第四章 13 〇風月凪沙、攫われる
レルキュリアは目を覚ましてから驚愕を隠せずにいた。
「結晶が消えてる……」
「なんか原因があったんじゃないか? 量が多いと早く砕けるみたいな」
「そんな話は聞いたことない。素材で扱った時もこんな現象は聞いたことない」
「ならやっぱり」風月は昨夜のことを思い出す。そして抱いた疑問をそのまま口にした。「あの巨人、クライシスじゃないだろ?」
レルキュリアが目を丸くして風月を見る。
素材を見たこともない風月がその答えにたどり着いたことが不思議で仕方ないのだろう。向こうの世界での知識とヴァーヴェルグの似たような武器を見たことで、風月はほかの人間よりもはるかにたどり着きやすかったはずだ。
「よくわかったな」
「そういうってことは本当にそうなのか……」
「どこでたどり着いたかはわからないが、それはこの際いい。今から拠点に戻って報告をするぞ。あれは全くの別物だ。今後どうなるのかもさっぱりだ。最悪王都から騎士団を派遣するか神域の騎士をさらに派遣するか……」
「思ったよりも大事になってきたな」
「今までは麒麟がいてこの森は平和だったんだ。それがいなくなれば何かしらの問題が浮いてくるとは思っていた。この程度はまだ想定内だ」
層まで言われると風月にはむしろ疑問に思ったことがあった。
「麒麟がこの森で担っていた役割って何なんだ? どれだけ聞いても麒麟がいれば平和っていう言葉にピンと来ない。麒麟はここで具体的に何をしていたんだ?」
「詳しくは知らない」
「共同歩調採っているわけじゃないってことか」
「違う。カイザーやらオルガやらもっとヤバい例がいくらでもある。不用意に刺激したくなかったんだ。わかるだろ?」
その言葉で風月の表情は曇る。
「ならなんで俺を行かせたんだ。刺激して敵に回るとは考えなかったのか?」
「どんな危機があろうとも麒麟がいる果ての森にはノータッチの構えだ。個人や興味本位で接触した奴らは多い。それでも麒麟が敵対しなかったのは国家として動かなかったからだ、と国としては考えているんだ。今回も私はお前の護衛であって麒麟をどうこうしようっていうつもりはない」
「個人はよくて国はだめ、ね。まるで群れることを嫌っているみたいだな」
実際はエルフや獣人たちと仲良くしていたようだが、それでも名前の付いた団体を嫌っているような印象を受けた。
「そうだ。それともう一つ。夜明けに一体出てきたんだが、すぐに消えた」
「消えた?」
「うん。果ての森に向かおうとしてるみたいだったけど、太陽の光に当たったらそのまま溶け落ちた。どろどろになって」
コールタールを連想するような黒い液体。遠くから見ても、かなりの粘性があることが分かった。海外で飲んだエスプレッソがちょうどあんな粘度になるまで砂糖をドバドバと注ぎ込んでいた。
「燃え尽きたときのようにか?」
「うん。あの時はよく見えなったけど、太陽の光に当たってしっかりと理解した。で、思ったんだけど、あれってもしかして強い光に弱い?」
「光?」
「あれだけの距離から熱かったもん俺。それだけの熱量ならそれだけ光も出る。赤外線だか紫外線高わからないけど光量があれの実体と深く結びついているんじゃないかって思ってる。夜しか確認されてないのも、それなんじゃないか?」
「……」
ない話ではないとレルキュリアは直感で思う。しかし、『星砕』が示した性質は肉だ。咀嚼した分は燃料になった。にもかかわらず、その熱で燃やした実体のほうは溶けて砂に消えていった。もしそのままの現象が起きるのなら、『星砕』は何らかの形で個体を吐き出しているはずだ。
「まあ、さっさと行こう。早く寝たいけどここは日差しがきつ過ぎる」
「風月凪沙」
いきなり名前を呼ばれて少し驚く風月。しかもレルキュリアの少し圧の強い声に呼ばれ馴れていない。そのせいか首の後ろが少しむずむずする。眠気も相まってあんまり聞きたい話ではなかったが風月はしっかりと足を止めて振り返る。
「見張り、ありがとうな」
「……」
風月が驚きのあまり逆に曇った。名前を呼ばれるだけでもかゆいのに、こうもかしこまってお礼を言われるとさらに変な気分になる。眠気も少し晴れるくらいには衝撃的だった。レルキュリアを注視――というよりもそちらを見て固まっていただけ――していると、不服そうににらみつけてきた。
「なんだよ」
「いや、お礼言えるんだなって」
「馬鹿にしてんのか!?」
「そういう意味じゃないけど、今まで言われたことなくって」
「言うようなシチュエーションなかっただろ」
風月はもう何も言うまいと誓った。
荷物を持たせたり、飯を作らせたり、材料用意させたり洗濯させたりetc……。何なら使ったことのない鎧を磨くことまで手伝わされた。それがお礼を言う必要もないというのならもう風月は黙るしかない。
「なんだよ」
「何にも」
「ならそんな顔するなよ……」
「寝不足も相まって心が折れそうだ……」
むしろお礼を言われた方がキツかった。精神的に弱ると少し覚めた眠気も霧がかかったようにふんわりと風月の脳を支配し始めた。
そそくさと荷物を拾い上げて森へと向かう。ここからまた二日ほど移動しなくてはならないのだ。ここでゆっくりとしている暇はない。
「しかし、聞いていた話にしても今回のはおかしかったな」
「あれが想定と違っていたこと以外に、ということか?」
「うん。今回は二体。明らかに聞いてた数よりも少ない。夜中は眠りを妨げられることなくできるくらい頻度が少なかった。でも……」
風月は最後に出てきた巨人を思い返す。
確かに地面から出てきた。それもはるかに近くで。そのインパクトに押されて記憶が飛んでいたが風月が思い出した光景が正しければ巨人はすべて顕現していない。20メートル近くまで伸びたその巨躯は、足が見えてなかった気がするのだ。上半身だけが地面からせりあがっている最中で日の光を浴びて地面へと溶けていった。
「一体目を近くで見たわけじゃないから断言できないけど、二度目出てきた奴は大きかった気がする。頻度が低下して規模が大きくなっている印象があるんだけど」
「うっわ、聞きたくなかったな」
「そうなのか? それも意外だ」
「バトルジャンキーにでも見えたのか?」
思い出すのは笑顔で禍々しい戦鎚を振るうレルキュリアだった。あれで戦いを楽しんでいないというほうが無理がある。
なので、素直にうなずくとレルキュリアに尻を蹴り上げられた。
「ああ、そうだ」
森まであと半分という距離でレルキュリアが声をかける。
「ああいうのはやめろ」
「ああいうのって?」
「どこまでお前は物を知らないんだ。マントを女にかけるのはやめろって言ってんだよ」
「寒そうだったからかけただけだ。震えてたし」
あれだけの汗をかきながら砂漠の寒さに中てられるのは辛いだろうと思ってかけただけだ。
「大ありだよ。求婚とかそういう意味合いがな」
風月は盛大に咽た。激しくせき込んで目の端に涙を浮かべる。
「とっとと常識を身につけろ。じゃないといつか刺されるぞ?」
「はい、気をつけます……」
それ以外何も言えなった。本当に知識の吸収は大事だと学んだ。特に色恋沙汰は風月にとって気をつけたい事象でもある。最悪の場合責任に縛られて旅ができなくなるのだ。リナの家族によって結婚させられかけたのは半ばトラウマとなっている。
「ああ、もうひとつ言っておく。第二席は見習うなよ」
「第二席っていうと、レギオン?」
「アイツは神域の騎士と若い女性から嫌われているが、気障ったらしい口調で熟女人気高いからな。同じ真似をお前がしたら間違いなく死ぬ」
「はい、本当に気をつけます」
切実な声が出た。
そんななか、唐突に風月は顔をぶつけた。
もふっ、という音がしそうなくらい柔らかくふかふかな何か。同じ表現でも砂とは違い羽毛のような柔らかく包み込んでくれる温もりがあった。
「ぶはっ、なに!?」
「離れろォ!」
音もなく唐突に出現した何かに風月は目を白黒させながらうろたえる。同時にレルキュリアが戦鎚を出して構えるが――。
「まおっ」
目の前の何かが鳴いた。同時に風月は見えない位置で纏ったマントと衣服をまとめてつかまれ持ち上げられる。全貌がつかめぬまま進行していく事態に、必死にもがくが、それすら何かを成すということはなく、ものすごい勢いで攫われていった。
当然レルキュリアも追いすがろうとしたが森までをものの数秒で詰めてしまう。さらに木の上から木の上へと忍者のように飛び回る。
何よりも恐ろしいのは衝撃がないことだ。落下した後そのまま流れるように気づけば上昇しているように感性が掛かっている。この感覚を風月は知っている。遊園地のアトラクションだ。腹の底にぐっとくる恐怖は、足から力を抜いてしまう。おそらくは下ろされた後、風月は膝が震えて走れない。
完全無欠、言い訳のしようもなく風月凪沙は誘拐された。
「くそっ、待て!」
一秒にも満たない間に神域の騎士から護衛対象を搔っ攫っていった正体をつかむべく風月は必死にもがく。毛をつかんでも、その毛の両と風月の手の力に力が入らないことも相まって、うまく体が動かせない。それでも何とか正体を見ることに成功する。
だが、絶句。
それはむしろ風月にはよく見おぼえがあった。
街中で見かけて人懐っこい奴はカメラに収めたりするくらい好きだ。
「猫っ!?」
それも風月を咥えて神域の騎士から誘拐するぐらいには巨大な猫だ。それだけの巨体が木の上へと音もなく着地して、跳ねまわる。その度に風月は絶叫マシンを安全装置なしで乗り回すのはこんな気持ちかと、知らなくていい感覚を無理やり教え込まれることとなった。
グロッキーになりながら危険な輸送をされること、はや一時間。
朝を口に入れてないことが唯一の救いで嘔吐せずに済んだが、恐怖とは全く違いう理由で動けない状態になった風月は地面にべちゃっと転がされた。
暗い森の中で陽光の差す少し開けた場所があった。ふかふかの葉が敷き詰められ、転がっている分にはとても心地よかった。
問題はなぜ誘拐されたのか。
まぶしさに手で庇をつくり目を開くとそこにはやはりあの巨大な猫がいた。しかし、トラではなく猫なのだ。モフモフ感といい、柔らかそうな毛、大きな目、どれをとっても猫で、その愛嬌のある顔が風月を覗き込んでいる。
日にあたるとよくわかる。灰色の艶のある毛並みに豊富な毛量。それこそ抱き着いたら気持ちよさそうな質感をしていた。オッドアイの瞳は琥珀色と澄み切った水色で、風月を観察している。
「大きくなっても猫はかわいいな……」
小さなサイズの猫を知っているとこの大きさにも恐怖を覚えない。すぐに襲ってくる気配もないので、生餌扱いされているような気もする。
少し触ろうと手を伸ばした次の瞬間、強烈な刺激臭が鼻を突いた。
「うぐっ!?」
体が跳ね上がり、強烈な吐き気と共に眠気も疲労もすべてが吹き飛んだ。思わず振り返ると、そこにはもう一匹猫がいた。それこそトラのようなサイズの猫だが、風月が真横にいるというのにピクリとも動かない。その猫が腐臭の原因かと思いきや、原因はその奥にある肉だった。
マントを鼻の周りにまき直しとにかく匂いを抑える。
「腐ってる。そういう食性なのか……?」
ちがう、声に出すまでもなく心の中で否定する風月。
用意された肉の量は明らかに食べ残しではない。さらにいうのなら、積んである肉の量があまりにも少量に分けられていた。すべてこの子猫? のために用意されたものだと風月は判断した。
それを口にせず、動かない子猫。
嫌な、予感がした。
何の糸で風月がここに呼ばれたのか分かった気がしたのだ。恐る恐るトラのようなサイズの子猫に触る。
「……、よかった、生きてる」
耳がピクリと動いた。だがあまりにもぬるい。親の方は熱いくらいだったのに、この子猫の体温はきっと風月以下だ。猫の平均体温を知らないが、なぜ夜行性の猫がこんな日当たりのよい場所に寝床を作ったのか分かった。
親の方はのどをぐるぐると鳴らしながら必死に子猫を舐めていた。その光景があまりにも痛々しくて、見ていられない。
よく見れば子猫はあばらが浮いていて、爪もボロボロ。今ではかきむしる余裕もないのか、ノミがつきっぱなしで、親は必死に毛づくろいでノミを除去しているが、子猫の毛は所々赤く染まっていた。
「こいつを温めるためにこんな場所を。そうなると……」
つくづく縁があるな、とこぼす風月。親猫のほうをじっと見ると、明確な意志をもって風月に視線を合わせてきた。
「確定だな」
野生の動物は目を合わせない。それは敵対になるからだ。よく飼いならされた猫や犬ならばいざ知らずこんな森で子育てをしている猫がこんなことをするはずがない。
「お前、魔獣か」
人語を解する獣。それが風月をここまで連れてきた理由。おそらく過去にもそういった人間がいたのだろう。近くに装備などが落ちていた。
今はいないところを見ると……、そんな風に考えてすぐに思考を切った。末路を想像して胸糞が悪くなっただけだ。
「俺に、こいつを助けろと?」
「まうぅ~」
それを肯定と受け取った。何がどうあれ風月は足掻いている奴を見捨てたくはない。
「わかった、できる限りやる。失敗に終わるかもしれない。それでも、恨まないでくれよ」




