ハーフタイム 11
春来と春翔は、朋枝のために何ができるか話し合ったものの、答えは出なかった。
両親達は、恐らく「こうした方がいい」といった答えを持っているはずだ。ただ、それを春来達に伝えることはなかった。
「僕達が何か言うと、それは子供に命令したとか、そういうことになるからね。春来達で、どうするかを考えてほしいかな」
「私達が何か言うより、きっといい方法が見つかるわよ」
「ただ、困ったり、悩んだりした時は、何でも言ってほしい」
「うん、話を聞くことはできるからね」
後で気付いたことだが、両親達は、春来と春翔の成長を促すため、見守ることを選択したようだった。その理由は、自信がないからという理由で、多くのことを諦めてきた春来が、自ら進んで何かをしたいと言ったからで、これをきっかけに、何か変わることを期待してのことだった。
しかし、この時の春来は、どうしていいかわからないまま、不安に押し潰されそうだった。
「私と春来なら、絶対に大丈夫だよ!」
ただ、何の根拠もないものの、いつもどおり自信に満ちた春翔のおかげで、春来の不安は消えていった。自分と違って、春翔は「特別」だ。そんな春翔と一緒なら、絶対に大丈夫だ。そう考えることで、春来は自信を持った。
その翌日、春来と春翔は、いつもどおり家の前で待ち合わせして、学校へ向かった。ただ、家から少し歩き、近くの公園付近に着いたところで、二人は足を止めた。
「先生?」
「何で、ここにいるの?」
「もう、二人とも挨拶は大事だよ? 春来君、春翔ちゃん、おはよう」
そこにいたのは、保健の先生だった。
「えっと、おはようございます」
「おはようございます」
「挨拶は大事だからね」
「それで、何で先生がここにいるのかな?」
ここで先生と会うのは初めてのことだ。それに、待ち伏せしていたようだったため、何か特別な理由があることもすぐにわかった。
「うん、二人に話があってね。朋枝ちゃんの件で、私も協力するって言ったでしょ?」
自分達――子供達だけで解決しようと思っている今、先生の提案をどう受け入れるべきか、春来は迷った。そのうえで、思ったことをそのまま伝えるべきだと判断した。
「大人は何もできないってわかったから、僕達だけで朋枝を助けるよ」
「うん、私達だけで……子供だけで解決しようと思っているから、先生の協力はいいよ。これで先生がクビになったら嫌だもん」
「そんなこと言わないでよー。私だって、精神的にはまだ子供だよー」
急に先生が駄々をこねて、春来は戸惑ってしまった。ただ、先生だけは他の大人と違う、自分達に近い人なのかもしれないと思えた。
「まあ、私は元々、看護師とか医者を目指してたし、先生をクビになっても構わないんだよ」
そんなことを言いながら、先生の表情は、真剣だった。
「私の夢は、少しでもいいから、誰かを笑顔にしたい。ただそれだけなんだよね。だから、色々とやってきたけど……先生として、朋枝ちゃんを笑顔にするため、協力させてくれないかな?」
そこまで言われて、先生を拒否することなど、春来にはできなかった。
「うん、それじゃあ、いいよ」
「ありがとう! ああ、それで話したいことがあって、昨日も放課後に会議があって、春来君と春翔ちゃんを監視するようになんて話があったんだよ。だから、何かしても妨害されるかもしれないと思って、それを伝えに来たんだよ」
それは、子供達だけでどうにかしようと思っている春来達にとって、良くない報告だった。
「それじゃあ、僕と春翔にできることは、何もないってことかな?」
「そんなこと言ってないよ。二人はサッカーをやってるよね? それに例えるなら、先生達は二人をマークしてるってことだよ。そんな時、二人はどうするのかな?」
サッカーに例えられたこともあり、その答えはすぐに出た。
「マークなんて無視して、ゴールを目指す!」
「春翔はそれでいいんだろうけど、僕は他の人にパスを出すよ」
まったく違う春翔の答えにも納得しつつ、春来は自分の答えを返した。それに対して、先生は笑顔を見せた。
「うん、それがいいと思うよ。じゃあ、色々と教えられることは教えておくね」
それから、先生は会議の時間などを教えてくれた。ただ、そうして教えてくれた時間のうち、朝の会議の時間が間近に迫っているだろうことに気付き、春来は心配した。
「先生、会議に間に合うのかな?」
「走れば何とかなると思うよ。てことで、私は行くね。二人とも、遅刻しないようにね」
最後にそう言うと、先生は駆け足で行ってしまった。
「パスを出すってことは……うん、他の人に頼んで、協力者を集めようか」
少し時間が経ったものの、春翔が自分の考えを察してくれて、春来は嬉しかった。
「うん、僕達からじゃなくて、他の人から朋枝のことを話してもらって、それで協力してくれる人を増やせば……」
「ううん、他の人に動いてもらって、私達のマークを外してもらおうよ!」
「え?」
春翔の考えは、微妙に自分と違っていた。ただ、そのおかげで、春来の中に、一つの考えが生まれた。
「確かに、他の人に動いてもらって、そっちを警戒してもらうのもいいかもしれないね」
「だったら、いつも話している……」
「待って! いつも僕達と一緒にいる人だと、元々先生は警戒していると思うし、あまり意味がないんじゃないかな?」
「確かにそうかも。でも、だったら誰にお願いしようかね?」
そう質問されて、春来はすぐに答えを出した。
「それはもう決めているから、とにかく学校に行こうよ」
先生と話したこともあり、いつもより遅くなってしまっていた。そのことを危惧して、春来は学校へ行くことを優先した。
そうして、春来と春翔は駆け足に近い形で学校へ行くと、教室に入った。
「……春来、速いよ」
春翔は肩で息をしていて、話すのも辛そうだった。春来は、そんなに速く走っていないため、春翔の体調が悪いのかと心配しつつ、今すぐやるべきことを優先した。
まず、朝の会議がまだ続いている時間のため、担任教師は来ていない。朋枝も来ていなくて、恐らく今日も休みなのだろう。そして、話をしたかった男子達は、既にいた。それだけ確認すると、春来はそちらに近付いた。
「おはよう。朋枝のことで、協力してほしいことがあるんだけど……」
「おう、朋枝のお見舞いに行くっていうなら、行くぜ」
「今日も朋枝は休みなのかよ?」
一緒にサッカーをやった男子達とは、一昨日になって初めて話した。担任教師からすれば、春来達と仲がいいと認識されていないはずだし、実際にそこまで仲がいいわけじゃない。ただ、朋枝のことを心配してくれていることから、今回の件で協力してくれると春来は期待していた。
「うん、それでお見舞いに行こうと思っていたんだけど、今日、僕達は用事があって行けないから、二人に行ってもらえないかな?」
「おう、いいぜ!」
「ありがとう。それじゃあ、朋枝の家の場所を教えるね」
そうして、担任教師が来る前に、春来は朋枝の家がどこにあるかなどを男子達に説明した。
「でも、朋枝の家は何か事情があるみたいで、先生からはあまり行くなって言われているんだよね」
「だから、こうして私達が話したことも、先生とかには内緒にして」
そんな言葉を付け加えて、変に思われないかと心配しつつ、春翔がフォローするように明るく言ってくれたおかげで、特に不審に思われた様子はなかった。
「わかったぜ」
「俺達に任せてくれよ」
「ありがとう」
「じゃあ、先生に警戒されないように、この話はここまでにするよ。二人ともお願いね」
最後に春翔がそんな風に伝えて、春来達は自分の席に戻った。
それから少しして、担任教師が教室に来た。相変わらず、担任教師は春来と春翔を警戒しているようで、そんな状況で朋枝の話をするのは難しかった。そのため、朝の時点で話ができて、本当に良かったと春来は感じた。
そうして、特に何もできないまま放課後を迎えた。すると、朋枝のお見舞いをお願いした男子達は、先生に内緒だということを徹底してくれて、何も言わずに教室を出ていった。
「春来、今日はみんなでドッジボールをしようよ」
一方、春翔はそんなことを言ってきた。こんな時に、ドッジボールをするのかと思いつつ、何か考えがありそうだと感じて、春来はそれを受け入れた。というのも、相変わらず担任教師が自分達のことを警戒するように見ていたからだ。
そうして、みんなと一緒に春来達はランドセルを持って校庭に出ると、ランドセルを地面に置き、ドッジボールを始めた。その間も、担任教師は離れた所から、こちらを監視していた。
ただ、先生達の会議の時間になると、担任教師は、その場からいなくなった。その直後、みんなはドッジボールを中断した。
「春来、上に着ている服を脱いで」
「え?」
「いいから、脱いで」
春翔に言われるまま、春来は上に着ていたYシャツを脱いだ。そして、春翔も同じようにYシャツを脱いだ。それから、その服を春来達と体格の近いクラスメートにそれぞれ渡すと、それを着せた。
「これで、会議が終わった後も、先生達は、私達がここにいたと勘違いしてくれると思うんだよね」
「ただ、顔を見られたらまずいから、先生が見に来たら、そのまますぐ帰るようにするね」
担任教師が警戒していたにもかかわらず、春翔は他の人にも協力をお願いしていたようだ。そのことに驚きつつ、春来の中には、嬉しいという気持ちしかなかった。
「みんな、ありがとう。春翔、僕達も朋枝の家に行きたいんだけど……」
「うん、わかっているよ。それじゃあ、みんなお願いね」
そうして、春来達は薄着になりつつ、ランドセルを背負うと、学校を後にして、朋枝の家を目指した。
「先生がいたから話せなかったけど、他の人にも朋枝の現状を知ってもらいたくて、それなら朋枝のお見舞いに行ってもらうのが一番だと思ったんだよね」
「うん、わかっているよ。元々、お見舞いに行きたいと言っていたし、いいと思ったよ」
春翔の言うとおり、一緒にサッカーをやった男子達は、朋枝のお見舞いに行きたいと言っていた。そのため、お見舞いに行くことも、それで朋枝の現状を知ることも、不自然ではない。そのうえで、どうすればいいかを一緒に考えたいと、春来は思っていた。
「もう帰っちゃったかな?」
「この時間なら、まだ大丈夫じゃない?」
そう言いながら、駆け足で朋枝の家に向かい、すぐ近くまで来たところで、春来は大きな買い物袋を持ちながら、よろよろと歩く朋枝の姿を見つけた。
「朋枝!」
春来が呼び止めると、朋枝は驚いた様子で身体をビクつかせた後、ゆっくりと振り返った。
「春来さん? それに春翔さんもどうしてここにいるんですか?」
「それはこっちの台詞だよ。学校を休んでいるのに、これだってあいつらが買ってこいって言ったんだよね?」
「すいません。違います。私が欲しい物を買っただけです」
朋枝はそう言ったが、買い物袋に入っている物は、少なくとも春来や春翔が食べないような物ばかりだった。それは、大人――母親とその恋人が食べる物で、それを買いに行かされたのだろうということは、すぐにわかった。ただ、朋枝がそのことを否定している今、春来は何を言えばいいか、わからなくなってしまった。
「朋枝、普通にいるぜ?」
「寝込んでるんじゃねえのかよ? それに、春来と春翔までいるし」
そんな声が聞こえ、春来は振り返った。そこには、朋枝のお見舞いに行った男子達がいた。
「私のことは、もう放っておいてください!」
不意に、朋枝が大きな声でそう叫んだ。
「私は一人で大丈夫です! だから、もうこんなことしないでください!」
そのまま、朋枝は立ち去ろうとしたが、まだ足を痛めているようで、身体をふらつかせた。そんな朋枝を、春来は咄嗟に支えた。しかし、すぐに朋枝はそれを振り払った。
「わかっているんです。結局、私は一人なんです。だから、期待させないでください」
生まれた時から家が隣同士だったから、春来はいつも春翔と一緒にいられている。そうでなかったら、春来はずっと一人で、今の朋枝と変わらなかっただろう。そう思っているから、朋枝の言葉に何も返すことができなかった。
そして、朋枝は行ってしまった。
「どういうことか説明してくれねえと、俺達は何もわからねえよ」
男子の一人がそんな風に言って、そのとおりだと感じた。
「うん、ごめんね。順に話すよ」
それから、春来はこれまでの経緯を男子達に伝えた。
「さっきの朋枝を見て、結局、僕にできることはないって思ったよ。きっと、朋枝は今のままでいいと我慢してしまうと思うし、何もできることなんてないよ」
「そんなことないよ! もっとみんなに協力してもらえたら……」
「春翔は協力してくれる人がたくさんいるからわからないと思うけど、僕は朋枝と同じで一人なんだよ。だから、僕にできることなんて……」
「いや、ホントに気付いてねえのかよ?」
「ビックリだぜ」
不意に男子達からそんな風に言われて、春来は顔を向けた。
「俺は春来に協力してるんだけど?」
「俺もそうだぜ?」
その言葉が嘘じゃないことは、すぐにわかった。ただ、自分がそんな風に言われることが予想外で、春来は上手く理解できなかった。
「春来、明日みんなに協力をお願いしてみようよ。私達だけじゃ何もできないし、何も思い浮かばないかもしれないけど、みんなと一緒なら、きっと何とかできると思うの」
「でも、それなら春翔からお願いした方が……」
「ううん、春来がお願いした方が絶対にいいよ」
「いや、僕なんかがお願いしても……」
「俺も春来からお願いした方がいいと思うぜ」
「てか、それ以外ねえだろ」
春翔だけでなく、男子達までそんな風に言ってきて、春来は困ってしまった。
「……僕からお願いするかどうかはわからないけど、朝、先生達は会議をしているみたいだから、話すならそこがいいと思うよ」
「だったら、俺達は先生を見張っておくよ」
「でも、やっぱり僕なんかじゃ……」
まだまとまっていない話がほとんどだったが、何を話せばいいかもわからなくなってしまい、その日は、それで解散になった。
そして、それは春翔と二人きりになった帰り道でも変わらず、春来はずっと黙っていた。




