前半 41
翔は真っ直ぐ和義の所へ行くつもりだったが、荷物を積んだことでバランスが変わったバイクに慣れるため、しばらくの間、街中を走り回っていた。
先ほどは、単に移動するだけだったが、今後は追跡された際に逃げたり、反対に追跡したりするケースも考えられる。そのため、翔は急発進や急ブレーキ、そして急ハンドルといった無茶な運転をしながら、どこまでバイクをコントロールできるか確認した。
結果として、後部に荷物を積んだことにより、急発進をすると、前輪が上がる――ウィリー状態になりやすく、アクセル操作は慎重にする必要があった。反対に、急ブレーキをして、後輪が上がったとしても、そこまで上がらずにすぐ下がってくれるため、多少は無理な急停止なども可能だった。また、ハンドルの利きは多少悪くなったが、元々が良過ぎたため、むしろ安定した操作がしやすくなった。
そうしたことを確認したところで、翔はもう一つだけ確認することにした。
「通話、和義」
そう言うと、バイクに設置したスマホが和義に通話をかけた。これは、イヤホンマイクと、音声認識を利用したものだが、想定どおりに機能したのを確認し、翔は安心した。
「和義だよ。丁度良かった。ランに連絡しようと思ってたんだよ」
「今、丁度そっちに向かっている所だ。もうすぐ着くから、着いたら入れるようにしてくれないか?」
「オッケー。今は周りで監視してる奴とかもいないみたいだし、誰かに頼んで入り口を開けさせるよ」
「ああ、そうしてもらえると助かる」
バイクを運転しながら通話するのは、騒音などで難しいかと思っていたが、向こうの声がクリアに聞こえるだけでなく、こちらの声も問題なく向こうに届いているようだった。そのことに安心しつつ、美優と冴木に連絡する際は、別のスマホを使う必要があり、突然の連絡があった時には対応が難しいかもしれないといった心配もあった。
「てか、バイクでも乱暴運転してるじゃん。警察に追われるから、少し抑えないとまずいって」
「こっちの位置、わかっているのか?」
「監視カメラにバッチリ映ってるって、鉄也からリアルタイムで報告が来たよ」
「ダークを敵に回したら、この近辺で自由に動けないな」
「でも、廃墟を回られたら、すぐ見失うよ。例のJJって奴も、鉄也が必死に捜して、俺もちょっと手伝ったけど、全然見つからないよ。きっと、廃墟を使って逃げたんだろうね」
「JJは、俺が逃がすべきじゃなかった。せめて、正面から写真を撮れれば、何か手掛かりを得られただろうが……」
「あれはしょうがないって。TODだけでも厄介なのに、変な裏ボスみたいな奴まで出てくるなんて、こっちも困っちゃうよ」
和義の言った、裏ボスという表現が妙にしっくりときて、翔は複雑な思いだった。ただ、それを考える前に、もう和義がいる所が間近に迫っていた。
「そろそろ着く」
「わかってるよ。入口は開けたから、いつ来てもオッケーだよ」
「それは助かる」
和義の言うとおり、ゲートが開いていたため、翔はバイクに乗ったまま、そこを通過した。
「入った。和義はどこにいる?」
「ランがワゴン車を止めたとこにいるよ」
「わかった。バイクも近くに止めていいか?」
「どこでも好きなとこに止めていいよ」
適当な返事に戸惑いつつ、翔はワゴン車のすぐ近くにバイクを止めると、通話を切った。
和義は複数台のノートパソコンを使い、それぞれワゴン車やスマホに接続した状態で、キーボードを叩いていた。
「ちょっと待ってね。もうすぐ手が空くから」
そして、少しした後、勢いよくエンターキーを叩くと、こちらに顔を向けた。
「オッケー、お待たせ。早速報告だけど、ちょっと厄介なことになってるよ」
「位置が特定された理由、まだわからないってことか?」
「いや、それはわかってて、何かしらかのハッキングを受けたのが原因だよ」
一瞬、和義が何を言っているのか、翔は理解できなかった。
「どういうことだ?」
「まず、この車の方はカーナビを使用した瞬間、位置情報を外部に発信するようになってたよ。これはランの報告とか聞いてたし、予想どおりだったけど、問題もあって、いつどこでハッキングされたのか、いくら調べてもわかんないんだよね」
「その車、冴木さんが独自のルートで手に入れたようだし、あらかじめ冴木さんがマークされていたなら、ずっと前からハッキングされていたってことで、説明がつくんじゃないか? 現に、潜伏先も特定されて、襲撃されているんだ」
「確かに、この車だけなら、それで納得できそうだけど、スマホの方も同じようなハッキングを受けてんだよ。当然、こっちもいつどこでハッキングされたか不明……てか、ハッキングの形跡を見つけることすら大変だったよ」
「いや、スマホの方は、冴木さんが用意した何かの装置だかを付けて、位置情報を誤認させていたはずだ」
「ああ、これね。俺も利用してるから知ってるよ。てか、これがあれば、車の位置も特定されないはずなんだけどね。ちょっと難しい話になるよ」
和義は、少しだけ間を空けた後、話を続けた。
「位置情報を測定するのって、衛星を利用してるんだよね。簡単に説明すると、四つの衛星から電波を受信することで、位置情報を測定するんだけど、当然電波の調子なんかが悪くて受信できなければ、位置情報の測定はできないよ。逆の言い方をすると、電波を受信できないようにすれば、位置情報の測定がそもそもできないから、位置を特定されることもないってわけ」
「冴木さんが用意してくれた物は、電波を受信できないようにする物なのか?」
「そういうこと。でも、これがまた難しくて、衛星を利用するだけなら、地下に入るとかするだけで電波を受信しないで済むんだよ。それなのに、スマホなんかは基地局を衛星の代わりに利用する仕組みがあって、そっちも対応しないと、勝手に位置情報を測定しちゃうんだよね。といっても、これは基地局の電波を受信しないよう、しっかり対処したやつみたいだね」
「そうなのか?」
「通話したりネットワークを使ったりするには、基地局が必須だから、まったく電波を受信しないわけにはいかないんだけど、位置情報の測定に利用している電波だけブロックするようになってるみたいだね」
そこまで聞いて、翔は疑問を持った。
「でも、こっちの位置を特定されたってことは、電波をブロックしているのに、位置情報を測定したってことか?」
「そういうことになるよ。ただ、その方法は今のとこ、わかんないんだよ。とにかく位置情報を測定して、しかもそれを外部に発信した形跡があるのは見つけたんだけどね」
ハッキングの知識や技術に優れた和義でもわからないとなると、相当厳しいものだろうと翔は感じた。
「それじゃあ、お手上げか?」
「いや、まだ手はあるよ。といっても最終手段だけど、さっき起動させたのは解析ソフトで、それを使って、内部のプログラムを全部解析することにしたよ」
「そんなことできるのか?」
「一晩ぐらいかかるけどね。てことで、今夜できることはもうないから、光も休憩するって言ってたし、俺も休むよ」
「いや、何か他にできることはないのか?」
ここまで来たのに、特に何もすることがないのかと思い、翔は強めの口調で質問した。そんな翔に対して、和義は急に笑った。
「ランも休みなって。ここ、シャワーとかあるし、ベッドも空いてるから使ってよ」
「いや……」
「言い忘れてたけど、美優だっけ? どうしてんの?」
唐突な質問を受け、翔は一瞬戸惑った。
「今は、冴木さんと一緒だ。今夜は、冴木さんが用意した場所に泊まると聞いた」
「車とスマホを変えたのは、正解だったと思うよ。そこまでは、さすがにハッキングされてないだろうし、とりあえず、今のとこは安全なんじゃん?」
「何が言いたい?」
「お互い、休める時に休もうって言いたいんだよ」
和義と直接話すのは、これまでほとんどなかった。ただ、こうして少し話しただけで、翔は色々とわかったことがあった。それは、鉄也の補佐になったことや、孝太と千佳をダークと引き合わせたことなど、そうしたことからもわかっていたが、簡単にいえば、ムードメーカーなのだろうと感じた。
「てか、怪我してんじゃん。包帯とかもあるし、自由に使っていいよ」
「色々と気を使わせて悪いな」
「気を使わせたくないなら、そんなこと言うなって」
色々と思うところがあったが、和義の言うとおり、反対に気を使わせると思い、翔はこれ以上言うのをやめた。
「わかった。ありがとう。先に現状を冴木さんと美優に伝えるから、後で色々と使わせてもらう」
「オッケー。それじゃあ、先に俺が仮眠室として利用してるとこに案内するから、今夜はそこで休んでよ」
「和義は、どこで休むんだ?」
「解析中に何かあったら、アラームが鳴るようにしてるし、この車の中で休むよ。車で寝るって、何かキャンプみたいでいいしね」
和義は、そんなことを言った後、あるスペースに翔を案内した。そこには、簡易的なシャワー室と、四つほど小さな部屋があり、中にはそれぞれベッドが置かれていた。
「そっちの三つは、他の人が使うから、ランはこの部屋を使ってよ」
「ありがとう。というか、改めて見ると、ここは変な場所だな」
「まあ、やばい物を処理する場所だったしね。深く考えない方がいいよ」
「同感だ」
「包帯とか、その棚に入ってるから、シャワーを浴びた後にでも使ってよ」
「わかった。使わせてもらう」
「それじゃあ、俺は向こうで休むね。おやすみ」
和義は手を振りながら、部屋を出ていった。そんな和義を見送った後、翔はスマホを取り出し、少しだけ迷った後、現状を伝えるなら冴木の方がいいだろうと、そちらに連絡した。
「翔か?」
「冴木さん、今は大丈夫ですか? 和義から聞いたことを報告したいのですが……」
「ああ、俺は大丈夫だが、美優は今、風呂に入っている。もう少ししたら出ると思うが、それまで待つか?」
「いえ、冴木さんから伝えてもらえればいいです」
「あと、言わなくていいかもしれないが、俺は美優に何もしないから、安心しろ」
冴木の不意な言葉を受け、翔は何故そんなことを言われたのだろうかと、少しだけ固まってしまった。
「本当に言わなくていいです。何も心配していませんから」
「何の心配もないのか? それは、美優に対して、何も思っていないってことか?」
「いや、何の話ですか? 別に、冴木さんを信用しているってだけの話です」
「わからないなら、また質問する。翔は美優のことが好きなのか?」
同じ質問を再度されたところで、翔は自分が美優に対して持っている気持ちでなく、冴木自身のことに考えがいった。それは、冴木が何故こんな質問をしてくるのかという疑問に対する、答えは何なのかというものだ。
「少しでも美優に気があるなら、どれだけ俺を信用していても、心配になるはずだ。そうした心配は、一切ないのか?」
その時、翔は自然とミサンガに目をやった。そして、このミサンガをくれた人物の父親からされた話を、ふと思い出した。
「冴木さん、まるで美優の父親みたいですね」
それは、何の意図もなく、ただ思ったこと――思い出したことを伝えただけだ。ただ、そうして伝えたところで、翔は気付いた。
美優の両親に関する事情。美優に対する冴木の態度。翔に対する冴木の態度。そして、何の気なしに言った言葉に対して、今、冴木が何も返してこないこと。そうしたことを踏まえ、翔は確信に近い形で、美優と冴木の関係を理解した。
「……何の根拠もなく、そんなこと言うな」
「……すいません」
翔はどうにか誤魔化そうとする冴木に合わせるべきかとも思ったが、ここは踏み込むことにした。
「仮の話をします。美優には話さないんですか?」
「……だったら、俺も仮の話をする。俺が父親だなんて話して、喜ぶ奴なんていない。だから、俺は絶対に話さない」
「本当に、それでいいんですか? 多分、美優は気付く……いや、もう気付いているかもしれませんよ?」
「たとえそうだとしても、俺は絶対に話さない。その方が、美優にとっていいはずだ」
「自分は、そう思いません」
「……それより、位置が特定された理由は、わかったのか?」
そんな風にはぐらかされたが、翔はまだこの件について話したかった。
「美優は……」
「お風呂、ありがとうございました! あ、翔と話しているんですか!?」
スピーカーにしているわけではないが、そんな美優の声が聞こえたため、翔は話を止めた。
「翔、スピーカーに変えていいな?」
「……はい、いいですよ」
先ほど冴木と話した件について思うところがあったが、翔は自分から話すことでもないと判断し、黙っておくことにした。
「それじゃあ、和義から聞いた話をします」
そして、翔は和義から聞いたことを順に説明していった。
「結局のところ、位置が特定された理由は、わかっていない部分も多いです。ただ、ハッキングが原因なんだとしたら、今の状態を維持することは有効だと思います。これは、和義も同じ考えのようです」
「確かに、今のところ襲撃などもないし、そのとおりかもしれない。だが、だからといって安心はできないな」
「潜伏先が特定された件など、元々冴木さんがマークされていた可能性は否定できません。今、どこにいるかは聞きませんが、その場所も特定される可能性が十分にあると思います」
「わかっている。明日、翔と合流したいし、昼頃にはここを離れる予定だ」
「わかりました。自分は今夜、和義達が用意してくれた場所で休ませてもらうつもりです。なので、明日また連絡します」
それから、翔は美優に伝えることがあったのを思い出した。
「美優も、今夜は身体を休めてくれ」
「それは私の台詞だよ。あんなことがあったし、翔こそゆっくり休んでね」
「ああ、わかっている。あと、必要な物は千佳などに用意してもらった。明日、合流した時に渡せればと思う」
「うん、ありがとう」
不安になっていないかと少し心配していたが、美優の声が穏やかだったため、翔は安心した。
「そういえば、防弾チョッキも用意できたか?」
「ああ……忘れていました。千佳が用意してくれた物、紙袋に入っていたので、その中かもしれません」
「翔の分も用意してもらったんだろ? 何があるかわからないから、念のため身に着けておけ」
そう言われたものの、翔は返事に困ってしまった。
「さっき、圭吾さんにお願いして、荷物をバイクに固定してもらったんです。そのバランスが崩れると怖いですし、明日合流して、荷物を下ろした後にでも着ます」
「それならしょうがないか。わかった」
それから、今後のことをまた少しだけ話した後、翔は切り上げることにした。
「それじゃあ、そろそろ切ります。美優、さっきも言ったが、ゆっくり休んでくれ」
「うん、翔もゆっくり休んでね。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そして、電話を切ると、翔は軽く息をついた。それから、ふと時間を確認すると、もうすぐ日が変わるところだった。
どうにか今日も美優は無事でいられた。そのことを噛みしめるように、翔は右手でミサンガに触れた。