ハーフタイム 06
朋枝と友人になってから一ヶ月ほどが過ぎ、春来は少しずつ変わり始めていた。
ある日、算数の授業が始まる前の休み時間で、朋枝が困っているようだと気付いた。そのため、春来は算数の教科書を出すと、自分の机を朋枝の机にくっつけた。
「春来さん?」
「教科書、忘れたんだよね? 僕のを見せるよ」
朋枝は何か困った時、すぐにそれが態度として出るため、隣にいればすぐにわかった。だから、春来は朋枝が困った時、すぐ助けるようにしていた。
「何で、わかったんですか?」
「いや、こんなの誰だってわかるけど?」
「そんなことないです。いつもみんな何もしてくれなくて……」
変わり始めていたのは、朋枝も同じだった。春来に引っ張られる形で、朋枝は思ったことをそのまま言うことが増えていった。
「……すいません、何でもないです」
ただ、何かを言った後、朋枝はいつも謝っていた。そうした様子を見て、春翔はまた、朋枝のことを少しずつ知っていった。
「春翔に言われたんだけど、いつも僕は考え過ぎてしまうみたいで、思ったことをそのまま言えないんだよね。でも、少しずつ変えていこうと思っていて……だから、朋枝も思ったことをそのまま言ってよ」
「それは……」
「僕も不安だし、怖いとも思っているよ。それでも、頑張ろうと思っているから、朋枝も一緒に頑張ろうよ」
自分と似た悩みを持っている朋枝には、一緒に頑張ろうと伝えるのが一番だと春来は思い、そんな言葉を伝えた。それは正解だったようで、朋枝は笑顔を見せてくれた。
「それで春来さんが頑張ってくれるなら、私も頑張ります」
そう言った朋枝に、春来は笑顔を返した。
その時、春来は視線を感じて目を向けると、前の方の席に座る春翔と一瞬だけ目が合った。ただ、春翔は目をそらすように、すぐに顔を前に向けた。それからすぐ、周りにいた女子は、春翔に何か話しかけていたものの、何を話しているかはわからなかった。
「すいません、私のせいですね」
「え?」
朋枝が何を言っているのかわからなくて、春来は固まってしまった。それから、朋枝は何か気付いた様子を見せた後、軽く笑った。
「春来さん、こういうことは気付かないんですね」
「どういう意味だよ?」
「何でもないです」
朋枝は、どこか悪戯をしているかのような態度だった。その理由はわからないものの、そんな態度を見せるということは、どこか朋枝が心を開き始めてくれたように感じた。
そうして授業を終えると、真っ先に春翔が近付いてきた。
「春来、朋枝ちゃんと二人きりにならないでって言ったでしょ」
「教室にいるのに、二人きりも何もないじゃん」
「そうじゃなくて……」
「何が言いたいんだよ?」
春翔の言っていることもよくわからず、春来は反応に困った。
「私が言いたいのは……」
「春翔さん、安心してください。私は、春翔さんと春来さんを応援していますから」
朋枝がそんな風に伝えると、春翔は少しだけ顔を赤くした。
「別に私は……」
「本当に、安心してください」
「二人とも、何を話しているのかな?」
「春来はわからなくていいの!」
訳がわからないまま怒られ、春来は何も言えなくなってしまった。
「そうですか? もっと、春来さんはわかった方がいいと思いますよ?」
「朋枝ちゃん、もうやめてよ!」
「あの……すいません、嫌いにならないでください」
その時、朋枝は怯えているかのような表情を見せた。そんな朋枝を前にして、春翔は慌てた様子だった。
「ああ、嫌いになんてならないよ! 朋枝ちゃんが、そんな風に言ってくれるようになって、私は嬉しいよ!」
春翔はそんな風に伝えた後、朋枝の手を握った。
「ただ、ちょっと二人きりで話せないかな?」
「……はい、いいですよ」
「僕がいるとダメなのかな?」
「ダメだから、春来はここにいて!」
そうして、春翔と朋枝は教室を出ていった。
春来は一人になり、特に何かするでもなく、席に座ったままでいた。そうしていると、いつも春翔と一緒に話している男子と女子が近付いてきた。
「春来君、あれはダメだよ」
「春来君、ホントに気付いてないの?」
春翔がいない中、みんなと話すのが初めてで、春来は戸惑ってしまった。そのため、変なことを言わないようにしようと、頭を働かせた。
「……僕、何か春翔を怒らせるようなことをしちゃったかな?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「春来君、周りのことはすぐ気付くのに、こういうのは気付かないんだね」
ふと、そんな風に言われ、春来は混乱した。
「周りのことに気付くのは、僕じゃないよ? 春翔の方じゃん?」
思ったままにそう伝えると、みんな複雑な表情になった。それを見て、春来はまた何かまずいことを言ってしまったのだろうかと不安になった。
「何か、変なこと言っちゃったかな?」
「いや、春翔ちゃんの言ったとおり、春来君はホントに自覚ないんだなって」
「それは、どういうことかな?」
「まあ、私達が言えることじゃないから……」
その時、春翔と朋枝が戻ってきたため、春来はそちらに目を向けた。
「あ、戻るね」
何か隠している雰囲気だったため、それを春来は聞きたかったのに、みんな席に戻ってしまった。それから、もうすぐ授業が始まるため、春翔と朋枝もそれぞれ自分の席に座った。
「朋枝、春翔と何を話していたのかな?」
「えっと……秘密です」
他のみんなだけでなく、朋枝まで何か秘密にしていることがあるようだった。とはいえ、聞き出すことは難しいようで、色々と気になりつつも、春来は諦めることにした。
思えば、これまでも、わからないことはたくさんあった。それは、いくら考えてもわからなくて、いつからか疑問を持っても、すぐに諦める癖がついていた。そうした自分を春来は何となく受け入れて、特に変えようと思うことはなかった。ただ、授業を受けながら、本当にそれでいいのかと、改めて疑問を持った。
それから休み時間になり、すぐ春翔がやってきた。そして、春来は話しかけられる前に、自分から話しかけることにした。
「みんな、何か隠している感じがするんだけど、気のせいかな? 春翔、さっき朋枝と話していたけど、それも関係あるのかな?」
「え、あ……何でもないよ」
明らかに春翔も何か隠していることがわかり、春来は息をついた。
「僕、何か悪いこととか、それこそ嫌われるようなことをしちゃったかな? だとしたら、直したいんだけど……」
「ううん、そうじゃないから安心して。どちらかというと、私が悪いし……」
「春翔が?」
「とにかく、春来は悪くないから!」
ますます訳がわからなくなり、春来は困ってしまった。その時、隣にいた朋枝が、軽く笑った。
「春来さん、自分に向けられている思いにも、もっと気付いてあげてください」
それから、朋枝はどこか悲しげな表情に変わった。
「私も……自分がここにいることを否定しないで、頑張りますから、一緒に頑張りましょう」
先ほど、春来が言ったのと同じように、朋枝の方からも一緒に頑張ろうと言ってくれた。ただ、その内容は少し気になるものだった。
「それより、この後は体育だから、早く着替えないと」
「すいません、私は今日も見学します」
「ああ、無理しちゃダメだし、ちゃんと怪我が治ってから参加してよ」
もっと話したいことや聞きたいことがあったが、春来は中断した。それから体操着に着替えつつ、朋枝について気になることを頭の中で整理させた。
朋枝は、怪我が治っていないという理由で、体育の授業に出たことが一度もない。それだけでなく、学校も休みがちで、一ヶ月の間にもう三回は学校を休んでいた。入学式からしばらく休んでいたことを含めると、あまりにも休み過ぎだった。
そして、先ほどの発言も気になるものだった。普通に解釈すると、朋枝は自分がここにいることを否定しているかのようだった。同時に、そんなことあるのだろうかという疑問が生まれ、春来は上手く考えられなくなってしまった。
「ほら、早く外に出るよ」
結局、考えがまとまらないまま、春翔に引っ張られるようにして、春来は教室を出た。
この日の体育は、サッカーをすることになった。ただ、サッカーといっても、レクリエーションに近く、先生の指示で四つのチームに別れると、交代で試合をするといった形で、パスやシュートの練習をするわけではなかった。
そして、春来と春翔は別のチームになり、最初に春来のチームが試合することになった。
「春来、頑張って!」
一方、試合がない春翔は、そんな声援を送ってきた。
「春来君、サッカーの経験あるんだよね?」
「いつもサッカーボール持ってるよね?」
普段、あまり話さない人と同じチームになり、春来はそんな言葉をかけられた。
「私達、足を引っ張らないように頑張るね」
「いや、いつも春翔とボールを蹴り合ったり、壁に向かって蹴ったりしているだけで、僕だって全然できないよ」
実際のところ、サッカーの試合というものを経験するのが初めてで、真面なプレーができる自信はなかった。そのため、謙虚などでなく、春来は本音でそう言った。
そうして、試合が始まった直後、相手ボールから始まったにもかかわらず、春来はボールを奪うと、味方にパスした。しかし、その味方は真面にドリブルもできず、すぐにまたボールが奪われた。
そのことを目視することなく確認すると、春来はボールの方へ向かうふりを見せた直後、身体を横へ振り、背後でパスを受けようとしていた人の方へ移動した。同時にパスが出され、左足を伸ばすと、何とかボールを奪うことができた。その直後、また味方に向けてパスを出した。
その後も、春来はボールを奪っては、すぐ味方にパスするといったことを繰り返した。ただ、味方は真面にシュートを撃つことすらできず、お互いに点の入らない状況になっていた。
「春来がシュートしなよ!」
ふと、春翔からそんなことを言われ、春来は相手からボールを奪った後、そのままボールをキープしながら距離を取った。
「春翔、うるさいよ。サッカーは、みんなでやるものじゃん」
「一人ですごいプレーをする人だっているよ!」
「それは、僕なんかじゃできないよ」
「ううん、春翔ちゃんの言うとおり、春来君がシュートしてよ」
不意に味方からもそう言われて、春来は戸惑った。
「え、何でだよ?」
「私達だと、ドリブルも全然できないし、一度だけでいいから、そのままゴールを目指してみてよ」
「そんなこと言われても……」
話している間も、相手がボールを奪いに来たため、春来は周辺をドリブルしながら、ボールをキープし続けた。そうしていると、ある程度の距離まで相手のゴールに近付くことができた。
それから、春来は壁に向かって蹴っていた時のイメージを持ちながら、シュートを放った。そして、ボールはポストギリギリを掠めながら、しっかりゴールネットを揺らした。
同時に、大きな拍手が送られたものの、何でこんなに盛り上がっているのだろうかといった疑問しか、春来の中にはなかった。
「春来君、ナイシュー!」
「その調子で、次もお願い!」
「いや、一人でやってもしょうがないし、やっぱり僕はみんなにパスするよ」
「え?」
疑問を持っているのは自分の方なのに、周りのみんなが戸惑っているような様子で、春来は意味がわからなかった。
そうして、これ以降、春来は一度もシュートを放つことなく、ボールを奪ってはパスするだけで終わってしまった。