ハーフタイム 32
医者は、春来達が来ることを事前に知っていた様子で、話ができるよう、部屋に案内してくれた。
「先日あった番組、私も見たよ。本当にひどい内容だったね」
「あの、今日は……」
「君のお姉さんから、話は聞いているよ。SNSに動画を投稿するとのことだけど、私も協力するよ」
こちらからお願いする前に、そんな風に言われて、店長の妹は戸惑っているような様子を見せた。
「えっと、いいんですか?」
「私も色々と言いたいことがあったからね。こちらからお願いしたいぐらいだよ。あと、私は顔を出しても構わない……というより、顔を出して話したいから、そうしてもらってもいいかな?」
そんな風に言われたものの、本当にいいのだろうかといった不安があるようで、店長の妹は固まってしまった。そんな様子を見て、医者は穏やかな表情を見せた。
「こんな風に言うと、むしろ困らせてしまうね。あのペットショップができた時……正確には、その少し前に君のお姉さんがここに来て、動物達が病気になったり、怪我したりした時に助けてほしいといったお願いをされたんだよ。それだけでなく、自分のペットショップを持つことが余程嬉しかったみたいで、動物達への愛なんかを熱く語ってきたんだ」
「お姉ちゃん、そんな恥ずかしいことをしたの!?」
店長が動物達を愛しているというのは、誰でも感じていることだ。ただ、医者の話を聞く限り、かなりの熱弁をしたようで、店長の妹は顔を赤くした。
「まあ、それから定期的にペットショップの方へ行って、動物達の検診をしたり、何か病気になった子がいたら治療したり、そうした付き合いができたんだよ」
「そうだったんですね」
「この前も来てくれたもんね!」
「あの時は、助けることができなくて、本当にごめんね」
「ううん。あの子のために頑張ってくれて、ありがとう!」
「……そう言ってもらえると、嬉しいよ」
春翔の言葉に対して、医者は複雑な思いを隠すように、笑顔を見せた。
「私は常連というと、少し違うと思うけど、あのペットショップのことはよく知っているよ。それに、テレビで紹介されるというのは聞いていたから、番組も見たし……さっきも言ったけど、本当にひどい内容だったからね。私からも、話をしたいと思っていたんだよ」
「そうなんですね。それじゃあ、取材させてください。えっと……音声の加工とかも必要ないですか?」
「うん、必要ないよ」
「そうですよね。それじゃあ……」
店長の妹は、どのカメラアプリを使えばいいかなど、考えることが多くあり、混乱している様子だった。すると、春翔がある提案をした。
「お医者さん、あの番組を見て、何か伝えたいことがあるって言っているし、それを全部伝えてもらおうよ! 私も聞きたいもん!」
そんな春翔の言葉を受けて、店長の妹はどこか安心した様子で息をついた。そして、何か決心したように、強い目を見せた。
「うん、そうだね。春翔ちゃん、ありがとう。私からは、簡単な質問をするだけにします。その後、あなたに話をしてもらって、それを撮る形にしてもいいですか?」
「うん、むしろ私がそうしたいと思っているよ」
そうして、どういった形の取材にするかが決まったうえで、店長の妹はスマホを操作し、撮影を始めた。
「先日あった番組を見て、伝えたいことがあるとのことですが、そちらを話してもらえませんか?」
今日だけで様々な人の取材をしたため、店長の妹は、すっかり慣れた様子で、自然な口調だった。それに対して、医者は軽く間を置いた後、話し始めた。
「私は、獣医です。先日の番組で、紹介……というのは、違いますね。非難の対象にされたペットショップには、定期的に行っていて、動物達の検診をしたり、怪我や病気になった動物の治療をしたり、そういったことをしています。まず、最初に言いますけど、あの番組で言われていたことは、まったくのデタラメだと感じました」
医者は、強い口調で、はっきりと番組の内容を否定した。
「まず、インタビューを受けていた彼女は、本当に動物のことが大好きで、それは自分が世話をしている動物だけでなく、世界中の動物が幸せになってほしいなんて思っているほどです。その理由は、元々動物好きだったからというだけでなく、大手のペットショップで働いた際、動物達に対して、商品としか思っていないかのような扱いをしているのを見たからだと聞いています」
医者は、大手のペットショップの問題にも触れつつ、核心に触れないような言い回しだった。
「そんな彼女が、あのような発言をするとは思えません。何か、番組のスタッフから、そう言うように誘導されたか、それこそ強要されたのではないかと思います」
実際にあったことは、篠田の言う通り、いわゆる切り抜き報道だろう。ただ、そういったことを知らないのか、医者は独自の推論を伝えた。
「また、店内で動物達が放し飼いになっていることを批判していましたけど、動物が他の動物を怪我させてしまう原因のほとんどは、動物同士で触れ合った経験が少ないからです。例えば、大型犬は力も強く、愛情表現のつもりで他の動物や人を噛んだ時、怪我をさせてしまいます。これを防ぐためには、他の動物と触れ合う時間を増やす必要があり、あのように放し飼いにするのは、むしろ正しい形だと思います」
これは、店長も言っていたことだ。それを、医者からも聞くことができ、改めて、その通りなのだろうと春来は感じた。
「あそこは大型犬や小型犬、それに猫など、様々な動物が放し飼いのような形になっています。それにもかかわらず、大型犬が小さな動物に怪我を負わせることなく、一緒に過ごしています。また、お客さんが来た際、動物がその人に襲い掛かったという話もありません。今言った、動物が他の動物や人に怪我を負わせたという話は、他の動物と触れ合う機会が少ない、大手のペットショップで購入された動物ほど、多くあるように私は感じています」
そこまで大手のペットショップを攻撃するような発言をして、大丈夫だろうかと春来は心配になった。ただ、医者は話を止めることなく、そのまま続けた。
「今回、番組で扱っていたペット問題について、私は獣医として、全力で協力し、解決したいと思っています。それは、彼女も同じです。しかし、あの番組の内容は、ペット問題を解決するどころか、反対に悪化させるもので、私は本当に怒っています。こうして顔を出して、番組を批判することで、私にも様々な批判があるでしょう。それでも、私はこのことを伝えたいと思い、今こうして話しました。一人でも多くの方に、私の言葉が届くことを願います。最後まで話を聞いてくださり、ありがとうございました」
最後に、医者は頭を深く下げた。
店長の妹と春翔は、医者の思いに圧倒された様子で、完全に固まっていた。そんな二人を見て、医者は笑った。
「私の話は、終わりだよ?」
「……あ、ごめんなさい! カメラ、止めます!」
店長の妹は我に返ったような様子で、スマホを操作した。
「ちゃんと撮れていたかな? 撮った映像、確認できるなら、確認させてもらいたいんだけど、いいかな?」
「あ、はい! これで見れますよ!」
それから、店長の妹がスマホを操作し、先ほど撮った映像を医者に見せた。
そして、医者は真剣な表情で、映像を見ていた。
「うん、私にしては、よく話せたと思うし、これで大丈夫だよ。ありがとう」
「いいえ、私の方こそ、こんな素敵な話を聞かせてくれて、ありがとうございました!」
そうして、最後の取材が無事に終わった。それで、帰ろうとしたところで、店長の妹は、改めて医者に顔を向けると、頭を下げた。
「今日は、ホントにありがとうございました! あと、一つ聞きたいんですけど……」
その先を言うべきかどうか、店長の妹は迷っているような様子を見せつつも、何か決心したようで、息を吸った後、口を開いた。
「もしかして、お姉ちゃんと付き合ってるんですか!?」
その質問に対して、医者は少しの間、何の反応もしなかった。それから、顔を真っ赤にしながら、慌てた様子を見せた。
「いや、まだそういうことにはなっていないから!」
「まだということは、そのうち、付き合うってことですか!?」
「いや……参ったな」
医者は観念した様子で苦笑しつつ、真剣な表情になった。
「君のお姉さんがしていることを、全力で応援しているのは事実だよ。今は……それだけで、勘弁してくれないかな?」
そう言いながら、医者は、ただただ困った表情になった。それに対して、店長の妹は慌てた様子で頭を下げた。
「ごめんなさい! えっと、困らせるつもりなんてなくて……その、応援しますから! お姉ちゃんに、すごくいい人だったって伝えますから!」
「いや、それもやめてほしいんだけど……」
そうしたやり取りについて、春来は何をしているのか、よくわからなかった。それより、今日の取材を振り返った時、多くの違和感があり、その正体が何なのかを考えていた。
そして、「違和感の正体がわからない時は、違和感を持った時のことを思い返すといい」という、篠田の言葉を春来は思い出した。それから、その言葉に従うように、改めて今日の取材を振り返った時、気付いたことがあった。
その後、医者に別れを伝えた後、春来達はペットショップへ戻った。そして、店長の妹と春翔は、無事に取材できたことを嬉しそうに話した。
「最初は上手くいきませんでしたけど、途中からちゃんとできたし、素人が撮ったとは思えない映像になってるかもしれませんよ!」
「うん、絶対になっているよ!」
そんな二人を見て、篠田は穏やかな表情になった。
「ごめんなさい、過小評価をしてしまったかもしれないわね」
そんな風に言ったものの、篠田にとっては、すべて予想通りだったのだろうと感じた。そのうえで、春来は切り出すことにした。
「篠田さん、少しだけ二人で話せないかな?」
「こんなお姉さんを口説くなんて、春来君、随分とませているわね」
「……えっと、どういう意味かな?」
「そういう、お子様な部分もちゃんとあって良かったわ。いいわ。それじゃあ、あっちの部屋を借りてもいいかしら?」
篠田が何を言っているかわからなかったものの、店長に部屋を借りる許可をもらったうえで、春来は篠田と二人きりで話す機会をもらった。
「話って何かしら?」
「今日の取材、色々と違和感があって……」
それから、春来は今日の取材について、簡単に何があったかを説明した。
「それで、一番最初に違和感を持ったのは、三人目の人と直接話した時で、その人は、ここに数回しか来ていないって言っていたんだけど、それって、常連さんじゃないよね?」
春来の言葉に、篠田は笑みを返したものの、特に何も言ってこなかった。そのため、春来はそのまま話を続けることにした。
「あのメモに書かれていた順番……上の方の人は、ほとんどここに来たことがない人だったんじゃないかな? それで、下に行くほど、ここに頻繁に来てくれている、常連さんになるようにしていたんじゃないかな?」
「何で、わざわざそんなことをする必要があるのかしら?」
「最初は上手く取材できていなかったけど、回数を繰り返すうちに、段々とできるようになっていって……もしも、逆の順番だったら、慣れないまま常連さんの取材をすることになって、上手くいかなかったと思う」
春来の考えは、最初のうちに取材を受けてくれなさそうな人を対象に取材をさせ、十分に慣れさせたうえで、常連の取材をさせる狙いがあったのだろうというものだった。
「最後に取材したお医者さんは、あらかじめ取材のことを知っていたし……もしかしたら、あらかじめ取材のことを知っていた人は、他にもいるんじゃないかな? それで多分、篠田さんには、春翔達を誘導して、どういった取材映像を撮らせるかって、そんな意図があったんじゃないかな?」
そこまで言うと、篠田は不敵な笑みを浮かべた。
「それじゃあ、私が春来君に一歩引くように言った理由は、わかるかしら?」
「それは……僕は、最初にメモを見た時、メモの順番通りじゃなくて、近くから取材しようと思ったよ。そうしていたら、慣れる前に、常連さんに取材することになっちゃったはずだし、それを止めるのが目的だったじゃないかな?」
「それだけかしら?」
「……もっとこうした方がいいんじゃないかってことを、僕から伝えるんじゃなくて、春翔達が自分で気付いた方がいいと思ったからかな?」
今日だけで、春翔と店長の妹は、様々なことを経験して、確実に成長した。そうした春翔達の成長を、篠田が望んでいたんじゃないかと、春来は考えていた。
ただ、篠田がわざとらしく首を傾げたため、それは正解じゃないようだった。
「えっと……何が理由なのかな?」
「春来君は、何を伝えたいのかしら?」
「え?」
篠田からの不意な質問に、春来は何も返せなかった。
「記者の仕事は、自分の伝えたいことを伝える。そう言ったけど、そのためにはまず、自分の伝えたいことを持つ必要があるわ。でも、春来君は今回の件で、特に伝えたいことを持っていないわね?」
「ううん、僕も伝えたいことがあるよ」
「それは、春来君の伝えたいことじゃなくて、春翔ちゃんの伝えたいことじゃないかしら?」
今回、春来は両親の忠告もあり、この件から離れようと思っていた。しかし、春翔が諦めることなく、かかわり続けているため、それに付き合っている形だ。
そうした経緯があるため、春来は篠田の言葉を否定できなかった。
「伝えたいことがないのに、何かを伝えようとしても、無理があるわ。だから、伝えたいことがない春来君には、一歩引いてもらったのよ」
「でも、それは篠田さんも一緒じゃないかな?」
「いいえ、私は伝えたいことがあるわ。そして、それを伝えるため、今こうして取材しているわ」
はっきりとした口調でそんなことを言われて、春来は何も言えなくなってしまった。
「春翔ちゃんのために春来君が動いていること、とても素敵なことだと思うわ。でも、それは春翔ちゃんに依存することになってしまう危険があるわ。だから、春来君自身が何を伝えたいか。どうしたいか。そういったことを考えてほしいわ」
この時、篠田が何を言っているのか、春来はよく理解できなかった。
そして、そのことを篠田は察している様子だった。
「今はわからなくても、いつか気付いてくれることを願うわ」
そんな風に言われたものの、まだ意味がわからず、春来は何も言えなかった。
そうして、篠田との会話は終わった。