ハーフタイム 24
次の日の放課後、春来と春翔はすぐ教室を出ると、校門に向かった。
そこには、既に春来の母親が待っていた。
「母さん、ありがとう」
「それじゃあ、早く行こうよ!」
春翔は、ペットショップへ行くのをずっと楽しみにしていた様子で、急かすようにそう言った。
「春翔ちゃん、そんなに焦らなくても大丈夫よ」
「だって、早く行きたいんだもん!」
昨日、春翔は、春来の父親が書いたペット問題の記事を読んだようで、それにより知識を深めたそうだ。そして、何か少しでもできることをしたいといった気持ちをさらに強く持ったようだった。
「わかったわ。それじゃあ、行くわよ」
そうして、春翔に急かされるように、春来達は早足でペットショップへ向かった。
「そうそう。実は学校に来る前に、ペットショップの方へ寄って、少しだけ挨拶してきたの。二人のことを話したら、喜んでいたし、歓迎すると言っていたわ」
母親は、事前にペットショップに寄ったとのことだった。それは、突然訪れて迷惑にならないかといった配慮もあったかもしれないが、それ以上に春来と春翔抜きで話したいことがあったのだろう。そんな風に春来は感じた。
昨日、無茶をしないようにと両親達から注意されて、春来は言う通りにしようと思った。しかし、春翔は違い、昨日以上に自分の思いを第一にしている様子だった。
それは、何かあればまた無茶をするということで、両親達からしてみれば心配なのだろう。そのため、春来の母親はペットショップへ行き、そうした事情を伝えるとともに、店長や店員が信用できる人なのかといったことを、事前に確認してきた。そんな風に考えるのが自然だった。
もっとも、春翔がそのことに気付く様子もなければ、春来から伝える必要もないと判断して、何も言わないでおいた。
そして、ペットショップに到着すると、真っ先に春翔が中に入った。それから、春翔に続くように、春来と母親も中に入った。
「いらっしゃいませ。春翔ちゃん、春来君、よく来てくれたね」
店長は、笑顔で迎えてくれた。そんな店長に対して、母親は丁寧に頭を下げた。
「改めて、よろしくお願いします」
「そんな、やめてください! 私は、この店に興味を持ってくれる方がいて、ただ嬉しいだけですから!」
店長は慌てた様子でそんな風に言った後、軽くため息をついた。
「見ての通り、お客さんはあまりいませんし、この建物を貸してくれてる人や、近所の人が協力してくれなかったら、もう潰れててもおかしくないんです。だから、少しでも興味をもってもらえたら、それだけでいいんです」
「私、手伝えることがあったら、何でもする!」
弱気な様子の店長に対して、春翔は相変わらず強気な様子で大きな声を上げた。
それに対して、店長は笑顔を見せた。
「春翔ちゃん、ありがとう。でも、アルバイトをさせるわけにはいかないからね。時々でもいいから、ここに来て、ここにいる子達と遊んでくれれば、それでいいよ」
「そんなことでいいの?」
「そんなことなんかじゃないよ。すごい大事なことなんだよ? その……話すより、実際に体験してもらった方がいいね」
そう言うと、店長は動物達を囲った、網で作られた柵を越えた。
「色々と話すだけより、この子達に触れてもらった方が、きっとわかるよ。だから、入ってきて」
「え、急に入っていいの? みんな、怖がらない?」
「この子達は、人と触れ合うことに慣れてるから大丈夫だよ。あ、でも、驚かせたり、意地悪したらダメだよ?」
「そんなことしないよ!」
「じゃあ、入ってきて」
「……うん」
春翔は、恐る恐るといった様子で、柵を越えた。その様子から、動物を怖がらせてしまうことを心配しているというより、春翔自身が動物に囲まれることを怖がっているように見えた。
「僕も入るよ」
そのため、春来は春翔を一人にしないようにしようと、すぐ柵を越えた。
動物達は、春来達から離れた場所に集まっていて、動物同士でじゃれ合っていた。ただ、柵に入った春来達に気付くと、すぐに注目してきた。
「えっと……」
「怖がらないでって言っても難しいよね。普段、触れ合うことがない動物に対して、怖いと思うのは当然だよ。でも、それは動物達の方も同じで、今でも新しい人が来ると、どうしていいかわからなくて、怖がっちゃう子もいるんだよ」
店長がそんな話をしていると、一匹の犬がこちらに近づいてきた。その犬は、他の動物と比べると体格が大きく、どこかリーダーのような雰囲気を感じさせた。
そして、どうしていいかわからず、困ったまま固まっている春翔に近づくと、犬は頭を下げた。
「これは、この子の挨拶なんだよ。春翔ちゃん、頭を撫でてあげて」
「……うん」
春翔は、恐る恐るといった感じで、犬の頭を撫でた。すると、犬は嬉しそうな反応を見せた。それを見て、春翔も笑顔になった。
「喜んでくれた!」
「この子、新しい人が来ると、一番最初にこうして挨拶してくれるんだよ」
「そうなんだ!? すごい!」
「こうやって、首元を触ってあげると、喜ぶからやってあげて」
店長に言われるまま、春翔は犬とじゃれ合い、あっという間に仲良くなったように見えた。すると、他の犬や猫も警戒心がなくなったのか、こちらに近づいてきた。
中には、春来の方へ寄ってくる動物もいたため、春来は見よう見まねで撫でてあげた。
「何か、春来の方に集まっている気がするんだけど?」
「いや、そんなこと……うん、何でかな?」
言われるまで春来は気付かなかったが、春翔の言う通り、いつの間にか春来の方が動物達に囲まれていた。
「春来君、動物を怖がったりしないし、好かれやすいのかもね」
「悔しい! 負けないから!」
「いや、こんなことで、対抗しないでよ」
いつもどおり、負けず嫌いな春翔に対し、春来は苦笑した。
「でも、みんな、おりこうさんだね」
「うん、そうでしょ? でも、これは私達だけでなく、ここに来てくれる人達のおかげなんだよ」
店長は嬉しそうな様子で、話を続けた。
「さっきも言ったけど、動物の方だって、初めて人と触れ合う時は怖がったりするんだよ。でも、色んな人と触れ合うことで少しずつ慣れてくれるの」
「あれ? 他のペットショップは、そうしていないんだよね? それなのに、大丈夫なの?」
春翔の質問に、店長は複雑な表情を見せた。
「大手のペットショップは特にそうなんだけど、全然人と触れ合うことがないまま、ペットとして飼われることになる子はたくさんいるよ。そうした子は、突然環境が変わるだけでなく、見ず知らずの人と過ごすことになるんだけど、そうなると上手くいかないことも多いんだよね。でも、それは当然のことでしょ?」
「うん、そう思うよ」
「それなのに、それで何か問題があった時なんかは、躾がなってないとか言って、ペットや飼い主のせいにするんだよね。本当に悪いのは、そんな状況や環境を作った、ペットショップなんだけどね」
そこまで話して、店長は我に返ったように、慌てた様子を見せた。
「ごめん、愚痴になっちゃったね。ただ、そうした事情があると知ってるから、ここでは、この子達がなるべく人と触れ合えるようにしようと思ったんだよ。だから、こうして放し飼いに近い形にしてるし、それだけじゃなくて、レンタルみたいなこともやってるんだよね」
「レンタル?」
「お客さんが選んだ子を貸し出して、短い期間だけど、一緒に暮らしてもらうの。実際に飼ってみないとわからないこともあるし、思ってたのと違ったってこともたくさんあるからね。そうしたことをなるべく知ってほしくて、ここではレンタルもやってるの」
ペットをレンタルできる店があることを、春来は何となく知っていた。ただ、それは長期的にペットを飼えない人向けのもので、店長の言う目的とは違うものだった。
「当然、レンタルはお金が掛かるけど、実際に飼うことになった時、レンタルで掛かったお金はそのまま値引きするようにしてるよ。だから、ここではペットを飼いたいってお客さんでも、一旦レンタルしてもらうようにしてるんだよね」
「うん、私もそれがいいと思う!」
「あと、ここにいる子は、色んな事情で捨てられちゃった子とかもいるんだけど……ペットを飼いたいって人は、子犬や子猫を欲しがる人が多いんだよね。だから、大手のペットショップになるほど、子犬や子猫が多いの。ただ、人の成長とは違うし、生後間もなくって感じじゃない限り、ある程度は成長してて……それこそ、生後数ヶ月とかで、今の春翔ちゃん達と同じぐらいと考えてもいいぐらいだと私は思うよ」
「そうなの?」
「だから、その数ヶ月間の環境も……ううん、むしろその数ヶ月間の環境の方が大事なぐらいだと思うんだけど、なかなかそうもいかないのが現状……って、また愚痴になっちゃったね」
「ううん、もっと話して!」
春翔は、知りたいと思っていた話をドンドン吸収していっている様子だった。
そこでふと、春来は母親に目をやった。
てっきり、春翔がそこまで入れ込まないようにするため、母親は、店長に様々な事情を話さないよう、口止めしていると思っていた。しかし、ここまでも店長は深い話をしているし、母親もそれを止めることなく、黙って見守っているだけだった。
そのため、母親の意図がわからなくなりつつ、春来は春翔と店長のやり取りに意識を戻した。
「もっとってなると……春翔ちゃんに挨拶してくれた犬、ここでは『ボス』って呼んでるんだけど、他の子より体格が大きいだけでなく、一番の年長者で、それこそ大人なんだよね。だから、いつもみんなのことをまとめてくれるし、すごい賢い子なの」
「挨拶してくれて、嬉しかったよ! ボス、本当にありがとう!」
そう言うと、春翔はボスと呼ばれた犬の頭を撫でた。ただ、店長はそこで表情を曇らせた。
「でも、さっき言った通り、ペットショップで人気なのは小さい子で……他の店とかだと、ボスは売り物にならないって捨てられることが多いの」
「え、何で!? そんなのひどい!」
「うん、本当にひどいことだと思うよ。ただ、これも難しくて、ボスの飼い主は、こんなに大きくなるってことを知らなくて、ドンドンと大きくなるボスに困っちゃったみたいなの。これこそ、ペットショップとかで真っ先に伝えるべきことだと思うんだけどね。それで、私が引き取ることにしたんだけど、最初は暴れん坊で大変だったんだよ?」
「そうなの?」
「体格が大きいから、小さい子に暴力を振るったり、私も含め人には吠え続けたり、本当に大変だったんだけど……それは、ボスが悪いわけじゃないってわかってたから、少しずつでも近づいてって……いつだったかな? 棚を整理してた時、物が崩れちゃったんだけど、ボスが私を庇うように飛び掛かってきたの。まあ、崩れてきたのは軽い物だったし、ボスが飛び掛かってきたダメージの方が大きかったんだけど、私のことを心配してくれたんだってわかって、本当に嬉しかったんだよね」
そう言うと、店長はボスの頭を優しく撫でた。
「それから、少しずつどうすればいいかって教えたら、ちゃんと覚えてくれて、今では私が助けてもらってばかりだよ」
春来は、店長とボスの間に、強い絆みたいなものがあるように見えて、自然と胸が熱くなった。
「あ、何か自分語りみたいなことしちゃって、ごめんね! とにかく、春翔ちゃんと春来君は、この子達と遊んであげてよ」
そのうえで、ここにいる動物達、みんなのことを考えようとしている店長を見て、さらに春来は胸が熱くなった。
「少しだけいい?」
その時、それまで黙っていた母親が、不意に問いかけた。
「私の夫が、ペット問題について、また書いてみたいと言っているの。もし良ければ、取材を受けてみる気はない?」
それは恐らく、春来と春翔の話を受け、両親で決めたことだろうと春来は感じた。
そして、この提案は店長にとって、喜んでくれるものだろうと思っていた。しかし、店長は浮かない表情だった。
「ごめんなさい。嬉しい話なんですけど……今はちょっと無理で……」
「何かあるの?」
「ごめんなさい! その……言っちゃいけなくて……」
店長は、何か事情がある様子だったものの、具体的に何があるのか言わなかった。
しかし、母親は何か納得した様子で頷いた。
「そういうことなら、仕方ないわね。またの機会にするわ」
「本当にごめんなさい! 本当に嬉しいんですけど……」
「大丈夫よ。わかっているから、気にしないでいいわ」
母親と店長は、そんなやり取りをしただけで、それ以上は何も言わなかった。
その後は、日が暮れるまで動物達と触れ合った。そして、いつまでもここにいたいという春翔を無理やり引き離す形で、ペットショップを後にした。
「楽しかった! また明日も行く!」
帰り道、春翔はただそれだけを言っていた。しかし、それは寄り道をするということで、春来は賛成していいかどうか、母親の前だと迷ってしまった。
「今日は私がいるから、少し遅くなったけど、明日以降はもう少し早く帰るようにしてほしいわ」
とはいえ、母親がそんな風に言ってくれて、いらない心配だったかと春来は安心した。
「春来、しっかり春翔ちゃんに付いて、一人にしちゃダメよ?」
「え……あ、うん。わかったよ」
その代わり、春来が一緒にいることが条件のようで、ここは素直に受け取っておいた。
そして、家に着き、春翔と別れた後、母親は不意にため息をついた。
「春来、話があるわ」
「うん、そうだと思ったよ」
母親は、春翔の前だと言えないことがあるのだろう。そんなことを感じていた春来は、母親の言葉をそのまま受け入れた。