ハーフタイム 13
ビーはタブレットを操作した後、また画面を春来達に向けた。春来と春翔は、そこに書かれていたものに目を通した。
「実は、万場朋枝が幼稚園に通っていた時、先生が虐待の事実に気付いたんだ」
タブレットに表示されていたのは、幼稚園の時、朋枝の周辺で何があったかという内容だった。
「この話、保健の先生や、お父さん達から少し教えてもらったよ」
そして、春来はこれまで聞いてきた話を伝えた。
「結局、うやむやになってしまったって聞いたけど……」
「そこまで知っているなら、丁度いい。より詳しい状況を伝える。幼稚園の先生は、万場朋枝が虐待を受けていると気付いた後、知り合いの記者に相談したんだ。虐待の事実を伝えるのは難しいってことを、先生も記者も知っていたからな」
何故、ビーが詳しい経緯を知っているのだろうかと疑問だったものの、記者の話が出てきたため、春来は納得した。
「それで、万場朋枝としっかり話し合うだけでなく、友人達にも協力してもらって、虐待の事実をしっかりまとめた後、児童相談所へ相談したんだ。ただ、そこから母親と、その愛人……というのはやめて、単に男と言う方がいいか。その二人が色々と動き出してな。具体的に何があったかというと……」
ビーはタブレットを操作して、箇条書きで書かれた文章を表示させた。
「まず、万場朋枝は虚言癖があって、気を引くためにたくさん嘘をついてきたなんて話を流した。これは、弱みを握られていた他の先生などを通じて、みんなに広がったそうだ」
「そんなひどいこと……」
春来は怒りから拳を強く握ったが、その直後、その拳を春翔が握ってきた。
「春来、落ち着いて。私も怒っているけど、今はちゃんと話を聞こうよ」
そんな風に春翔から言われ、春来は頭を冷やした。
「あと、協力していた友人達の家に電話があって、内容は万場朋枝の嘘に騙されるなといったものだったけど、ほとんど脅迫まがいだったそうだ。そのせいで、友人達は少しずつ万場朋枝から離れていってしまった」
「脅迫って、いけないことだよね? そんなことをしたのに、何もなかったのかな?」
「母親が警察の弱みも握っていたと聞いているな? それで揉み消したというのもあるけど、そもそも脅迫をした奴らは何でもないチンピラで、母親との繋がりを証明するのが難しかったんだ。それに、訴えていることは、万場朋枝が嘘をついているというだけで、それが事実かどうかを証明することも難しければ、証明したところで大きな罪になりづらいものだったからな。それで、警察は真面に動かなかったんだ」
「そんなことって……」
「警察は正義の味方だなんて思っているなら、考えを改めた方がいい。個人としては、そんな奴もいるけど、組織としては、そんな期待ができるものじゃない」
幼稚園で将来の夢を聞かれた時、警察官というのは、候補の一つにあった。しかし、ビーからはっきりとそう言われ、春来は複雑な気持ちになった。
「そんなことがあったけど、最初に問題と向き合った先生と記者の二人は、引き続き万場朋枝の相談に乗ったそうだ。ただ、状況は良くなるどころか、さらに悪くなっていった。本当にひどい話で、俺もあまり話したくないけど……」
「何があったのか、教えてほしい」
聞きたくないという気持ちもありつつ、朋枝の問題を解決するためには聞かないといけないという気持ちの方が強く、春来はすぐにそう言った。
「私も聞きたい!」
そして、春翔も同じ気持ちだったようで、春来の背中を押すように、そう続いてくれた。
そんな春来と春翔の思いを受け、ビーは軽くため息をついた後、真剣な目を春来達に向けた。
「わかった。それじゃあ、話を続けよう」
そんな前置きをした後、ビーは話を再開した。
「母親は、万場朋枝を孤立させるため、精神的に追い込んでいったんだ。やり方自体は単純で、信用できるのは、母親とその男だけで、他は友人や先生も含め、誰も信用できないと思い込ませたみたいだ」
「そんなこと、できると思えないんだけど、どうやってそんなことをするのかな……?」
「人の心を操作する……これを洗脳というけど、それは簡単にできるんだ。ちなみに、万場朋枝本人が言っていた話だと、母親から『いつでもおまえを売ることができる』なんて脅されていたようだ」
「……売るって、どういうことかな?」
意味が理解できず、春来はそう聞き返した。それに対して、ビーは答えに困っているのか、少し間を空けた。
「……そのとおりの意味だ。信じられないかもしれないけど、人身売買といって、人を金で売り買いするというのは、実際に起こっていることなんだ。当然、犯罪だし、世界的な問題でもあって、海外の国では定期的に大規模な摘発などもある。これは日本でも起こっている問題だけど、マスメディアが全然報道しないから、ほとんどの人は知らない状態だ」
「人を買うなんて、意味がわからないよ。そんなこと、何が目的でするのかな?」
「詳しいことは、もっと大人になってから知るといい……いや、春来君は自分で調べて知ることになるだろうな。それなら尚更、俺から話を聞くより、自分で調べてほしい」
そんな風に言われて、春来は何も言えなくなってしまった。
「話を戻そう。万場朋枝は、最低限……といえるかどうかも怪しいけど、家はあるし、食事もさせてもらって、どうにか生きながらえている状態だ。ただ、母親の考え次第で、いつ死を……それよりもひどい状況になる可能性がある。そうしたことを母親から直接聞いて、強い不安と恐怖を持っていたようだ」
「そんなひどいこと……」
「さっき言ったとおり、この話は、万場朋枝本人から先生と記者に相談があって、わかったことだ。それを受けて、二人は必ず助け出そうと思い、色々と動こうとしたんだ。でも、その直後、何かしらかの圧力があったようで、二人とも仕事をクビにされただけでなく、家族に対して危害を加えるといった脅迫の電話もあった。実際、ボヤで済んだけど、家を放火されるといったこともあったんだ」
何故、そんなひどいことができるのかと信じられず、春来は言葉を失ってしまった。
「そうしたことがあって、先生と記者も手を引くことになってしまった。万場朋枝にとっては、友人や先生など、相談していた人達が次々と離れていったように感じただろう。それこそ、一人になってしまったと思ったかもしれない」
「そういえば、さっき朋枝に会った時、一人だとか、期待させないでほしいとか、そんなことを言われたよ。それって、そのことが関係しているのかな?」
「恐らくそうだろう」
「朋枝ちゃん、初めて学校に来た時、すごい不安そうだった。事故に遭って、学校に来られなかったからだと思っていたけど、違ったんだね」
春翔がそんな風に言ったのを聞いて、春来は朋枝と会った時のことを思い出した。あの時、朋枝のことが気になったのは、単に一人でいて困っているようだったからだ。ただ、今思い返してみると、朋枝が一人でいようと強く思っていたからこそ、気になったのかもしれないと思えてきた。
「言い忘れていたけど、万場朋枝が事故に遭ったという話は、恐らく嘘だ。男は日常的に暴力を振るっているようだし、恐らくそれで顔に傷を負わせたんだろう。それを隠すため、事故に遭ったことにしたんだと思う」
「朋枝、よく学校を休んでいるんだけど、それも同じ理由なのかな?」
「絶対にそうだとは言えないけど、虐待の事実を隠すため、そうしているって可能性は高いだろうな」
こうして話を聞いたことで、これまで朋枝と過ごしてきた時間を、春来は改めて振り返った。そして、朋枝は自分自身が生きていることすら否定している様子だったことを思い出した。
「僕は、朋枝を絶対に助けたいよ! そのためには、どうすればいいのかな?」
「……今、万場朋枝は、相当危ない状況かもしれないな。一人でいると、悪い方へ考えやすくなるんだ。それこそ追い込まれたことから……最悪な決断をしてしまうかもしれない」
「それは、どういうことかな?」
春来は、ビーが何を言っているのか理解していた。ただ、認めたくなくて、聞き返した。そして、ビーが何も言えなくなっている様子を見て、自分の思ったとおりなのだろうと確信した。
「そんなの……」
「難し過ぎて、あまり意味がわからないんだけど、朋枝ちゃん自身が虐待されているって言えば、それでいいんだよね?」
不意に春翔がそんな風に言ってきて、春来は固まってしまった。一方、ビーは大きな声で笑い出した。
「春翔ちゃんも春来君と一緒で賢い……いや、頭が柔らかいと言うべきか。そのとおりなんだ」
「やっぱり、そうだよね!」
春翔とビーが何を話しているのかわからず、春来は置いていかれているような気分だった。
「えっと、どういうことなのかな?」
「最初から言っていたことだよ! 朋枝ちゃんが虐待されているって言わなかったから、こうなっているんだよね!? だったら、朋枝ちゃんが虐待されているって言えばいいんだよね!?」
春翔の勢いに押されつつ、落ち着いて考えてみれば、そのとおりだった。そのことに気付いたものの、春来はすぐ次の問題に気付いた。
「でも、朋枝は一人で我慢するって言っていたし、虐待されているって言うのは難しいんじゃないかな?」
「いや、そうとも限らない。万場朋枝は、さっき話した件があって、一人でいようと思っていたはずなんだ。でも、春来君達は、そんな彼女の友人になることができた。それは、すごいことなんだ。きっと、彼女の心を開くことだってできるはずだ」
「そんなの……僕にはできないよ」
「春来は一人じゃないよ! 私達なら、できるよ!」
春翔は大きな声で、そう言った。
「春来、朋枝ちゃんと同じで、自分は一人だと思っているでしょ? でも、そんなことないから」
「それは、春翔が一緒にいてくれるからで、春翔がいなかったら、僕はずっと一人でいたと思うし……」
「そんなことないよ。確かに私はずっと春来と一緒にいるよ。でも、私がいなくても、春来は一人じゃなかったはずだよ」
そう言うと、春翔は微笑んだ。
「春来、やっぱり明日、みんなに協力してもらえないか、お願いしようよ。私達二人だけだと、できることは少ないけど、みんながいれば、もっとできることがあるよ」
「いや、そんなこと……」
「両親から、子供達で解決してほしいと話があったそうだけど、俺も同感だ。大人達で解決しようとした結果、状況を悪化させてしまったからな。万場朋枝と同い年の君達が、彼女に寄り添う形にすることが、一番だと思う」
ビーは、そう言いつつも、その表情は深刻な感じだった。
「ただ、念のため言っておく。どういった形になるのがいいかというのは、結局のところわからないんだ。例えば、親に問題があるからと、施設……児童養護施設というけど、そこに引き取られる子もいる。ただ、その施設の職員から虐待を受けたり、他の子からいじめを受けたりして、結局のところ、親と一緒に暮らしていた方がまだマシだったなんて話もある」
それは、何をすればいいか、ますますわからなくなるような内容の話だった。
「だから、最後は万場朋枝本人の判断に任せてほしい。春来君や春翔ちゃんが言ったから、こうしたんだとかでなく、万場朋枝がしたいと思ったことをさせてほしい」
ビーの言ったことは、そのとおりだと感じた。ただ、朋枝の今の状況は、絶対に良くないと思っているため、とにかく変えたいという気持ちしか、春来の中にはなかった。
「あと、保健の先生が協力してくれると言うなら、俺からも少し話がしたい」
「えっと、連絡先とかわからないんだけど……」
「ああ、それはもう調べてあるから大丈夫だ。ただ、いきなり記者から連絡が来たら驚くだろうから、春来君と春翔ちゃんの名前を出したい。構わないか?」
「うん、大丈夫だよ」
「私も大丈夫だよ」
「わかった、ありがとう」
そこで、ビーは腕時計に目をやり、時間を確認した。
「そろそろ俺は行く。色々と話したけど、二人とも無茶はしないでほしい」
最後にそう言って、ビーは家を出ていった。
それを見送った後、春来は何を言えばいいかわからず、何も話せなかった。それは、春翔や両親も同じのようで、しばらく誰も話さなかった。
「春来、私達なら、きっと大丈夫だよ」
その時、春翔はいつもと同じように、自信に満ちた明るい口調でそう言った。
「……うん、そうだね」
そして、春来もいつもどおり、春翔に引っ張られる形で、少しだけ自信を持った。