前半 42
7月12日(木)
翔は目を覚ました時、今自分がどこにいるのか理解するまで、少々の時間が掛かった。そして、和義に用意してもらった場所で寝たことを思い出すと、身体を起こし、いつもどおりストレッチをした。
筋肉痛はそこまでなかったものの、切り傷が少しだけ痛み、顔を歪めた。ただ、その痛みで眠気が覚めると、翔は部屋を出た。
まだ早朝といった時間帯だが、和義がいるワゴン車の方からキーボードを叩く音が聞こえたため、翔はそちらに向かった。そこには、必死な顔でキーボードを叩く和義がいた。
少しの間、声をかけるべきかどうか迷っていると、和義は翔に気付いた様子で、一瞬だけこちらに目線を送ってきた。
「ラン、早起きじゃん。あまり寝られなかったのかな?」
「いつもこんなもんだ。それに、和義こそ早起きだな」
「ちょっとトラブル発生でね。おかげで深夜に起こされて、てんやわんやだよ」
和義の言うトラブルというのは、こちらの位置が特定された理由を探っている中で発生したことだろう。そう思いつつ、あまりにも和義が必死な様子だったため、翔は黙って見守ることにした。
そうして、しばらく待っていると、和義は手を止め、大きく息をついた。
「やっと落ち着いたよ」
「何があったか、話す余裕はあるか?」
「ああ、今から詳しい情報をまとめるけど、深夜にアラームが鳴って、調べたらパソコンが攻撃されてたんだよ」
「攻撃?」
「難しい話になるけど、マルウェアを送り込まれて、こっちのパソコンをデータごと壊しにきたんだよ。てか、スマホの解析をしてた方は間に合いそうになくて諦めたんだけど、おかげで起動すらしなくなっちゃったよ」
話の内容自体は理解できたが、何故そんなことになったのか理解できず、翔は戸惑った。
「攻撃って、和義は解析していただけだろ? 誰かが外部から攻撃してきたってことか?」
「いや、プログラムにトラップが仕掛けてあって、必要以上に触れると起動するようになってたみたいだよ」
「それじゃあ、結局のところ、何もわからないってことか?」
「スマホを解析してた方は、こっちのパソコンごと全部のデータが壊されたみたいで、何も残ってないけど、こっちの車を解析してた方は、どうにかパソコンだけ守れたよ。車の方にデータは残ってないけど、これまでに解析できたことは、こっちのパソコンに入ってるし、それを調べれば何かわかるかもよ」
そう言うと、和義はまたキーボードを叩き始めた。
「てか、これを仕掛けた奴、かなり意地悪だね。こんなことできるなら、最初からハッキングした形跡を残すことなく、全部のデータを消せたはずなんだよ。それなのに、わざわざ解析させて、こんな風にこっちを攻撃してくるなんて、俺は思い付きすらしないよ」
「確かに、わざわざこんな仕掛けを残す方がリスクもあるだろうし、妙だな」
「まあ、とりあえず、データはパソコンに入ってるし、セレスティアルカンパニーに戻って解析してもらうよ。あっちの方が、ここよりできることが多いしね」
「わかった。光さんは、もう起きたのか?」
「早い時間に休んでたみたいだし、もう起きてるんじゃん? 俺も報告したいし、かけてみよっか」
「いや、まだ……」
「かけてみたよ。スピーカーにするね」
光が寝ていたら悪いと思って、翔は止めようとしたが、和義があっという間にスマホを操作したため、止められなかった。
「和義君? おはよう」
「おはよう。ランもいるよ」
「光さん、おはようございます。朝早くにすいません」
「ああ、ラン君も一緒なんだね。おはよう」
光は寝起きといった様子もなく、起きてからしばらく経っているように感じた。
「早速報告だけど、ランが乗ってきたワゴン車と、持ってきたスマホを解析してたら、マルウェアを送り込まれて、攻撃されたんだよ」
「大丈夫だったのかな?」
「大丈夫じゃないよ。おかげで、いくつかパソコンが、おじゃんになったんだから」
「それは災難だね」
「でも、どうにかワゴン車を解析してたパソコンは守れたよ。途中までしか解析できてないけど、データも残ってるし、これからそっちに戻るよ。そっちの方が、データの分析もしやすいでしょ?」
「了解。待っているよ」
光と和義の話が一区切りついた様子で、少し間が空いたため、このタイミングで翔は質問することにした。
「光さん、何か新たにわかったことなどはありますか?」
「ごめん、今のところ、新しい情報はないかな。僕が寝ている間、瞳と和仁さんを中心に、色々と調べてもらっていたけど、JJや、先月あったTODの詳細についても、特に情報は見つかっていないみたいだよ」
「そうですか……。孝太に言われて気付いたんですが、JJはスポーツの経験があると思います。そうした方向から調べたら、何かわかりませんか?」
「その話は既に伝わっているし、もう調べているけど、それだけだと何のヒントにもならないっていうのが現状かな」
「ああ、そうですよね……」
「本当に申し訳ないよ」
「いえ、こちらこそ、無理を言ってすいません」
光ならどうにかしてくれるのではないかと期待していた分、翔は言い過ぎてしまったと反省した。
「ただ、少しだけ休んで頭もスッキリしたからね。とりあえず、JJの件については、先月あった大量殺人事件の方を追ってみるよ」
「ああ、それもありましたね」
データベースに情報があったが、連続殺人事件の標的が元ターゲットだと知ったため、先月あった大量殺人事件について、そこまで詳しく翔は調べていなかった。
「ただ、この大量殺人事件って、犯行の手口なども違いますよね? 現場に同じ血痕があったという点は気になりますが、まったく関連のない事件の可能性もないですか?」
「その可能性もあるけど、それで別の可能性を捨てるのは良くないよ? と言いつつ、僕も大量殺人事件の方は、そこまで追い切れていないんだけどね。冷静になって考えてみれば、これが最初に起こった事件だし、次の標的が誰かといった、先へ進む手掛かりがないなら、これから調べるのが一番じゃないかと思ってね」
「わかりました。ただ、その件について調べるのは、光さんに任せます。自分にできることがあるとは思えないので……」
「うん、任せてよ。それより、てっきりラン君は美優ちゃん達の所に戻っていると思ったよ」
「位置が特定された理由がわかるまで、別行動を取ることにしたんです。ただ、昼前には合流するつもりです。それまでは……」
翔は少しだけ考えた後、光とは反対に、次の標的が誰かという、先へ進む手掛かりを探ることにした。
「急ですいませんが、篠田さんの会社……特に、同僚に関する情報を送ってもらえませんか? 篠田さんは、TODに関する情報をたくさん持っていたので、先月のターゲットについても知っていたと思うんです。篠田さんが殺された原因についても調べたいので、出社時間を狙って、篠田さんの同僚に話を聞きにいってきます」
「色々あり過ぎて、篠田さんの件は追い切れていないからね。ただ、それを調べるのは、相当危険な気がするよ?」
「もしも、自分や堂崎家について調べたことが原因で、篠田さんが殺されたんだとしたら、この件は自分にしか調べられないことです」
「……わかったよ。それじゃあ、篠田さんの件は、ラン君に任せるよ」
光は翔に聞きたいことがある様子だったが、気を使ってくれたのか、何も聞かないでくれた。そのことに、翔は心の中で感謝を送った。
「それじゃあ、今日もまた色々あると思うけど、ラン君も和義君も、自分の安全を第一に考えて行動してね」
「オッケー」
「……わかりました」
TODが始まってから、まだ三日目だ。そのことを受け止めつつ、翔は改めて決意を固めた。