前半 70
光は、セレスティアルカンパニーの内部に敵がいるかもしれないと考えつつも、それで何か手を打つのは困難な状況だった。
例えば、実際に盗聴や盗撮をされていた場合、それを調査したところで、そのことも敵は把握してしまう。その結果、確たる証拠を得ようとしても、すぐに隠蔽されたり、また別の手段を使われたり、どうしてもこちらが後手に回されてしまうのを避けられない。
しかし、そうしたことを光は理解したうえで、社内で盗聴や盗撮がないか調査するよう、和仁にお願いした。その際に、一応、他の社員に知られないようにとは伝えたものの、そのことも含め、既に敵は把握しているだろうと考えている。それでも、そんなことを光がした理由は、圭吾、鉄也、和義の三人を信頼しているからだ。
セレスティアルカンパニーの内部に敵がいるかもしれないという考えは、早い段階であったものの、認めたくないという気持ちから、自然と無視していた。そんな中、鉄也も同じ考えを持っていると知ったこと。こちらの情報を先読みされているかのような状況が続いていること。そうしたことから、光はこの可能性と向き合うべきだと判断した。
ただし、それは自分にできることがほとんどないと認めることでもあり、多少なりとも抵抗を持つものだ。そのはずなのに、今の自分はそれを受け入れることができた。これは、光にとって心から嬉しいことだった。
物心がついた頃、父親がセレスティアルカンパニーの社長として、世界中の誰もしていない偉業を達成したことを知り、光は誇らしく思った。そして、自分が次期社長として期待されていることを理解すると、そのためにあらゆる努力をしてきた。それは、偉業を達成した父親と同じように、息子の自分にも、他の人とは違う才能があると思ったからだ。
そして、そうした努力は確実に光を成長させた。学校の成績は、学年一位。部活には入らなかったものの、スポーツにおいて、誰かに負けることはなかった。
そうして、いつしか周りは、光のことを天才と呼ぶようになった。それは、自らの努力と才能が認められたことを表している。そう思うと、光は嬉しかった。
自分なら何でもできる。自然とそう思いながら過ごしていた光は、高校で、ある出会いをした。
そこは、勉強しかやってこなかった人しか入れない。そんな風に周りから言われるほどの難関校で、実際に入ってみて、光もそんな印象を受けた。というのも、こちらから話しかけても返事がないといったことが、数え切れないほどあったからだ。
社会に出るとなれば、一人で行えることは少ない。だから、多くの人に協力してもらうため、社交性というものは絶対に必要だ。そう考えていたのに、この高校にいる人は、誰とも会話しようとせず、とにかく一人でいようとしていた。努力をして、この高校に入ったはずなのに、この人達は、将来何がしたいのか。そんな疑問から、光は自分のしていることが間違っているのではないかと不安になった。
そんな時、二学年上――三年生の男子学生が、教室にやってきて、光と話がしたいと言ってきた。
その学生は、髪を銀色に染め、この高校では明らかに異質だった。これは、他の学生が黒髪なのにもかかわらず、銀色に髪を染めているから異質だという意味ではない。銀色に髪を染めた学生のことを、誰も噂していないという意味で、異質だった。
ただ、この高校において、自分自身のことを異質かもしれないと思っていた光は、この異質な学生のことを知りたいと思い、こちらも話したいと伝えた。
そうして、放課後になり、ろくに話もしないまま、光はボクシンググローブを渡された。
この時、光は相手に言われるまま、初めての「ケンカ」をした。
ルールは、単純だった。
お互いにボクシンググローブを着けて、一対一の決闘を行う。パンチだけでなく、キックなどを与えることも許可されている。ただ、勝敗だけは少し曖昧で、相手を圧倒すればいいといったものだった。
そうしたことを説明されて、光は訳がわからないと思いつつも、それがむしろ楽しいと思えて、深く考えることなく、「ケンカ」をした。
相手は強くて、顔が腫れるほど殴られた。しかし、空手やボクシング、テコンドーもやったことがある光は、どうにか応戦した。
そうして、お互いに攻撃を当て合い、すっかりボロボロになったところで、誰かが通報したのか、警察がやってきた。そのため、ケンカを中断して、光達は大急ぎで逃げた。
何をしたのか、自分でもよくわからない。ただ、今までしてこなかった、何か悪いことをした。そう思うと、光は何かから解放されたような達成感を持った。そして、警察が自分達を見失ったことを確認した後、お腹が痛くなるほど笑ってしまった。
それから、いつか再戦しようと約束して、その学生とは別れた。そして、それがこの学生と過ごした、唯一の時間になった。
翌日、三年生の教室を回ったものの、銀色の髪の学生などいないと言われて終わった。
いったい、彼は何者だったのか。色々と考えてみたものの、その答えはわからなかった。ただ、このことが光を変えるきっかけになった。
それから、光は積極的に生徒会に参加して、無謀と思いつつも、お互いにコミュニケーションを取る機会を増やすべきだと訴えた。
そうして、まずは勉強会と称して、お互いの思考などを教え合う機会を設けた。これは、問題の解き方が一つでなく、様々なアプローチがあると知ってもらう目的も兼ねたもので、回を重ねるごとに評判になり、少しずつ参加者も増えていった。
それから、これまで単なる作業として行われていた、体育祭や文化祭で、複数人でないとできないことを追加していった。
体育祭では、クラス全員でバトンを繋ぐ、クラス対抗リレー、二人三脚や百足リレーといった他の人と足を結ぶ必要のある競技を追加した。
文化祭でも、これまで一部の実行委員だけで進めていたのを変えて、全員が参加できるように、実行委員の他にも様々な役職を用意した。こうすることで、全員が何かしらかの役割を持つことになり、それぞれが自分にできることをしてくれた。
こんなことを提案して、文句が出ることは承知のうえだった。ただ、実際にやってみたところ、ほとんどの生徒が喜んで受け入れてくれた。これは、ほとんど勉強しかしてこなかったからこそ、こうしたイベントを楽しみたい。そんな風に内心では思っていた人が多かったからこそ、実現できたことだろう。
一部は、本当に嫌だと思ったはずだ。ただ、その人の分も頑張るから、とにかく楽しみたい。そんな思いからフォローやサポートをした人も多くいたおかげで、体育祭も文化祭も、これまで以上に盛り上がった。
その後、光は一年生で生徒会長になり、人と人の交流をより充実させたいと取り組んだ。これは、そうしたいとほぼ全員が思っていたにもかかわらず、お互いに気を使って、できていなかったことを実現したいという思いから行ったことだ。
当然、これによって人付き合いが苦手な人ほど孤立してしまう。そうしたことを考え、光は全部のクラスを毎日回り、挨拶をするようにした。
生徒会長が、全員に挨拶している。そうした姿を見せることで、より孤立している学生が目に入ることもあった。その場合、時には生徒会からの呼び出しという形で、その生徒と話をする機会を作り、何かしらかの形で悩みを解決していった。
そうして、勉強しかやってこなかった人しか入れないと言われていたこの高校は、すっかり消えてしまった。
また、勉強会のおかげなのか、学生達の成績は落ちるどころか、むしろ良くなった。それにより、有名大学へ進学できた人も過去最多となり、このことはニュースなどでも取り上げられるほどだった。
ただ、光は後輩に自分の意思を託した後、有名大学を受験することなく、普通とか一般的などと呼ばれる大学へ進んだ。成績を考えれば、レベルを下げ過ぎだとか、そんな大学でいいのかと周りから言われたが、色々な人――それこそ、あの銀髪の人物のような人と、もっと会いたいと思い、気持ちは変わらなかった。
そして、圭吾など、不良と呼ばれるような人とかかわるようになったことで、今の自分がいると光は思っている。
もっとも、ライトを結成した後、自分のしたことは、間違いだらけだったように感じている。ただ、それだけ間違いをしたからこそ、光は気付けたことがあった。
自分は、自分のことを今でも特別だと思っている。ただ、自分一人では何もできない。
本当の意味で、こう思えるようになれたのは、ここ数日のことかもしれない。とにかく、今の光は、心から信頼できる仲間に託すと考えれば、自分が役立たずになることに何の抵抗もなかった。
鉄也は、ダークのネットワークだけでなく、他の手段も使って、外部から様々なことを調べてくれるだろう。それだけでなく、TODについても、美優が生き残れるように手を尽くしてくれるはずだ。
和義は、先ほど渡したセレスティアルカンパニーのソースコードを解析し、何が原因で情報が外部に流れているか。さらには、それをしている犯人が誰かも、全力で探してくれるだろう。
圭吾は、ITに弱いため、二人のようにはできない。だから、その人望を使って、多くの人の協力を得ながら、独自に動いてくれるはずだ。
話さなくても、三人の行動は、容易に想像できる。そして、それはすべて光のしてほしいことだ。だったら、光は三人が行動しやすいよう、囮になろうと決めた。
調査した結果、何もわからなくてもいい。こちらが調査をすれば、敵は対応に迫られる。それだけで、調査すること、それ自体が無駄になることは絶対にない。そう判断すると、光は社内の監視カメラが正常に動作しているかだけでなく、外部に情報が送られていないかなど、入念に確認していった。
その時、浜中から連絡が来て、光はすぐに出た。
「光です。どうしましたか?」
「浜中だよ。今は大丈夫かい?」
「難しいかもしれないです。今、セレスティアルカンパニーの情報が外部に流れている可能性があって、この通話も盗聴されている可能性があります」
「そうなのかい?」
「すいません、そういった理由があるので、盗聴されても問題ない内容だけ話してください」
こうして話すこと自体、盗聴を疑うならおかしなことだと思いつつ、これで敵が混乱してくれるなら、光にとっては好都合だった。
「えっと……君のことを話してもいいかい?」
「もう……やっぱり信用できないじゃない。まあ、いいわ。速見絵里よ」
意外な人が一緒にいると知り、光は戸惑った。
「ああ、初めまして。宮川光です。聞いているかもしれませんけど、速見さんのことを捜していたので、無事で良かったです」
「これで無事と言えるのかしらね。あと、純君のことも知ったというか、さっき会ったわ」
「大丈夫だったんですか?」
「可唯君が偶然……いや、偶然じゃないのかもしれないけど、とにかく来てくれて、それで神保純は逃げたよ。捕まえられなくて、申し訳ないね」
神保純が現れたことだけでなく、そこに可唯が来たこと。それは、浜中の言うとおり、光も偶然とは思えなかった。
「それで、可唯君からお願いをされて……」
「盗聴されているかもしれないんでしょ?」
「ああ、そうだったね。とにかく、これから私は速見さんと一緒に行動するよ」
「わかりました。ところで、盗聴されていることを承知で話してほしいんですけど、速見さんは神保純の取材をしていたんですよね? 彼がどういう人物なのか、僕の方で推測しているんですけど、なかなか理解できないんです。それで、速見さんから見た、彼のことを教えてくれませんか?」
盗聴されていたとしても、こうした話をするのは、恐らく問題ないはずだ。そう判断して、光はお願いした。
「私も、純君のことはわからないわ」
そう前置きした後、速見はこれまで取材を通して感じたことなどを中心に、何故神保純が殺し合いなんてことをしているのか、自分の考えを話してくれた。
「純君は特別で……天才だと私は思うわ。そのことを自覚することなく、自分はみんなと同じで、普通だと勘違いしてしまっていること。それが、彼を狂わせてしまったんだと思うの」
速見の話を聞きながら、光はどこか自分と重なる部分があるように感じた。
光は、父親が特別で天才と呼ばれるような人だったため、自然と自分もそうだと思うようになった。実際、様々なことを人並み以上にできたと思っている。
神保純も、光と同じように、様々なことを人並み以上にできたそうだ。しかし、それで自分を特別だと思うことなく、みんなと同じ普通だと思い続けた。
光と神保純の違いは、この程度のもので、これ自体は小さなものだ。ただ、様々なことを人並み以上にこなせた結果、この違いは大きな違いとなってしまったのだろう。それこそ、僅かな角度の違いがあっただけで、遥か遠くでは全然違った場所へ行ってしまうというのを表しているようだった。
「何かが少し違っていただけで、僕も彼と同じようになっていたかもしれませんね」
これまで、神保純のことを理解しようと思った時、どこか光には抵抗があった。
それは、自分も神保純と同じようになっていた。もしかしたら、今後自分も同じようになってしまうかもしれない。そんなことを無意識のうちに感じていたのだろうと、光は思った。
「神保純は、返り血を浴びていて、着替えるために自宅に帰ってきたようだよ。もしかしたら、また帰ってくるかもしれないし、誰かを近くに置けないかな? ただ、当然だけど危険だから……」
「わかっています。それじゃあ、ライトとダークに連絡だけしておきます」
情報を共有するために用意した、データベースなどはまだ稼働している。そのため、そこに情報を流すことで、光は圭吾達に動いてもらうことにした。
「それじゃあ、私達は少ししたら移動するよ」
「わかりました。毎回言っていますけど、くれぐれも気を付けてください」
「ああ、わかったよ」
そうして通話が切れると、光は思わずため息をついた。
すると、後ろから瞳が抱き締めてきた。
「大丈夫だよ。光には私達がいるから、心配しないで」
何も言っていないのに、自分が神保純のようになってしまうかもしれないといった不安を、瞳は感じ取ったようだ。そして、光は瞳の手に触れた。
「うん、ありがとう。瞳達がいるから、心配しないよ」
光は、自分を支えてくれる人達がいることに、改めて感謝した。
そして、恐らくそうした人がいないことで、暴走してしまっている神保純のことを、どうにか止められないかと、強く思った。




