ハーフタイム 53
掲示委員会の人達が、それぞれ自分のするべきことをするために動いている中、春来は右拳の治療をしてもらった後、ランドセルを取ると、早々に学校を出た。そして、家の近くの公園に来ると、そこで春翔を待った。
それは、春来のするべきことが、春翔と話すことだからだ。
春来がすぐに帰ったことと、恐らく生徒会の活動が長引いたようで、春翔はなかなか帰ってこなかった。それでも、春来は春翔を待ち続けた。
そうして、しばらくの時間が過ぎたところで、春翔が帰ってきた。
「春来、どうしたの?」
春来が春翔を待たずに帰ったのは、生徒会長などを警戒したのと、春翔が一人で考える時間を作った方がいいだろうといった助言を何人かから受けたからだ。
「春翔、これから話せないかな?」
そんな風に春来が言うと、春翔は拒否するように顔を背けた。
「ごめん、何も話したくない」
そう言うと、春翔は、春来の横を通り過ぎようとした。そんな春翔の腕を、春来は咄嗟に掴んだ。
「待ってよ!」
「放して!」
春翔は腕を振ると、春来の手を振り解いた。同時に春来は右手に激痛を感じた。
「痛っ!」
怪我は、そこまで大したことがなく、刺さった木の破片を取り除いてもらった後、傷薬を塗ってもらったり、包帯を巻いてもらったりしたぐらいで済んだ。ただ、こうした衝撃のようなものを受けると、やはり激痛が走った。
「それ、どうしたの!?」
「ああ、えっと……春翔が生徒会でほとんど発言できていないこと、さっきはっきりとわかったよ。そんな様子を見ていたら、何だかイラついて……思わず机を殴ったら、こんなことになって……」
説明しながら、春来はなんてバカなことをしたのだろうかと自覚して、恥ずかしくなってしまった。
そうして、何も話せなくなっていると、春翔が両手を使い、そっと春来の右手を包むように握った。
「春来、ごめんね」
「何で、春翔が謝るのかな?」
「だって、私のことで、春来を怒らせちゃったんでしょ? だから、本当にごめんね」
「だからって、春翔のせいじゃないし……」
「私は、春来を怒らせたくないの!」
春翔が、そんな風に言う理由は、よくわからなかった。ただ、春来は久しぶりに、春翔と向き合って話せているような、そんな気がした。
そして、春来は軽く深呼吸をした後、真っ直ぐ春翔を見た。
「僕は……春翔と……」
ただ一言伝えるだけなのに、何故か言葉が詰まった。それは、伝えたいことを伝えた時、拒否されたらどうしようといった思いからくる、緊張や不安によるものだった。
伝えたいことを伝えるのは、勇気のいることなんだ。そのことに気付くと、春来は気合を入れるため、大きく息を吸った後、口を開いた。
「春翔と話したい! 今すぐ春翔と話したい!」
春来が強い思いを伝えると、春翔は驚いた様子を見せた。それから、春翔も真っ直ぐ春来を見ると、笑顔になった。
「うん、私も春来と話したい!」
そうして、春来と春翔は、そのまま近くの公園に入り、ベンチに座った。
「何だか、久しぶりな気がするね」
春来がそう言うと、春翔は少しだけ笑った。
「春来と一緒なのは、久しぶりだね」
「え?」
春翔の言葉が上手く理解できなくて、春来は戸惑った。同時に、春翔はここに春来以外の誰かと来ていたのだろうかと思うと、何だか胸が苦しくなった。
「最近、春来と別れた後、一人でここに来ていたんだよ」
いつも、春来と春翔が別れるのは、家のすぐ前だ。最近の春翔は、そうして家の前で春来と別れた後、家に入ることなく、一人でここに来ていたそうだ。
「もうわかっているよね? 生徒会、あんな感じだから、ドンドンと嫌になって、ドンドンと自信がなくなって……何か、すぐに帰りたくなくて、いつも一人でここに来ていたの」
「誘ってくれれば、僕も一緒にいたのに……」
「できないよ。春来は、掲示委員会で上手くいっていて……ごめんね。春来に対して、悔しいなんて思っちゃって、そんな自分が嫌で、春来と一緒にいるのすら嫌になりそうで……」
春翔は、身体をずらすと、春来に寄り添った。
「でも、そんなことなかったよ。私は、春来と一緒にいたい。ずっとずっと、それは変わらなかったよ。それなのに、意地になっちゃって、ごめんね」
「もう謝らなくていいよ。春翔は悪いことなんてしていないじゃん」
そう言った後、春来は、自分の伝えたいことを伝えることにした。
「この学校が、どういう状態なのか知って、変えたいと思ったよ。これは、春翔がそう言っていたからってだけじゃなくて、僕自身がそうしたいと思ったよ」
春来が自分のしたいことを見つけた。そのことに、色々と思うところがあるようで、春翔は驚いた様子を見せつつも、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。
「だから、この学校を変えるため、春翔と一緒にしたいことがあって、協力してくれないかな?」
「うん、するよ! 絶対するよ!」
春翔は、一切悩むことなく、そう言ってくれた。それを受け、春来は笑顔を返した。
「明日、全校朝礼で生徒会長が話をすると言っていたよね?」
「うん、生徒会長が他の先生とかに頼んで、掲示委員会や放送委員会の活動を中止するよう、話をするみたいだよ。実は、さっき掲示委員会に行った後、放送委員会の方にも行って、同じようなことを言ったの」
「放送委員会の方は、先輩もいるけど、どんな反応だったのかな?」
「みんな、言われるがままって感じだったよ。これは、いつも生徒会でも同じで、生徒会長以外、ほとんどみんな発言しないし、発言しようとすると……さっきあったけど、あんな風に怒られるの」
春翔は、こうした弱さを見せるのが嫌いで、いつも強がっている。そんな春翔が、ここまで話すのを見て、限界が近いのだろうと春来は感じた。
「でも、春来は何か言うのを我慢していたよね? もしかして、私のために言いたいことを言わないでいてくれたの?」
「それもあるけど……あの場で言っても意味がないと思って、言うのをやめたよ。生徒会長には、色々と言いたいこと……伝えたいことがあるけど、それを伝えるのは、別の場だと思ったんだよね」
「別の場って?」
春翔の質問を受けて、春来は本題に入ることにした。
「さっき、春翔にしてほしいことがあるって言ったけど、それは……明日の全校朝礼で、春翔の伝えたいことをみんなに伝えてほしい」
「え?」
春翔は、何を言われたのか、理解できていない様子だった。
「いや、そんなことしたら……」
「僕が……僕達が春翔の背中を押すから、春翔がしたいこと……『もっとみんなが他の学年の人と仲良くなれる学校にしたい』って思いを、伝えてほしい」
今、春来は掲示委員会の活動を通して、みんなの意見を誘導しようとしている。ただ、春翔に対して、そうしたことをすることもなければ、するつもりもなかった。それは、春翔の思いをそのまま伝えてほしいと思ったからだ。
「でも……」
春翔は不安げな表情を見せた。そんな春翔の肩に、春来は手を置いた。
「自分の伝えたいことを伝えるって、勇気がいることだよね。僕は、伝えたいこととか、したいこととか、そういったことがなかったから、気付かなかったけど……今は上手くいかなかったら、どうしようって怖いよ。春翔は、きっとずっと前から、そんな風に思っていたんだよね?」
「いや、そんなこと……」
「でも、春翔は強いから、不安に思っているような素振りなんて、全然見せなかった。そんなこと、僕にはできないし、やっぱり春翔は『特別』だよ」
恐らく、春翔も不安に思うことや、怖いと思うことがあり、それによって自信を失いそうになったことが数え切れないほどあるのだろう。それにもかかわらず、ずっと一緒にいる春来にとって、春翔はいつでも自信を持っている強い人だった。
「僕は、僕にできることをするから……春翔は、したいことをしてほしい。春翔が挫けそうになっても、僕が背中を押すよ」
そこまで伝えたものの、春翔は何か悩んでいる様子で、複雑な表情を見せた。
ただ、少しした後、春翔は満面の笑顔を見せた。
「わかった! 春来が背中を押してくれるなら、私は私のしたいことをするから!」
きっと、春翔は今も不安や恐怖を感じているはずだ。それにもかかわらず、満面の笑顔を見せてくれた春翔に対して、やっぱり「特別」だと春来は感じた。
「じゃあ、明日の全校朝礼、大変なこともあると思うけど……春翔と一緒に、僕も全力で頑張るからね」
「うん、私も全力で頑張る! でも……私は具体的に何をすればいいの?」
「それは……ごめん、春翔には、そういうことを考えないでほしいかな」
「春来、何か隠していない? というか、掲示委員会の活動、滅茶苦茶なことをしているって、生徒会にいなくても感じたよ? いったい、何をしているの?」
「いや、ビーさんや篠田さんの真似事というか、それぐらいのことしかしていないよ?」
「いや、二人の真似をしたら、『それぐらいのこと』なんて感じじゃ済まないから!」
それをきっかけに、春来と春翔はしばらくできなかった、なんてことない二人きりの会話を始めた。
「春来、新しい友達はできたの?」
「えっと、どうかな? 休み時間とかは、隆と……あと、委員会が同じになった人と一緒にいることが多いかな」
「その人って、春来を副委員長に推薦したって人だよね?」
「うん、そうだよ」
「その人の名前……ううん、やっぱりいいや。まあ、隆君もいるし、一人になるってことはないみたいで、安心したかな」
「春翔の方は、また友達が増えたみたいだね。いつ行っても、みんなに囲まれているじゃん」
「それは、生徒会に入って、話題になったからだと思うよ。あと、生徒会の状況を知って、心配してくれる人も話しかけてくれるよ」
「春翔は、どこに行っても一人になることはなさそうだね」
「でも、私は春来と一緒にいたいから! 別のクラスになったの、今でも嫌だと思っているから!」
「いや、僕達はいつも一緒じゃん?」
「一緒じゃなかったじゃん! まあ、私が避けたからだけど……」
「ああ……春翔は一人になりたい時、いつもここに来ていたのかな?」
「うん、そうだけど?」
「じゃあ、僕も今度からそうするよ」
「え?」
「そうすれば、お互いに悩んでいる時、一人じゃなくて、一緒にいられるじゃん」
「……うん、そうしようか」
「あ、でも、本当に一人でいたい時は、言ってほしいかな」
「大丈夫。一人でいるより、春来と一緒にいたいから」
「えっと……ありがとう?」
「その反応は何? 春来は私といるより、一人になりたいの?」
「そうじゃなくて……僕も春翔とずっと一緒にいたいと思っているから、何だか嬉しくて……」
「そう……ありがとう」
「いや、春翔の反応も僕と同じじゃん」
「全然違うから! というか……もういい!」
そうしたやり取りは、辺りが暗くなっても、いつまでも続いた。
普段なら、そろそろ帰らないと両親が心配するとか、そんなことを春来は言っただろう。ただ、とにかく春翔と話したい。もっともっと春翔と話したい。そんな思いから、春来と春翔は、ただただ話し続けた。
同じクラスの人達のこと。担任教師のこと。授業でどこが難しいかといったこと。サッカークラブに入った後輩のこと。サッカーの技術に関すること。同じ委員会になった人達のこと。
話は尽きなくて、このまま永遠に話せるんじゃないかと春来は思った。ただ、そうした時間は、不意に終わった。
「春翔!」
そんな声が聞こえて振り返ると、春翔の両親がやってきた。
「またここにいたのか。心配するから、やめろと言っているだろ!」
「もう、そんなに怒ったらダメでしょ? でも、今日は春来君も一緒なんだね」
両親からそんな風に言われて、春翔は顔を下に向けた。
「ごめんなさい……」
「違う! 僕が春翔と話したいってお願いして……だから、怒るなら僕を怒ってよ!」
そんな風に春来が言うと、春翔の両親は少しだけ戸惑った様子を見せた後、すぐ笑顔になった。
「だったら、しょうがないな」
「うん、しょうがないね」
それから、春翔の両親は穏やかな表情を見せた。
「家に帰りたくないって思うことを悪いとは言わない。ただ、自分達は心配になる。それだけは覚えていてほしい」
「でも、こうして春来君が一緒にいてくれるなら、私達は安心だよ。春来君、春翔のことをよろしくね」
不意にそんなことを言われて、いつもなら、答えに迷っていたはずだ。そのはずなのに、春来は自然と口を開いていた。
「はい! わかりました!」
こんなことを言ってしまったことや、敬語になってしまったこと。どちらの理由も春来自身が理解できなかった。ただ、春翔の両親は、春来自身が理解できていないことを、理解している様子だった。
「うん、よろしくね」
「ああ、お願いする」
それから、少しだけ間が空いた後、春翔の母親がわざとらしく手を鳴らした。
「今日、久しぶりにみんなで夕飯を取ろうか!」
「そうだな。じゃあ、自分は先に帰って、春来君の両親に話してみる」
そう言うと、春翔の父親は、早足で行ってしまった。
それから、春翔の母親は、春来と春翔の方を見ると、穏やかな表情を見せた。
「委員会活動も始まって、忙しいみたいだけど……また春翔と春来君が仲良くしてくれて、本当に嬉しい」
その言葉から、春翔の両親……恐らく、春来の両親も、春来と春翔に気を使っていたようだと気付いた。その証拠に、最近は一緒に夕飯を食べる機会も減っていた。そんなことを感じて、春来は複雑な気持ちになった。
「私は、いつだって春来と仲良しだもん!」
ただ、春翔が笑顔でそう言うのを見て、春来は心のわだかまりのようなものが消えた。
「それじゃあ、帰ろうか」
春翔の母親が前を行く形で、春来と春翔は家に向かった。
「春来君、最近の春翔は、よく公園に一人でいて……私達がいつも迎えに行っているんだけど、仕事で遅くなることもあるし、今度から、お迎えをお願いしてもいいかな?」
「私は一人で大丈夫だし……それに、さっき一緒にいてくれるって春来が言ってくれたから、本当に大丈夫」
「それなら安心ね」
春翔の母親は、何だかニヤニヤしていた。ただ、春来はその表情の真意に気付けなかった。
そうして、家に帰った後、それなりの時間が過ぎたところで、夕飯の時間になり、春翔が両親と一緒に春来の家にやってきた。
「一応、合いそうなもので良かったね」
今夜は、元々一緒に夕飯を取る予定じゃなかったため、それぞれで既に夕飯の準備をしていた。ただ、春来の家は唐揚げ、春翔の家は肉じゃがをおかずにする予定だったため、一緒にしてもそこまで食べ合わせが悪くなることはなかった。
「やった! 肉じゃがだ!」
「春翔は、肉じゃがが好きだし、良かったね」
「そういう春来だって、唐揚げ好きじゃん」
また、今夜の夕飯は、春来と春翔それぞれの好物だった。
「最近、春来が頑張っているみたいだから、唐揚げにしたのよ」
「それに、何か悩んでいる様子だったからね。久しぶりに、春翔ちゃんとも一緒に夕飯を食べられて、良かったよ」
春来の思った通り、春来の両親も、春来と春翔のことを心配していたようだった。
「でも、私達が心配していたことは、よく覚えていてね。これは、春翔だけじゃなくて、春来君もね」
「また何か問題を解決しようと動いているようだな。できれば、無茶をしてほしくないが、またみんなで力になる。だから、二人のしたいようにするといい」
春翔の両親は、より踏み込んだ形で、そんな言葉をかけてくれた。
これだけ言うということは、春来と春翔が学校でしていることについて、両親達は先生などから何か話を聞いているのだろう。ただ、そのことを伝えることなく、こんな言葉をかけてくれた。そのことを春来は心から嬉しいと感じた。
「うん、頑張るね!」
そして、そうしたことを春翔も感じているようで、元気な声でそう言った。そんな春翔を見て、春来は改めて、決心がついた。
「うん、僕は春翔のしたいことを、全力で応援するから」
その後、春来と春翔は、両親達と一緒に、笑顔の絶えない時間を送った。それは、昔からある当たり前の時間だったのに、最近はほとんどなかった。
その事実を理解しつつ、春来は、こんな時間がいつまでも続いてほしい。そんな思いを心から願った。