ハーフタイム 35
取材時の再現映像を投稿することで、番組の内容がデタラメだということが、多くの人に伝わり、今の状況が改善されるかもしれない。そんな期待を、何となく春来達は持っていた。
しかし、この投稿に対しても、また批判コメントがあった。しかも、その内容の多くが、「何故今になって、こんな映像が出てきたのか」とか、「番組の映像と比べると、微妙に違う」といった、この動画がフェイク――偽物だと指摘するものだった。実際、この動画は、取材時の再現映像であり、偽物と言われれば、その通りだ。
そして、応援するコメントなどもあったものの、そうしたコメントは、また批判コメントに埋もれてしまい、これで状況が改善されるとは、とても思えなかった。
そうした状況を見て、店長の妹は、泣き出してしまった。
「結局、ダメだったじゃん! これだけのことをして、応援してくれる人もいるけど、ほとんどの人は、お姉ちゃんを悪者にしてるじゃん!」
これまで我慢してきた感情を爆発させるように、店長の妹は、そんな声を上げた。
「テレビとSNSしか見ていないなら、そう思うのも無理ないわ。でも、これを見てもそう思えるかしら?」
それに対して、篠田はキーボードを叩きつつも、軽く息をつくと同時に、画面に付けたフィルターを外した。
「ここは、匿名で何でも投稿できる掲示板よ。ここに比べたら、SNSは簡単に個人が特定できるし、匿名とは程遠いものだと思うわ」
篠田のノートパソコンに表示されていたものは、誰でも自由に投稿できる掲示板で、いわゆる匿名掲示板と呼ばれるものだった。
「匿名と言っても、実際はそうじゃなくて、犯罪予告みたいなことをすれば、すぐに特定されて逮捕されるわ。これは、匿名掲示板に限ったことでなく、セレスティアルカンパニーなどが、ネットワークを管理しているのが理由よ。だから、普通の利用者にとっては、匿名に見える掲示板という方が正しいわね」
春来は、普段からインターネットを利用しているため、こうした匿名掲示板の存在を一応知っていた。ただ、投稿したこともなければ、ここにある情報は信憑性が低いと何となく思っていて、そこまで詳しく見たこともなかった。
それより、篠田が常識であるかのように言った、セレスティアルカンパニーに関する話の方が、春来は気になった。
「まあ、匿名と言っても、IDと呼ばれるものが付与されることで、同一の端末から複数の投稿があった時、それが全部同じ端末から投稿されたものだって、わかるようにはなっているわ。それを知らないで、別人のふりをした投稿をしてしまうと、いわゆる自作自演だなんて言われることになるわ」
篠田の言う通り、各投稿には、英数字や記号をランダムに組み合わせた、IDと呼ばれるものが付与されていた。そして、よく見ると同じIDの投稿もいくつかあり、それらが同一人物による投稿だとわかるようになっていた。
「匿名性が高いから、好き勝手言う人が多いなんて批判もあるけど、それはむしろ利点でもあるわ。特に、マスメディアに対して不信感を持っている人が多いから、テレビやSNSを見るだけじゃわからない情報がたくさんあるわよ」
横から覗くような形で、春来達は篠田の使うノートパソコンの画面を見た。
「当然、この中には嘘の情報もあるから、鵜呑みにするのは良くないわ。でも、こういった情報があると認識することは、大事なことよ」
篠田の言う通り、デタラメな情報も多かったが、マスメディアの問題についてまとめた投稿など、参考になりそうなものも多くあった。中には、春来も知っていることが、わかりやすくまとめられているものがあって、さらに知識を深めることができた。
「ここにも、番組や大手ペットショップの味方をするような投稿があるけど、それは関係者の投稿だろうと解釈されて、ほとんど無視されているわ。それを利用して、この一週間、この件でマスメディアに不信感を持つ人を、私は集めていたのよ」
篠田は、一般人を装いつつ掲示板に投稿することで、今回の件について、マスメディアへの不信感を煽り、それは既に形になっていた。というのも、テレビやSNSと違い、ここでは番組や大手のペットショップを批判する投稿が圧倒的に多かった。
「向こうが焦っているのは、こうした状況を知っているからよ」
「こんなのがあるのに、何で、教えてくれなかったんですか?」
「ここは、何の登録もしないで、誰でも投稿できる掲示板よ? 教えたら、何か投稿したんじゃないかしら?」
「そうですけど……」
「そうしてほしくないから、伝えなかった。理由は、ただそれだけよ。ここは、関係ない人達が好き勝手に意見を言い合う場所にするべきだと思ったのよ」
そんな篠田の言葉に、店長の妹は何も返さなかった。実際、篠田の言う通り、SNSのコメントと比べて、この匿名掲示板では、みんな好き勝手に意見を言い合っていた。そして、その結果、このペットショップを応援する投稿も多かった。
それは、関係のない人達が投稿しているから実現できたことであり、そこにこちらの考えなどを投稿していたら、こうはならなかっただろうと感じた。
「篠田さん、ありがとうございます」
そうした状態になっているのを見て、店長は感謝の言葉を伝えた。
「私は、少しでも動物達のために、伝えたいことを伝えられればと思ってたので……これだけ多くの人が、私の思いを知ってくれただけで、もう十分です。ありがとうございました」
そう言うと、店長は、深く頭を下げた。
それに対して、篠田は、わざとらしく笑い声を上げた。
「感謝は、全部終わった後にしてほしいわ」
「え?」
「まだ何も終わっていないし、むしろ、これからが本番よ」
そう言うと、篠田は不敵な笑みを浮かべた。
「どういうことですか?」
「そろそろね。今日の午後5時、このSNSで、あるアップデートがあるわ。内容は、背景やデザインの変更といった、すぐ見た目でわかることだけでなく、システムの部分でも大きな変更があるのよ」
篠田は、時計を確認しながら、そんなことを言った。
「大きな変更?」
「見ればわかることよ。私は情報を拡散するのに集中するわ」
そう言うと、篠田は、画面に集中しながら、何度もSNSの表示を更新し続けた。
そして、午後5時を迎えた瞬間、それは起こった。
「……何これ?」
店長の妹が声を上げるのも無理なかった。
篠田の言う通り、このSNSの背景やデザインが変わった。ただ、それ以上に目を引く、ある変化が起こった。それは、アカウント名だ。
これまで、このペットショップを批判するコメントは、「マキ」「アカ」「クラゲ」といった複数の違うアカウント名で投稿されていた。それが今、全部同じアカウント名に変わり、しかも「マキ・アカ・クラゲ……」といった形で、複数のアカウント名を羅列したものになっていた。
さらに、詳しく見てみると、そうして羅列されたアカウント名の中に、番組や大手ペットショップのアカウント名も含まれていた。
「篠田さん、これは……?」
「修正される前に拡散するから、ちょっと待ってほしいわ」
篠田は、そうした状態になっているのを画像で保存した後、すぐに匿名掲示板の方へ投稿した。すると、元々注目されていたこともあり、すぐに反応があった。
そして、この異常な状況について、様々な考察がありつつ、あっという間に一つの結論が出た。
それは、複数のアカウントを使用している人のアカウント名が、使用しているアカウント全部の名前を羅列したものに変わっているというものだ。つまり、これまで批判コメントを何度も投稿してきた、「マキ」「アカ」「クラゲ」というアカウントは、全部同一のアカウントだということ。さらに、番組や大手ペットショップのアカウントも、それらと同一のアカウントだということになる。
このことは、複数のアカウントを使用して、あたかも多くの人が同じ意見を持っているかのように偽っていた――先ほど篠田が言った自作自演の証拠そのものであり、匿名掲示板の方では、すぐ大きな騒ぎになった。
そして、そうした騒動はSNSの方へも広がり、すぐに情報が拡散された結果、番組や大手ペットショップのアカウントに対して、アカウント名が変化した件について説明してほしいといった意見が殺到した。
また、先ほど投稿した動画に対して、すぐ批判コメントをしてきたものが、全部同じアカウント名になっている状態だったため、それにより、動画の内容が正しいんじゃないかと判断する人が多くいた。その結果、番組や大手ペットショップは嘘をついているといったコメントがたくさん寄せられ、それが話題になると同時に、批判コメントが埋もれていった。
「後は、勝手にみんなが拡散してくれるはずよ」
そう言うと、篠田は一仕事終えたといった様子で、一息ついた。
「えっと……何が起こってるんですか?」
そうした篠田の様子を見て、店長の妹はすぐに質問した。
「今回のアップデートで、システムの部分でも大きな変更があると言ったじゃない? それは、複数のアカウントを使用している人向けに、アカウントの切り替えをしやすくするといったものよ」
篠田は、何が起こっているのか、順を追って説明を始めた。
「元々、このSNSは、複数のアカウントを使用することを禁止していないわ。むしろ、アカウントが増えれば増えるほど、利用者が多いと思わせることができるし、推奨しているぐらいよ。だから、これまでも各ユーザーに対して、所有しているアカウントの一覧などを表示して、そこからどのアカウントを使うかといった選択をさせる仕組みになっていたわ。でも、アカウントを切り替えるのが少し面倒で、毎回パスワードを入力しないといけない仕様になっていたわ」
「そういえば、友達がそんなことを言ってたかも……」
「それで、今回のアップデートでは、そうしたアカウントの切り替え時に、パスワードを必要としないよう、仕様を変更することになっていたのよ。具体的には、ログイン中のアカウントへ切り替える際、パスワードを必要としないというもので、同時にログイン中のアカウントをリスト化する機能も追加されたわ」
そう言うと、篠田はSNSで、自分が使っているアカウントにログインした。
「私の場合は、私個人のアカウントと、会社用のアカウントがリスト化されているじゃない? それで、自分の使いたいアカウントを選択すれば、簡単に切り替えることができるわ」
「それじゃあ、何で今、アカウント名がこんな風に変わってるんですか?」
「それは、アップデート時の不具合……いわゆる、バグと呼ばれるものよ。リスト化する際、それがそのままアカウント名になってしまうというバグが発生した結果、ログイン状態のアカウント名が羅列した状態になってしまったというわけよ」
そう言うと、篠田は軽く笑った。
「向こうは、相当焦っていたのか、元々批判するために使用していたアカウントだけでなく、公式に使用しているアカウントでも批判するため、ログインしたみたいね。まあ、こういったことは、特定の人が全部担当するということも多いし、そうしてくれる可能性は十分あると思っていたわ。でも、ここまで思い通りに動いてくれたのを見ると、やっぱり嬉しいわね」
篠田は、炎上させたまま、その状態を維持するようにこれまで言っていた。それは、注目を集めるだけでなく、番組や大手ペットショップを焦らせる目的もあったようだ。
「こういった大規模なアップデートは、本来サービスを止めてやるべきよ。ただ、SNSって四六時中使っている人がいるし、使えない時間があると困るという人も多いわ。それに、サービスを止めずにアップデートできれば、それだけの技術があると示すことができるから、今回はサービスを止めないまま、多くの利用者がいるこの時間にアップデートが行われたわ。その結果、このような騒ぎになった形よ」
「これ、篠田さんがやったんですか?」
「いいえ、私じゃないわ。ここにずっといて、こんなことできる訳ないじゃない」
「じゃあ、誰がやったんですか?」
「そうね……。これをやったのは、協力をお願いしても、『今は手が離せない』と返答するほど忙しい、匿名希望の人よ」
「はい?」
篠田の答えを聞いて、店長の妹だけでなく、春翔なども意味がわかっていないようだった。
一方、春来だけは、篠田の答えを聞いて、心当たりのある人物が一人いた。
「もしかして、ビーさんがやったのかな?」
「ビーって誰かしら? そんな人知らないわ」
それは、最初に電話で話した時と、同じ返答だった。ただ、今回は篠田の不敵な笑みをしっかり確認できた。それを見て、春来は、自分の推測が当たっているのだろうと確信した。
「そういえば、伝え忘れていたわ。今言ったこと、あなた達は知らなかったし、今後も知らないことにしてほしいわ」
「……どういうことですか?」
「私のしたことは、あくまでこの店の取材をしただけよ。そして、あなた達は、番組の内容がデタラメだといったことを伝えただけ。そうしたことをしていたら、『偶然』SNSのアップデートでバグが発生した。そういうことにするべきだということよ」
元々、篠田はSNSでマスメディアなどが複数のアカウントを使用している問題について、無視していいと言っていた。そして、実際にその理由を教えてもらわないまま、店長の妹は、SNSへの投稿を行っていた。
そうしたことを踏まえると、篠田の言う通りにするべきなんだろうと、全員が感じた。
「……わかりました」
そんな話をしている間に、SNSの方で修正が入ったようで、アカウント名は元通りになっていた。しかし、既に拡散した情報は止まることなく、さらに騒ぎは大きくなっていった。
「まあ、最初に炎上させたのは向こうだし、盛大に燃え上がってもらうわよ」
そうした様子を見ながら、篠田はまた不敵な笑みを浮かべた。