前半 43
孝太は、何もなかった時と同じように目を覚ますと、顔を洗ったり、両親と朝食を食べたり、何もなかった時と同じような朝を送っていた。そして、制服に着替えると家を出て、学校に向かった。
もしかしたら、昨日まであったことは、全部夢なのかもしれない。そんな風に思いたかったものの、身体中の痛みがそれを否定した。
今も、美優と翔は危険な状況だという事実。その事実を変えるため、今の自分にできることは、恐らくもうないのだろう。ライトとダーク、それにセレスティアルカンパニーが動いてくれている今、全部任せればいい。そう理解しているはずなのに、孝太は納得できなかった。
ただ、翔から日常に戻るよう言われたことを思い返すと、孝太は気持ちを切り替えるように首を振った。
そうして、孝太は待ち合わせ場所で千佳と大助の姿を見つけると、自然と笑顔になった。
「千佳、大助、おはよう」
「孝太、おはよう!」
「孝太君、おはようございます」
ここからいつもと同じ日常に戻る。そんな風に孝太は自分に言い聞かせた。
「孝太、身体は大丈夫? 何か少しでも異常があったら、すぐ病院に行った方がいいよ?」
「……えっと?」
「だって、昨日、殴られたり蹴られたり大変だったし、コンクリートのとこに倒れるのも、後で聞いて確かに危ないって思ったし、何か少しでもおかしいとこはない? 本当に大丈夫?」
「いや、全然日常に戻る気ねえじゃねえか!」
千佳から昨日の話を普通にされ、孝太は思わずそんな言葉を言い返した。
「え、何が?」
「だって、翔から日常に戻れって……」
「日常に戻るって、美優と翔がTODに巻き込まれたことを忘れることじゃないよね?」
千佳の言葉で、孝太は自分が間違っていたことに気付いた。そして、こんなことに気付かなかったのかと、自分自身に呆れてしまった。
「千佳の言うとおりだ」
「でしょ? それで、孝太は身体とか大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。全身普通に痛いけどな……」
「だったら、ちゃんと病院に行きなよ! 全国大会で優勝したいんでしょ? だったら、しっかり治さないと!」
千佳の言うとおりと思いつつ、孝太は自分の身体のことより、思うところがあった。
「千佳、心配してくれて、ありがとな」
「心配するよ。だって……私は孝太のことが好きだもん」
「ああ、その……ありがとな」
孝太は上手く言葉が見つからず、そのまま黙ってしまった。千佳も照れているのか、何も言ってこなくて、そのままお互いに黙ってしまった。
「あの……僕は先に行っていいですか?」
そんな大助の言葉で、孝太と千佳は我に返った。
「いや、一緒に行ってくれ!」
「うん! 大助も一緒だよ! 大助だって、一緒の方がいいと思ってるよね!? うん、大助ならそう言ってくれると思ったよ!」
「千佳、少しは大助の返事を待ってやれよ……」
「やっぱり、僕は邪魔者じゃないですか?」
「いや、そんなことねえから! 僕と千佳だけだと、ここで一生変なやり取りしてそうだし、大助がいて助かるって!」
「変なやり取りって何?」
「いや、そのまんまじゃねえか!」
「遅刻したくないので、僕だけ先に行っていいですか?」
「ああ、だから……」
ふと、三人ともここから動かないまま、ずっと時間が流れてしまうんじゃないかと思えて、孝太は笑った。
「悪い、ホントに遅刻しそうだし、もう行こう」
「うん、さすがにね」
「それなら良かったです」
日常というのは、何も変わらず、いつもと同じことを繰り返すことじゃない。少しずつ……時には急激に変わっていくものだ。そうしたことを孝太は感じながら、千佳と大助との時間を改めて大切に感じていた。
ただ、学校が近くなったところで、美優と翔のことを、どうしても考えてしまった。今日は美優と翔を二人きりにしようといった計画を立てていないものの、もしかしたら、二人揃って登校してきて、もう教室にいるかもしれない。そんな期待を孝太は持った。
しかし、教室に美優と翔の姿はなかった。そして、そのまま始業ベルが鳴ると、美優と翔がいないまま、朝のホームルームが始まった。
それはいつもと同じ……ではなかった。担任の須野原先生が急病とのことで、代わりの先生がやってきた。そのことをどう受け入れようかと思いつつ、ふと千佳に目をやると、千佳も動揺した様子で、自然と目が合った。
須野原先生は自殺して、既に亡くなっている。しかも、美優を殺そうとした。美優は今、TODのターゲットとして命を狙われている。翔は、そんな美優を守るために命の危険すらあるほど、無茶をしている。今ここでそんなことを言ってしまおうか。そんな衝動に駆られつつ、孝太は必死に黙っていた。
そして、朝のホームルームが終わると、すぐに千佳がやってきた。
「今、大変なことが起こってるんだー! って叫びたくなったけど、そんなことをしても、美優と翔のためにならないもんね。でも、何か納得できなくて、今もすごくもやもやしてる」
自分の言いたいことを素直に言ってくれて、孝太は自然と笑みが零れた。
「僕も同じだよ」
「そうだよね! 孝太も同じ気持ちで良かったよ!」
「それは僕の台詞だよ。ここに……」
思わず「ここに千佳がいてくれて良かった」と言いそうになったものの、さすがに言い過ぎだと孝太は止めた。
「ここに?」
「ここに……美優と翔がいる日常が戻るといいな」
「戻るといいなじゃなくて、絶対に戻るよ!」
いつもどおりポジティブな千佳の言葉に、孝太は笑顔を返した。
「そうだ!」
千佳はそう言うと、恐らく孝太達の邪魔をしないように距離を取っていたであろう、大助を無理やり引っ張ってきた。
「千佳さん、何ですか?」
「今ここに、『美優と翔のため、私達にできることをしよう会』を結成します!」
千佳が何を言っているのか、孝太も大助も理解できず、少しの間、何も言えなかった。
「それは、ライトやダークに協力するってことか?」
「すいません。そういうことなら、僕は、かかわりたくないです」
「違う違う! 今日から毎日、放課後にパーッと遊ぶんだよ!」
そう言われたものの、ますますわからなくなり、孝太は何も言えなくなってしまった。
「もう、察しが悪いなー。美優と翔が大変な状況で……それに篠田さんのこととか、孝太ほどじゃないと思うけど、私もすごく悲しい。でも、これからもっと悲しいこととか、辛いことがたくさんあると思うの。でも、美優と翔が、日常に戻ってきた時、私は笑顔で迎えたいの」
笑顔で迎えたいと言いながら、深刻な表情の千佳を前にして、孝太は色々と思うところがあった。
「だから、二人が戻ってきた時に笑顔で迎えられるよう、とにかく私達だけで、パーッと遊ぼうよ! それで、美優と翔が戻ってきたら、みんなでパーッと遊ぼうよ!」
それは空元気に思えたものの、千佳がどうにかポジティブにしようとしてくれていることは、よく伝わった。そのため、孝太は千佳に合わせることにした。
「そうだな。それじゃあ、これから毎日放課後は三人で遊ぶか」
「うん、ありがと!」
「僕は別にいなくても……」
「ダメ! 大助も、『美優と翔のため、私達にできることをしよう会』の一員なんだから!」
「てか、そのダサい名前は決定なのかよ?」
「ダサくないよ! 大助だって、かっこいいと思うよね?」
「いや、僕はそもそも……」
「やっぱり、大助もかっこいいと思うよね! てことで、二人とも、これから放課後はよろしくね!」
「……大助、諦めてくれ」
「別に予定はないので、いいですけど……」
大助を困らせている自覚はあったものの、千佳の思いを尊重したいと孝太は思い、お願いする形を取った。というのも、孝太自身、美優と翔をどういった思いで待てばいいか、悩んでいたからだ。
翔は、孝太と千佳に対して、日常に戻ってほしいとお願いしてきた。そんな翔の思いを、孝太はかなえたいと思いつつ、どうしていいかわかっていなかった。ただ、千佳の言うとおり、楽しい時間を送ること。それが自分達の日常であり、翔の望んでいたことのようにも思えた。
「それじゃあ、今日は部活もねえし、どっか行くか」
「じゃあ、予行練習も兼ねて、カラオケに行こうよ! 孝太も大助もそれでいいよね!?」
「僕は千佳に任せるよ」
「僕はいつもどおり歌いませんけど、カラオケでいいですよ」
「じゃあ、決定だね!」
やはり千佳は無理しているようで、笑顔なものの、いつもより表情が暗いように感じた。だからこそ、孝太は千佳を本当の笑顔にしようと、自ら笑顔を向けた。
「ああ、楽しみだな」
「うん、楽しみ!」
これが自分達の日常……とはまだいえない。なぜなら、ここに美優と翔がいないからだ。
でも、それで落ち込んでいてはいけない。美優と翔が戻ってきた時、今以上の笑顔で迎えたい。
その気持ちは、きっと千佳と大助も同じだろうと思い、孝太はまた笑った。