ハーフタイム 45
今年度のクラブ活動が始まり、最初に顧問の先生から挨拶のようなものがあった。
「下級生は、上級生のことを『先輩』と呼び、敬語を使うこと。また、上級生は、下級生を『後輩』として、しっかり世話すること」
去年同様、先生はそんなことを言った。去年と違ったのは、春翔みたいに文句を言う人が、今年の下級生にはいなかったことだ。
それから、下級生だけでなく、上級生を含めた全員が簡単な自己紹介をした。その際、当然ながら、みんな自分の名前を名乗っていた。
それを聞きながら、春来は名前を覚えられないだろうかと集中したものの、誰の名前も覚えることはできなかった。
そうしていると、春来が自己紹介をする番になった。
「えっと……緋山春来です。よろしくお願いします」
春来は、他に言いたいことが特になく、簡単にそれだけ言って終わった。
そうして、全員の挨拶が終わると、軽いウォーミングアップとして、ストレッチをした後、チームを分けて、簡単な試合をすることになった。チーム分けは、各学年ごとにくじ引きで決まった。その結果、春来は、春翔と隆とは別のチームになった。
「春来を相手にするって、久しぶりだね」
「絶対に俺達が勝つからな!」
春翔と隆は、好戦的な感じで、そんな風に言った。それに対して、春来は困りつつ笑顔を返した。
「今日は新しく入った後輩達が主役なんだから、お互いに手加減しようよ」
そんな風に伝えると、春翔と隆は、表情を変えた。それは、どこか怒っているかのようだった。
「春来、何でそんなこと言うの? 何度も言ったよ? 加減するなんて相手に失礼だし、いつだってハンデなしでやるべきだよ」
「春来は、勝ちてえとか思わねえのかよ?」
そんな二人の言葉に、春来は何も返せなかった。
「私は、ハンデなしでいくよ」
「絶対に負けねえからな」
春翔と隆は、怒った様子のまま、自分達と一緒のチームになった人達が集まっている所へ行ってしまった。
「今のは、春来君が悪いと思う」
春来が立ち尽くしていると、先輩がそんな風に声をかけてきた。
「今日、私は中立だから、作戦とかは伝えられないけど……きっと、二人は、春来君に勝とうと、全力で来るよ。だから、春来君も、ハンデなしでやるべきだよ」
先輩は、怒っている様子が一切なく、笑顔だった。だからこそ、春来はその言葉を素直に受け入れることができた。
「わかりました」
それから、春来は一緒のチームになった人達と、作戦を話し合った。といっても、最初は先輩達が言うことを聞くだけだった。
「やっぱ、春翔と隆を警戒しねえとな。甘いディフェンスだと、すぐ春翔に点を入れられるから、新しく入った後輩達には、ディフェンスを重視してもらいたい。下手に攻めたところで、ディフェンスの上手い隆にボールを奪われるだけだからな」
「ああ、その作戦がいいだろうな。入ったばっかなのに、ディフェンスを任せるのはどうかと思うけど、しょうがないよな」
「後輩達も、それでいいか?」
「はい、僕達は、先輩の指示に従います」
そんなやり取りを見ながら、春来は、色々と思うところがあった。ただ、それを伝えることなく、ただ見ているだけだった。
そうしていると、先輩達が春来に目をやった。
「基本的には、いつも通り、春来にボールをキープしてもらって、隙を見て一気に攻めるっていう作戦でいこう」
「春翔と隆がいねえから、攻めも守りも怪しいけどな」
先輩達がそんな風に言っているのを聞きつつ、相変わらず何を言えばいいかわからず、春来は黙っていた。
「春来、どうかしたか?」
「いえ……別に……」
「春翔と隆のことは、春来が一番わかってるんだ。何でも思ったことを言ってくれ」
「そうだよ。何か作戦とかがあるなら、教えてほしい」
「……わかりました」
そんな風に言われると、何も言わない方が良くないと思い、春来は思ったことを伝えることにした。
「まず、春翔には二人マークをつけた方がいいと思います。そのマークのつけ方も、一人は春翔の近くで、もう一人は少し離れてください。この時、春翔を中心に、二人が正反対の位置になるよう、配置するのがいいです」
「そうした方がいいって理由があるんだな? 聞かせてほしい」
「えっと、春翔はラダートレーニングなどを通して、マークを外す手段を練習したり、研究したりしていますけど、マークについている人の背後を抜けるように離れるのが一番やりやすいみたいで、最優先でそれを選択することが多いんです。だから、マークから離れようとした先に、もう一人誰かがいるだけで、動きを抑えられると思うんです」
そんな説明をすると、先輩達は笑顔を見せた。
「それは気付かなかった。いい作戦だな。ただ、それを後輩に任せるのは難しいな。俺達でどうにかしよう」
「いえ、春翔を近くでマークするのは、後輩に任せたいです。その方が、相手がどんな動きをするか予想できずに、春翔は戸惑うと思うんです。ただ、少し離れてマークするのは、先輩に任せたいです」
「わかった。それじゃあ、隆の方はどうする?」
その質問に対しても、春来は答えを持っていたものの、それを実践するべきかどうか、まだ迷いがあった。ただ、伝えたうえで、どうするかみんなで決めようと思い、そのまま伝えることにした。
「僕がオフェンスに回って、とにかく攻めようとしたら、隆は混乱するはずです。その隙を突いて、ゴールを狙うというのはどうですか?」
春来がこんな提案をした理由は、単に隆の対策をしたいというだけではなかった。
「恐らくですけど、僕がボールをキープしようとすること、相手も予想しているはずです。そうだとしたら、僕にそうさせないため、何か策を講じてくると思うんです。なので、僕がボールをキープするのは、難しくなると思います」
「確かに……俺が相手だったら、後輩全員を春来に向かわせるとか、そんな作戦を考えるな」
「いえ、さすがにそこまでは……」
「いや、俺ならそうする。だから、春来が攻めるって作戦、いいんじゃないか? その場に留まってボールをキープするより、攻める方がボールも奪われづらいだろ」
「俺も賛成だ。だったら、誰をどこに配置するか決めるぞ」
その後、春来と先輩達は、相談しながら、みんなの配置などを決めていった。そうして、ある程度の作戦が決まったところで、春来は素朴な疑問を持った。
「えっと、僕の提案した作戦で、本当にいいんですか?」
ふと、そんな風に言うと、先輩達は笑った。
「おいおい、こんないい作戦を立てた本人が不安そうにするな」
「そうだぞ。春来は司令塔として、もっと自信を持ってくれ」
「僕も、先輩の作戦でいいと思います!」
そんな風に言われたものの、まだ春来の不安は消えなかった。
「でも、春翔達がこちらの作戦を読んでいた時や、対応してきた時は、上手くいかないと思います」
「そんなのしょうがねえだろ。臨機応変にいこう」
最後に、そんなやり取りをしたところで、試合が始まることになった。
小学生のクラブ活動で、しかも練習試合の前に、こんな各チームの作戦会議をする時間など、普通はほとんどない。しかし、今年もマネージャーを務める先輩の提案で、以前からこうした時間が設けられている。それは、単に何も考えないで試合をやるより、確かな効果があり、ずっと続けられている。
「それじゃあ、始めるぞ」
先生の合図で、試合は始まった。まず、春来達のチームがボールを持つことになり、春来はパスを受ける形で、ボールを持った。それに対して、いきなり後輩三人がボールを奪いに駆け寄ってきた。しかも、少し離れた所には、春来の隙をうかがうように、先輩も待機していた。
もしも、ボールをキープしようと考えていたら、あっという間に囲まれて、春来はほとんど動けないまま、ボールを奪われていただろう。ただ、あらかじめ決めていた作戦のおかげで、そうはならなかった。
春来は、駆け寄ってきた後輩達をよけつつ、そのままゴール目指してドリブルをした。そんな行動に、隆は驚いた様子を見せた。
「やべえ! みんな、しっかりマークにつけ!」
今回の試合では、隆が作戦を立てたり、指示を出したりといった、司令塔の役割を担っているようだった。そして、隆の指示により、守備が強化されるだけでなく、前線にいたほぼ全員にマークがつけられた。
春来達のチームは、後輩の数人をゴール近くに配置して、最終的には春来からパスを受けた後、ゴールを狙ってもらう作戦だった。しかし、隆の指示で全員にマークがついてしまい、誰にもパスが出せない状況になった。
そうした状況を把握したうえで、春来はボールをゴールまで線で結ぶようなイメージを持った。これは、先輩からアドバイスを受けて以降、普段から自然と行うようになっていた。
とはいえ、いつもは春翔からゴールまでを結ぶ線しかほとんど見えず、しかも今日は春翔が一緒のチームにいないため、当然ながらそんな線は見えなかった。また、全員がマークされていることや、後輩達の実力がわかっていないことなどが関係しているのか、他の人からゴールまでを結ぶ線も見えなかった。
唯一見えたのは、春来自身からゴールまでを結ぶ線だけだった。
この時、隆を含めた相手は、春来が絶対にパスすると思い込んでいた。その思い込みが、春来自身がゴールを目指すうえで、大きな隙となっていた。
「嘘だろ?」
ゴール目前まで来たところで、隆がそんな声を上げた。そして、慌ててボールを奪おうと、駆け寄ってきた。
ただ、それではもう遅かった。
春来の放ったシュートは、相手のゴールネットを大きく揺さぶった。
「やったー!」
同時に、同じチームの人達だけでなく、周りで見ている人達も大きな歓声を上げた。
「春来、やったな!」
「今のは、奇襲が上手くいっただけです。ここからは守備を固めつつ、また隙を突いて、僕が攻めるようにします」
「ああ、わかった。このまま勝つぞ」
一方、春翔と隆は、悔しそうな様子だった。
「もう! 作戦と全然違うじゃん!」
「作戦を立てたのは春翔だろ! ただ、俺も完全に油断した。ここからは俺が春来のマークにつく」
春翔達が、そんな作戦の修正を簡単にした後、試合は再開された。
その後の試合展開は、一進一退といったところだった。
まず、春来に対する執拗なマークがなくなった。それにより、当初から作戦を変え、春来はボールをキープするようにした。そうして、じりじりとゴールに近づいた後、前線にいる誰かにパスして、ゴールを決めてもらうという、普段と似たような作戦で攻めることになった。
これは、最初に春来が攻めたことで相手が警戒してくれるようになったため、上手く機能する形で、何度か後輩がシュートを放ったり、時にはゴールを決めたりすることもあった。
一方、春翔達は、お互いのゴール前にほとんどの人を配置するといった、春来のいる中盤をほぼ無視するような作戦に切り替えた。これは、わかりやすいほど単純な作戦で、こちらの攻めをしっかりと守った後、ボールを奪ってからは一気に攻め込むといったカウンターを狙った作戦だ。
ただ、お互いに慣れない人達でチームを組んでいるため、この作戦は強力なもので、ボールを奪われれば、あっという間にゴールを決められてしまうことも多くあった。特に、春翔の動きを抑えようと考えた、こちらの作戦に対して、すぐに春翔が対応してからは、ゴールを守ることが難しくなってしまった。
そうした形で、お互いに点を入れ合うような展開が続き、気付けば新しく入った後輩も含め、全員がボールに触れる機会のある、そんな試合になっていた。
そして、その勝敗は、わずかな差だったものの、春来達の勝利で終わった。
「悔しい! もう少しだったのに!」
「やっぱり、最初だよな。こっちの作戦ミスだ」
春翔と隆は、悔しそうにそんなことを言っていた。
「いや、このまま続いていたら、僕達が負けていたよ」
試合が進めば進むほど、こちらの方が不利になっていったため、このまま続いていたら、春来達の負けになっていただろう。そう思い、春来は、素直にそう伝えた。それに対して、春翔達はまた怒ったような様子を見せた。
「でも、春来達の勝ちじゃん!」
「勝ったのに、負けたみてえに言うのは、感じ悪いからな」
「ああ……ごめん」
そう言いつつも、春来は素直に勝ったことを喜べなかった。
そうしていると、不意に春翔と隆が笑った。
「春来、ハンデなしでやってくれて、ありがとう」
「とにかく勝ったんだから、喜べ」
そんな風に言われ、春来も自然と笑みが零れた。
「うん、楽しかったよ」
春翔達の言葉に対する返事として、「楽しかった」というのは、少し違う気もした。ただ、その言葉を受け、春翔達はさらに笑顔になった。
「うん、楽しかったね!」
「俺も楽しかった」
そうしていると、何人か後輩達が駆け寄ってきた。
「緋山先輩! すごかったですね!」
「さっきの試合のことで、聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
突然そんなことを言われて、春来は戸惑ってしまった。
「えっと……」
「うん、順番に聞けばいいと思うよ」
困っていた春来を助けてくれたのは、先輩だった。
「先輩……ありがとうございます」
ふと、いつも通り「先輩」と呼んだ後、春来はちょっとした疑問を持った。
「春来君?」
「その……僕も先輩になるので、これからは日下先輩とか、泉先輩って呼ぶ方がいいですか?」
そんな風に聞くと、先輩は笑った。
「春来君、私の名前……ううん、何でもない。えっと、そのどちらかを選ぶなら、泉先輩って呼ばれる方が嬉しいかな。でも、別に今まで通り、先輩のままでいいと思う。それで、私はわかるから」
「そうですよね。すいません、何か急に気になったので……」
「それが先輩になるってことだよ。ほら、後輩達の質問に答えてあげなよ」
「あ、はい」
その後、春来は、たどたどしくなりながらも、後輩達の質問に答えていった。同時に、これが先輩になるということなのかといったことを、少しずつ実感していった。