ハーフタイム 58
全校朝礼がある朝、春来は、いつもより遅めの時間に家を出て、一人で学校へ向かった。
春翔が反対したものの、学校では距離を取ることにして、登下校を別にするだけでなく、休み時間などに会うのも控えることにした。こんなことをしても、ほとんど意味がないと知りつつ、それでもできることをしたいというのが、春来の考えだった。
学校に着くと、春来の教室の前で、先輩が待っていた。それだけでなく、先輩の後ろには、隆と、同じクラスの女子もいた。
「春来君、おはよう」
「おはようございます。どうしたんですか?」
「ちょっと話したいことがあって、来たんだよ。さっき、隆君達には話したけど、一緒に話を聞いてもらうよ」
隆達は、納得した様子で頷くだけだった。
「今日の全校朝礼、春来君も話す予定だよね?」
「はい、そうですけど?」
そこで、先輩は複雑な表情を見せた。
「多分、やめた方がいいと思う」
「何かしらか、非難を受けることは覚悟しています。でも、何も言わないのは良くないと思うので……」
「やっぱり、春来君は自分が悪者になって、少しでも春翔ちゃんの印象を良くしようとしているね」
先輩の言う通りだったため、春来は言葉を失ってしまった。
「春翔ちゃんに対して悪口でも言って、付き合っているわけないとか、そんなことを言うつもりでしょ?」
「……えっと、何でそんな風に思ったんですか? 誰にも話していないし、悟られないようにもしたのに……」
「春来君なら、そう考えるだろうなって思っただけだよ。どうやら、図星だったみたいだね」
先輩は、どこか人の心が読めているかのようだと、ずっと感じていた。今、それを改めて春来は感じていた。
「春来、そんなことしても春翔は喜ばねえよ。てか、むしろ怒るだろ」
「うん、わかっているよ」
「だったら、そんなことするな」
隆は、怒った様子で、はっきりとそう言った。
「緋山君、何で相談してくれなかったの?」
「だって、相談したら、反対されると思ったから……」
「反対するよ! そんなことしないでよ!」
女子からも強く言われて、春来は戸惑った。
「でも、春翔のためにできることは、それぐらいしかないから……」
「多分、今回の騒動を起こした人、春来君の行動を読んでいるよ。だから、そんなことをしても、逆効果になると思う。例えば……春翔ちゃんは、春来君にそんな嘘をつかせるひどい女だとか、そんな話にされたら、春来君はどうする?」
先輩の言葉に、春来は何も返せなかった。
「そういえば、前に先輩が『生徒会長は、手強い』って言っていましたね。それを僕も感じています」
「あの時、そう言ったのは、生徒会長を慕う人がたくさんいたからだよ。そうした人達は、生徒会長のために様々な行動を起こすし、だから手強いって言い方をしたけど……今は状況が変わっていると思う」
先輩が何を言おうとしているのか、春来は何となくわかってきた。
「前の全校朝礼で、生徒会長はマスメディアの知識があるような発言をしたんです。ただ、どこか違和感があったというか……思い返してみると、誰かの入れ知恵があったように感じます」
「私もそう思う。そして、今回は、その入れ知恵をした人が、生徒会長を誘導して、こんな騒動を起こさせたんだと思う」
それは、何となく春来も気付いていたことだった。
「あのポスターも、マスメディアについて詳しい人が作ったような感じでした。その人が、春翔を次の生徒会長にしたくなくて、こうした攻撃をしてきたということですよね?」
「うん、まあ……それで間違ってはいないかな」
先輩は、どこか含みのある言い方だった。
「それで、先輩は僕にどうしてほしいですか?」
自分が何をするべきかなんて、自分で考えるべきことだ。それなのに、春来はそれを先輩にお願いした。
すると、先輩は笑顔を見せた。
「春来君は、もっと自分を大切にして、困った時は周りに頼って」
「えっと……具体的にどうすればいいですか?」
「何度も言うけど、とにかく自分を大切にして。そうしてくれれば、私達が春来君を助けるから」
先輩だけでなく、隆と女子も、穏やかな表情だった。それを見ていたら、何の根拠もないものの、春来は大丈夫かもしれないと思えた。
「わかりました。ありがとうございます。隆と……隆達もありがとう」
「友達だろ? こんなの当然のことだ」
「そうだよ。私は何もできないかもしれないけど、私だって、緋山君を助けたいと思ってるから!」
隆達の言葉は、本当に心強いものだった。
そんな時、朝の予鈴が鳴った。
「私は教室に戻るね。春来君、さっきも言ったけど、自分を犠牲にすればいいとか、そんな考え、絶対に持っちゃダメだよ?」
先輩は、念押しをするような感じで、そう言った後、教室へ戻っていった。
それから、朝のホームルームがあった後、校庭へ移動して、全校朝礼が始まった。
春来と女子、委員長と副委員長は、この後話す予定があるため、列に並ぶことなく、みんなの前で待機していた。
そして、今日も校長先生の長い話が始まった。
「緋山君、大丈夫?」
「今更だけど、俺達だけが話すって感じにした方が良くないか?」
そんな中、小さな声で委員長と副委員長は、春来を心配した様子で、そんな言葉をかけてくれた。
「大丈夫です。僕も副委員長なので、ちゃんと話します」
ただ、春来は強い言葉で、そんな風に返した。
そして、校長先生の長い話が終わると、予定していた通り、掲示委員会から話をすることになり、春来達は全員、朝礼台に上がった。それから、最初に委員長がマイクを握った。
「掲示委員会です。私達は、生徒会選挙を迎えるにあたり、これからの期間、各候補者の情報を皆さんにお伝えします。ただ、その話をする前に……昨日広まった、緋山春来君と藤谷春翔ちゃんに関するポスターについて、話をさせてください」
事前の打ち合わせなどで、委員長はそんな話をするなんて一言も言わなかった。ただ、堂々と話す様子から、あらかじめ話すと決めていたのだろうと、春来は感じた。
「私は、緋山君や藤谷ちゃんについて、知らないことも多いです。だから、二人の関係については、何もわからないです。ただ、あのポスターには、明確に誤った情報が書かれてました」
委員長は、強い口調で話を続けた。
「先週、生徒会選挙について、私達はどんな情報を皆さんに伝えるべきかと話し合いました。その中で、私は平等に情報を伝えたいという思いを伝えました。そしたら、緋山君から、ある提案がありました」
それから、掲示委員会はグループを分けて、各候補者を応援すること。さらには、それを勝負という形にすることも委員長は話した。
「それだけでなく、緋山君は藤谷ちゃんといつも一緒にいて、知り過ぎているからと、他の候補者を応援したい。そんな風に、自ら申し出たんです。だから、少なくとも緋山君が掲示委員会を利用して、藤谷ちゃんを当選させようとしているなんてことは、絶対にないです」
委員長は、特に嘘をつくこともなく、ただ事実を正直に伝えた。
「そのことを知ったうえで、私達の話を聞いてください。私が応援する候補者は……」
それから、委員長は元々予定していた、自分が応援する候補者について話をした。そして、話を終えると、副委員長にマイクを渡した。
「俺が応援する候補者は……」
副委員長も、予定通り応援する候補者の話をした。
ただ、聞いていて驚いたのは、二人とも候補者について詳しく調べたうえで、その人のことをどう説明すれば、みんなに伝わるか。そうしたことをよく考えたようで、みんなに候補者のことを知らせるという目的を、十分に達成していた。
そうして、副委員長の話が終わった後、春来の話す番になり、マイクを受け取った。
「僕が応援する候補者は……」
「どうせ藤谷春翔を応援するんでしょ!」
「委員長を使って、そんなことないなんて方向に話を持っていこうとしてるの、バレバレだから!」
不意にそんな言葉を言われて、春来は戸惑った。
「いえ、僕が応援する候補者は、春翔じゃなくて……」
「きっと、応援するふりをして、足を引っ張るつもりだよ!」
「そいつが応援するのって、東阪結莉ちゃんだよね? そんなの、結莉ちゃんがかわいそうだよ」
妙に台詞っぽい話し方で、あらかじめこう言うつもりだったんだろうということは、すぐにわかった。ただ、それがわかるのは春来だけで、他の人はわからないだろうとも感じた。
「いえ、そんなことないです。僕は……」
「他の人は、みんな取材を受けたって話をしてたけど、結莉ちゃんには取材がなかったみたいだよ」
「そんなのひどい。もう、不公平じゃん」
東阪結莉に直接取材していないというのは、事実だ。というより、取材しようとしても、断られてできなかった。ただ、そうした事実を伝えても、人のせいにしていると言われるだけだろうと、すぐにわかった。
「えっと……」
「さっきからうるせえな! 春来が喋ってるのに、ゴチャゴチャ言うんじゃねえよ!」
そんな声を上げてくれたのは、隆だった。
「そうだよ。さっきから、あなた達は春来君の話を一切聞こうとしていないよね? ちゃんと、相手の話を聞いてから、自分の意見を言うべきだと思う」
そんな風に先輩が言った後、同じクラスの人達が、春来に向けて笑顔を見せた。
「うん、みんなで緋山君の話を聞こうよ!」
「俺も緋山の話が聞きたい!」
「緋山君、言いたいことを言ってよ!」
それも、どこか台詞っぽい話し方だった。恐らく、春来の知らないところで、先輩などが色々と伝えてくれたおかげで、今こうした声を上げてくれているのだろう。ただ、ここまでみんなが助けてくれている状況で、春来は何を伝えたいか、わからなくなってしまった。
「そいつ、クラスの人まで味方にしてるんだ?」
「みんな、騙されないで! こんな奴が応援する藤谷春翔を生徒会長にしちゃダメだよ!」
「だから、黙れって言ってるだろ!」
「ほら! こんな乱暴な人を使って、何も言えないようにしようとしてる!」
隆などが必死になって自分達のことを守ろうとしてくれている。それなのに、それを否定する人達がいる。そうして、言い争いになればなるほど、自分の味方をしてくれる人達が、悪者にされそうになっている。
そんな光景を見て、春来は強い怒りを感じ、拳を強く握った。そして、こんなことになるくらいなら、自分を犠牲にした方がいい。
そんな風に考えた瞬間、同じクラスの女子が春来の持っていたマイクを奪い取るように手にした。そして、真っ直ぐ春来に顔を向けると、真剣な表情を見せた。
「私は、緋山春来君のことが好きです!」
女子がそんな風に叫ぶと、みんなは驚いた様子で黙った。
「好きになったきっかけは、ずっと前に上級生とサッカーをやってる緋山君を見た時で、身体も小さいのに、上級生を相手に全然負けてないどころか、むしろ圧倒してる緋山君を見て、何かすごいって思ったの。それで、そんな緋山君を何度も見てるうちに、いつの間にか好きになってた」
女子は、これまでサッカーに興味がないような素振りを見せていた。だから、そんな風に言われて、少し意外だった。
「でも、クラスは違うし、特に接点もなかったし……それに、緋山君と藤谷ちゃんはいつも一緒にいるから、きっと付き合ってるんだろうなって勝手に思ってたし、だから諦めてた」
思っていることを、ただ真っ直ぐ伝えていて、春来だけでなく、みんなが聞き入っていた。
「でも、五年生で同じクラスになれて、委員会も同じになって、色々と話を聞いて……緋山君と藤谷ちゃんは付き合ってないってわかったの。だったら、私は緋山君と付き合いたいと思って、なるべく一緒にいるようにしてるし、色んな話を聞くようにしてるし、学校では藤谷ちゃんより私の方が一緒にいるし、このまま順調にいけば、緋山君と付き合えるかもしれないなんて思ってるの」
それから、女子はみんなの方へ顔を向けた。
「それなのに、あんなデタラメなポスターが貼られて、そんなことされたら、二人がお互いを意識しちゃうかもしれないでしょ!? てか、ホントに付き合っちゃえばいいんじゃないかなんて言う人もいるし、これまで私がしてきたこと、全部無駄にしたいの!?」
興奮した様子で、女子はそんな風に叫んだ後、気持ちを落ち着けるように、呼吸を整えた。
「まあ、何が言いたいかというと……」
そう言った後、女子は大きく息を吸った。
「誰がやったか知らないけど、私の恋の邪魔をしないでよ!」
それから、しばらくの間、誰も何も話さなかった。先生達も、どうしていいかわからないようで、何も動けない様子だった。
そんな中、委員長が女子の持っていたマイクを手に取った。
「先ほど、伝え忘れていたことがあります。あんな事実と異なるポスターを、掲示板に貼ったり、教室にバラまいたり……そんな行為を私達は決して許しません。今後は、私も早くに登校して、そんなことがないようにします」
すると、副委員長も話したいことがあるようで、マイクを手に取った。
「俺も同じように監視する。ただ、俺達だけだと、目が届かないかもしれない。だから、みんなにも協力してほしい。今回の件に限らず、不審な動きがあった時は報告してほしい」
それは、抑止力といった形で、有効なものだった。
それから、副委員長は、春来にマイクを差し出した。
「まだ、話せてないことがあるだろ?」
「はい、そうですね」
そして、春来はマイクを受け取ると、深呼吸をした。
「話を中断してしまって、すいませんでした。僕が応援するのは、東阪結莉さんです。ただ、本人に取材することはまだできていません。だから、結莉さんと仲の良い友人や、担任の先生に話を聞きました。結莉さんはおとなしい性格で、頻繁に話す相手は少ないとのことですけど、いつも周りを見ることができる人だと、みんなが言っていました」
それから、成績が優秀なことや、ちょっとした時に気配りができるといった、周りの人からどう思われているかを春来は話した。
「僕が東阪結莉さんの足を引っ張ろうとしているんじゃないかと思う人がいるのは、当然です。だけど、僕なんかが足を引っ張ったところで、東阪結莉さんには何の影響もないです。それほど、東阪結莉さんは、生徒会長に向いていると思います。だから、応援のほど、よろしくお願いします」
春来は、伝えたいことを全力で伝えた後、頭を下げた。ただ、それがみんなに伝わるかどうかといった不安しかなかった。だから、春来はみんなの顔を見ることができず、顔を下げ続けた。
そうしていると、誰かが朝礼台に上がって、春来の持つマイクを手に取った。春来は何があったのかと驚きつつ、顔を上げた。
「今、紹介されました、生徒会選挙に立候補している、東阪結莉です」
話しているのは、春来が応援する候補者、東阪結莉だった。
「今回のことは、私を生徒会長にしたいと思っている人達が起こしたことだと思います。緋山君、藤谷さん、本当にごめんなさい。誰がやったのか、私もわかりませんけど、今後こんなことは絶対にしないでください。お願いします」
そう言うと、東阪結莉は深く頭を下げた。それにより、ようやく騒ぎは納まった。
その後、春翔を応援する女子が話をして、様々なことがあったものの、全校朝礼は終わった。
そして、教室に戻ることになったところで、女子が春来を呼び止めた。
「緋山君、さっきのことだけど……嘘だからね!」
「え?」
「その……ああでも言わないと、治まらないと思って、それで嘘をついただけだから!」
女子は顔を真っ赤にしながら、そんな風に言った。そんな女子に対して、春来は笑顔を向けた。
「ありがとう」
「いや、だから嘘だって……」
「嘘だとしても、あんな風に好きって言われたの、初めてだから……ありがとう」
そう言うと、女子はどこか嬉しそうに笑った。
「そっか。初めてなんだ?」
それから、少しだけ間を置いた後、女子は大きく息を吸った。
「嘘じゃないよ。私はホントに緋山君のことが好き。だから、緋山君の恋人になりたい」
こんな風に告白されるのが初めてで、春来は戸惑った。
「えっと……」
「でも、今はまだ脈なしだってわかってるし、返事は今度でいいよ」
「え?」
「だって、緋山君は私の名前すら覚えてないでしょ?」
それが図星だったため、春来は何も言えなかった。
「隆から聞いたよ。緋山君は人の名前とか覚えないって」
「えっと……ごめんなさい」
「やっぱり、私の名前覚えてないの!?」
「いや……」
「それじゃあ……ここで私の名前を覚えて。私は、麻空奈々(なな)。緋山君に初めて告白した人だよ」
「うん、絶対に覚える……というか、もう覚えたよ」
「私のことは、奈々って呼んで! それと……これから、春来君って呼んでもいい?」
そんな風に言われて、春来は戸惑いつつも、答えはすぐに決まった。
「うん、いいよ。えっと……奈々、改めてよろしくね」
「うん、春来君、よろしくね!」
奈々は、嬉しそうな様子で、満面の笑顔を見せた。
「でも、今回はどうにかなったけど、またこんなことがあるのかな? まだ犯人が誰かもわかってないし……」
「大丈夫だよ。犯人はわかったし、それに僕は今後その人とかかわることになるからね」
「え?」
「犯人は……東阪結莉だよ」
春来は、はっきりとした口調で、そう言い切った。