前半 60
翔は、美優をずっと離したくないと、強く思っていた。ただ、その思いが何の感情によって生まれたものなのかは、まだよくわからなかった。
「取り込み中のところ悪いが、いつ襲撃があるかわからない。続きは後にしろ」
「はい、ごめんなさい!」
冴木の言葉を受け、翔は慌てて美優から離れた。
「その……今のは、そういうのではなくて……」
「別に、俺はとやかく言う権利なんて持っていない」
冴木はそう言ったが、その表情は怒っていた。それは、美優の父親としての感情を表していると感じたが、美優が一緒にいる今、翔は黙っておいた。
一方、美優は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに俯いていた。
「美優、怪我を見せろ」
「これぐらい、大丈夫です」
「いいから見せろ」
冴木は美優の怪我の具合を入念に確認した後、安心したように息をついた。
「痛むだろうが、傷は深くないし、大丈夫そうだ。大したことがなくて良かった」
冴木がそう言うなら間違いないだろうと思い、翔も安心した。
「冴木さんは大丈夫ですか? そんなに血が出て……」
「頭を怪我すると、これぐらいの血が出るのは普通だ。ちゃんと後で処置をするから安心しろ」
「それならいいですけど……」
美優は不安げだったが、反論できるだけの知識もないようで、諦めた様子だった。
「とにかく、いつ他の襲撃があるかわからない。すぐに移動……いや、これだけの時間ここにいて、他の襲撃がないのは不自然だな」
冴木の言うとおりで、翔も同じように疑問を持った。
「……確かに、不自然ですね。少し調べてみます」
翔はスマホを操作し、闇サイトの投稿を確認した。そして、すぐに気付いたことがあった。
「闇サイトの方に、美優や冴木さんのいる位置が相変わらず投稿されていますが、ここじゃなくて、別の場所を示しています。というより、今も移動を続けていることになっています」
「どういうことだ?」
「わかりません。もしかしたら、光さん達が何かしてくれたのかもしれません。今後どうするか相談するのも兼ねて、連絡してみます」
翔は光と通話を繋ぐと、スピーカーに切り替えた。
「光さん、今は大丈夫ですか?」
「それは、こっちの台詞だよ。ラン君、大丈夫なのかな?」
「はい、さっき美優達と合流したところです。それで、質問したいことがありまして、闇サイトの投稿に何か細工をしましたか?」
「細工?」
それから、翔は簡潔に投稿のことを伝えた。
「光さんの方で、何かしてくれたのかと思ったんですが……」
「いや、僕の方では何もしていないというか、何もできていないよ」
「それじゃあ、何でこんなことになっているんですかね?」
「それはわからないけど、調べられそうなら僕の方で調べてみるよ。それより、闇サイトの投稿が示している場所に、ラン君達はいないってことなんだね?」
「はい、そうです」
そう伝えたところで、キーボードを叩く音が聞こえ、光が何かしようとしていることが自然と伝わった。
「ラン君は断ったけど、圭吾と鉄也にラン君のサポートをお願いして、向かわせているところなんだよ。そこにいないってことなら、すぐ伝えておくよ」
「そうだったんですね」
「勝手なことをして、ごめんね。でも、やっぱりラン君の力になりたくて……」
「いえ、ありがとうございます。助かります」
翔がそう伝えると、光の驚いたような息遣いが聞こえた。それを受け、翔は伝えることにした。
「一人で解決しようとしていましたが、やはり限界があると自覚しました。危険な目に遭わせてしまうかもしれませんが、今後も助けてもらいたいです」
自分のせいで、また誰かを巻き込んでしまうかもしれない。そんな思いから、なるべくかかわってほしくないと、翔は光達の助けを避けようとしていた。しかし、そもそも自分のせいだと考えることがおかしいと気付けた今、光達の助けは、ただただ嬉しいものだった。
「……うん、僕達は最後まで力になるよ」
ふと美優に目をやると、嬉しそうな表情だった。それを見て、自分は間違っていないと、翔は自信を持った。
「冴木だ。今、車が使えなくなって、廃墟にいる。先ほど襲撃があったが、闇サイトの投稿の件もあって、今は襲撃もなく、比較的安全に思える。だが、いつまでこの状況が続くかはわからない」
「あと、JJの襲撃もありました。逃がしてしまったので、また襲撃してくると思います。その前に、どうにか捕まえられないか、考えてもらえると助かります」
「JJ……というか、神保純については、僕や浜中さんの方で、どうにか捕まえられないかと動いているよ。とりあえず、僕の方は神保純の情報を色々と調べているから、整理できたら共有するよ」
「どうやって元ターゲットのことを知ったのかも気になります。これまで美優がどこにいるか特定されていることとも繋がるかもしれないので、そうした方向からも調べてもらえませんか?」
「うん、わかったよ。それより……いや、やっぱりいいや」
恐らく、光は翔の心境の変化について、何か言おうとしたのだろう。そのことを感じつつ、翔から何か言うのは、やめておいた。
「話を戻す。恐らく、ここに残って凌ぐのは難しいだろう。だが、移動手段は翔のバイクだけだ。だから、翔と美優の二人でここを離れろ。荷物は俺が運ぶ」
「冴木さん?」
「心配するな。また車を確保して、すぐに合流する。それまで、二人はどこかに潜伏してほしい。ただ、どこがいいか……」
「それなら、ダークが用意するよ」
不意に和義の声が聞こえて、翔は少し驚いた。
「和義、起きたのか?」
「少し寝たおかげで、頭も冴えてるよ。いくつかいい場所があるから、そこに案内するよ」
「それなら、俺達の位置情報を伝える。隠していても、襲撃があったからな」
「オッケー。光の方に送ってもらえれば、それをうちらで共有するよ」
「わかった。すぐに送る」
翔はスマホを操作して、光達がこちらの位置情報を常に把握できるようにした。
「うん、ラン君達の位置がわかったよ」
「鉄也と圭吾が比較的近くにいるから、すぐ行けるよ。早速、向かわせるから、少し待ってて」
「わかった。すぐ移動できるよう、それまでに準備しておく」
やることは、バイクから荷物を下ろした後、運びたい最低限の荷物だけ選んでおくことだ。その後、最低限の荷物をどう運ぶかも考える必要があるが、それは圭吾達と合流してからでないと決められないことだ。そうしたことを翔は考えていた。
「ラン君達の方だけで、決めるべきこともあるだろうし、一旦通話を切ろうか? 圭吾と鉄也には、こっちで連絡しておくし、何かあればいつでも連絡していいからね」
「そうですね……。わかりました。一旦、通話は切ります」
通話したままでも良かったが、先にこちらでまとめられることを決めてから、光達に共有した方がいいと判断して、翔は通話を切った。
「それじゃあ、早速荷物を下ろします」
「防弾チョッキがあると言ったな? まず、それを二人とも着てほしい」
「そうですね。多分、千佳が美優に渡す物を紙袋に入れていたので、そこに入っていると思います」
翔は、荷物を固定していたネットとケーブルを外すと、中を確認して、紙袋を見つけた。
「美優、中に入っていると思うから、出してもらっていいか?」
「あ、うん……」
中に下着などが入っていることを知っているため、翔は美優に紙袋を渡した。ただ、そうして気を使ったことが逆に良くなかったのか、美優は気まずそうに紙袋を受け取り、中を確認した。
「あ、あったよ」
美優は紙袋から防弾チョッキ二着を順に取り出した。パッと見て、大きさが違っていたため、翔は大きい方の防弾チョッキを受け取った。
それから、翔は防弾チョッキを着るため、ライダースーツを脱いだ。一方、美優は困った様子で、防弾チョッキを眺めていた。
「これって、服の下に着た方がいいんですよね? でも、Tシャツの下にこれを着るのは……」
「別に、Tシャツの上に着て構わない」
「それだと、防弾チョッキを着ていることがすぐにわかっちゃいますけど?」
「それでいいんだ。銃で特定の部位を狙うのは難しいと教えただろ? そもそも、防弾チョッキを避けて撃つことが難しいし、的を小さくするといった効果もある。だから、防弾チョッキを着ていると示すことも重要なんだ」
「それじゃあ、このまま着ますね」
そんなやり取りを美優と冴木がしている間に、翔は防弾チョッキを着ると、その上にライダースーツを着た。
「ただ、バイクに乗るなら、多少は上着を着た方が良くないですか?」
「確かに、翔の言うとおりだ。下の車に上着があるから、美優はそれを着ろ」
「この後、圭吾さんと鉄也が来るので、下で待ちましょうか。どの荷物を運ぶかも考えたいです」
「それが良さそうだな」
それから、翔はバイクを転がし、冴木が荷物を運ぶ形で、三人は下に行くと、車に向かい、車からも荷物を下ろした。
「すぐに合流するつもりだが、最低限の着替えだけ持っていくといい。一応、軽く怪我の手当てをしてから、着替えるといいだろう。手当てができるよう、消毒なども持っていけ」
「はい、わかりました」
そうして、荷物をある程度まとめると、バッグ一つに収まった。そのタイミングで、バイクの音が近付いてきたため、翔と冴木は念のため警戒した。ただ、すぐに圭吾と鉄也だとわかり、二人は警戒を解いた。
圭吾と鉄也はバイクを止めると、すぐにヘルメットを外した。
「俺の方が速かったから、俺の勝ちだぞ」
「ふざけるな。ここの敷地に入るまでは、俺の方が速かったから、俺の勝ちだ」
圭吾達が相変わらずで、翔は苦笑した。
「決着は今度つけてください。とりあえず、持っていきたい荷物をバッグにまとめたので、運ぶのを頼んでもいいですか? 自分は美優を乗せるので……いや、自分が荷物を運んで、美優がどちらかのバイクに乗ってもいいのか」
「ううん、私は翔と一緒がいい」
「乱暴な運転になるが、大丈夫か?」
「うん、しっかり掴まるから、大丈夫」
「わかった。それじゃあ、圭吾さんか鉄也に荷物を運んでほしいです」
圭吾から受け取ったバイクの運転には慣れてきたが、あくまでコントロールできるようになったというだけで、そもそも慎重な運転など不可能な性能のバイクだ。そんなバイクの後ろに美優を乗せて大丈夫だろうかと不安だったが、美優の強い意志を受けて、翔は承諾した。
「俺からもいいか? 車を確保したいが、何かいい案はないか? また潜伏先が特定されたし、車を確保する方法が問題だったのかもしれないんだ」
「それならダークが用意してる車を使っていい。色んな駐車場にダークの車が置いてあるから、その一つを貸す」
「鉄也、何でそんな物を用意してるんだ? まあ、どうせ悪さした時に逃げるためだろ?」
「勝手に決めるな」
鉄也はそう言っただけで、それ以上何も言わなかった。そのため、恐らく図星なのだろうと翔は感じた。
「あと、ハッキングとか、そういった情報に詳しいんだろ? オフェンスが持っていたスマホに、俺達の潜伏先を伝えるメッセージがあった。スマホを確保しているから、調べてほしい」
「それなら、これからすることは決まったな。和義が案内するから、圭吾はラン達と一緒に行ってくれ。俺は冴木と一緒に行動する」
「ダークが用意した場所へ行くんだぞ? 逆の方がいいんじゃないか?」
「バイクに荷物を積んで移動するのは慣れてねえから、圭吾に任せる。俺は車を冴木に渡した後、そのままオフェンスのスマホを持って、セレスティアルカンパニーの方へ行ってくる」
「それじゃあ、俺がラン達と一緒に行く。俺もラン達を送ったら、戻ってインフィニットカンパニーのことを改めて調べることにする」
「それなら、比較的セレスティアルカンパニーの近くに向かった方がいいな。和義に伝えておく」
ケンカばかりしているが、あっさりと話がまとまったのを見て、圭吾と鉄也は仲がいいのだろうと感じた。ただ、それを口にするとケンカになるとわかっているため、翔は黙っておいた。
それから、圭吾が手慣れた様子で荷物をバイクに固定して、冴木達に運んでもらう残りの荷物もまとまった。そうして、移動できるようになったため、翔はバイクに乗り、その後ろに美優が乗った。
「美優、聞こえるか?」
「うん、聞こえるよ」
「俺も聞こえてるぞ」
移動しながら話せるよう、翔達はイヤホンマイクを着けた。そのテストも問題なく、冴木と鉄也を残して、先に出発することになった。
「美優、急発進と急停止が中心になるから、しっかり掴まって、振り落とされないようにしろ」
「うん、わかった」
美優は後ろから翔の腰に腕を回すと、抱き締めるように力を込めた。そうして美優の身体が密着した瞬間、翔は自分の鼓動が高鳴るのを感じて、思わず身体がビクつくほど動揺した。
「翔、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
動揺した理由がわからないまま、翔は息をつくと、エンジンをかけた。
「それじゃあ、圭吾さん、行きましょう」
「ああ、行くぞ」
そして、圭吾とそんなやり取りをした後、翔はバイクを急発進させた。