第一章 8 〇ホラーナイト
外にいた竜は喰われてしまった。余談だが、駆竜というらしい。そんなこんなで、揺れる馬車の中でホラーナイトが始まった。こんな物理的な命の危機は聞いてない。馬車は弄ばれるようにして何度も転がってから、正位置へと戻った。窓の外からは魔獣がこちらを覗いている。
しばらく頭の打ち所が悪かった御者が脳震盪で気絶していたが、目を覚ます。その頃には夜中になっていた。
「この馬車には魔術がかけられている。害意ある攻撃から中にいる者は守られる。だが、それも魔石が魔力を供給している間だけだ」
「いつまでもつ?」
「王の馬車に使われているのと同じ術式だ。だから問題ないだろう。だが、本気を出して集られたら一晩は持たない」
「うっはぁ、王の馬車心許無いな」
「何他人事みたいに言ってんだ、ここはもう危険なんだ。お前が突っ込めなんて言わなけりゃ……」
だって魔の山とか知らんかったし、とか言ったら右こぶしをフルスイングされそうだったので黙った。
「とりあえず助けが来るまで待つしかない」
「ここで待機、しかないか」
「今は祈れ。森神が来たらおしまいだ」
「森神?」
聞きなれない言葉を聞き返す。
「山の主だ。魔獣だけなら神域の騎士も負けんさ。だが、森神だけはだめだ。神域の騎士を三人相手してもびくともしない化け物だ」
過去一〇〇年間軍隊を追い返していたのはそいつらしい。
「にしても、助けを待つって言っても来るの?」
「・・・・・・来る」
御者は妙に確信に満ちた声色で言う。その理由に少しは心当たりがあった。
「この馬車がアルトのだから?」
「馬車は王から下賜されたものだ。紛失はそうとう嫌がらせされる」
「い、嫌がらせ?」
頭にハテナマークが浮かぶ。何というか、とてもじゃないが、まともな王とは思えない。フレンドリーなのはいいが、命がけで馬車を取りに来たくなるほどの嫌がらせを考えると背筋がぞっとする。
だが、そんな風月を見て御者がその考えを否定した。
「アルト様は堅物で、話を聞かないから。下賜されたものを紛失したことに耐えられなくなって取りに来ると思う」
「あ、あー・・・・・・」
(ものすごくわかる)
会って数分しか話してないのに、もう人間性を見透かせそうだった。しかし、問題はそこではない。
「回り道の方いかない? 普通なら」
「そうですね! 普通なら。よっぽど頭おかしくない限り回り道しますよ!」
明るく言ったら明るく返されてプッツンしてしまう風月。ヤケクソ気味に拳を振り上げていた。
「ごめんごめんごめんなさいっ」
結局振り上げたこぶしを振り下すことはなかった。何が悲しくて男と取っ組み合いをしなければならないのか。
「結局、望み薄か。なあ、飯ない?」
「飯の積み込みの依頼中に馬車を奪っておいてそれ言うか」
飯は無いらしい。朝から逃げたり馬車に乗ったりで食べる時間が無かった。なんならサンドウィッチはアルトとの殴り合いの最中に放り出してきてしまった。ティアもお腹が空いているはずなのに、文句ひとつ言わず窓の外を見ている。
その時だった。いきなり馬車が横転する。体当たりの衝撃などなく、注意深く転がされたようだった。窓に張り付いていた、ティアが頭から転がり落ちる寸前で、風月の手が伸びていた。ギリギリでキャッチできて、ティアに怪我はなかったが、風月は今の現象が理解的ない。
馬車が転がった方ではなく、ティアをキャッチした方だ。行き成り馬車が横転したのだから、ティアに注意を払う余裕なんてなかったのに、気づいたらナイフを捨てて右手が伸びていた。
御者にナイフを取られていないかが気になって御者の方を見ると、御者は上を見上げていた。横転したために、天井に窓がある状態で、そこから月明かりが差し込んでいた。しかし、すぐに差し込んだ一条の光が遮られる。
窓にようやく視線を合わせれば、真っ赤な瞳が馬車の中を覗いていた。魔獣とは比にならないほど大きな瞳だ。白い睫毛や目元の皺は老人を思わせる。
「……森神だ」
御者がぼそりと言った。
魔の山の主と言うのだから、もっと凶暴な存在を思い浮かべていた。それこそ一睨みでか弱い小動物の心臓を止めるくらいの凶暴なものを。
「案外おとなしそうだな」
そう言いつつナイフを回収する。がたがたと震える御者が何故こんなに怯えているのかよくわかっていない風月。
やがてそれを知ることになる。
ズバチィッ。
例えるな電流の音。次に馬車が軋む音。木と木の継ぎ目が強引に引きはがされ、その隙間を電流が走っていた。この電流が魔術だという事に風月は気づかない。むしろ気づく余裕がなかった。
窓ガラスが割れて、への中にガラスが降り注ぐ。
「一晩は持つんじゃねぇのかよ」
そんなうめき声は馬車の軋む音でかき消された。今にも引き裂けそうな馬車。それを見て御者がとうとう恐慌状態に陥った。
「死にたくないっ」
悲鳴を上げながら馬車の後部扉へ体当たりした。馬車そのものが歪んでいるせいで扉は開かない。しかし、風月よりもいくらか体重のある御者が何度も体当たりをすると扉は開いてしまう。
「やめろ、行くな!」
その静止は生き延びるためというより、扉を開けさせないためにあった。だが、そんなものを無視して御者は飛び出していった。刹那、真横から跳びかかっていった魔獣によって、その命を終わらせることとなる。
「うそだろっ」
次の瞬間には魔獣が後部扉から馬車の中へとはいり込んできた。それだけで狭い馬車の中は獣臭さが充満する。
ティアを背中にかくしてナイフを逆手に構える。これで縮こまったときにでも、威嚇はできる。
馬車に入れるほど小柄とはいえ、人間は腰ほどまである大きな狼には絶対に勝てない。
「…………っ」
「ヴォウ」
魔獣が反応できない速度で跳びかかり、風月はナイフで迎撃しようとするが手首に噛みつかれる。あの時気まぐれで買った腕輪で何とか手首を齧られずに済んだものの、すでに金属製の腕輪が歪み始めていた。
すぐにナイフを左手に持ち替えてその首に突き立てるが、あまりにも密度の高い毛に遮られて、肉まで到達しない。
「うおおおおおおおぉぉぉぉォォォォオオオオオオオ!」
異世界に来て一日目の夜。
絶体絶命だった。