ほど以上に騒然としていて、春来はただ呆然としていた。
「春来! どういうことだよ!?」
その時、隆がそんな風に声をかけてきて、春来は我に返った。
「いや、僕も驚いていて……」
これは、元々予定していたことなのだろうかと疑問を持ち、春来は奈々の方へ向かった。
「奈々、これは予定していたことなのかな?」
「してないよ! 春翔ちゃん、用意した原稿を最初から持ってないし、話してることも全然違うし、おかしいと思ったんだよ!」
春来の予想通り、春翔は事前に用意した原稿を完全に無視して、その場で話したいことをただ話していたようだ。
「みんな、静粛に! 落ち着いて!」
先生達も困っているようで、必死に生徒達を落ち着かせていた。
そうして、どうにか騒ぎが治まると、全校生徒は教室に戻った。そして、それぞれに投票用紙が配られた。
投票用紙は、候補者四人の名前が縦書きで四つ並んでいて、その上に四角い空欄がそれぞれあった。投票の仕方としては、生徒会長になってほしい人の上の空欄に丸を書くというもので、これ自体はこれまでと同じだった。
ただ、今回はこれまでと違うことが一つあった。
「さっきの演説であった通り、藤谷春翔は立候補を取り消したから、藤谷春翔に入った票は、全部無効ということになった」
先生達は、緊急で会議を行い、そう決めたようだった。
そして、それぞれが投票用紙に記入する時間が来た。
この時、春来はこれまで応援してきた、結莉に投票するつもりだった。ただ、丸を書こうとしたところで、今朝、結莉から言われたことを思い出した。思い返してみると、あの結莉の言葉は、自分に投票しなくていいといったメッセージのように感じた。
そうして、様々な思いを持ちつつ、春来は無効になると知りながら、春翔に投票した。
それから、みんなは投票用紙を二つに折った後、それを順に投票箱に入れていった。
そうして、投票も終わり、これから選挙管理委員会による開票があるものの、春来達は特にやることもなく、下校の時間を迎えた。
「春来君、これから少しいい?」
ただ、そのタイミングで、奈々はそんな風に声をかけてきた。
「うん、いいけど、何かな?」
「それは後で説明するよ」
そうして教室を出ると、そこには掲示委員会の委員長と副委員長、それに生徒会長もいて、春来は戸惑った。
「何かあったんですか?」
「いや、あっただろ?」
副委員長からそんな風に言われて、春翔のことを言っているとすぐにわかり、春来は苦笑した。
「確かに、ありましたね」
「まあ、ここに集まるように言ったのは、私達じゃないんだけどね」
「え?」
誰が言ったのだろうかと疑問を持っていると、駆け足で結莉がやってきた。
「集まってもらったのに、遅れてごめんなさい」
「結莉が僕達を呼んだってことかな?」
「ええ、そうよ。それで、単刀直入にお願いするわ」
それから、結莉は真剣な様子で、春来達にしてほしいことをお願いしてきた。その内容を聞いて、春来はすぐに決めた。
「うん、僕もそうしたいと思っていたよ」
「私も協力する!」
すぐに返事をしたのは、春来と奈々だった。
「私も協力するよ」
「ああ、俺も協力してやる」
それに続くように、委員長と副委員長も協力を申し出た。
「ありがとうございます。私は、私のするべきことをします。生徒会長、私と一緒に来てくれませんか?」
「えっと……」
「あまり時間がないです。どうか、皆さん、お願いします」
「いえ、ちょっと待って」
そんな中、生徒会長だけは、どこか困っている様子だった。
「私がいても、逆効果だと思うし……」
「よし、分担しよう。結莉の言う通り、生徒会長は結莉と一緒がいいな。ただ、奈々も一緒の方がいいだろ?」
生徒会長の言葉を遮るように、副委員長はそんなことを言った。
「だから、私は……」
「まだ生徒会長はおまえだろ? だから、ちゃんと仕事しろ」
「そうだよ。色々あったけど、最後は協力するって、すごくいいじゃない」
委員長達からそんな風に言われたところで、生徒会長は、渋々といった感じで頷いた。
「……確かに、その通りね」
「それじゃあ、そっちは奈々にも任せるからな」
「はい、わかりました」
奈々は、何の迷いもない様子で、そう返事をした。
「メインの方は、俺達でどうにかしてやる。丁度知ってる奴もいるし、どうにかできるだろ。それで、春来は……」
そう言うと、副委員長は、悪戯をするような笑みを浮かべた。
「春翔と一緒にいてやれ」
「え?」
自分だけ想定外のことを言われて、春来は混乱してしまった。
「いや、でも……」
「そうね。奈々には悪いけど、春来は藤谷春翔と一緒にいるべきよ」
「私には悪いって部分、絶対いらないから! でも……そうだね。久しぶりに、春翔ちゃんと一緒に帰ってよ」
「選挙活動の間、ほとんど一緒にいなかったもんね。今日は春翔ちゃんも疲れたと思うし、一緒にいてあげてよ」
それぞれからそんな言葉を言われ、春来はますます戸惑った。
そんな中、生徒会長が春来に頭を下げた。
「結莉のことを応援してくれて、ありがとう。心から感謝している……けれど、やっぱり私はあなたのことが嫌いよ」
そう言った後、笑顔になった生徒会長を前に、春来は頷いた。
「僕は、生徒会長のこと、少しだけ好きになりましたよ。ただ、春翔も言っていましたけど……というか、僕も同じようなことを言われたことがあるんです。今後も悪者になろうとするなら、嫌い続けますよ」
「うん、結莉と奈々には悪いけど、あなたはここにいない方がいいみたいね」
生徒会長の言葉の意味がわからず、春来は首を傾げた。
「えっと、どういう意味ですか?」
「緋山春来は、藤谷春翔と一緒にいればいいって意味よ」
「はい?」
ますます意味がわからなくなり、春来は困ってしまった。
「生徒会長、時間がないです。早く行きましょう」
「そうそう、早く行かないとね」
「何で、二人とも顔が赤いのかな?」
顔を真っ赤にした結莉と奈々を見て、春来は何を考えればいいのかすらわからなくなるほど、混乱してしまった。
「いいから、もう行きなさい!」
「そうそう、早く行って!」
結局、意味がわからないまま、春来は急かされるようにそう言われた。
「というか、俺達が行けばいいだろ」
「確かに、その通りね。結莉、奈々、行きましょう」
「はい、そうですね」
そうして、結莉達と委員長達はそれぞれ足早に行ってしまい、一人残された春来は立ち尽くしてしまった。
「何か、また楽しいことになりそうだな」
そんな風に声をかけてきたのは、隆だった。
「俺もちょっと動いてみる。春来は言われた通り、春翔と一緒にいてやれよ」
「隆まで、何を言っているのかな?」
「てか、マジでわからねえのかよ? まあ、いいから春翔のとこに行けって」
「……うん、わかったよ」
隆からも言われたため、春来はランドセルを取ると、春翔のいる教室へ行った。すると、春翔は他の生徒達に囲まれていた。そして、聞こえてきた声は、本当に生徒会長にならないのかといった質問ばかりだった。
「うん、ごめんね……」
質問に対して、春翔は困った様子で謝ってばかりだった。
そんな様子を見て、春来は大きく息を吸った。
「春翔!」
春来が大きな声で春翔を呼ぶと、辺りは驚いた様子で静かになった。
「久しぶりに、一緒に帰ろうよ」
春来がそう言うと、春翔は笑顔を見せた。
「うん、私も春来と一緒に帰ろうと思っていたの」
そして、春翔はランドセルを持つと、駆け足で教室を出てきた。
「春翔、お疲れ様」
「うん、春来もお疲れ様」
そんな風に言い合った後、春来と春翔は一緒に帰った。こうして一緒に帰るのは、選挙期間中なかったため、本当に久しぶりだと感じた。
ただ、話す内容は、生徒会選挙と関係のない、他愛のない話ばかりだった。それは、あえて話題から外そうと思っていたわけでなく、それ以上に話したいことがたくさんあったからだ。
「ねえ、公園に寄って行かない?」
「うん、僕もそうしたいと思っていたよ」
そして、春来と春翔は、これもまた久しぶりとなる、家の近くの公園に入ると、いつも通りベンチに座った。
すると春翔は、助けることができなかった、子犬を埋めた木を目にしつつ、軽く息をついた。
「もっと頑張らないとね」
そう言うと、春翔は笑顔ながらも、どこか悲しげな表情を見せた。
「今はまだ、できないことばかりだけど……いつかきっと、全部できるようにしたい」
そんな言葉を聞いて、春来は少しだけ迷いを持ちつつ、今の思いを伝えることにした。
「春翔なら、生徒会長になることで、色々とできることがあると思うよ」
その言葉に、春翔は複雑な表情を見せた。
「そんなこと言わないでよ。私は春来と一緒にいたい……春来の近くにいたいから」
そう言われて、春来は思わず胸に手を当てた。すると、何故か大きくなった心臓の鼓動を強く感じた。
それだけでなく、春翔が生徒会長になったら、今よりも距離が空いてしまうかもしれないといった不安を持っていたことを春来は思い出した。それは、結莉にも話したことで、それを理由に春翔を生徒会長にしたくないとさえ思っていた。
もしかしたら、そんな春来の気持ちに気付いて、春翔は立候補を取り消したのかもしれない。そんな風に感じて、春来は自然と口が開いた。
「僕は春翔がどこへ行っても、一緒にいるよ。近くにいるよ」
その言葉の真意が、伝わったかどうかはわからなかった。ただ、春翔は笑顔を見せた。
「うん、ありがとう。私も同じ気持ちだよ。春来がどれだけ遠くへ行ってしまっても、私は追いかけ続けるから」
「え?」
春翔が何を言ったのか、上手く理解できなくて、春来は戸惑ってしまった。
そんな春来に対して、春翔は笑顔を見せた。
「何でもない。私は、春来と一緒にいるよ。近くにいるよ」
「……うん、ありがとう」
「そうだ! この前……」
それから、春来達はまた他愛のない話を始めた。
それはいつまでも終わらず、春翔の両親が迎えに来るまで、ずっと続いた。