第四章 11 ∮紅い砂漠(昼)
族長と出会って二日。風月たちは内戦を止めたい第三陣営に取り入って果ての森で活動できる拠点を手に入れた。
エルフ、獣人共に風月に協力する条件は一つ。『クライシス』を止めること。
「種族そのものが『クライシス』ってなんだかなぁ……」
「あいつらはそんなんじゃない」
鬱蒼とした森を抜けて風月たちがいるのは先決を思わせる紅い砂の沙漠。大地を踏みしめる度にギュッと目が詰まる感覚がして、ふかふかの新雪を踏みしめている感覚にも似た感触が靴底から伝わってくる。マントも今までとは別の意味で必要になった。直射日光から身を守り、鼻と口をまとめて覆うようにしていた。
「血を絶やすなんて話じゃない。『クライシス』は無から生まれる。いつどこで発生してもおかしくない。あいつらはれっきとした生物じゃないんだ」
風月たちが探しているのは『巨人』だ。砂漠から黒い泥があふれてその姿を現すという。
「なあ、お前はどう思う?」
「第三陣営の事?」
「ああ。勝ち目あるのか?」
「エルフと獣人の規模を見てみないと何とも言えないかな。今はクライシスを第三陣営だけが止めてんだろ? 矛先がこのままお互いで見合い続ける状態なら何とかなるかも。第三陣営は表に出てないみたいだし」
そうでなければ第三陣営は容易く崩壊している。果ての森の状況は予断を許さないほど切羽詰まっていた。一度踏み入れた第十席がその状況に気づかなかったのはクライシスを水際で止め続けた第三陣営の、言い方は悪いが功績だ。
「このクライシスは過去にもあったのか?」
「ああ。だがケイドでの被害がほとんどだ」
「ケイド……。砂漠の向こうの国か!」
「そんなことも知らないなんて本当にどこで暮らしてきたんだお前は……」
レルキュリアの言葉を風月は聞こえなかったふりをして沙漠を進む。目的は遠くに見える緑の丘。サボテンに囲まれた『枯れた沼地』だ。かつては豊富な地下水源だったが、今では枯れてしまった場所だ。ケイドの王都があった場所でもある。
「クラリシアに近かったんだな」
「……この沙漠がなんでできたか知っているか?」
話のつながらない言葉に風月は目を丸くして振り返る。
「まあ、ケイドも知らないようじゃ知らないか」
「……」
言い草にカチンときそうだったが、情報は聞きたいので押し黙る。
「この砂漠は人為的に造られたんだ」
「つくられ、た?」
風月は思わずあたりを見回す。背後の森を除けば果てすら見えない広大な砂漠だ。それを人口で造ることができるとは到底思えない。
「自然破壊が行き過ぎたとかそういうことなのか?」
「いいや。この砂漠がどんなところか知っておくといい。火を出してみろ、口で説明するより手っ取り早い」
風月は言われるがままスクロールを取り出して魔力を流す。すると手のひらサイズの火が発生した。
その時、風が吹いた。
風月の眼はしっかりと飛んできた砂粒を捉えていた。赤い砂が火に触れた瞬間、磁石に引かれたかのように渦巻いて半透明の結晶になったのを。飛んできた砂は火の近くを通ったそのことごとくが、火に吸い込まれるようにまとわりつき、火を覆いつくして鎮火した。ずっしりと感じる重さ。
「こんな熱でガラス化するのか?」
しかし、ほんの少し力を入れるとすぐにひび割れて元の砂へと戻っていった。
「え、あれ? どうなってんの?」
「これが人為的に造られた砂漠の正体だ。デミシェリアの魔術とケイドの錬金術が合わさった最大規模の術式だ」
「へぇ……。いや待って、なんでこんなもんつくったんだよ。肉やけねえじゃん」
「その辺の岩の上にでもいとけば焼けるわ!」
重要なのは肉に火を通すことではない。
「これを造らざるを得なかったのは『CRISIS 4:代替え品の太陽(The Alternative Sun)』のせいだ」
「フォー? 四番目? 8ですら神域の騎士を半数だろ!?」
「そうだ。ケイドの半分を呑み込むほど肥大化した太陽の化身を消化するにはこれくらい広大な土地をすべて紅い砂漠に変えるしかなかったんだ」
改めてあたりを見回す。周囲数十キロにも及ぶ砂漠。それらすべてが『Crisis4』を止めるためだけに生み出された。
「その性質がこの砂漠では重要だったんだ」
「へぇ……。その『Crisis4』はやっぱり誰かの武器になったのか?」
「いや、行方不明になった。見ただろあの結晶。砕けて砂になった時に、存在が消失していたんだ。もっとも、その結晶が再び砂になるまでに600年もかかったらしいがな」
「600っ」
風月の火にまとわりついた結晶はすぐに砕けた。もしかしたら温度によって結晶の強度が変わるのかもしれない。もしそうだとしたら太陽の化身というのも納得だった。
「ほらとっとと歩け。『枯れた沼地』はその時砂漠にならんかった場所だ。あそこでなら火を起こせる。一時的な拠点にして『クライシス』を叩くぞ」
露骨に嫌そうな顔をする風月。今の話を聞かされて『クライシス』に挑む気にはなれなかった。
そんな風月の心境を察したレルキュリアが笑った。
「安心しろよ。同じ『クライシス』でも130番台だ。何なら剣気を使えない奴らでも追い返せる。怪我した奴らを見ただろ」
「……」
確かにそうだ。事実、外から入ってきた者たちを探知するための術式は『クライシス』のためのもので、第十席は『クライシス』に気づかなかったのだ。つまり、あそこにいた面々で抑えられていたことを示している。
しぶしぶ砂漠を進む風月。一刻も進めば『枯れた沼地』にたどり着いた。赤い砂漠とは異なりここは白くひび割れた固い地面になっている。所々に水分が完全に抜けた化石のような木が何本か伸びていた。
「沼地に王都って、なんか不思議だな」
「もともと乾燥地帯だったんだよ。沼地の地下水源は重要だったんだ。まあ、『クライシス』で全部干上がった」
紅い砂が薄く積もってはいるが、数キロもある広大な沼地だったことは何となくわかる。積砂が少ないのは『枯れた沼地』の数百メートルも地下に残ったわずかな水分を吸って10メートルも大きく伸びたサボテンが砂を遮っているからだ。固い土には根が張れ、逆に柔らかいが水分のない砂漠では生きられないためにこの沼地を囲うように生えている。沼地へ踏み込むにはサボテンの隙間を縫うように移動しなくてはならない。
風月たちは西日がきついのでサボテンの影にいた。
「あの赤い実、おいしいのかな?」
「どれだ?」
「サボテンのてっぺん」
青々としたサボテンの一番上。その多くがひょろ長く、上のほうは今にもおれてしまうのではないかと思うほど頼りない。しかし、その頂上には真っ赤でソフトボールくらいの大きさの実がなっていた。ツヤツヤとしていてグミの実をそのまま大きくしたような感じで、見た目から少し柔らかそうな印象を受ける。
「食ってみたいな……」
「正気か? 赤いぞ?」
「赤いからどうしたんだよ」
「いや、だって。赤だぞ?」
よくわからずに風月は首をかしげる。
「赤い食べ物なんて肉以外食えたもんじゃないだろ」
「え? リンゴとかないの?」
「なんだそれ?」
不思議に思った風月は話を聞くと赤い木の実は大体毒か染色用らしい。人間が食えたものではないという。
「いや、でもピタヤとかあるし食べてみたいな……」
「とるならてめえで取れ」
「えっ」
思わずサボテンを見る。長さ五センチくらいの縫い針のような棘が無数に飛び出ている。
「無理だろこれ」
「剣気を使え剣気を」
「いや、途中から折れるかもしれないじゃん」
「別にいいだろ」
「この長さに育つまで何年かかるかとか考えないのか?」
レルキュリアには首を傾げられた。
この世界には自然愛護の精神や環境保護という考えは存在しないらしい。
「何とかならねえかな……」
ロープを出したりして風月が何とか試行錯誤を重ねているとレルキュリアが後ろでため息をついた。
「仕方ねえな。そうまでして毒を食いたいかね……」
「お、ツンデレ」
「意味は分からないけどお前はぶん殴る。ま、とりあえずナイフ借りるぞ」
風月の腰にさしてあるナイフを掏ると、剣気を纏うレルキュリア。飛び上がる岡と思ったらピッ、とナイフを投げて実だけを切り落とした。そのまま落ちる身を風月はキャッチする。
しかし、ナイフはそのまま山なりの軌道を描いて紅い砂漠へと落ちていった。
「ねえ、ナイフ……」
「この拳で殴られるのとどっちがいい?」
「とってきまーす」
剣気を纏った拳を見てすぐに踵を返す風月。実とバックパックを置いてナイフを探しに行く。サボテンの隙間をマントが火掛からないように潜り抜けると西日が厳しい砂漠だ。比較的凪いでいて、二メートルもない丘の上に立てばすぐに見つかった。何もない場所に足跡を作る楽しさが癖になりそうだったが、この暑さは堪えた。
第三陣営でもらった新しいナイフだ。数日前に新調したばかりなのにすぐになくしてはもったいない。砂を払うと、腰にある鞘にしまう。
それから西日を背にして『枯れた沼地』へと戻ろうとした時だった。
ボッ、と不自然な砂埃が風月の背後で発生した。音もほとんどなく風月は気づかない。さらに断続的に発生し、だんだんと風月のほうへと近づいていく。
背後から接近する何かに風月が気づいたのはぱらぱらという砂の落ちる音を聞いてからだ。
砂から飛び出した青と黒を混ぜたような色合いの巨大な蠍。3メートルもの体躯を持つ怪物だ。地中から姿を現した祖の甲殻に砂が落ちた音を風月は聞いたのだ。
振り返った瞬間に黒曜石のような二つの丸い目と目が合った。いびつな口と体毛にグロテスクな印象を覚えて、驚き以上に恐怖で体が固まった。ただでさえ蜘蛛やら蠍やらヒヨケムシなどが苦手な風月はこのサイズはちょっと受け入れられなかった。
鋏は左右の大きさが異なり、大きな右が風月の動体をつかみに迫ってくる。
(あ。これ、無理)
あまりの拒絶に真っ白になった思考。
出てくるのはいつもの笑みではなく、諦めの笑い。だが、生理的に無理というその感覚が無意識のうちに剣気を起動した。拒絶は距離をとった。
大きな鋏が目の前を通過し、本来捕まえていたのならあったであろう肉体の位置をしっぽの針が射貫く。
「――っ」
固まった体が思ったより動いた。
巨大な蠍に驚いただけで、実際見た目ほどの脅威じゃない。よく見れば動きも緩慢で、風月の倍近いフィジカルを持ちながら砂の中から奇襲を仕掛ける程度の実力しかない。
冷や汗を拭う。
「案外、いけるのか?」
腰のナイフを取り出して臨戦態勢をとる。野生の生物がどの程度の強さで、風月がどのくらい身を守れるのか。
腰のナイフを抜いて構える。
「観察しろ……」
いまだに多きうなる心臓を落ち着かせるように、自らに言い聞かせる。風月の持つナイフはあくまで護身用。剣気を纏っても強度の底は知れている。それに、分厚い甲殻を持つ。おそらく直接突き立ててもダメージは薄い。
狙うのは関節。
常に体の中心を風月に向ける蠍。
「アルバよりよっぽど手ごわいな……」
右の鋏はいつでも風月に伸びて圧倒的なリーチから優位を保とうとしてくる。これを本能でやっているのだ。正面から戦うとなれば人間より強うのは当たり前だ。
(速いのは一瞬)
風月が仕掛ける。
剣気を纏う戦い方はしない。常に読み合いを行い読み勝った一瞬で畳みかける。大きな鋏は視界を遮る。あえて相手の正面左にある大鋏のほうへと走りこんだ。すぐに反応する蠍。
「ここ!」
右の鋏と左の鋏の間隙。砂で踏ん張り辛いところを一瞬だけ剣気を放出し一気に突っ込む。生理的嫌悪を精神力でねじ伏せて左鋏の内側まで潜り込む。そのまま前傾姿勢で相手の真下の空間にもぐりこみ、抜き去り際に一番後ろの足の関節に突き立てる。
ガギンッ!
刃が止まった。関節すら生中な一撃では通らない。そこに剣気を流し込んで強引に切り抜ける。一度止まったはずの刃はストンとあまりにも簡単に進んだ。風月の腕を一回りほど補足した足は粘ついた液体を流しながら宙を舞う。
「ぎっぎぃぃぃ」
金属をこすり合わせながら引き裂くような音。
切り抜けてから振り向生き再び構えるが、同時に砂埃を巻き上げて姿を覆い隠した蠍。いつ来てもいいように身構えていた風月の期待を裏切り、蠍は鎚の中に潜った。
「……終わり、か?」
その時足に何かが触れて思わず飛び上がる。そこには風月のズボンに引っかかった足がいまだにビクンビクンと動いていた。
「あああっ、やっぱ無理」
その姿をサボテンの隙間からレルキュリアは眺めていた。もとより剣気を使えば簡単に負ける相手ではない。だが変化があった。
「アイツ、自分から仕掛けたか?」
今までは常に後手に回っていた。或いは相手の先手を待っていた。マントを使い視界を覆ってから出すなど、実戦では相手の一手をからぶらせたりするような動作が多かった。それは戦い馴れていないことが原因だと勝手に思っていた。
「意外と戦えるのか」
蠍と戦いたくない風月が駆け足で戻る。
「随分苦手みたいだな」
「……見てたなら助けろよ」
「別に、てこずる相手でもないだろ。砂漠の奥地に行けばもっとやばいのはいっぱいいる。毒を噴き出したり、岩に擬態したりとかな」
「それって蠍の話?」
「蠍だけじゃない。砂竜なんかは今のお前じゃ対処は無理だ」
「そんなのもいるのか……」
風月はそんなことよりと言わんばかりに赤い実を拾い上げる。
「本当に食べるのか?」
「おいしそうじゃん」
「嘘だろ……」
うげ、と舌を出すレルキュリアを他所に風月は赤い実に齧りついた。ぷちっ、と薄皮を破くとドバっと果汁があふれてきた。口の端、そして指を伝い地面にしみこんでいく。
「うぐぅっ!?」
「馬鹿、早く吐け! だから言ったじゃねえか」
レルキュリアが焦って実を取り上げようとするが風月はのどの渇きに任せて果汁をじゅるると吸って呑み込んだ。
「あがっ、はああああ」
「馬鹿お前!」
「酸っぱい……」
「酸っぱい?」
眉間にしわが寄り、舌がじりじりと痛む。それは恐らく酵素のせいで、パイナップルやキウイフルーツを齧った時によく似ている。異なるのはとにかく酸っぱい。レモンや梅干しの比ではない。実を落とさないように踏ん張っているが、そうじゃないのならのたうち回っているところだ。のどを刺すような酸味がどうしようもないほど暴れまわっており、ぼろぼろと涙がこぼれた。
唾液腺が破裂しそうなほどの涎を分泌し、舌の裏が痛みを発した。
「あまひゅにゃい……」
「まともに喋れてないぞ」
しかし、大量の果汁とおそらくは豊富なビタミンを含んでいると思われるサボテンの実は砂漠ではありがたい食料だ。尤もここは森から数キロしか離れていないため、食料の確保自体は容易い。
「はぐっ」
「お前そんな渋い顔しながらなんでまだ食べてんだよ……」
二口目を堪能し、果汁を啜りきってから口を開く。
「水分の温存にはなるかなって。あと意外といける。香りはすごく甘いし、まだ熟す前だったのか?」
それだけ言うと三口目を齧りつく風月。
その姿を見ていると意外とおいしそうに見えてくるから不思議で、レルキュリアが唾液を嚥下した。
「私にもちょっと」
「はい」
あっさりと手渡され少し面食らうレルキュリア。
確かに甘そうな香りは下。見慣れない鮮やかな赤の食べ物に逡巡しつつ、勇気を出して齧りつく。
「……」
「どうした?」
ガクン、と膝をつくレルキュリア。口を押え、うつむきながら風月に実を手渡す。
「これ、むり」
掠れた声を絞り出し、涙目になりながら震えていた。
かわいいところもあったのだが、嘔吐寸前なところがマイナスで、風月は最低限の気遣いとして身を受取ると目を逸らしたのだった。
その直後、砂漠に似つかわしくない水音が響き渡った。




