ハーフタイム 37
数週間後、ペットショップの移転があり、春来と春翔は、最後の挨拶といった形で、またペットショップを訪れた。
「この前も言ったけど、いつか遊びに来てね」
「うん、絶対に行くから!」
店長と春翔は、改めてそんな約束をした。そして、二人は別れを迎えていると思えないほど、笑顔に溢れていた。その理由は、これまで移転するための手伝いをするため、頻繁に会っていたからだ。
きっかけは、春翔が移転の手伝いをしたいと言ったことだ。それを受け、春来は春翔の願いを叶えようと、二人一緒にペットショップへ行き、店長にそのことを伝えた。
その際、春来は事前に移転の知識だけでなく、単純に引っ越しの知識も持ったうえで、荷物をまとめる手伝いならできるといったことを伝えた。
その結果、春来と春翔は荷物をまとめる担当といった形で、段ボール箱に物を入れる作業を中心に、移転の手伝いをすることになった。その際、頻繁に使う物と、そうでない物を分けるため、店長と春翔は頻繁にやり取りをしていた。
そうして、一緒に過ごす時間を送ったことで、春翔は別れを迎える覚悟のようなものを、いい形で持ったようだった。
「最後まで、色々手伝ってくれて、ありがとう。本当に助かったよ」
「私も楽しかったよ! こんな素敵なペットショップに出会えて、本当に嬉しい!」
「今度の場所では、もっと素敵なペットショップにするね」
「うん、楽しみにしているから!」
誰かと別れる時、春翔はいつも悲しそうだった。そんな春翔が、今回は笑顔に溢れていて、春来は心から嬉しかった。
そして、店長と別れると、春来と春翔は家に向かった。ただ、どちらかが何か言った訳でもなく、自然な感じで、いつも通り近くの公園に寄ると、二人はベンチに座った。
「春翔、大丈夫かな?」
春来は、気を使うように、そんな質問をした。それに対して、春翔は笑顔を見せた。
「うん、悲しいとか、寂しいとか、そんな風に思っているけど、絶対にまた会えるもん。だから、大丈夫だよ」
「それなら、良かったよ」
強がりなどでなく、それが春翔の本心なんだろうと感じて、春来は安心した。
「それより……」
春翔は、少しだけ言葉を詰まらせた後、真剣な表情を向けてきた。
「この前、篠田さんと何を話したの?」
それは、篠田と車の中で話したことを聞いていると、すぐにわかった。
「いや、それは……」
「私には言えないことなの?」
先日、春翔は自分を無理やり納得させたように見えたが、時間が経つに連れて、また不安になっているようだった。そうした春翔を見て、春来は軽く息をついた。
「僕は、春翔みたいに、何かを伝えたいとか、何かをしたいとか……そういったことがないから、そういったことを持っている春翔の願いを叶えたいし、そんな春翔を応援したいって、話をしたんだよ」
こうしたことを言わないと、春翔は納得しないだろう。そう思って、春来は素直にそう伝えた。
「そうしたら、篠田さんが僕達のことを応援するって言ってくれて……春翔?」
いつの間にか、春翔は顔を真っ赤にして、どこか怒っているような様子だった。
「どうしたのかな?」
「そんなの、私に言わなくていいから!」
「いや、春翔が聞いてきたんじゃん?」
「そうだけど……もっと上手く誤魔化してよ!」
春来は、何で怒られているのかわからず、困ってしまった。
そうして、少しだけお互いに何も言わない時間が過ぎた後、春翔は笑顔を見せた。
「でも、ありがとう。嬉しい」
そんな春翔の笑顔を見て、春来は自分のしようとしていることが間違っていないはずだと、自分に言い聞かせた。
ただ、それから少しして、春翔はどこか浮かない表情になった。
「春来は、誰とも仲良くする気がないの?」
それは、篠田に言われた質問だ。先日、この質問をされた時、春来は何も言えなかった。その理由は、その通りだと思う部分があったからだ。
元々、人付き合いが苦手だからという理由で、友人を作ろうと自ら動くことはなかった。ただ、それは自分自身に言い訳をしているだけで、友人を作らなかった本当の理由は、別にあると気付いていた。
春来は、これまで自覚していなかったものの、誰かと一緒にいるより、一人でいたいという思いを強く持っていた。ただ、みんなと一緒にいた方がいいといった、周りの意見に従う形で、一人になることを避ける意識を持つようになった。
特に、春翔はずっと春来と一緒にいてくれて、春来にとって春翔と一緒にいることが当たり前になった。そして、今は多くの人に囲まれた生活を送っている。それは、いいことのはずなのに、どこかそれを否定したくなる自分がいるのは、事実だった。
「私とも、仲良くする気がないの?」
春来が何も言えないでいると、春翔は不安げな表情で、そんな質問をした。
「いや、さっきも言ったけど、春翔の願いを叶えたいし……」
「そんなこと、聞いていないの!」
春翔は、感情を爆発させるように、大きな声を上げた。
「私は春来と仲良くなりたい! もっともっと仲良くなりたい!」
「いや、今でも十分仲がいいと思うし、そもそも僕なんかと仲良くするより、もっと他の人と……」
「春来がどう思っているかなんて関係ない! 私が春来と仲良くなりたいの!」
春翔の真っ直ぐな言葉。それは、春来に何か間違っていることがあると気付かせるのに、十分だった。
「さっき、春来が言ってくれたこと、本当に嬉しい。でも、それは仲良くするっていうのとは、違う気がするの。上手く言えないんだけど……」
「……うん、春翔の言う通りかもしれないね」
篠田は、春来が春翔に依存することを否定していた。春来は、その理由が、ほんの少しだけわかったような気がした。
「まだ、どうすればいいかわからないけど、その……仲良くするって、どういうことなのかな?」
「え?」
春翔は、呆れたような声を上げた。ただ、すぐに悩んでいるような表情になった
「えっと……そう言われると、難しいかも。一緒にいて、色々と話したり、悩みとか困っていることがあったら助け合ったり……」
「それ、別にもうできていると思うんだけど?」
「そうだけど! ああ、もう! 何て言えばいいのかな!?」
春翔は、しばらくの間、頭を悩ませている様子だった。ただ、何か閃いたのか、不意に笑顔を見せた。
「ただ、近くにいたい……一緒にいたいと思うこと。それが仲良くなるってことじゃないかな?」
春翔の言った「近くにいたい」とか「一緒にいたい」という言葉は、前に春翔が春来に言った言葉だ。
「私は、他のみんなと一緒にいるより、春来と一緒にいる方が楽しい。春来が一人で何かしたい時も、私は春来の近くにいたい。だから、これからも私は春来の近くにいる! ずっとずっと春来の近くにいる!」
そして、春翔は少しだけ緊張しているような様子を見せつつ、真っ直ぐ春来を見た。
「あと……もっと、春来のことを知りたい」
「え?」
「それで、私のことも知ってほしい。それが、仲良くなるってことだと思うの」
そんな風に言われたものの、春来は上手く理解できなかった。
「えっと、どういうことかな?」
「言った通りだよ。ずっと一緒にいて、色々と知っているつもりだったけど、私は春来のこと、まだまだ知らないことだらけだと思ったの。きっと、春来もそうなんじゃないかな?」
「いや、僕は……そうだね。知っているつもりになっていただけかもしれないね」
ずっと一緒にいて、春来は春翔のことを知っていると何となく思っていた。ただ、時々春翔の考えがわからないことがあるというのも事実だ。そうしたことに気付いて、春来は決めた。
「うん、僕も春翔のこと、もっと知るようにするよ」
「ありがとう」
「あ、それなら、みんなと仲良くするために、みんなのことも知るようにした方がいいのかな?」
「それはしなくていいよ! あ、えっと……春来は、まだみんなと仲良くしたいって気持ちがないんだよね? だったら……そう! 私で練習してからでいいと思うの!」
「練習って、そんなことに付き合わせるのは……」
「私がしたいから、いいの!」
春翔は、そんな風に強く言った後、どこか不安げな表情を見せた。
「ごめん。こんなこと、無理やりさせるのは違うよね。春来は、私とも仲良くしたいって、思っていないんでしょ?」
「ううん、そんなことないよ。春翔と仲良くしたい……」
自然とそんな言葉が出てきて、春来自身が驚いた。同時に、春来は嬉しくなった。
「うん、僕は春翔と仲良くしたいし、もっと仲良くなりたい。これは、僕のしたいことだよ」
自分にもしたいことがある。それが嬉しくて、さらにそのことを伝えたいと思って、春来はそのまま自分の思いを伝えた。
「……ありがとう」
ただ、春翔は顔を真っ赤にしながら、困ったようにそう言うだけだった。
「僕、また何か間違っているかな?」
「ううん! 全然間違っていないんだけど……」
春翔は、強い目で春来に顔を向けた。
「私のこと、もっと知って!」
最後にそう言うと、春翔は急に走り出し、行ってしまった。
一人残された春来は、呆気に取られつつ、どこか心臓の鼓動が強くなっていることに気付いた。
人付き合いが苦手だからという理由で、春来は無意識のうちに一歩引いてしまう癖があったようだ。そのことを自覚したうえで、春翔ともっと仲良くなりたい。できれば、みんなとも仲良くなりたい。
この時、そんな思いが、春来のしたいことになった。