第四章 2 〇レルキュリア
「さっさと行った。許可は出しておくから」
「そんな適当な……」
数日後、ドラクル領でミクハにキャラバンに乗せてもらい、果ての森の最も近くまで運んでもらうためのお願いに来ていた風月たち。しかしながら、顔を見て要件を言った直後、この扱いである。
青い髪はぼさぼさで、目の下には寝ていない証がくっきりとできていて、もともと美人だった影は何も残っていない。そっれでもドレスだけは貴族らしく豪奢であった。
「こっちは戦後処理でただでさえ忙しいのに、どっかの誰かさんが巨竜なんて墜としたからすごいことになってんのよ! 商人がこぞって集まってくるし、戦死者ゼロで終わったと思ったら氾濫した水で何人も行方不明になるし!」
「そんなに褒めるなよ」
「褒めてないわよこの馬鹿!」
コップを投げつけられ少し委縮する風月。壁に衝突する寸前でキャッチする。
「それで、いったい何しに来たわけ?」
「戦争で中断してた旅を再開した。本当は今頃果ての森についてた頃なんだけどね」
「……一人で行く予定じゃなかったの?」
この場にレルキュリアはいない。領主の館に入ることを避けて、外で待っている。どうも堅苦しいのは好きじゃないらしい。それを知っているミクハは護衛がつくことに疑問を持ったようだ。
「治安はよかったと思うけど、麒麟がいなくなってから荒れたって話ね」
「巨竜に合わせて東まで行くつもりだったから、本当は争いも少しはなりを潜めてるって話だったんだよな」
「自業自得じゃない」
「まあ、そうかも。結局巨竜は落ちたわけだし、なんも返す言葉がないや」
「そう。それからもう一つ。なんであの女なの?」
「レルキュリアの事?」
ミクハは領主の中継ぎの扱いとして今はドラクル領を取り仕切っている。そうなってから神域の騎士とのかかわりが増えて、下調べをするようになった。そこから知っている第六席の情報。
「はっきり言っていい噂は聞かないわよ?」
「あ、あー」風月の脳裏に浮かぶのは酒に酔ってぶん殴られた記憶。「だろうね」
それくらいしか言えなかった。その反応を見たミクハ呆れた顔でため息を一つ。
「あんたね、本気で言ってるの?」
「どういうこと? そんなに複雑な事情でもあったのか?」
ミクハは唇を濡らしてから、ため息を一つ。声を潜めるようにして口を開く。
「レルキュリアは神域の騎士に召し上げられる前に、殺人犯として処刑される寸前まで行った女よ」
そこそこの衝撃を受けて、反放心状態の風月。
ミクハの執務室を出ると、神域の騎士第九席、禍月茜キュウビとばったり鉢合わせた。黒くツヤのある髪は少し傷み、眠そうな眼でふらふらと歩いていた。心なしか耳もぺったりと折りたたまれている。相変わらずの黒い着物は胸元が大きく開き、視線が思わず吸い込まれそうになるのを気合で首を逸らしていた。
「おう、お前さんか」
「あ、ああ」
「……顔色悪いが、どうかしたのかの?」
「その質問はそっくりそのまま返すよ」
茜が目を細める。それでどうやら風月の心の内を読んだ。
「外のレルキュリアを見れば何となくわかる」
「……鋭いな。この国でどのくらいの罪なんだ?」
「尋常ではないの。まあお前さんの処刑騒動も正気の沙汰ではなかったが、それとは毛色が違うのう。殺されたのは三人じゃ」
命が軽いとは言わない。しかし、この世界に来てからアルトにも殺されかけたし、もっと大勢を処刑したヴェイシャズはのうのうと生きている。それを考えると、三人で処刑にまで発展するとは思えなかった。
「ただの三人ならともかく、神域の騎士三人ともなれば話が変わるじゃろう?」
「―――っ」
風月は目を見開いた。
神域の騎士を三人。それはもはや殺人ではなく偉業の域に踏み込んでいる。森神と同じような強さを内包しているに等しい。
「本人はそんなつもりはなかったようじゃがの」
「はっきり言って第六席はそんな奴ばっかりじゃからの。詳しいことは翁とかミラタリオとかのほうが詳しい。特にミラタリオは当事者じゃ」
ミラタリオは死ななかったんだろうな、そう思いつつ詳しく掘り下げてみる。
「具体的に何があったんだよ」
「……本人に直接聞くがよい。今ではそんな問題行動も少ないからの」
「俺酒の勢いで殴られたんだけど?」
「かかかっ、騎士なんぞアルトと翁以外そんなもんじゃの」
「問題行動じゃないのか」
風月はいろんな意味で戦慄する。しかし、少しだけ気が楽になった。少なくとも茜の反応を見るにレルキュリアが絶対的な悪という感じでもなかったからだ。
「わしは報告したら帰って寝るが、おぬしらはどうするんじゃ?」
「どうとは?」
「もう昼下がりじゃ。馬車もない以上、今日から行動とはなるまい?」
「まあね。明日にはキャラバンを紹介してくれるっていうし、今日は宿をとってそこで一泊する予定」
「わしの家に来い」茜は風月の肩を叩く。それから背後に回って背中をさすり始めた。「おぬし、ヴァーヴェルグと戦うためになんの準備もしないつもりかの?」
「どういうこと?」
「魔術じゃ。スクロールに頼るばかりであまり使っておるまい」
風月もヴァーヴェルグと茜の戦いを見てその重要性は理解していた。剣気も魔術も積み重ねではあるが土壇場を助けてくれる剣気に対して魔術は初手で盤面をひっくり返すほどの威力を持っている。
「研鑽は身を助ける。だから今晩はうちに来い。もちろんレルキュリアも一緒じゃ。身の丈に合った魔術を磨け」
「魔術、ね。いまいちピンと来ないんだよな」
「その年になるまで魔術なしで生きてきた奴をアルト以外に知らんのじゃ。ほれ、先に行っておれ」
そういって茜は執務室に入っていった。
そんなこんなで夜なかには茜の家についていた。
相変わらずの和室で、イグサの香りに懐かしさすら覚える。
久々の和食に舌鼓を打ち、食後にはレルキュリアが風呂に入っている間に、茜のレクチャーが始まった。
「お前さん、魔術のイロハは教えたの? 覚えておるか?」
「えっと、確か……。存在固定値とかなんとか。空気が基準でそれに影響を及ぼすにはそれ以上の魔力が必要になるみたいなことを覚えてる」
「間違っては、ないの。なら、魔術と聞いてどんなものを思い浮かべるのか言ってみるのじゃ」
「『破光』」
風月が真っ先に思い出したのは忘れもしない『破光』だ。ヴァーヴェルグが放った一撃で風月はしばらく動けなくなった。それも見ただけで眼球が受け取れるよりもはるかに高い光度だったというだけで悶え苦しむことになったのだ。しかも、その威力は山に建造された王都をすっぽりと覆いつくすようなサイズの巨竜を苦しませずに一撃で葬り去るほどのものだ。
茜もその名を聞いて苦い顔をした。
「まあ、気持ちもわかるが、あれはまともな魔術ではないの。鍛錬や発想で至れる域に存在していないのじゃ。剣気と魔術を練り合わせただの破壊として放つ。強力じゃが、人の一生で再現するのは不可能じゃな」
「そんな気は正直してた。使えるならたぶんヴァーヴェルグもやれるよ」
「そうじゃな。ならほかには?」
「茜のオレンジ色のやつとか、ヴァーヴェルグの『国崩シ』とか? あれも原理よくわかんないけど魔術なんだろ?」
「まぎれもなく魔術じゃ。わしの『界断』もヴァーヴェルグの『国崩シ』も発想によって生まれた技じゃ。あの二つは存在固定値に干渉する魔術じゃな」
「もうよくわかんないんだけど」
風月の率直な感想に茜は眉をハの字に曲げて首をかしげる。
「まあ、理解半分程度に聞いておくがよい。大事なのはそこに至る発想じゃ。計算のやり方を知っているのと知らないのでは解に至るまでの時間も柔軟さも段違いじゃからの」
「うーん。それは何となくわかる」
「なら黙って聞いておけい。どちらも物の存在固定値に干渉する。例えばじゃ」
負荷していた煙管を手のひらでくるくると回す茜。そのままこつんと机をたたいた。
「これは何も干渉していない状態じゃ。ここに干渉すると……」
するん、と煙管が机を通過した。それこそ何の前触れもなく、違和感もない。ただ自分の脳みそがバグって処理しきれない現実に理解が追いつかない」
「早い話、机の存在固定値を下げたのじゃ。本来は下げたままにするより燃やした状態に移行させたりする方が容易いのじゃが、慣れればこんなものじゃ。ここに例えばこれじゃ」
茜はスクロールを着物の大きく開いた胸の谷間から取り出して机に通過させた。比喩でも何でもなく、文字通り紙が初めからそこにあったように収まったのだ。
「存在固定値を下げればこんなことも可能じゃ。最初からそこに挟まっていたことにするのも容易での。わしの『界断』はこの要領で魔術の刃を挟み、ものを分断するのじゃ」
「ヴァーヴェルグのは?」
「あれはちぃとばかし毛色が違う。あの魔術の刃は物を透過しておったからのう。おそらくは切断面に対して質量の小さいほうの存在固定値を異様に下げておる」
「何かを挟みこめるっているのはわかるんだけど、そんなことしてなかったよな。にもかかわらずあれだけボロボロになっていた」
「それは物質が溶け合っていた、という表現が近いかもしれんのう」
「とけ、あう?」
氷が水になるとかそういうことではない。そして汽水域で真水と海水がまじりあうことでもない。
「曖昧になるのじゃ。内臓も、骨も、皮膚も。『国崩シ』というほどじゃ、なんなら生体の概念にとらわれないかもしれぬ。法や」
「具体的にどうすごいんだ?」
「言ったはずじゃ。存在固定値があると。物質が魔術的にそのままであろうとする力じゃ。一時的に境界を作ったところで質量の大きい半身があるからの。混じり合ったものが元に戻る。その影響であれだけの破壊をもたらすのじゃ」
「元に戻るだけだろ?」
「お前さんの体内の血液がすべて水に変わったとしよう。そしてその血液はすべてわしの手のひらの上にあるとする」
煙管から立ち上る煙が茜の手のひらの上で球体を形作る。
「もともとの水の器はこっちじゃ。そして血液の器はお前さん。これが最短距離で元に戻ろうとするのじゃ。肉も、骨も、皮膚も、何もかもを貫き合って最短距離で元の器に収まろうとするのじゃ」
風月の顔が青ざめた。
「刃が透過した後じゃ。元に戻ったすべてはそれ以上魔術的な干渉を受けずにお互いを破壊し合いながら元の器へと収まる。あの魔術の凶悪さが分かったかの?」
「考えたくもない……」
あまりにも悍ましい想像に戦々恐々としていると、茜が目を細めた。それは風月が何かを内に秘めていることを見抜いたからに他ならない。
「お前さん、いくつか簡単な魔術は教えたじゃろ? なぜ巨竜の上で使わなかった? 疲労を回復させることも、傷を治すこともできたと思っておる」
そういって畳に尻をつけて足を崩して紫煙を吹かしていた茜が四つん這いになって風月に近寄る。今にもこぼれそうな胸が揺れて、谷間に目が行ってしまう。そのことが恥ずかしくなり顔を逸らす。その様子をわかっていても茜は容赦なく風月のパーソナルスペースにがっつりと入り込んできた。それから風月の手を取って袖をめくる。
そこにはいまだに切り傷や擦り傷が残っていた。包帯で処置はされていても、その隙間からいまだに残っている傷が覗いていた。
「……傷口が化膿することもある。それを放っておいて何をしておる?」
赤みを帯びた瞳がじっと風月を見つめる。
「体も随分と張っておるの。運動のしすぎじゃな。なぜ治さぬ? 魔力を何に使った?」
「……食べ物の毒見判定に」
「嘘じゃな」
目をそらしながら言った言葉を一瞬で否定する茜。煙管から甘い匂いを立ち上らせて、風月の両肩をしっかりつかみ、瞳を覗き込む。
「そんな程度の魔術でおぬしの魔力が枯渇するわけがなかろう」
「……目聡いな。だが、言えないよ」
茜といいティアと言いこういったところは苦手だった。
「何にため込んでおる?」
「これだけはだめだ。ヴァーヴェルグに対する切り札だから」
「……まあ、何も言うまい。そういう切り札を隠す輩も多くいるからの」
直後、風月は天井を見上げていた。有無を言わさずに茜に押し倒されたことに気づくまでに数秒。
「なら気をつけろ。こんな風に押し倒せば手練手管で聞き出すことも――」紫煙が風月の首に巻き付き、真綿のように緩やかに締められる。圧迫感は少しだけあるが、呼吸が遮られるほどではない。「――拷問も尋問も容易いからの」
ふっ、と強く息を吹き付けられると、首の圧迫感が消えた。そのままスッと立ち上がった。
「わしは風呂に行くとする。使いたければわしの後で使うとよい。わしはそこそこ長風呂での」
そういって部屋を出ると入れ替わりで温まったレルキュリアが出てきた。烏の行水なうえに、食事も手早く済ませるから、会話の合間に戻ってきたのだ。
「よく話せってことかよ……」
風月は肩をすくめつつ、レルキュリアを見た。その視線の意味が分からずレルキュリアは頭の上に?を浮かべていた。
「酒はないのか?」
「俺に聞くな」
体を起こし、胸に詰まった重苦しい空気を吐き出す。これからの質問を口にするにはそれなりの覚悟が必要だった。
「直接聞けって言われた」
それだけでレルキュリアに歯十分伝わった。最初は驚いた顔をしていたが、すぐに呆れたように笑い出した。
「そうだな、そうしてくれるだけありがたい」
ふすまを開けて、縁側に出ると、壁に背を預ける。そのままずると腰を下ろしていく。月明かりを浴びながら、ほてった体に風を浴びて少し気分を落ち着けると長く息を吐き出した。
「風月、凪沙。命を預けられるか、その判断はお前がしろ。すべて、話してやる」




