ハーフタイム 10
翌日、朝のホームルームを迎えた時、春来と春翔は、朋枝が学校を休んだことを知った。そのことを気にして、二人は顔を見合わせた。
そして、朝のホームルームを終えると、昨日、一緒にサッカーをやった男子達が近付いてきた。
「朋枝が学校を休んでるの、俺達のせいか?」
「お見舞いに行った方がいいなら、いくらでも行くぜ」
男子達は、朋枝が休んだことを心配していた。それを受け、春来はどう返すべきかを考えた。
昨夜、両親から任せてほしいと言われているため、事情をそのまま伝えるのは、恐らく良くない。ただ、何かあった時、協力してもらいたいと思うと、何も伝えないのは嫌だった。
「ありがとう。昨日の怪我のせいではないんだけど、ちょっと事情があって休んでいるみたいだよ。もしも、お見舞いに行くなら、僕達と一緒に行こうよ」
「おう、そうするぜ」
そんなことを話していると、担任教師が近付いてきた。
「緋山君、藤谷ちゃん、話があるから来て」
その時、雰囲気などから、いい話ではないのだろうと春来は感じた。そして、嫌な予感を持ちつつ、担任教師についていった。
担任教師に連れてこられたのは、空き教室だった。春来達が中に入ると、担任教師は扉を閉めた。それは、会話を他の生徒に聞かれたくないことの表れで、いい話ではないと確信した。
「緋山君と藤谷ちゃんは、昨日、万場ちゃんの家に行ったよね?」
何故、そんな質問をされたのかがわからず、春来は答えに困った。ただ、担任教師が怒っているようだと感じて、どう答えようかと頭を働かせた。
「行ったけど、いけなかったの?」
そうしていると、春翔がそんな風に答えた。すると、担任教師は、わざとらしくため息をついた。
「万場ちゃんの両親から連絡が来て、どんな教育をしているんだと怒られたよ」
「いや、何で僕達が怒られるんだよ?」
怒りから、思わず春来はそう返した。すると、担任教師の表情が変わった。
「各家庭で教育方針なども違うのに、それに文句を言ったんでしょ? それに暴力も振るったそうじゃない」
「それは向こうの方だよ! それに、朋枝は虐待を受けていて……」
「ああ、やっぱり、変なことを言われたせいなんだね」
納得した雰囲気で、担任教師はそんなことを言った。ただ、春来としては、何も納得できなかった。そして、納得できていないのは、春翔も一緒のようで、口を開いた。
「何のこと?」
「昨日、保健室に行った時、保健の先生がそんなことを言ったんでしょ?」
「ううん、言われていないよ!」
「もう、わかっているんだよ。昨日の会議で、保健の先生から、虐待があるかもしれないなんて話があったけど、特に何の根拠もなくて、勘違いだろうって結論になったよ。二人も、その話を聞いて、勘違いしたんでしょ?」
「だから、違うよ! 昨日、朋枝ちゃんは暴力を受けて……」
「悪いことをした時、親から叩かれたこと、二人はないのかな?」
この担任教師は、現状をまったく理解していないのに、虐待はないと決め付けてしまっていた。そんな人に何を話しても、通じるわけがなかった。
その時、もうすぐ一限目が始まることを伝える、チャイムが鳴った。
「授業が始まるから、二人は先に戻りなさい。ああ、万場ちゃんが虐待されているなんて、根拠のないデマを友人達に言わないようにしてね」
春来は怒りが込み上げてきて、文句を言おうとしたが、その瞬間、春翔が前に出てきた。
「春来、戻ろうよ」
春翔は、春来を静止するような態度で、そんな風に言った。そうして、春来は頭を冷やすと、何も言わずに空き教室を出た。
「春翔、ありがとう。あれで何か文句を言っても、逆効果だったね」
「うん、私もムカついたけど、朋枝ちゃんのため、我慢しようよ」
少しだけ「我慢」という言葉が引っかかったものの、春翔の言うとおりで、春来は反省した。
そうして、春来達は教室に戻ると、それぞれ自分の席に座った。それから少しして、担任教師が教科書などを持って戻ってきたところで、授業が始まった。
ただ、授業の内容など、ほとんど頭に入らなかった。それだけでなく、朋枝の件も含め、春来は何も考えられなかった。先ほど、春翔に言われて頭を冷やしたつもりだったものの、全然怒りは治まっていないようだった。
「痛っ!」
その時、不意に春翔が声を上げた。何があったのかと目をやると、春翔は左手で右手を押さえていた。
「先生、突き指しちゃったから、保健室に行ってくるね」
そう言うと、春翔は席を立ち、こちらに近付いてきた。
「春来、一緒に来てよ」
「え?」
上手く頭が働かなくて、春来は戸惑った。ただ、春翔が笑顔を見せたため、何も考えることなく、言うとおりにしようと判断できた。
「うん、それじゃあ一緒に行くよ」
「待って。保健係の人に……」
「春翔ちゃんのことは、春来君に任せるよ」
「うん、それが一番だよね」
事情を知らないはずのみんなからそんな風に言われ、春来は背中を押してもらったように感じた。そして、席を立つと、春翔と一緒に教室を出た。
そうして、少し廊下を歩いたところで、春来から切り出すことにした。
「春翔、突き指なんてしていないんだよね?」
「うん、そうだよ」
「何で、こんなことをしたのかな?」
「わからないの? 保健の先生と話したいと思ったからだよ」
春翔からそう言われるまで気付かなかったものの、それが自分のしたいことだ。そう認識して、春来は春翔の意図を理解した。
「春翔、ありがとう」
「でも、授業をサボるなんて、何だかドキドキするね」
どこか楽しんでいる様子の春翔に少しだけ呆れつつ、春来は頭を整理させながら、保健室へ向かった。
そして、保健室に到着すると、軽くノックしてから、春来達は中に入った。
そこには、机に上半身を乗せ、うなだれている様子の先生がいた。
「先生、どうしたの!?」
「大きな声出さないでー。頭に響くからー」
先生の目の前には、蓋の開いたアルコール消毒液があった。
「何をやっているの?」
「何か、色々と嫌になったから、アルコールの匂いに酔ってるとこだよー」
「そんなの、やめた方がいいよ!」
春来と春翔は先生から消毒液を取り上げた後、しっかり蓋をした。それから、水を大量に飲ませ、どうにか先生を落ち着かせた。
「先生、大丈夫かな?」
「ごめんね。私、アルコールに弱くて、匂いだけで酔っちゃうんだけど、時々嫌なことがあった時、こういうことをするようになっちゃって……」
「本当にやめた方がいいよ。僕達が来なかったら、どうなっていたかわからないよ?」
「いや、二人に見られた時点で、もうアウトなんだけどね」
そのとおりと思いつつ、春来は話したいことを話すことにした。
「朋枝のことで、話があるんだけど……昨日、朋枝を送っていったら……」
春来は、朋枝の状況や、両親達と話した内容、担任教師から言われたことなどを順に話していった。
「先生も、朋枝が虐待されているんじゃないかって、思っているんだよね?」
そう質問すると、先生はわざとらしくため息をついた。
「怪我をしたのに、それを見せたがらない子が時々いるんだよ。そういう子は、身体の色んな所にある傷や痣を隠すため、そんなことをするんだよね」
「朋枝もそうだったのかな?」
「うん、ボールをぶつけた所の他にも、たくさん傷や痣があったよ。だから、いつでも相談してねって言ったし、他の先生達にも話したんだけど……」
その時、また酔いたいと思ったのか、先生が消毒液を取ろうとしたため、春来と春翔でそれを止めた。
「もう、シラフだとやってられないよー」
「本当に良くないから、やめてよ」
「だって、虐待されてるんじゃないかって言っただけなのに、何を根拠にそんなことを言ってるんだって、みんなから怒られたんだよー。しかも、朋枝ちゃんの両親から来たクレームを鵜呑みにして、私が変なことを吹き込んだんだなんて言われて、ホント嫌になっちゃうよー」
水をたくさん飲ませたものの、先生はまだ酔っ払っている様子だった。
「私なんて、保健の先生とか、保健室の先生なんて呼ばれるだけで、先生達の中でも下に見られてるんだよー。それがはっきりわかって、嫌になっちゃったよー」
そんな愚痴を言われると思わなかったものの、先生も自分達と同じような不満を持っているとわかった。
「先生、それなら協力してくれないかな?」
そのため、春来達は協力をお願いした。しかし、先生の反応は良くなかった。
「それは難しいかなー。色々と調べてみてわかったけど、朋枝ちゃんのママさん、これまでも虐待を揉み消してるみたいなんだよねー」
その後、先生は酔った勢いに任せる形で、話を続けた。
当時の春来は、理解できないことの方が多かったが、朋枝の母親は、多くの男性から愛されていた。そして、様々な男性と関係を結ぶとともに、多くの弱みを握っていった。
その結果、教育委員会や警察の弱みも握っていたようで、朋枝が幼稚園に通っていた時も、虐待されているのではないかと問題にあがったものの、うやむやになってしまった。それだけでなく、問題を訴えた人達がクビになり、職を失ったという話もあった。
「もしかしたら、私もクビかもねー」
朋枝の件と関係なく、この先生はクビになるんじゃないかと思いつつ、問題は想像以上に深刻なようだった。そのことを知り、春来は朋枝のため、自分に何ができるのか、わからなくなってしまった。
「まあ、どうせクビになるなら、協力するよー。できることがあるかわからないけどねー」
協力してくれるという言葉は嬉しかったものの、先生にはほとんど期待できなかった。
「……春来、そろそろ戻ろうか。先生、湿布と包帯だけもらうね」
一応、突き指したことになっているため、春翔は右手の小指に湿布をした後、包帯を巻いた。それが終わると、春来と春翔は教室に戻った。
その後、休み時間などに友人と話すたび、担任教師がこちらを注視してきていることを、春来達は感じた。当然、そんな状況で朋枝のことを話すわけにはいかず、何も話せないまま放課後を迎えた。
「春来、春翔、今日もサッカーやろうぜ」
昨日と同じように、そんな誘いがあったが、春来と春翔はお互いに顔を見合わせると、断ることにした。
「ごめん、今日は用事があるから、また今度誘ってよ」
「おう、わかったぜ」
そして、春来と春翔は真っ直ぐ家に帰ると、そのまま春来の両親と話すことにした。
春来の両親は、基本的に家で仕事をしているため、昼間や夕方でも家にいることが多い。この日も両親は家にいたため、早速学校であったことを話した。
それを受け、両親は深刻な表情を見せた。
「実は、学校から連絡があって、春来と春翔ちゃんを、朋枝ちゃんにかかわらせるなって注意があったんだよ」
「それは、どういうことかな?」
「児童相談所の人にも相談してみて、それでわかったんだけど、先生が言ったとおり、以前も虐待があるんじゃないかと騒ぎになったそうだよ。でも、上から圧力をかけられたりして、うやむやになったみたいだね」
そこまで聞いて、春来は色々と理解できた。
「それじゃあ、お父さん達は、何もしてくれないってことかな?」
「申し訳ないけど、僕達じゃ、できることはほとんどないと思うよ」
それは、朋枝のために何もできないということで、春来は悔しいという思いから、拳を強く握った。
「これで、昨夜話した解決策は、通用しないとわかったからね。そして、僕や先生から春来と春翔ちゃんに注意もした。この先は、春来達――子供達に何ができて、何をするかだよ」
「子供のしたことは、親の責任よ。だから、春来達がしたことでどれだけ非難されたとしても、全部お母さんとお父さんが受け止めるわ」
「……えっと、どういうことかな?」
「簡単に言うと、子供が勝手にしたことにするから、ここからは好きにしていいってことよ」
「もう、僕達は春来達を止める理由がないからね」
春来は、両親が何を言っているのか、理解するのに少々の時間が掛かった。そして、意味が理解できた時、感謝の気持ちで一杯になった。
「……ありがとう」
「礼なんていらないわ。むしろ、大人達で解決できなくて、悪いと思っているわ」
「僕は児童相談所の人に引き続き連絡を取り続けて、どうにか朋枝ちゃんを保護できないか頼んでみるよ。あと、みんなを守るために、別の協力もお願いするよ」
「ああ、あの人ね。あの人の好きそうなネタだし、丁度いいわね」
両親の会話の中に、わからない部分もあったが、春来は朋枝のために何ができるかを改めて考えた。しかし、自分にできることなんてないんじゃないかといった不安がすぐに生まれて、上手く考えられなくなってしまった。
「春来、もっと自信持ってよ!」
そんな春来の不安をかき消すように、春翔が大きな声を上げた。
「私達は、朋枝ちゃんの友達一号でしょ? だから、できることをしようよ。それで、私達だけじゃできないことがあるなら、みんなにも協力してもらおうよ」
まだ、自分に何ができるかわからないし、自信もない。ただ、春翔の言葉を受けて、春来は悩むだけでなく、行動しようと決心した。
「うん、僕にだってできることがあるよね!」
そして、少しでも自信を持てればと、春来は自分に言い聞かせるように、そんな言葉を大きな声で叫んだ。




