ハーフタイム 36
それから数日が過ぎて、騒ぎは自然と落ち着いていった。
まず、SNSのアップデート時に発生したバグについて、公式に謝罪があった。詳細としては、下請けのプログラマーが修正したプログラムにバグがあり、しかもそのバグがテスト環境では一切発生せず、本番環境でしか発生しないものだったため、未然に防げなかったという内容だった。
ただ、このことについて批判したのは、複数のアカウントを使用して、様々な工作をしていた人達だけだった。それもそのはずで、多くの人にとって、このバグは何の影響もないものだった。むしろ、複数のアカウントを使用して行われていた工作が明るみになり、そちらの方を批判する声の方が多かった。
具体的にあったこととして、自分の投稿を別のアカウントで取り上げることで、話題にしていた人。別のアカウントで、ライバル関係にある人を批判していた人。そのどれもが、SNSで人気を集めている人だったため、多くの人から批判を受けた。
そして、マスメディアが行っていたことについて、春来達がかかわった、ペット問題に限らず、様々なところで同じようなことをしていたことが明らかになり、大きな問題になった。
しかし、多少の謝罪をしつつも、それらは全部、番組制作を行うスタッフが勝手にやったことだといった形で、多くのマスメディアが、自分達は悪くないといった責任逃れをした。
これは、大手のペットショップなども同じで、今回の騒動は、宣伝のためにアカウントを貸し出した結果だとしたうえで、アカウントの管理ができていなかったことを謝罪した。その際、特定のペットショップを批判する声が広がってしまったことを少し謝罪しただけで、最後は自分達も被害者だといった感じの内容で終わっていた。
当然、そうした対応に批判の声がたくさんあったものの、その後は特に何の動きもなく、自然と騒ぎは落ち着いていってしまった。これは、何もなければ、みんなの興味が薄れて、勝手に炎上も治まるといった、篠田の言った通りだった。
ただ、今回の騒動によって、良かったこともあった。それは、一ヶ月ほどが過ぎ、みんなで食事をすることになった際、知ることができた。
「みんな、本当にありがとう。篠田さんも、ありがとうございました」
これは、元々篠田に美味しいものを奢るという約束を果たすために企画されたものだったそうだ。ただ、篠田の方から、みんなで食事する機会を望んだようで、春来と春翔、そして店長の妹も呼ばれての、食事会になった。
「こちらこそ、ありがとう。おかげでいい記事が書けたわ」
篠田は、ペットショップや店長に取材した内容を、記事にすることができた。それは、SNSの騒動が話題になっていたこともあり、新人の記事とは思えないといった評価を受けたそうだ。
春来も、その記事を読んで、店長の伝えたいことを詳しく伝える、いい記事だと感じた。
「ただ、マスメディアや、そのスポンサーになっている企業に批判を向けるのは、やっぱり難しいわね。もっと世間の注目が集まると思っていたけど、思った以上に世間は無関心みたいね」
篠田は、残念そうな様子で、そんなことを言った。
「でも、今回の件で、多くの方が私の伝えたいことを知ってくれて……えっと、報告があります」
「お姉ちゃん、そんな緊張しなくて良くない?」
「いや、だって……」
店長と、その妹のやり取りを見て、今日はそれを伝えることが目的なんだろうと春来は感じた。
「ほら、早く言いなよ」
「うん。その……私の活動に協力したいと言ってくれる人がたくさんいて、それで、新しい場所で、ペットショップをやらないかって提案してくれた人がいるんです」
店長は、たどたどしい感じで、そんな報告をした。
「この前、応援してるって人達が来てくれたでしょ? その人達が色々と動いてくれたみたいで、今よりも条件のいい場所を借りて、ペットショップを開くことができるそうなの。それだけじゃなくて、保健所の人とかからも連絡があって、処分されそうな動物達を救うために協力できないかって話をされて……」
店長は、興奮した様子で話を続けた。
内容としては、今回の騒動によって、店長の活動に賛同する人が多くいたようで、中には直接的な協力を申し出る人もいたようだ。そうして、店長は今よりも立地のいい場所に自らのペットショップを持つだけでなく、保健所などで処分されそうな動物達を助ける活動も、今後行えるかもしれないとのことだった。
そうした内容全部が、いい報告だった。そう春来は感じたものの、人一倍別れを悲しむ春翔にとっては違うようだった。
「それじゃあ、もうあのペットショップは、なくなっちゃうの?」
毎日のように通っていたペットショップがなくなってしまう。そのことを、春翔は悲しんでいる様子だった。
「……うん、そうだね。今度の所は、ここから遠くなっちゃうし、頻繁に来てもらうのは難しいかもね」
「……そうなんだ」
春翔は、店長を応援したいという気持ちと、離れてしまって悲しいという気持ちの両方を持っていて、複雑な表情になっていた。そんな春翔に対して、店長は笑顔を見せた。
「時々でいいから、絶対に来てね! きっと、今よりも素敵な場所になってるから!」
店長は、力強くそんな言葉を伝えた。
「実を言うと、この話は断ろうって、最初思ったの。でも、春翔ちゃんと一緒に過ごして、もっと自信を持とうって思って……それで、この話を受けようって決めたんだよ。春翔ちゃんのおかげで、私は勇気を持てたよ。だから、本当にありがとう」
店長の口調は、どこか春翔に似ているように感じた。それは、春翔の影響を受けていることを表しているようだった。
そして、春翔は寂しそうな様子を見せつつも、笑顔を見せた。
「うん、応援する!」
「うん、ありがとう!」
そんな春翔と店長のやり取りを見て、春来は自然と笑みが零れた。
「春来君も、色々とありがとう」
「いや、僕は途中から一歩引いていたし……」
実際のところ、SNSに投稿する動画を作成する際などに、春来が意見を伝えていたら、上手くいかなかっただろう。そんな風に春来は感じていた。
というのも、春来が助言していた場合、もっとカメラアングルを変えた方がいいとか、わかりやすい言葉にした方がいいとか、そんなことを伝えたはずだ。その結果、完成したものは、それこそマスメディアと同じ、いかにも作ったものといった感じの偽物になっていただろう。
それと比べて、春翔の助言を受けつつ、店長の妹が作った動画は、動画そのものの出来など関係なく、伝えたいことが詰まった、素敵なものになっていた。それは、決して春来には作れないものだった。
「春来君、この前は厳しいことを言ってしまったけど、一歩引いて物事を見られるというのは、本当にすごいことよ。それこそ、私も見習いたいぐらいだわ」
篠田は、先日と違い、春来を肯定するような言葉を伝えた。
「でも、まだ小学三年生じゃない? 一歩……いえ、春来君の場合、何歩も踏み込んで、もっと自分がどうしたいかを考えてほしいわ。そのうえで、誰かに強制されたものでなく、本当に春来君がしたいことをするべきよ」
「……それは、この前言っていた、自分自身が何を伝えたいか……どうしたいかを考えた方がいいってことかな?」
篠田に言われてから、春来はずっと考えていたものの、その答えをまだ見つけられないでいる。ただ、篠田の言う通り、春翔達と違って、自分には何を伝えたいとか、どうしたいといった、そうした思いがないという自覚はあった。
元々、春来は人付き合いが苦手で、何か意見を言うということすらしなかった。それでも、最近は少しずつ自分の思ったことを伝えられるようになったと感じていた。ただ、振り返ってみると、自分が伝えていることは、これまで得た知識を伝えているだけで、自分の思いを伝えている訳ではない。そんな考えを持つようになっていた。
「小さい時ほど、様々なことに挑戦して、たくさん失敗していいのよ。でも、春来君は、やる前からできないと決め付けて……いえ、その逆かもしれないわね。できるとわかったうえで、わざわざやる必要がないと判断してしまうことの方が多いかしら?」
篠田からそんな風に言われたものの、春来はよく意味がわからなかった。
「それに、マスメディアの問題などを理解したうえで、どう伝えれば伝わるかといった知識を持ってしまっていることが、結果的に自分自身が本当に伝えたいことをわかりづらくしてしまっているかもしれないわね。これもさっき言ったことと同じで、失敗することもあるけど、伝えたいことをそのまま伝えていいと思うわ。今の春来君は、言葉にする前に、頭の中でどう伝えればいいかをまず考えてしまっているんじゃないかしら?」
「確かに、そうかもしれない」
「まだまだ子供なんだから、何事も挑戦で……」
「そんなこと、春来はしなくていいよ!」
その時、篠田との会話を遮るように、春翔が声を上げた。
「春来は、今のままでいいと思うよ。サッカーもドンドン上達しているし、これからもっと上達すると思うよ。それに、友達だってたくさんいるし、今のままで十分だよ」
そんな春翔の言葉を聞いて、篠田はわざとらしくため息をついた。
「やっぱり、そういうことだったのね。春翔ちゃん、そんなことをしても、お互いのためにならないわよ? 春翔ちゃんも、そのことに気付いているはずよ?」
篠田の言葉に、春翔は何も言えないようだった。ただ、こうした二人のやり取りを見て、春来は意味がわからなかった。
「どういうことかな?」
「……まあ、いいわ。春来君を取るつもりはないから、これで話は終わり……いえ、もう一つだけ質問させてもらうわ」
篠田はそんな風に言った後、真っ直ぐ春来の目を見た。
「春来君は、誰とも仲良くする気がないのかしら?」
その瞬間、春来は今まで自覚していなかったことに気付き、思わず息を飲んだ。
「記者の仕事は、自分の伝えたいことを伝える。この一言だけで全部と言ったけど、時には、知りたいという気持ちを強く持つこともあるわ。まあ、今知りたいことがわかって良かったわ」
篠田は、春来の表情を観察するように見ながら、そう言った。そんな篠田が、自分の心を見透かしているように感じて、春来は何も言えなかった。
そうして、会話が途切れたところで、少しの間、沈黙が走った。そのタイミングを待っていたかのように、店長の妹が口を開いた。
「あの……私も篠田さんのような記者になりたいです。どうすればいいですか?」
突然の言葉に、篠田は少しだけ驚いたような反応を見せた後、穏やかな表情を見せた。
「私のようなって部分を除けば、いくらでも協力できるわ。そういえば、SNSの投稿は、今後も続けるつもりかしら?」
「はい、そのつもりです」
「だったら、どういった投稿をすればいいかとか、投稿されたものを見た感想などを伝えるようにするわ」
「ホントですか!? ありがとうございます!」
今回の経験を通して、店長の妹は、記者の仕事に興味を持ち、記者になることを目指すと決めたようだ。それは、自分と違い、伝えたいことやしたいことがあるということを表していて、春来は改めて複雑な気持ちになった。
その後は、記者を目指すにはどうすればいいかといった話が中心で、あっという間に時間が過ぎていった。
そして、食事を終えると、この日は解散することになった。
「みんな、順に私が送るわよ」
篠田は車で来ていて、帰りは送ってくれるとのことだった。その提案を快く受け、最初に店長とその妹をペットショップまで送り、それから春来と春翔も家まで送ってもらった。
「送ってくれて、ありがとう」
「これぐらい、大したことないわ」
「あと……少しだけ、篠田さんと二人で話せないかな?」
特に意識することなく、春来は篠田だけでなく、春翔に対してもその質問をした。
「私はいいけど、春翔ちゃんはどうかしら?」
「……じゃあ、私は行くね。篠田さん、送ってくれてありがとう」
春翔は、不安げな表情を見せつつ、車を降りると、家に入った。
そんな春翔を見送った後、春来は口を開いた。
「僕は、篠田さんの言う通り、春翔みたいに伝えたいこととか、したいことがないけど……ないから、春翔の願いを叶えたいって思うのは、ダメなのかな? 春翔は、僕がサッカーをやるのを応援してくれるし、みんなと仲良くなるのも応援してくれて、それじゃあダメなのかな?」
春来は、自分でも何を言っているか、あまり理解できないまま、話を続けた。
「それだけじゃなくて、僕も春翔の応援をしたいと思うのは、ダメなのかな? 春翔が伝えたいことを言葉にしたり、春翔のしたいことを実現するために協力したり、それが僕のしたいことっていうのは、ダメなのかな?」
先日、春来は篠田から、春翔に依存することの危険性を指摘された。しかし、その意味をよく理解しないまま、この言葉を篠田に伝えた。
それに対して、篠田は困ったような表情を見せた後、軽く笑った。
「それが本心なら、私がとやかく言うことじゃなかったかもしれないわね」
そして、篠田は穏やかな表情になった。
「春来君がそうしたいなら、そうすればいいわ。それに……私も二人のことを応援したくなったわ」
「え?」
「何か困ったことがあった時、私は記者として、二人に協力してあげるわ」
篠田がそのように言ってくれる理由も、春来はわからなかった。ただ、篠田が自分達の力になってくれるということだけは、理解できた。
「……ありがとう」
「どういたしまして。そろそろ終わりにしないと、春翔ちゃんを不安にさせちゃうわよ?」
篠田にそう言われて、視線を動かすと、家に入ったはずの春翔が外に出ているのを確認できた。その表情は、何か心配するように、不安げだった。
「ほら、早く行ってあげないとダメよ?」
「あ、うん。その……ありがとう」
春来は、そう言うと、車を降りた。それから少しして、篠田は車を走らせ、その場を後にした。
「春来、何を話していたの?」
春翔からそんな質問をされて、春来はどう答えるのがいいかと、少しだけ迷った。そして、頭の中で考えた後、口を開いた。
「篠田さん、僕と春翔の応援をするって言ってくれたよ」
「どういうこと?」
「僕もよくわからないけど……でも、応援するって言ってくれたよ」
それを伝えただけだと、春翔は意味がわからなかっただろう。ただ、無理やり自分を納得させたのか、少しして笑った。
「よくわからないけど、応援してくれるなら、頑張らないとね」
それは、何事もポジティブに考える、春翔らしい言葉だった。
「うん、二人で頑張ろうよ」
そんな春翔の言葉を受けて、春来は改めて、春翔の願いを叶えたいと強く思った。