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TOD  作者: ナナシノススム
前半
100/271

前半 40

 美優は長い時間をかけて、冴木から戦い方を教わった。その成果は、はっきりとした形で既に表れ始めていた。

「そうだ。特に力をかけなくても、簡単に俺を倒せただろ?」

 教わったとおりにやっただけで、大柄な冴木が床に倒れたため、美優は驚いた。

「冴木さん、わざと倒れたわけじゃないんですよね?」

「身体のバランスを崩されれば、誰でも簡単に倒れるんだ。これは体格の大きい奴でも同じ……むしろ、大きい奴の方がバランスを崩して倒しやすいこともあるぐらいだ」

 冴木は、相手の動きを妨害する手段をたくさん教えてくれた。それは、相手の攻撃を受け流したり、相手を押さえ込んだり、そしてついに相手を倒す手段まで教えてくれた。また、具体的な手段だけでなく、人の身体の構造や仕組みも併せて教えてくれたため、美優は一つ一つの手段を覚えるだけでなく、すべての手段を関連したものとして覚えることができた。

「相手を倒した時は、そのまま脚を攻撃するといい。体重を乗せながら、太腿を踏ん付けるだけでも、相手はしばらく動けなくなる。その間に逃げればいい」

 そして、冴木が教えてくれたことは、すべて美優が逃げるための手段でもあった。

「相手の倒れ方によって、太腿が狙いづらかったら、さっき教えた急所のどこを攻撃してもいい。それか、逃げる余裕がありそうなら、追撃しないで逃げたっていい。ただ、常にあらゆる状況を想定して、あらかじめどう動くかは決めておけ。そして、決めたことを躊躇なくやるんだ」

 急所というと、攻撃されれば命の危険がある箇所と、美優は考えていた。しかし、冴木によると、急所というのはダメージを負いやすい箇所であり、相手の動きを妨害するうえで、狙うべき箇所とのことだった。ただ、それだけでなく、攻撃することで致命傷を与える箇所についても、冴木は教えてくれた。

「相手を攻撃するということは、それによって相手に大きなダメージを残す可能性がある。日常生活に支障をきたすような障害が残るかもしれないし、当たり所によっては致命傷になって、相手を殺してしまうこともあるかもしれない。それを知ったうえで、美優はどうしたいか、しっかり考えるんだ」

 冴木は、何か一つ教えるたびに、この言葉を伝えてきた。最初に聞いた時は、あまり意味がわからなかったが、様々なことを教わるに連れて、美優は少しずつ冴木の真意を理解していった。

「私は、翔が誰かを殺してしまうんじゃないかと、今でも不安です。でも、それと同じで、私が誰かを殺してしまうことを、誰も望んでいませんよね。ごめんなさい。私が翔を心配しているのと同じで、冴木さんは私を心配していますよね?」

 美優がそう伝えると、冴木は穏やかな表情を見せつつ、ため息をついた。

「今まで、俺は人を殺したことがない。堅気の人間じゃないから、命の危険なんて数え切れないほどあったし、相手を殺さなければ自分が殺されるなんて状況もあった。それでも、俺は誰も殺さなかった」

 不意に意外なことを言われたため、美優は戸惑ってしまい、何も言えなかった。

「人を殺すというのは、何か一線を越える気がして、それで俺は、相手の動きを止める手段を覚えたんだ。だが、殺さなかっただけで、真面に歩けなくなった奴や、腕が使えなくなった奴もいる。中には、それで自殺した奴もいて、俺が殺したも同然かもしれない」

「あの……聞いていいのかわからないんですけど、冴木さんは普段……というより、これまで、どんなことをしてきたんですか?」

 これまで冴木が経験してきたことを、美優は想像することすらできないだろうと思い、質問を投げかけたものの、すぐに首を振った。

「あ、ごめんなさい! 私なんかに話すことじゃないですよね! 忘れてください!」

「いや、聞きたいなら話す……というより、俺は聞いてもらいたい」

 そんな返事が来ると思っていなかったため、少しだけ戸惑いつつ、美優は真剣な表情で頷いた。

「はい、是非聞かせてください」

「わかった。といっても、楽しい話じゃないが……」

 そう前置きした後、冴木はゆっくりと話し始めた。

「俺は、この社会をどうにかしたいと思っているんだ。美優は想像できないかもしれないが、社会全体を見た時、苦しんでいる人はたくさんいる。というか、俺もその一人だ」

 冴木の言うとおり、美優はその言葉の真意がよくわからなかった。

「この社会は、高い利益を得て裕福な生活を送る一部の人と、それなりに苦労しながら少ない利益で普通の生活を送る多くの人と、そして普通の生活すらできなくなってしまった人でできている。それじゃあ、普通の生活すらできなくなってしまった人というのは、どれぐらいいると思う?」

「……ごめんなさい、想像できないです」

「謝る必要はない。質問しておいて悪いが、俺も正確な数を知っているわけじゃない。ただ、それが決して少なくないこと。そして、現在進行形で増えていること。それは事実だ」

 そう言われたものの、美優は素直に受け入れることができなかった。

「普通の生活を送っていたはずなのに、それが突然終わってしまった。そんな人も大勢いる。あまりにも多過ぎる廃墟も、そうした経緯があって生まれたものだ」

「あ……」

「一部はゴーストタウンのようになっている所もあるが、元々あそこには会社があり、そこで働く人達は普通の生活を送っていた。まあ、別の仕事を見つけた人も多いだろうが、あれだけの廃墟が存在すること自体、異常なんだ。ただ、これは今に始まったことじゃない。ずっと前から始まっていて、それがずっと続いてきたからこそ、目に入りやすくなっただけだ」

「確かに、廃墟があることは知っていましたけど、そんな考えを持つことはなかったです」

「始まった時に全員が気付いて、それで改善すれば、こうなっていなかったはずだ。だが、そうしなかったし、今もそうしていないから、何も変わらないどころか、さらに悪くなっていく。そうして、自分自身が普通に生活できなくなるまで……いや、普通に生活できなくなっても、何もしない。そうしてできたのが、今の社会だ」

 美優自身、そうしたことを考えもしなかったため、何だか説教されているような気分だった。

「時には、普通に生活できなくなった人が、犯罪に手を染めることもある。TODに参加するのもそうだが、闇サイトの利用者が美優を襲撃した件もそうだ。普通に生活できるだけの金を手に入れることすら難しくなって、ついには人を殺すという、一線を越えたことをしてしまうんだ」

「そうだとしたら、私を殺そうとしてきた人も、被害者の一人なんですかね?」

「いや、そんな考えは持たなくていい。どんな理由があろうと、人を殺すなんて許されないことだ」

 一瞬、美優は同情しかけたものの、冴木の言葉を受け、それは誤りだと自分に言い聞かせた。

「そのうえで聞いてほしいが……俺の家は、俺が小学生の時、普通の生活を送れなくなった。父親が仕事を失って、再就職もできなかったんだ。それで、父親も母親も、とにかく金を得るために堅気から外れた。それは俺のためにしてくれたことで、おかげで俺は学校に通えた。だが、両親が何をしているかはわかっていたし、次第に俺も普通とは外れて、ケンカばかりするような状態になった」

「そうだったんですか?」

「万引きや恐喝といった犯罪もしたし、警察の厄介になったこともある。ただ、親から怒られたことは、結局一度もなかった。親も負い目があるから、何も言えなかったんだろうが、それで俺はドンドンと荒れた。そして、高校に入って少ししてからは、ほとんど学校へ行くこともなくなった。……なんて、親のせいにするのは違うな」

 そこで、冴木はため息をついた。

「すまない。つまらない話になったな……。美優?」

 そんな風に声をかけられて、美優は自分が泣いていることに気付いた。

「あ、ごめんなさい。何か、涙が出てきて……かわいそうだとか、私が思ってもしょうがないですし……いや、そのよくわからないんですけど、私がこれまで悩んでいたことが、すごい小さなものに思えてしまって……」

「言わなくていい。美優は優しいな。俺の話を聞いて、そんな風に泣いてくれたのは、二人目だ」

 冴木はそう言うと、美優の頭を撫でた。突然そんなことをされれば、普通は驚きそうなものなのに、美優は不思議と素直に受け入れられた。

「話の続きをしよう。高校で、同じクラスになった女子が、妙に俺の心配をして、わざわざ家まで来たんだ。それで、俺の家庭環境がおかしいと気付いて、無理やり何があったか聞いてきたんだ。話せば付きまとってこなくなると思ったが、今の美優と同じように泣いてくれて、それで俺は救われた」

 冴木は穏やかな表情で、話を続けた。

「それから、俺は学校へ行くようになった。他の生徒や、教師からは嫌な顔をされたが、彼女が一緒にいてくれたから、無視できた。それだけでなく、俺の家庭環境をどうにかできないかと、彼女は必死に考えてくれたんだ」

「その方は、どうして冴木さんのために、そこまでしたんですか?」

「彼女がチンピラにナンパされて、無理やり連れていかれそうになった時、偶然通りがかった俺が助けたんだ。ただそれだけのことで、俺のことを気にかけてくれたらしい。まあ、彼女がその話をしてきた時、俺は覚えていないと言ったがな。実際、たったあれだけのことで、随分と大きな恩返しだと感じたんだ」

「きっと、冴木さんのことが好きだったんですね」

 思わずそんなことを言ってしまい、美優は口に手を当てた。

「ごめんなさい、変なことを言ってしまって……」

「いや、実際にそのとおりだった。俺も彼女に惹かれて、交際もした。だが、彼女の両親からは猛反対された。彼女は、どうにか俺の両親が普通に働ける場を用意できないかと、必死に頼んでくれたが、その願いも届かなかった。それで、俺から離す目的があったんだろう。彼女は引っ越してしまった」

「そうですか……」

 美優はまた涙が溢れてきて、それを手で拭った。

「ただ、俺は高校に通い続けて、ちゃんと卒業した。それから一人暮らしを始めると、俺は彼女が提案してくれたことをしようと決めたんだ」

 冴木はそう言うと、軽く笑った。

「彼女は、俺のような人を一人でも減らしたいと、心から願ってくれた。それは、俺の願いでもある。だから、俺は社会そのものを変えるために、何かできないかと考えるようになったんだ。といっても、俺にできることなんてほとんどなくて……結局、今は犯罪者の制圧や、未然に犯罪を防ぐといった活動を少しずつやるぐらいだ」

「いえ、それでもすごいですよ」

「そう言ってくれるのは嬉しいが、ほとんど個人でやっているし、俺にできたことなんて、ほとんどないも同然だ。だが……そのおかげで、美優を守ることができる。そう思うと、これまでやってきたことは、すべて無駄じゃなかったな」

 自分に対して、そこまで言うほどかと思いつつ、美優は黙っていた。

「相手を制圧するより、殺す方がずっと簡単だ。だが、これまで俺は、様々な犯罪者を相手にしたが、誰も殺していない。それは大変なことで、そのために俺は強くなろうと努力した。これは俺の勝手な願いだが……美優も強くなってほしい」

「はい、わかりました」

 美優は冴木の思いに応えようと、力強く言葉を返した。それに対して、冴木はどこか複雑な表情を見せた後、笑顔を見せた。

「こんなことしか教えられなくて、すまない」

「いえ、話してくれて、ありがとうございました!」

 そう返したものの、冴木は相変わらず複雑な表情だった。

「それより、もう遅くなってきた。風呂に入って、休むといい」

「いえ、もう少し……」

「身体を休めることも重要だ。今夜はもう休んでくれ」

「……わかりました」

 もっと教えてもらいたかったが、冴木の言うとおりとも思えて、美優は素直に従った。

「洗濯機の使い方は、わかるか?」

「はい、家事の手伝いはしているので……わからなかったら、聞きます」

「ああ、聞いてくれ。そうだ、パジャマやTシャツ、ジャージもあるから、好きなものを着てくれ」

「わかりました。それじゃあ、入ってきますね」

 そうして、美優は風呂に向かおうとしたが、ふと思うところがあり、足を止めた。

「冴木さん?」

「何だ?」

「その……」

 聞こうと思っていたことがあったのに、いざ聞こうとしたところで、美優は上手く言葉にできなかった。そうして、少し気まずい空気が流れたところで、美優は無理やり笑顔を作った。

「ごめんなさい、何でもないです」

「それならいい。……いや、俺から一つだけいいか?」

 冴木はそう言うと、優しい笑顔を向けてくれた。

「美優は何も悪くない。だから、そんなに謝らなくていい」

「あ、ごめ……はい、ありがとうございます」

 改めて冴木の優しさに触れ、美優は先ほど聞きかけた言葉を、そっと胸に仕舞った。そして、これでいいと自分に言い聞かせた。

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