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異世界に飛ばされた俺は旅をした(*リメイクします)  作者: 糸月名
第四章 その嘶きは雷鳴に、打ち鳴らす蹄は雷轟に。
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第四章 5 ∮星砕


次の日の朝は暗かった。雨はだいぶ弱まったが、霧のようになって視界は広くない。空はどんよりとしていて陽の光を通さないほどの分厚い雲がその果てすら見えないほど広がっていた。


「此処が、カルカタス峠……。昨日の夜も思ったけどいくら何でも寒くないか?」

「北の領地も近いんでさぁ。そこから吹き込んでくる風で気温がガクッと下がっていやす」

「北から、ね。今後向かう予定あるし、寒さ対策しないと死ぬな……」

「峠を越えて数日も行けば、砂漠が近くなってくるとこの寒さも消えますよ」


風月は砂漠を歩いたことはある。五日にも満たない期間だが渡り歩いた。十分な準備があってなお辛かった記憶がある。

そんな思い出でも大切なもので、思い返すともう一度足を踏み入れてみたくなる衝動に駆られた。しかも赤い砂漠と聞く。どんなものがあって、どんな道になるのか楽しみで仕方がない。しかし、国の外だという。今回は一年限定の旅。余裕が生まれでもしない限り見て回るのは難しいと思うと残念でならなかった。

相も変わらず隊列の最後尾にいた風月たちは、キャラバンの動きが止まっていたことに気づくのが遅れた。

その中で最もはやく反応したのは御者の男。


「旦那、下がっていてください。多分これは襲撃だ。客人の旦那に戦わせるわけにはいかねえ」

「襲撃? 峠はまだ先――」


ヒュン、耳元を空気が裂く音がした。思わず目をやれば地面に深々と矢が突き刺さっていた。


「早く!」


急かされていそいそと荷車に戻る風月。

長く伸び隊列の先頭ではすでに戦いは始まっているらしく、微かな喧騒と打ち鳴らす白人の音が聞こえてきた。矢はその流れ弾だ。

薄い防水性の布一枚では頼りないが、神域の騎士の側というだけでその安全度は段違いだ。


「……勝てると思うか?」

「何が?」

「キャラバンの護衛だよ」

「わかるわけないじゃん」

「昨日見ただろ」


レルキュリアに言われて思い出すのは屈強な男たち。しかし、それがどのくらい強いのかわかるほど目が肥えていない。何よりも、この世界では体格は先頭において重要じゃないことが多い。レギオンもアルトも痩身とまではいかないが線も細ければ、肉もついているように見えない。剣気が扱えるかどうかが肝要だ。


「俺は見て強さとかわからんからなぁ。相手の規模も知らないし。不安だから聞いたんだ」

「多分護衛は負けないまでも相当重傷を負う」

「そんなのわかるのかよ?」

「鍛冶師だぞ私は。剣戟の音でどのくらいの比率でどんなものが混ぜられているのか、どんな形状の武器を使っているのか、騎士としての経験からどれくらいの強さなのか、それくらいはわかる。白髪とかアルトとかリナみたいな一部が突出しすぎている奴らはわからないけどな」

「白髪……」


さも当然のようにでてきた名詞に風月は困惑する。神域の騎士と同列に並べられていることから特徴に当てはまるのはレギオンだとは思うが、確証はなかった。レルキュリアも特に説明するつもりはないようだ。


「数も護衛よりも盗賊が多い。ちっとは怪我も覚悟しておけ」

「もしかして俺も戦わないとまずい?」

「好きにしろ。近くにいりゃ、死にはさせない」

「やだ、普通にかっこいい」


茶化したら睨まれた。

そんなとき、剣戟の音がだいぶ近づいてきた。


「なあ、いつも峠の低い場所で襲われるのか?」

「私は王都に住んでいるんだぞ。知るかそんなもん」

「それは、そうか……」


煮え切らない態度を見たレルキュリアは、少しだけ興味をそそられた。


「何が引っかかってんだ?」

「盗賊の根城は何処かなって。昨夜の食事時に集めた話だとそのほとんどが元兵士や、小貴族領から逃げ出した領民たちだ。このあたりの盗賊はかなり有名だし、そういうのを討伐するために騎士団も出るんだろ?」

「それがどうしたんだよ。なんで根城の話になるんだ?」

「そりゃ、そんな簡単に攻められるところに棲まないよな。この峠ならもっと森の深い中腹とか」

「うざったいな。早く本題を言え」


興味を持って聞いておいて、怒気を孕み始めた声に変ったレルキュリアに対して肩をすくめる。


「つまり、この峠にいる間、何度もせめてくるんじゃないのか?」

「……まずいな」


風月の予想が正しければこれから盗賊の住処に近づくことになる。その間幾度も戦いになることは想像に難くない。それを理解したレルキュリアが立ち上がる。


「さっきのは撤回だ。出るぞ」

「意外だ。てっきり仕事以外したくない人かと思ってた」

「したくねえよ。本当なら今頃巨竜の素材と一緒に鉄を打っていたはずなんだよ。ここから果ての森まで行くのも楽じゃないんだよ」

「本当なら馬車あったのに――あででっ!?」


レルキュリアは風月にアイアンクローをするとそのあっま片手で持ち上げる。


「ああそうだよ。馬車燃やしたのは私だよ。だけど歩きたくないんだよ」

「……。体力ないからね」


メシメシメシィ。


「あ、あああ。ああ……」


あまりの痛みに頭の形が変わるかと思った。力を込めて手を外そうとするが、さすがは神域の騎士といった感じだ。びくともしない。それでも手心は加えてくれているらしい。

その時、人差し指と親指の間から見えた景色に、一人の少年が映った。みすぼらしい襤褸を身にまとって、震える手で見ているだけで危なっかしい握り方でナイフを構えていた。

風月は一瞬で剣気を纏うとレルキュリアの手をこじ開けてから叫ぶ。


「後ろ!」

「あ?」


どす。

生々しい音が聞こえた。

荷車に乗り込んできた少年は目を瞑ったままレルキュリアの横腹にナイフを突き立てた音であり、その感触に表情はすぐに驚愕へと変わって目が見開かれた。

鎧を邪魔だからという理由で纏っていないレルキュリアの服を突き破ったナイフは、皮膚を突き破ることはなかった。いくら体重をかけて押し込んでも、脂肪の分だけ柔軟にへこみはすれど、刺さることはけっしてない。

この現象に風月は見覚えがある。ヴァーヴェルグと出会った日にアルトが言っていた。

無意識のうちに放出している剣気のほうが勝っていれば傷すら負わせられないと。

最も弱いと言っていたが、それでもレルキュリアは神域の騎士だ。


「おい、餓鬼」


皮膚を見ていた少年の視線がレルキュリアの顔のほうへと上がった。


「お前には棒切れがお似合いだ」


ごっ。

鈍い音が聞こえた。齢にして12ほどの少年に対して容赦のない一撃が突き刺さる。軽く膝を突き上げただけ、その体が浮いた。

ひゅー。といびつな呼吸音だけ聞こえて、嘔吐する前に荷車から蹴りだされる。

レルキュリアは霧の中に出る。


「私は行くぞ。来るのか?」

「行く」

「ならついてこい」


魔術で収納してあった戦鎚を取り出す。レルキュリアの手に収まると、とたんに禍々しい姿へと変わった。

荷車の外は霧が散っていて、視界はよくない。それでも50メートルほども近づけば十分に視認できた。盗賊たちも異様な武器を持ったレルキュリアに反応を示した。


「状況は劣勢か。まあ野良の護衛じゃこんなもんだよな。わらわらと鬱陶しい。そうだ、面白いもんを見せてやるよ」


そういった視線の先にあったものは木だった。樹齢何年か風月にはわからないが、それが知覚の木々にある者とは一線を画していることだけは理解した。ひび割れて、黒ずんだ樹皮はそうであると理解しなければわからないほど微かに焦げたにおいがした。それでなお、針葉は青々と茂り、木の皮の隙間からうっすらと光を放っていた。

ほんの少し近づいてみただけで風月の手の産毛が逆立つのを感じた。冬に静電気を纏った時の感覚だ。

雷樹と呼ばれる電気を吸収し、帯電する木。この木のおかげで森が雷に焼かれることもなければ、雷樹の下に入ってさえいなければ落雷の影響を受けることもない。

そんなありがたい木であることを風月は知らず、知っているレルキュリアは躊躇しなかった。

無造作に振るった戦鎚は雷樹をえぐり取った。そう、比喩でも何でもなくえぐり取ったのだ。太い木が力任せに粉砕され、えぐり取られる音はある種の残酷さすら感じた。

バチン、バチン。

同時に聞こえてくる乾いた音で風月はそれが雷樹と呼ばれていたものではないかとあたりをつける。

そして気づく、『星砕』と呼ばれた禍々しい装飾に剥き出しの歯がずらりと並んだ戦鎚が動いていることに。きれいな歯並びの隙間から青白い光と、遠くでうなる雷の音が低く響いていた。


「くった、のか?」

「そうだ。これが意志を持つ武器の極致だ」


レルキュリアが武器を造ることになった場合、こうなる可能性すらある。

そんな生きた武器を振りかぶると、雷鳴が響き渡った。幾筋もの雷電が戦鎚の頭部と地面との間を行き来し、雷撃が空気を引き裂く音に思わず耳を塞ぐ風月。

なんの合図もなく力を振るった刹那、あまりの光に風月は思わず目を閉じた。にもかかわらず薄い瞼越しに、峠の地面をはい回り太い雷撃のイメージを植え付けられた。

キン……。

耳鳴りで周囲の音が拾えない。チカチカと明滅する視界の感覚は風月には覚えがあった。ヴァーヴェルグの『破光』の光を見たときによく似ていた。だいぶ程度は軽いが、それでも脅威であることには変わりない。

すぐに剣気を纏って、ダメージを和らげる。

一方で、レルキュリアは無意識に放出している剣気によって瞬きすらしなかった。


「食って力にする。これが『星砕』だ」

「まじかよ」


目の前の光景に恐ろしさすら覚えた。

雷撃は大地を焦がし、剣戟を交わしていた護衛と盗賊たちの意識をまとめて刈り取った。


「こんなことやって駆竜は大丈夫なのか?」

「あいつらは脂肪が厚いからな。こんな程度の雷撃じゃ気絶すらしないさ。せいぜい驚くくらいだ。あいつらも鎧なんか着てなけりゃ、しびれる程度で済んだのにな……」

「えっと、商人は?」

「知るかそんなもん。商品失うよりだいぶましだろ」


レルキュリアは肩に戦鎚を担ぎなおす。そのうえで、いまだ戦闘態勢を解こうとしない。


「一人、反応したな」

「何が?」

「雷撃の前に駆竜に隠れた奴がいる。一人だけやけに手練れだ」


目を瞑っていた風月には何が何だかわからなかった。しかし、レルキュリアから先ほどまでの弛んだ雰囲気が消えたことだけは理解した。


「ほかのやつらなら、剣気纏えるお前でもなんとかなったかもな。だが、あいつはだめだ。下がれ」


一人だけ早送り再生をしたかのような動き。霧の中から人影が姿を現した。手に持っているのは鉈。くすんだ緑の剣気を纏う女だ。顔を隠していたが、くっきりしたくびれと大きな胸で気づく。

そして最小限の動きでレルキュリアの横をすり抜けて風月の目の前まで来た。振りかぶった鉈がそのまま風月の頭をかち割る気道を描くのがしっかりと目で追えた。ヴァーヴェルグや神域の騎士の戦いでは動きを追うことすら許されなかったことを考えると、おそらくレルキュリアの勝てない相手ではないはずだ。

同時に、そこまで目で追えてしまえば風月にも防御はできた。

鉈を持つ手を両手でつかみ必死に守る。だが、単純に剣気の差で地面にたたきつけられた。


「ごふっ!?」


肺から空気が絞り出されようとも鉈から手を離さない。肘がつっかえ棒のようになり、鉈の刃が風月の脳天を叩き割ることはない。


「――こいつもか!」


それは女の言葉だ。顔を覆う布地の隙間から覗く目が大きく見開かれた。その隙に風月は相手と自分の体の間に足を入れて強引に引き離そうとするが、単純に力が足りない。大格差的に風月と同じくらいで、筋肉量な風月が勝っている。それでもなお押し出すことができないのは単純に剣気が強いからだ。

レルキュリアは女をわざと通した。それは風月の技量を図るためであり、いざとなればどんな状況からであろうと守れる自信があったからだ。ここまで見て風月が女盗賊に勝てないことを理解したレルキュリアが、鋭い蹴りを無防備なみぞおちへと叩き込む。

が、人間一人を蹴り上げる一撃に女盗賊は微動だにしない。布越しに見える瞳が痛みに歪んだ程度だ。

腕を伸ばせば相手の頭に触れられるほどの距離でレルキュリアはハンマーの柄を短く握って、取り回しやすくしてから横なぎに振るう。風月の体よりも太い木の幹を貪った一撃だ。人体にふるえばどうなるかなど想像に難くない。

そこから見事な弧を描くように体を逸らしてレルキュリアの一撃を避ける。そのままバク転で距離をとりつつ、後退の隙に鉈を振るう。しかし、一枚も二枚もレルキュリアが上手だった。残った左手でハンマーの柄をつかむとそのまま、柄を振り上げた。鉈をはじくと同時に女の顎をしたからかち上げる。

攻守を一手でこなすレルキュリア。

襲撃者よりも剣気の扱い方だけでなく、単純な実力でも上回っていた。

そして回転を始めた戦鎚の勢いそのままに、さらなる追撃が繰り出される。顎に打撃を食らい、安定を欠く状態で戦鎚の頭部に鉈の側面を押し当て、回転しながら自らの体を真横に押しだした。

見事な回避だったが戦鎚の頭部が顔を覆う布に掠り、『星砕』は布に噛みつきそのままはぎ取っていく。そして襲撃者の顔が露わとなった。

白い肌に、白みがかったブロンドを後頭部で高くまとめ上げて、ポニーテールにしてある。大きな碧眼が風月たちをにらみつける。尖った耳がその種族を知らしめていた。


「エルフだ……」


街中でもたびたび見かけるが、あんなにも艶のある髪を持ったエルフは見たことがなかった。


「みられた……っ」

「エルフが盗賊か。お前は手の森の出身か?」

「黙れ人間どもっ」

「その辺に転がっている盗賊だって人間だ。受容的排他主義っていう噂は案外間違っていないのかね」


なんだそれ、と風月は思いつつもレルキュリアと襲撃者の応酬に聞き入った。


「ま、どうでもいいか。神域の騎士に刃を向けておいて生きて帰れると思うなよ」


星砕の口からはみ出ていた襲撃者が顔に巻きつけていた布が発火する。食らったものを力に変える。その能力の一端を垣間見た。わずかな布切れのみで赤熱するほどの火力を帯びた戦鎚は、風月の顔の皮膚を焼かんとするほどの熱波を放つ。


『VAAAAAAAAAAAAAA……』


空気を燃焼させる音と共に聞こえる低い鳴き声は間違いなく戦鎚から聞こえた。こんなにも熱気を感じるのに、浮かぶのは怖気と冷や汗。それは込められた憎しみの深さを如実に表していた。

同時に、エルフにも動きがあった。

鉈を墜とし、魔術で収納していた新たな武器を取り出す。両手に一本ずつ。合わせて一対の直剣。装飾がなく見るからに軽い。風月でもへし折れてしまえそうな頼りなさがあって、鉈のほうがマシなんじゃないかとすら思えた。


「神域の騎士が何をしに来た?」

「ヤル気マンマンかァ♡」

「何を言っている?」


何かがおかしい。

先頭において素人である風月ですら覚えた違和感。それはレルキュリアの好戦的な姿勢にあった。蹴りや柄で殴ったりと武器を使って戦うことを避けていたような父子すらあったのに、今の瞬間は会話が通じなくなった。

変化の理由は間違いなく星砕だ。

漏れ出した剣気は赤黒い、いうなればザラつく錆色をしていてそれすら禍々しい。たいしてエルフは森林を思わせる緑色の剣気を纏う。風月は思わず森神を連想した。

言葉も合図もいらない。歴戦の戦士にはそれなりの拍の取り方というものがある。風月には見えない何かがあり、二人は示し合わせたように同時に動き出した。

愚直に振り上げ振り下ろす。ただそれだけの動作が、数百キロもの質量を持つと途端に脅威となる。レルキュリアの戦鎚がまっすぐ振り下ろされた。

だが、襲撃者のエルフもそれをただ受けるような愚か者ではない。魔方陣を展開し、そこに体を通すと一息に加速する。そして直撃するよりも早く懐に入り込み、すれ違いざまに双剣で腹部を両断する。

少なくとも風月にはそう見えた。事実、エルフの一撃は斬り抜けたのだから。しかし、刃は剣気に阻まれた。衣服を切り裂くことはできても、柔肌の表面を強くたたき、みみずばれを作るだけだった。


「―――っ!?」


息を呑み困惑するエルフ。

ここまでの実力差があると思っていなかったのだろう。実際、レルキュリアの動きは緩慢で風月から見ても隙だらけだ。それを剣気のみでカバーできるだけの実力があった。


振り下ろされた戦鎚は地面をたたき―――「は?」――そのまま振り抜いた


堅牢で自らの体重を支えてくれる大地をまるで粘土のように戦鎚がめり込む。しかもクレーターができるわけでもなければ、大地が砕けるわけでもない。そのままめり込み、降りぬかれた。文字通り大地を食っている。そのまま振り抜いた先に戦鎚が跳ね上がりエルフの切り抜けたばかりの背を狙う。

地面など意味をなさない。こうなってしまえば攻撃後の隙など無いに等しい。


「まだ、まだァ!」

「ちょっとま――ふぶっ!?」


再び魔方陣を展開し加速する。レルキュリアの一撃を薄皮一枚のところで回避したのはよかった。だが、無理な体制からの加速で、足がもつれた。本来ならばよけられたはずが、立ち上がろうとしていた風月に衝突する。

風月はぶつかる軌道であることに気づいたが、声を上げたときにはもう遅い。眼前に豊満な胸が迫り、そのまま衝突して抱きしめられる形で地面を転がった。

剣気のおかげで意識を失うどころか痛みもほとんどない。代わりに、柔らかい感触に顔が埋まり、甘い香りが鼻腔に広がった。

地面にあおむけになった風月の上に覆いかぶさるエルフどういう体勢であるのかを理解して思わず両肩をつかんで風月は押しのける。明確に理解した風月は顔が真っ赤になっていた。持ち上げられたエルフのほうはそんなことに気づいていない。ただ押しのけられたようにしか感じていなかった。

しかし背筋が伸びきって余計に胸が強調されて風月は目のやり場をなくす。視線を精一杯そらした先で戦鎚を振りかぶったレルキュリアと目が合った。目つきが悪く、いつも興味なさそうにしていた瞳が今は爛々と輝いている。顔は紅潮し、ある種の艶めかしさすらあった。

その眼には、風月が護衛対象として映っていなかった。戦鎚を振り下ろすことに躊躇が感じられない。

その施行まで至る刹那の間に、邪まな気持ちやら思春期特有の気恥ずかしさは消し飛んだ。代わりに背筋がゾクゾクと寒気を訴える。

考えるよりも先に、足掻き続けることが染みついた肉体が動く。

エルフを抱きしめると二人分の体重を利用して真横に転がる。ズン! と腹の底に響く音が一時だけでも死を回避できたことを告げた。


「うぐっ」


しかし、星砕は風月のマントに食らいついていた。気道が閉まり呼吸が制限される。すべて呑み込まれる前にマントをつかむと剣気を流し込んで強制的に破壊して、星砕から逃れる。


「――はっ」


呼吸が可能になった。

解放されたのもつかの間、今度はエルフに抱きしめられた。同時に半回転。世界が回った。背中に走る衝撃が攻撃されたことを告げる。何が起きたのかを理解したときにはエルフは膝立ちになっており、袖をめくると腕に物騒な道具を見せつける。

風月はそれを知っている。矢を早くそして簡単に射るために開発された武器。


「ボウガンっ」


それが戦鎚を振りかぶるレルキュリアへと向けられていた。

ヒュン。


「そんなっ!?」

「嘘だろ……」


風月すら驚きの声を上げた。


「ほうかひはか?」


鏃がレルキュリアの白い歯にがっちりと固定されていた。それから灼を吐き出した彼女の目には、宿っていた狂気はなくなり剣気すら消えていた。何があったのか誰一人として理解できていない。


「―――っ」


クルリ、と手の中の剣を逆手に持ち替えて風月の喉に切っ先を剥けるとそのまま体重をかける。


「遅い」


がぎんっ。

伸びもしない、重い金属が激しく衝突する音。

エルフは風月ののどに振り下ろす手を途中で止めて体を真横に倒すことで、戦鎚と体の間に双剣を挟んだ。それらが衝突したことで火花が散って、重い音を響かせた。

地面を削りながら何メートルも弾き飛ばされるエルフ。


「勝てねえよ。退け」

「……」


舌打ちを一つ。

首の襟元から手を入れて谷間から何かを取り出そうとする。


「ない、ないっ!?」

「これの事?」


風月は握りこめる程度の大きさの紐がついた笛を人差し指に引っ掛けてぐるぐると回していた。


「ごめん、手癖が悪くて」


そのまま遠心力を利用して投げ渡すと、さらに嫌な顔をされた。エルフはピュイと笛を吹くと霧の奥で回復した盗賊たちと共に引き上げていく。その姿を見つめながら風月は口を開く。


「逃がしてよかったのか?」

「戦うにしても目を覚ました盗賊たちのせいで被害は拡大していたし、何よりお前が邪魔だ」

「まとめて殺すとしたくせに……」

「何のことだ?」


かなりの恨みを込めて皮肉を言ったが、レルキュリアはきょとんとした調子で返す。本当に何を言っているのか理解していないまなざしで風月を見つめていた。


「おい、鼻血出てるぞ」

「え、うそ」


鼻を拭うとどろりとした赤い血液がついていた。


「さっきのあれのせいか?」


ぶつかったことだと願いたかった。これで巨乳に欲情して鼻血はさすがに恥ずかしかったが、レルキュリアが軽蔑のまなざしを向けてきた。


「このスケベ」

「うぐっ」


顔をうずめたのは事実なだけに、何も言い返せなかった。

が、レルキュリアの言いたいことは異なった。


「私の姿に欲情でもしたのか?」

「は?」


割と本気の困惑の声が漏れる。

レルキュリアの視線を向けるとそれはそれで言葉が納得できるものだった。

鎧をつけていないせいで服は切り裂かれ、肌蹴ていたからだ。引き締まったくびれに割れた腹筋。鍛冶によって健康的に焼けた肌と、下乳をのぞかせる。

まじまじと視線を吸い寄せられ観察してしまったところで、レルキュリアが顔を少しだけ赤くして、片手でほとんど隠せていないが、視線を遮った。


「女らしくないことはわかってる。けど、恥ずかしいからそんなに見るなよ……」

「ごめんっ」


珍しくしおらしい態度に風月は我に返ると、顔が気恥ずかしさのあまり熱を持った。同時に鼻血が勢いを増して思わず顔を覆って、死にたくなったのだった。


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