ハーフタイム 16
春来達は速く移動したかったものの、朋枝の歩調に合わせる形で、早足ぐらいのペースで移動していた。
「春翔、どこに行くのかな?」
「とりあえず、秘密基地に行くのがいいんじゃない? 多分、家だとすぐに誰か来ちゃうでしょ?」
「確かに、もしかしたら別のお巡りさんがもういるかもしれないね」
とにかく朋枝を連れ出すのが先決だと思い、それをしたものの、後のことは無計画に近い状態だ。そのため、今更ながらどうすればいいかと不安になってしまったが、後悔は一切なかった。
「しばらく秘密基地に隠れた後、落ち着いたところで、どうにかパパ達に話をしようよ。朋枝ちゃんが助けてほしいと言ってくれた今、パパ達が色々としてくれるはずでしょ?」
また、春翔は状況を冷静に整理できているようで、これからのことも考えてくれていた。実際、これからするべきことは春翔の言うとおりで、春来は安心できた。
「それより、春来はいつまで……私も朋枝ちゃんと手を繋いでいい?」
「それは……その……すいません」
春翔の誘いに対する、朋枝の断り方は不自然だった。そして、春来は朋枝が左腕をほとんど動かしていないことに気付いた。
「朋枝、左腕を怪我しているのかな?」
「いえ……すいません」
朋枝の困ったような反応を見て、春来は気付いたことがあったものの、触れるのはやめておいた。
そうして、春来達は秘密基地にしている廃墟に到着すると、中に入った。ただ、入った瞬間、春来は人の気配を感じて、足を止めた。
「誰? ……って、先生?」
そこにいたのは、保健の先生だった。
「やっぱり、ここに来たね。ああ、私も協力するって言ったでしょ? だから、安心してよ」
先生は、こちらを安心させようと、穏やかな表情を見せた。その表情を見て、こちらを騙そうとしているわけじゃない、正直なものだと春来は感じた。
「とにかく、ここから移動するよ。ここ、子供達の遊び場になってるって元々有名だったし、さっきここから大勢の子供達が出て来たなんて通報もあったみたいだからね。警察とかが来る前に、ここを離れるよ」
先生がいなければ、春来達は、しばらくここに隠れているつもりだった。そのため、このタイミングでこの話を聞けたのは、本当に助かった。
「ほら、ついてきてよ」
「うん、わかったよ」
春来達は、先生についていく形で廃墟を離れた。そして、近くに止めてあった車に向かった。
「車に乗って」
「どこに行くのかな?」
「それは移動しながら話すよ。とにかく乗って」
先生に言われるまま、春来達は三人とも後部座席に座った。そして、先生は車を走らせた。
「すぐに移動して良かったね。やっぱり、もうお巡りさんが来たみたいだよ」
先生がそんなことを言ったため、窓の外に目をやると、警察官が秘密基地の方へ向かっているのが見えた。
「スモークガラスで、外からは見えないから安心して。でも、窓を開けたり、窓に近付いたりするのはやめてね」
先生にそう言われたものの、もしかしたら外から見られてしまうのではないかと心配になり、春来達は身体を縮めた。
「それで、先生はどこに向かっているのかな?」
「ああ、言ってなかったね。私の家に向かってるよ」
「え?」
確実に安全な場所へ連れて行ってくれると思っていたのに、先生の家と言われて、春来は戸惑ってしまった。
「そんな反応しないでよ。私の父さんが医者で、結構いいとこに住んでるんだよ。セキュリティは完璧だし、安全だから安心して。ああ、私の家、あそこだよ」
そう言われたものの、これまで先生のだらしないところを見ている春来としては、安心できなかった。ただ、先生の言うとおり、到着した家は一目見て豪勢な家で、様々な意味で驚いてしまった。
先生は、手慣れた様子で車に搭載されたパネルを操作した。すると、目の前にあった車庫が自動的に開いた。
それから、先生は車を車庫に入れると、またパネルを操作した。その直後、車庫は自動的に閉まっていった。
「これで、もう安全だよ。みんな、降りて」
そのまま車を降りると、先生についていく形でドアを抜けた。ただ、そこはまだ家の中でなく、自動ドアのようなものと、あまり見たことのない機械があった。
「ちょっと待ってね。ここ、指紋認証じゃないと開かないの」
それから、先生が機械に指を当てると、ドアが自動的に開いた。
「何か、よくわからないけど、すごい」
ふと春翔がそんなことを言って、春来も同感だった。
「セキュリティ、完璧だって言ったでしょ?」
自慢げな先生の言葉で、本当にここが安全な場所なんだろうと春来は思えた。それは、春翔と朋枝も同じのようだった。そして、中に入ると、春来達はリビングに通された。
「今、父さんも母さんも海外に行ってて私一人だから、特に気を使わなくていいからね」
広さだけ見れば、春来が暮らしている家とあまり変わらないようだった。それより、学校で先生のだらしないところを見ている春来としては、家の中が整理整頓されていることが驚きだった。
「みんな、お腹空いたでしょ? 何か注文するけど、食べたい物はある?」
不意にそんなことを聞かれたものの、春来達は何も浮かばなくて、答えられなかった。そんな春来達の様子を見て、先生は軽く笑った。
「特にないなら、ピザでもいいかな? 時々食べたくなるんだけど、一人だと多くて食べ切れないんだよね。特に希望がないなら、オーソドックスな奴と、色々なのが入ってる奴にしたくて……これなんだけど、いいかな?」
先生は、こんな機会があったらピザを頼もうと思っていたのか、即座に頼む物を決めてしまった。
「好き嫌いとかあったら別のにするけど、どうする?」
「私は大丈夫だよ」
「僕も大丈夫だけど、朋枝は大丈夫かな?」
「えっと……こういうのを食べるのは、初めてなので……」
「それなら、頼んじゃうね」
朋枝だけ乗り気でないような雰囲気があったが、先生は無視するように、すぐにピザを注文した。
「うん、30分ぐらいで来るみたいだよ。それじゃあ、その間に朋枝ちゃんの怪我を見るよ」
朋枝が顔に怪我を負っているというのは、先生も一目見てわかったはずだ。ただ、これまでは安全な場所に移動することを優先して、朋枝の怪我については触れないでいたようだった。
「私は大丈夫です。大したことないですから……」
「朋枝ちゃん、顔の傷もそうだけど……ちゃんと見させて」
朋枝が断ろうとしたものの、先生は真剣な表情で、見ようによっては脅しているような表情にも見えた。そんな表情を先生が見せた意図を理解すると、春来は朋枝に歩み寄った。
「朋枝、ちゃんと見てもらった方がいいと思うよ。何もないなら、それでいいけど……何かあったら、心配だよ」
そう伝えると、朋枝は少しだけ間を置いた後、頷いた。
「わかりました。先生、お願いします」
「うん、任せて。春来君と春翔ちゃんは、ここで適当に待っててね」
そう言うと、先生と朋枝は奥の部屋に入った。そうして、春来と春翔は二人きりになった。ただ、普段から二人きりになることが多いのに、この時の二人は、お互いに何を話していいかわからず、黙ったままでいた。
そうして、少し待っていると、先生と朋枝が戻ってきた。
「お待たせ。後で、知り合いの医者に見てもらおうと思うけど、一番ひどいのは左腕の骨折みたいだね」
「骨折?」
春翔は驚いていたものの、春来は朋枝が左腕を庇っていたことに気付いていたため、やっぱりそうだったのかと感じた。
「まあ、これからのことも含めて、色々と話があるけど、もうすぐピザが届くし、腹ごしらえしてから話そうよ」
それから少しして、ピザが届いたため、先生はそれを取りに行った。その際、事前に防犯カメラで外を確認しただけでなく、物の受け取りも直接会うのではなく、窓越しに空いた狭いスペースを介して行うようにしていた。そうしたものを見るのが初めてで、春来は興味深く観察した。
「それじゃあ、冷めないうちに食べようよ。こっちは、四種類のが二切れずつあるから、三人で好きなのを分けてよ。先生はどれでもいいから」
「それなら、僕もどれでもいいから、朋枝と春翔で先に決めていいよ」
「私も……」
「それじゃあ、朋枝ちゃん! ジャンケンしようよ!」
恐らく、朋枝も他の人を優先しようとしていたのだろう。ただ、春翔がそんな風に言った結果、断れない雰囲気が出来上がった。
そして、朋枝と春翔がジャンケンをすると、朋枝の方が勝った。
「それじゃあ、朋枝ちゃんが最初に選んで」
「でも……」
「ピザを食べるの、初めてなんだよね? だったら、朋枝が一番に選ぶのがいいと思うよ」
春来がフォローするようにそう言うと、朋枝は少しの間だけ悩んだ後、一つを選んだ。ただ、それは具が少なく、一番に選ぶものだろうかと疑問を持つものだった。
「やっぱり、それがいいよね! でも、それならこっちの方が具もチーズも乗っているから、おすすめだよ!」
「あの……」
「絶対、おすすめだから! あと、他の種類だと、これがおすすめだよ! これとかもいいんじゃないかな?」
朋枝は、気を使って具が少ない方を選ぼうとしていた。そのことに気付いた春翔は、朋枝の背中を押すように、強引とも思える助言をした。そうした春翔の思いは、朋枝に届いたようだった。
「すいません。それじゃあ、これにします」
「やっぱり、それだよね! じゃあ、私はこれにする!」
その後、春来と先生もピザを一切れ取った。
「それじゃあ、『いただきます』をしようか」
「あ、はい」
戸惑った様子を見せつつ、みんなで「いただきます」をした後、朋枝はピザを恐る恐る口に運んだ。
「……美味しいです」
「美味しいでしょ!? 私のも美味しいよ! 一口いる?」
「えっと……」
「というか、私が朋枝ちゃんのも一口ほしい! だから、一口ちょうだい!」
春翔の勢いに押される形で、朋枝と春翔はお互いのピザを一口ずつ交換し合い、結局全種類のピザを口にしていた。そうして、子供三人と大人一人で食べ切るには結構大変な量があったものの、あっという間に全部食べ終えた。
「もう、お腹いっぱいだよ。これはやっぱり一人じゃ無理だね」
先生は、満足げな様子で、背伸びをした。
「全部美味しかったね。私は照り焼きチキンが一番美味しかったかも」
「僕はオーソドックスなのが一番だったかな」
「朋枝ちゃんは、どれが良かった?」
食事をした後、その感想を言い合う。いつもやっていることを春来と春翔はしているつもりだった。ただ、朋枝が困ったような表情を見せたところで、何か違うと感じた。
「朋枝、どうかしたのかな?」
「いえ、すいません……」
そのまま、朋枝は泣き出してしまった。
「私は、こんな風に食事をするのが初めてで、すごく嬉しくて……」
朋枝は、ただ嬉しくて泣いているわけじゃない。これまで、こんな当たり前の経験をすることができなかったと気付いて、それを悲しいと思っているのだろう。そうしたことを春来は察した。
「朋枝、これからどうしたいかとか、まだわからない部分もあると思うけど……今の生活を続けたいと思っているかどうかだけ、聞いてもいいかな?」
最終的にどうするかは、朋枝に決めさせると思っていたものの、春来はそんな質問をした。それは、今の生活を壊すような行動を既にしてしまったことが、間違いだったんじゃないかという不安から出たものだった。
「いえ、どうしたいかはわかりませんけど……変えたいと思っています」
ただ、朋枝からすぐにそんな言葉が返ってきて、春来は安心した。
「私は、お父さんというものが、よくわかっていません。私の家には、お母さんと……お母さんの好きな男性がいつもいました。でも、男性は少し経つといなくなって、それからすぐにまた別の男性が来たんです。だから、私はお母さんの好きな人がお父さんだと思っていたんです」
春来と春翔が思う父親とは大きく違っていて、二人は何も言えなかった。
「でも、そうじゃないということを一年前に知って……違いますね。その時の先生が気付いてくれて、知り合いの記者さんと一緒に私を助けようとしてくれて、その時の友人達も助けると言ってくれて……」
朋枝は何を言っているのか、自分でもわかっていないようで、それだけを聞いても何を言いたいのかわからなかった。ただ、幼稚園の先生とその友人の記者、それと朋枝の友人が、朋枝を助けようとしていたことを知っている春来は、朋枝が何を言いたいのか、すぐに理解できた。
「でも、みんな諦めて、逃げてしまったんです。だから、私は一人で頑張りますから……」
「ごめん、これまで朋枝に何があったかとか、朋枝の周りの人がどうなったかとか、僕達は知っているんだよ」
「え……は……え……?」
春来の言葉に、朋枝は言葉を失うほど、驚いている様子だった。
「それを知ったうえで、僕達は朋枝を助けたいって思っているんだよ」
「私達は逃げたりしないで、最後まで朋枝ちゃんの味方だからね」
一瞬、朋枝は何を言われているのかすらわかっていないようで、驚いた様子を見せた。それから、春来達の思いを受け取ると、また涙を流した。
「すいませ……ありがとうございます」
そして、朋枝は謝罪の言葉でなく、感謝の言葉を伝えると、深く頭を下げた。